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2025年2月12日水曜日

桜餅、と、桜、そして、俳句と短歌、スマホ時代に住みながら。

俳句誌α 1992年11月創刊 

■ 2025-02-12
■ 桜餅、買ってきたよ、という。
■ 妻は、桜餅はさほど好きではないが、私の好みだからだ。
■ 昔作った句を思い出す。
  • 香りよき葉ごと食いけり桜餅  遊水
■ この句は、歌集「瀬音」美智子、を読んで作ったものだ。

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■ 雛の節句頃に合わせて売る商魂が、バレンタインデーと同様いかにも日本的だ。
■ まだ早いけど、桜って散るところがいいのよね。
■ という。
■ 起承転結的に続く。
■ 昔、俳句誌αアルファは季刊でその何号かに投稿した句が上田五千石という人に佳作で選ばれてうれしかった句がある。
■ この頃、俳句なんてほとんど知らなかった。
■ 選者についても知らない。
■ 桜の句や歌は世にたくさんあることだろう。
■ よく知られた歌に、

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき

■ このような歌に対し藤原定家はどう評価したのか、百人一首には
  • 久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらん  紀友則
■ 選は作である、などとも言う。
■ これら3つを比較すれば、「のどけからまし」や「散ればこそ」は何か理屈ぽく、ただ頭で作ったように感じられる。
■ 一方「しず心なく」は新鮮な言葉使いに聞こえ、率直な感じがする。
■ 思いや考え方は、だれもが表現しやすい。
■ 「ことば」はなかなか思いつきにくい。
■ だから、和歌がある。
■ 「しず心」の歌の「久方の」は「枕詞」だとする解説がある。
■ 何の違和感もなく、枕詞だとする感覚、なぁんか変だよね。
■ 最初にそのことばを使った場合も枕詞なのか、と疑問を持たなくていいのか。
久方ぶり
久しぶり
■ こんな言葉は今も活きている。
■ 久しぶり、の春の日。
■ 久しぶり、の、のどかな春の日

■ 久しぶり、の、のどかな日、なのに、「なんでよぉ」
■ 散っちゃうなんて、・・・
■ もっと眺めていたいのに。

■ そんなふうに、私は読んでいる。
■ この歌の場合、枕詞であるはずがない。
■ 何度も書いた。
■ さて、「花の散るらん」の花は桜だととれる。
■ だからといって、どんな場合も桜かというと、それは違う。
■ 百人一首の歌に
  1. 花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに  小野小町
  2. 色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける  小野小町
■ 「2」の方は桜だとは言えない。
■ どちらにも、花、や、色、という言葉が出て来る。
■ 同じ作者、小野小町は「色」をどのように捉えていたか、
■ 色彩の色ではない。
■ 何なのか、私は、次の歌にしてみた。
  • 世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに  遊水
■ そして、小野小町でなく、紫式部の歌だったら、面白いのにな、と思った。
■ 源氏物語と併せて考えると、こんな歌もありかと思う。

世の中はうつりにけりないたづらに我が御世に古るながめせしまに  遊水
世の中はうつりにけりないたづらに我関せずとながめせしまに  遊水

■ 今の時代に、スマホも使わず生活している。
■ だから、こんなふうにも世の中を見てしまう。
■ ・・・

2025年1月25日土曜日

第八帖・花宴、朧月夜の話

■ 2025-01-25
■ 今朝の、日本経済新聞・小説・諸田玲子・登山大名348、に源氏物語の歌が引用されていた。
  • わたくしが死んでも、名も知らぬ女として、草葉の茂る墓原までお探しになることはありません。
  • -----そんな意味か。
■ ふうむ、そんな意味として、この主人公は理解した、と作者は書いたのだろうけれど。
■ しかし、そんな意味なのかな。
■ 朧月夜の君は、第八帖・花宴に出て来る。
  • 深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろげならぬちぎりとぞ思ふ  光源氏
  • うき身世にやがて消えなばたづねても草の原を問はじとや思ふ   朧月夜
■ 憂い多いこの世から、私が消えてしまったら、草の原を訪ねてでも、探してはくれないのかと、思います。
■ こんな意味なら小説とは逆のコトになる。
■ 本当に探してくれますか、と源氏物語の朧月夜は詠んでいる。
■ 全訳・源氏物語・与謝野晶子、では
  • 「そう、私の言ったことはあなたのだれであるかを探す努力を惜しんでいるように聞こえましたね」と言って、また、・・・(歌省略)・・・私との関係を迷惑にお思いにならないのだったら、お隠しになる必要はないじゃありませなか。わざとわからなくするのですか」
■ と書いている。
■ ここだけ読めば「うき身世に・・・」の歌が朧月夜の歌でない感じにもなるが、光源氏がいわば解説しているような感じで書かれている。
■ 花宴で、朧月夜は、結局、自分の名前をあかさず、話はおわってしまう。
■ 紫式部は、光源氏という人間を必ずしも褒めているわけではない。
■ それは、最初の、桐壺の最後の注書き的な記述で分かる。
  • 光君という名は高麗人が(勝手に)称賛してつけた名だと伝えられているとのコト
■ つまり「光君」と呼んだのは私ではないですよ、と暗に言っている。
■ 表面は、いかにも素晴らしい男との書きぶりだが、
■ 女たらしで、品性や気品に欠ける人物として描いている。
■ 歌も、強引で下手だ。
■ 人物の性格が分かるように、作者は歌を書き分けている。
■ この辺の所を理解すると、紫式部という人はすごいなと思う。
■ だから、光源氏の相手は死んだり姿を消したりする。
■ 同様に、朧月夜も名前を教えない。
■ 間接的に光源氏の行為を否定している。

2024年11月19日火曜日

身にしむ色の秋風、をもう一度、と、蛍の歌



■ 2024-11-19
■ 塚本邦雄は新小倉百人一首の和泉式部の歌として
  • 56 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ    和泉式部
■ この歌を上げている。
■ 「身にしむ」については以前書いた。
■ この際、これらをまとめ比較してみよう。

秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ  和泉式部
しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く  藤原定家
若き日は見えざりしこの風のいろ身にしむ色の風の秋なる  小島かおり
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く  橋本遊水

■ 色は「ような」という意味。

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「いろ」は色彩の色でなく、辞書には/顔色、ようす/種類、しな/情趣、味わい/やさしさ、情け/……とあり、「風情」といつたところか。今風に言えば「カンジ」である。従って、・・・


■ さて、塚本邦雄は藤原定家の小倉百人一首を凡作だと貶すがどうだろう。
■ まあいいか、そのうち私も何か選んでみよう。
■ その一つとして

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黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部


■ こんな歌を選んでいた。
■ この歌の方が塚本邦雄選よりいいと思うが、定家・小倉百人の歌は、当時の人間関係なども考えられていることを思えばそのままでもいいのかもしれない。
■ 書き並べてみよう。

あらざらむこの世の外の思ひ出に今一度の逢ふこともがな    和泉式部 藤原定家選
秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ  和泉式部 塚本邦雄選
黒髪のみだれもしらずうち臥ふせばまづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部 橋本遊水選

■ ・・・・

○   ○   ○

■ ついでに・・・
■ この動画で「その中から2句紹介します」と言っているが「2首」といってほしいものだ。
■ 重箱の隅ではあるけれど、・・・
■ しかし、まあ、こういう解説があるのも悪くない。
  • もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る   和泉式部
■ この歌も上げている。
■ そして、紫式部の評についてもふれていた。
■ 紫式部・源氏物語・玉鬘の蛍の歌は、・・・
  • 声はせで身をのみ焦がす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
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■ 蛇足ながら、比較してみると面白い。

2024年9月22日日曜日

源氏物語の作者の価値判断基準、と、死。追記 9/22



■ 2024-09-22 上のリンクを追記した。
■ 2024-07-10
■ 源氏物語ではたくさん人が死ぬ。
■ 当時の平均寿命はどうだか知らないが、とにかく死ぬ。
■ 源氏物語は物語なので、その死は作者の価値判断によると考えてよい。
■ 作者はなぜ死なせるのか、このような視点から読んでみるのもよいかと思う。
正邪
善悪
■ 源氏物語は光源氏が主人公の物語だから、光源氏に関係する人が死ぬ。
■ 必ずしも、死んだ者が悪いということではない。
■ では、作者の価値判断は誰に対してなされるのか、これは明らかで
■ 光源氏の行為に対する判断だ。
■ 作者が殺すのは、光源氏の行為がよくないので相手を彼の前から除くということだと考えられる。
■ 作者は光源氏を必ずしも好ましい人間だとは見ていない。
■ 最後には、光源氏が一番大切に思い育てた女性を死なせている。
■ 彼の生き方を否定している。
■ 物語は、全くの架空のモノではなく、作者の生きた社会での出来事を語っている。
■ 物語を、光源氏から見た女性ではなく、女性である作者側から見た男が描かれている。
■ 物語として書き綴りながら、現実の男社会を描いている。
■ ・・・
■ 最初の「桐壺」の最後の部分を与謝野晶子訳でみると、
  • 光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。
■ とある。そういうことで、人々の興味を引いたのだが、
  1. 美貌
  2. 天才
■ これだけが人間を評価する基準になるものではない。
■ 例えば、
  1. 思いやり
  2. 寛容さ

■ 立派な人かどうかは、もっと他の要素があると思われる。
■ むしろ、美貌や天才以外の人間性の方が重要なことは古今変わるものではない。
■ 表面的な評判・誉め言葉は現実のモデル的に考えられる人への取り繕いと考えた方がよい。
■ 怒りや妨害を避けるためだ。


2024年9月11日水曜日

光の君という名 9/11

事実を知った源氏(六条院)に宴席で皮肉を言われた柏木は恐怖のあまり自失、死の床についた。


■ 2024-09-10
■ 今朝は、ある疑問が沸いていたので、3時頃起きて本を開いた。
  1. 美貌
  2. 天才
■ このような言葉が平安時代、というか、紫式部が生きていた時代にあったのか。
■ おそらく、なかったと思い当たった。
■ 与謝野晶子の訳では
  1. ひかるの君という名は前に鴻臚館こうろかんへ来た高麗人こまうどが、源氏の美貌びぼうと天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。  与謝野晶子訳・青空文庫
  2. 「光る君といふ名は、高麗人こまうどのめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。
  3. 「光君といふ名は、高麗人(こまうど)のめで聞えて、附け奉りける」とぞいひ傳へたるとなむ。
■ 対訳では、「光る源氏という名は、高麗人が讃嘆してつけたのだ」と伝えられている。
■ 角田光代訳では、
  • ところで光君という名は、高麗人の人相見が源氏を賞賛してそう名づけた、と言い伝えられているとのこと・・・
■ ついでながら、Arthur Waley の訳では、・・・
  • Same say that the name of Hikaru the Shining One was given to him in admiration by Korean fortune-teller.
■ だいたい「美貌」という言葉は女性的で男に対して用いる言葉でもない。
■ まあ、イケメン的な言葉ではあるけれど。

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      • 美貌
      • 天才
■ これだけが人間を評価する基準になるものではない。
■ 例えば、
      • 思いやり
      • 寛容さ
■ 立派な人かどうかは、もっと他の要素があると思われる。
■ むしろ、美貌や天才以外の人間性の方が重要なことは古今変わるものではない。

■ 先にこんなことを書いた。↑
■ 「美貌」や「天才」が紫式部の言葉だとすれば、このように言ってもいいかもしれないが、当時はこういう言葉で言ったはずはない、ことに気付いて原文に当たってみた。
■ ただ、他の部分も合わせ読むと、与謝野晶子がこのように評したのも分かるような気がする。
  1. この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと・・・御子のおよすげもておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えたまふを、
  2. 七つになりたまへば、読書始などせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。
  3. わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けば、ことごとしう、 うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。
  4. 相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。
  5. 「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷の重鎮かためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」
■ ・・・
  • 人相見は驚いてしきりに首をかしげる。
  • 「国の親となって、帝王の位に昇るべき相があるが、
  • その方面からみると、国が乱れる恐れがある。
  • 朝廷の重臣となって天の下の治世を補佐するという面から見れば、
  • その相もまた違うでしょう」と言う。
■ 光源氏が7歳の時、作者は人相見の言葉を借りて、彼の一生を暗示している。
■ 日本の占い師も同様のことを言っている、と。
■ この源氏物語の最初の「桐壺」の部分と、光源氏最後の部分「幻」を読むと占い師通りの人間だったということが分かる。
■ また、第三章を見ると、その子、孫も、同様の人間だったいうことも分かる。
■ ・・・
■ 光る源氏には影がありすぎる。
■ 例えば、

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■ この人のYouTube はしばらく投稿がなかったので、どうしているのかなと思っていた。








2024年8月31日土曜日

藤原公任、たわむれに 若紫はと たずねども ただ冷ややかに 紫の人  遊水



■ 2024-08-31
  • たわむれに 若紫はと たずねども ただ冷ややかに 紫の人  遊水
■ 小倉百人一首・55番 藤原公任
■ 滝の音は、の歌はたいして面白くない。
■ なんとかならんかと思うが、よく分からない。
■ そこで、ひとつ歴史的物語のひとこまを取り上げてみた。







あいざき進也 - Wikipedia ■ 全然知らなかった。
トップアイドルとして順調な活動を続けてきたが、大人のシンガーへの脱皮を図るべくギタリストの寺内タケシの下で修業。

2024年7月29日月曜日

紫式部が描こうとした物語、と、あれこれ

現代語訳、
與謝野晶子、
窪田空穂、
谷崎潤一郎、
五十嵐力、
円地文子、
瀬戸内寂聴

■ 2024-07-28
■ 源氏物語・桐壺に次の記述がある。

玄 宗皇帝と楊貴妃の恋を題材にした白楽天の長恨歌を、亭子院が絵にあそばして、伊勢や貫之に 歌をお詠ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那のでも、愛人に別れた人の悲し みが歌われたものばかりを帝はお読みになった。

■ 亭子院は宇多天皇の譲位後の名

宇多法皇 - Google 検索 867年6月10日- 931年9月3日 宇多源氏の祖先


伊勢 (歌人) - Wikipedia 872年頃 - 938年頃
紀貫之 - Wikipedia 平安時代前期から中期


  • ■ なぜ、藤原物語でなく、源氏物語なのかなあ、・・・
■ と、書いた。
■ 紫式部が描こうとしたのは何か、・・・・
■ また、誰をモデル、という感じのコトについて
■ やはり、このあたりのことが一番重要なコトのようだ。



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■ この人はよく笑う。

2024年7月27日土曜日

長恨歌、と、源氏物語、と、道草



最後に、「いかがでしたか? 次回もお楽しみに」とある。
■ 面白かった。
■ 1000年の歴史を持つ源氏物語については多くの人が書き、語っている。
■ 私がいまさら、という感じだ。
■ そのうち、他の動画も見てみよう。
・・・「いかがでしたか? 次回もお楽しみに」とある。
■ この解説はよく見られる一般的なものだが、全く、いただけないものだった。
■ この持統天皇の歌については、私も何度も書いた。
■ 要するに、持統天皇は雨乞いを、あめのかぐやま、で行った。
  1. 阿米能迦具夜麻 古事記・ヤマトタケルノミコト
  2. 天之香來山   万葉集
  3. 雨の香来山   遊水
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■ 2024-07-27
■ ・・・
  • あやつりの 人形どれも 同じこと 誰が操る 誰をあやつる  遊水
■ さて、・・・
■ 源氏物語は今まで読もうとしなかったが、桐壺、は何度も読んだ。
■ この部分が紫式部の意識の表れであり、長恨歌を越えたものとなっている。
■ ただ、詳細を書き過ぎのような気がする。
■ 詩歌と、物語、の違いだけれど、例えば、百人一首のように和歌で綴った方がよかったように思う。
■ 源氏物語について書こうと思ったが、ついでに見た動画から、持統天皇の歌にそれてしまった。
■ まあ、いい。また、そのうちだ。
■ 楊貴妃については、下記を書いた。
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開会式の最も美しい画像





2024年7月26日金曜日

当然編集作業はあっただろう

■ 2024-07-26
■ 芥川龍之介は、小説を書く前に書くことは決まっているので、どの部分からでも書き始めることはできる、と。
■ 短編だからだろう。
■ 長編の場合はどうだろう。
■ 源氏物語は長編だろうげれど、短編の寄せ合わせでもある。
■ どの部分から書き始めたのか、和辻哲郎は、そこに疑問持って書いている。
  1. 桐壺
  2. 帚木
■ 帚木の出だしが、桐壺の記述と合わない、と。
■ まあ、そうだろう。
■ 一応の完成を見るまでは、当然編集作業はあっただろう。
■ 並べ替えや、挿入などなかったということの方が不自然だ。
■ 当時は、現在のような印刷技術はなく、人により書き写したものだから、
■ 源氏物語は広く読まれたようだし、書いている途中でも、他の人が読んでいたようだ。
■ 一人の人が全てを短時間に書き写したと考えるより、手分けして書き写したと考えた方が現実的だ。
■ 作者が書き上げた部分を書き写し、それをまた、他の人が書き写すということが考えられる。
■ 現在のような形で完成後の作業は、一人の人が全てを書き写したとしても、写した部分を他に渡し、続きをと、何人かの人が、時間差を置いた、流れ作業が考えられる。
■ さて、
■ 光源氏の一生は、最初の人相見の言葉通りであることが分かる。
■ 先に、次の頁を書いた。



2024年7月25日木曜日

源氏愛憎


■ 2024-07-25
■ 次に、読み始めたのは、編・解説・田村隆・源氏物語論アンソロジー・源氏愛憎、だ。
■ ↑、試し読みも、一応できる。
■ 幾つか拾い読みした。
■ 例えば、谷崎潤一郎、彼は3度も現代語訳をしたのか、初めて知った。
■ その彼の話とか、折口信夫とか、面白く読んだ。
■ 他の人のも読んでみよう。
■ 様々な感想、というか、源氏物語の、いわば、本当の姿が立体的に読み取れるかもしれない。




2024年7月23日火曜日

裏切りは 許さないぞと 柏木に 酒強い飲ます 光源氏は、と、シマフクロウ



■ 2024-07-23
■ 池田弥三郎・光源氏の一生・講談社現代新書、は案外早く読めた。
■ 彼は書いている。

日本文学のうえで、光源氏ほど大ぶりで、ゆたかな、陰影に富んだ人間像は、ほかに見当たらない。・・・人間としての、人知れぬあやまち、悩み、挫折を通して自分をみがきあげ、やがて一門の主として成熟してゆく姿には、尽きない魅力がある。 

■ などとしている。
■ 尽きない魅力があるとしたら作者の力と言うべきものだろう。
■ 紫式部に筆力があったけれど、決して光源氏の人生を肯定しているわけではない。
■ 筆力があったから、光源氏が犯した罪を光源氏自身が罪だと意識していない場面も書き、
■ 現実を物語として書き表すことができたけれど、いわば理想の人物像を創造する、あるいは、より良い社会を描くことはできなかった。
■ ただ、光源氏の行為を、関係する人の死で否定することで、こうあってはならないという形でとらえている。その点で紫式部の判断力が客観性をもって、この世の人間を描いていることが分かり、物語としての魅力になっているのかもしれない。
■ 私には、光源氏の姿が「一門の主として成熟してゆく姿」には見えない。
■ 世の成り行きに乗って生きてきたけれど、最愛の、というか光源氏の身勝手な愛し方での最愛の紫の上をも失うことになってしまう状況を、紫式部は書いている。
■ それが光源氏の限界で、人間としての小ささを表している。
  • 裏切りは 許さないぞと 柏木に 酒強い飲ます 光源氏は  遊水
■ まあ、そういうことだが、こうした源氏物語を通して紫式部の魅力が感じられる。

■ この女優、名前、仲間なんだっけ、などと思いながら、
■ こっちだったか。
■ ・・・


■ シマフクロウが出て来る。
■ テレビがないので見たことなかったが、結構面白い番組だな。

2024年7月22日月曜日

呼び名、通り名、ペンネーム


■ 2024-07-22
■ この頁は昨日の俳句、を取り上げて書こうかな、と思っていたが、最初からそれてしまった。
■ 書き直すことにした。
  • 雑草という草はなし今は夏  宝塚 上田守
■ 誰が選者かという感じでほめた句ではない。
■ 盗作と言われかねない。
■ 選者は神野紗希、だった。
■ なぜほめた句ではないかと言うと、
■ このようなコトだからだ。
■ 「今は夏」という部分に何か工夫があればよかったかな、と思う。
■ ・・・
■ 名前は他と区別するために付ける。
■ 人がつける。
■ こんな名前だったら、付けられたくないモノだってあるかもしれない。
■ ふぐり、って金玉のことでしょ、私って金玉なんかじゃないわ、と言いたくても、
■ 植物はモノが言えないので抗議もできない。
■ いろいろある。
■ しかし、昭和天皇の言うことはみんな分かるだろう。
■ 個々の名前については問題もあるのだが、それはそれで、おいとくとして。
■ 基本的に、自分の名前を自分でつけられないのはやはり、ということだろう。
■ ・・・
■ 呼び名、通り名、ペンネーム、実名でない名前はあっていい。
■ ここで一休み
■ 2024-07-21
■ 漱石、と言えば、夏目漱石のことで、本名が夏目金之助だと知らない人もいるかもしれない。
■ 名前とは何なのか。
■ 筆名は色々面白いモノもある。
■ 自ら名乗る名もあれば与えられる名もある。
■ 夫婦別姓、に関しては総務大臣の時、passportとか旧姓を併記できるとし、実質的にほぼ可能になっていることについて、YouTubeで説明している。どこかにリンクした。
■ 夏目漱石は
  1. 小説
  2. 評論
  3. 漢詩、俳句
  4. 随筆
  5. ・・・
■ 全集を見れば分かる。
■ 紫式部は本名ではなく呼び名で、あり
  1. 物語・源氏物語
  2. 日記・紫式部日記
  3. 歌集・紫式部集
■ これらが知られている。
■ ここで言えるのは、小説とか物語は作りモノだとされるが、一般的に全てそうだとは言えないが、
■ 作者によってとらえ方が違うが、
■ それが、当時の現実社会を反映したものだと見てよい。
■ 物語は作者にとって外の世界であり、和歌は、自分のうちなるこころだ。
■ 人の世は、
つづく





2024年7月19日金曜日

今朝聞鳥鵲語、真成好客来



■ 2024-07-19
■ 山本淳子・紫式部ひとり語り・角川ソフィア文庫を読み終えた。

公任様はご自分の著書「和漢朗詠集」に「遊仙窟」の一節を採っておられ、あの伝奇には詳しい。だから・・・

■ などとあるので、一応、「和漢朗詠集」と「遊仙窟」を見てた。
■ 「遊仙窟」はいつ買って読んだったのか全く記憶にない。
■ 中国では早くに散佚し、日本だけ伝えられていて、「長恨歌伝」とともによく知られていたようだ。
■ 中国では、魯迅が見出し序文をつけたとか。
■ 上品ではなく、あまり面白い読み物とは言えない。
■ もう少しこなれた訳であればよいけれど、・・・

五嫂が、振り向いて笑いながら十娘に行った。「今朝、かささぎがさえずりあっていましたが、ほんとうにいいお客さまがお出でになったわね」

■ こんなところがある。
■ カササギという鳥の話は、この部分以外にもあるが、取り上げておこう。
■ 原文は
  • 五嫂廻頭、笑向十娘曰、今朝聞鳥鵲語、真成好客来
■ カササギが鳴くと何か良いことが起こるという話は水滸伝にもあった。


‎‎‎2011‎年‎1‎月‎25‎日、‏‎11:09:16  加古川市・浜の宮
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■ 水滸伝では、「燈花」と「鵲」は吉兆として並べ記述されていて、
■ 何度か書いた。


2024年7月13日土曜日

アオバズク 天気次第で もういちど ゆかねばならぬ コトはなけれど


■ キビタキ・幼鳥が見られたのか。


宮脇綾子のあぷりけ。くらしの中に見つけた小さな発見と悦び | nostos books ノストスブックス


■ 2024-07-13
■ 今朝もクマゼミが鳴いている。
■ 京都の場合、アオバズクを撮りに行ったのは
  1. 御苑
  2. 植物園
  3. 大覚寺
■ 頃は、祇園祭、ということで、少し前に行くことが多かったかもしれない。
■ 今日は土曜日、句歌の日だ。
■ 先週はとりたてて言うこともなかったが、今日はいくつか印をつけた。
  1. 以和為貴あつぱつぱ  名取 外村直
  2. サイダーや雲の沸き立つ浅間山  前橋 小口泰輿
  3. 東京の娘元気か桐の花  三豊 小野明則
  4. カメムシが朝のホームに並んでる乗車券はお持ちでしょうか  横浜 宮川潤
和をもって貴しとなす 蝉しぐれ  
それはええけど うるそおまっせ

■ 奥さんは、・・・
  • つゆぞらの 朝からナンプレ 眉間皺  遊水
■ ふうむ。
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少し離れた親は、巣の方を向いていたので、
一両日中に、もう一羽が出てきそうな気がする。

○  ○  ○


■ 源氏物語についてあれこれ書いてきたが、この物語の題名は、いつから源氏なのかな
■ 当時
藤原道長
定子 ・・・ 清少納言
彰子 ・・・ 紫式部
■ この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば、と詠う世なのに、
■ なぜ、藤原物語でなく、源氏物語なのかなあ、・・・

2024年7月8日月曜日

紫ヒカル、の歌





■ 2024-07-08
■ 2024-07-07

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きよらかな あすはくるのか おおみそか 
気力体力 燃え尽きはてて   紫ヒカル

■ 藤本泉・源氏物語99の謎、以前買っていて、あまり記憶になかったので、再読した。
■ 源氏物語について多くの人が語っているが、読み込んで、一人の作品とは思えない、と。
■ まあ、そういうことも言えるかもしれない。
■ なにしろ、印刷のない時代なので、書き写すことで広がったということは、・・・
■ 書き写す際、自分なりに変更し、楽しむこともあるだろう。
■ 噂は噂を呼び、尾ひれがつくのと同じことだ。
■ 面白ければオモシロイ程、それなりに自分のモノとして語り書き写すことだろう。
■ 先日書いた、持統天皇の歌、現在の百人一首に見られるような解釈に疑問を感じたら、自分なりに、本当はこういう意味合いではないか、などと、書いてみたくなるのと似ている。

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2024年6月29日土曜日

千早古光源氏野物語紫式部柿綴止波

ちはやふる ひかるげんじの ものがたり むらさきしきぶ かきつづるとは

『源氏物語』(げんじものがたり、英語: The Tale of Genji)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。全54帖、文献初出は1008年(寛弘五年)


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■ 2024-06-29
■ 源氏物語は光源氏を主人公とした物語で、
年ほどまえ、神代とまではゆかないが、
くも、1016年の時を経た、
い時代のものだ。
■ 当時は歌を詠むのが当たり前。
■ 歌は人の資質を表し、詠めない者はその他大勢の部類だ。
■ 秋には、柿など食い啜りながら、考えたのかどうかは知らんが、・・・
■ 飽きもせず歌を作っている。
■ 散文は、小説よりも奇なる、あたりの人の言動など適当に取り込み書けばいいのだが、
■ 歌は、57577の制約もあるから頭を使う。
■ 色々イロの世界で、多くの人が出てきて歌をやり取りなどする。
■ 作者はその男や女に合わせて詠むのだ。
■ 心が込められる歌もあれば、光源氏のように舌三寸の、行動の口実とする歌もある。
■ だから、すべての歌を取り上げるのは時間の無駄というものだが、
■ 一応のところ、読んでみないと分からない。なにしろ数が多い。794首あるそうな。
■ しかし、まあ、適当に取り上げてみよう。
■ 蛇足ながら、
■ 光源氏の身分はともかく、行動は下心ある性欲的粗野なものがある。
■ それゆえ「光源氏野物語」とした。
■ 蛇足2
■ これはもちろん小倉・百人一首を下敷きにしている。
■ 「ぶる」とはなんなのかね、中古品を「ちゅうぶる」などという類だろうけど。

2024年6月24日月曜日

あきはきのしたは、秋は飽き



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夏されば外の遊びもあきの風 さびしさ寄せる人もなき浜   遊水


■ 2024-06-24
■ その日その日、思いついたことを書いているので、記憶してないことも多い。

目に近く  移れば変はる  世の中を 行く末遠く  頼みけるかな  紫の上
秋萩の 下葉につけて 目に近く よそなる人の 心をぞみる

■ この歌はどこに出て来るのか調べてみた。
■ 紫の上の歌は、源氏物語・第三十四帖・若菜上。
■ 秋萩の歌は、木村朗子・百人一首で読む「源氏物語」・平凡新書・若菜上に、挙げられていた。
■ 秋は「飽き」
■ この歌は、・・・
01116
[詞書]ちかとなりなる所に方たかへにわたりて、やとれりとききてあるほとに、事にふれて見きくに、歌よむへき人なりとききて、これかうたよまんさまいかてよく見むとおもへとも、いとも心にしあらねはふかくもおもはす、すすみてもいはぬほとに、かれも又こころ見むと思ひけれは、はきのはのもみちたるにつけて、うたをなむおこせたる

秋はきのしたはにつけてめにちかくよそなる人の心をそみる
あきはきの-したはにつけて-めにちかく-よそなるひとの-こころをそみる
01117
[詞書]返し
つらゆき
世の中の人に心をそめしかは草葉にいろも見えしとそ思ふ
よのなかの-ひとにこころを-そめしかは-くさはにいろも-みえしとそおもふ


2024年6月23日日曜日

ついでに、折口信夫、メモ



■ 2024-06-23
■ 日本経済新聞・朝刊に、村田喜代子が「四度目の正直」にこんなことを書いている。
私は今まで俳句というものを作ったことがない。・・・
しかし今、ある月刊誌の連載小説で、俳句を作る一人の老女を脇役に登場させている。ということは、つまり老女の作る俳句は、私が作らねばならなかった。
■ まあ、そういうこと。
■ 「光源氏の歌は作者の紫式部が作らねばならなかった」ということだから、光源氏に合わせて彼が詠む歌を作っている。あたりまえのことだけれど。
■ 折口信夫が源氏物語の作者紫式部は歌が下手だと言ったとか、一応、確かめた方がいいかなと思ったが、止めた。
■ 「青空文庫」を一応リンクしておく。
■ 釈迢空の短歌は「現代の短歌」で一応読んだが、・・・

2024年6月21日金曜日

出家する、こころ

■ 2024-06-21
■ 今日は雨か。
  1. 物思ふと
  2. 過ぐる月日も
  3. 知らぬまに
  4. 年もわが世も
  5. 今日や尽きぬる
■ 紫式部は「まぼろし」の章で光源氏の出家の心を最後の歌にした。
■ 人により捉え方は様々だと思われる。
  • 思い出は 回り続ける 観覧車 降りて歩まん 想いを捨てて  遊水
  • 最愛の 妻も去り逝き 年の暮 また咲く花も 散ると思えば
■ 過去の思い出に生きる人ばかりではないだろう。


2024年6月19日水曜日

光が消える前に照らされた女性、6/20 訂正

■ 死亡記事があったので、本棚を探したが見つからない。
■ 読んだ記憶はあるが、詳しい内容は覚えてない。

■ 2024-06-19
■ 昨日は、マミジロキビタキを撮りに行ったが、機材選びで失敗した。
■ まあ、いい。
■ 朝のうち雨だったので、紫式部と源氏物語に関して書きかけていたが、中断してしまった。
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■ 何を書こうとしていたのだったか、・・・
  1. おほかたは思ひ捨ててし世なれどもあふひはなほやつみおかすべき
  2. 物思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世も今日や尽きぬる
■ この二つの歌についてだった。
■ 光源氏の最後の場面だ。

年も
わが世も
今日や尽きぬる

■ 「まぼろし」は紫の上の死のあとの一年について書いてあり、年末に、とうとう 最後を迎えるということだが、これで出家する、ということか。
■ まあ、これで命が尽きた、としてもいい。
■ いずれにしても作者の紫式部は、これでおしまい、だとしてこの歌を置いた。
■ 物語では光源氏の歌の形だが、もちろん作者の紫式部の考え、意志だ。
  1. 物思ふと
  2. 過ぐる月日も
  3. 知らぬまに
  4. 年もわが世も今日や尽きぬる
■ こうして、光が消える前に、主人公・光がしたことは何か、・・・
  1. おほかたは
  2. 思ひ捨ててし
  3. 世なれども
  4. あふひはなほやつみおかすべき
■ 平たく言えば、様々な女と性的関係をもったけれど、もう、それらへの思いは過去のこととして心の中から無くなり捨ててしまった。正妻の葵の上のことさえ忘れてしまった。
■ しかし、今、
■ 「あおい」、葵は忘れたけれど、あなたに出会った、この日
■ 「あふひ」、逢う日、いわば偶然とはいえ、紫の上の世話をしてきたあなたに出会った。
  1. あふひは
  2. なほや
  3. 罪犯すべき
■ 出会ったのだから「なほや」つまり、これが最後だ、として寝た、ということだろう。
■ 「べき」という言葉の中に、そうしなさい、という紫式部の意志が感じられる。
■ 光が消える前に照らされた女性を光の歌として紫式部は描いた。
■ 身分違いということがあったとしても、対象外と言うのは魅力がないということか、いわば教育したってるのはこっちやで、と自尊心もあっただろう。
■ 氏より育ち、という。
■ 光源氏が作り上げようとした紫の上も亡くなり、それを育てた女性が最後に残った。
■ それは、紫式部の立場、存在に通じるものだった。
■ 女性が生きにくい社会情勢・世の中で、紫式部は物語を通し、自己の存在を示したといえる。
■ 世の中は現在でも変わらない状況であるがゆえに、世界的文学作品として評価されるのだろう。
■ ・・・、と、とらえた。
■ もともと、光源氏は紫式部が作り上げた、世の男性を象徴美化した架空の人物なのだ。