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2024年3月21日木曜日

小野小町、と、萩原朔太郎。長雨に 色移りゆく 紫陽花の 人の心は 淋しかりけり / 遊水


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■ 2024-03-21
■ 萩原朔太郎の詩に「こころ」がある。
■ 青空文庫で見てみよう。↑
■ 3部構成だが、何か繰り返し的で分かりにくい。
■ 1番目と最後の1行があればいい感じだ。

こころ
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
***
わがこころはいつもかくさびしきなり。

■ 失恋の歌、のようだ。
■ この詩の心を私が短歌にすれば、

長雨に 色移りゆく 紫陽花の
人の心は 淋しかりけり   遊水

■ こんな感じだろう。
■ この詩を取り上げたのは、三好達治が「朔太郎の詩の概略」に取り上げていたからだ。
■ 特に私が選んだわけではない。
■ ただ、この詩から小野小町の和歌を連想した。
  • いろみえで うつろうものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける 小町
■ 小町と朔太郎を比べれば、小町の方が、断然、上だ。
■ ただ、「花」を具体的に「紫陽花」としているところに朔太郎の感性が見られる。
■ こんな文章を、三橋美智也が歌う福田こうへいの
  • 恋に破れたこの心~
■ を聞きながら
■ 人により、また、状況により様々だと思うのだ。
■ それにしても、詩とはなんなのかね。
■ 言葉からみれば、和歌が洗練され優れた表現形式であることが分かる。
■ 紫陽花については以前、2,30年昔に、シーボルトのことなども書いたことがある。
■ そのうち、取り上げてみよう。

2024年3月1日金曜日

くき、石狩挽歌

群来 - Google 検索 画像 群来(くき)る 春告魚(にしん)

■ 2024-03-01
■ 先日のニュースで思い出すのは、なかにし礼・石狩挽歌。
■ これは一つの例だけれど、・・・
■ いわゆる歌謡曲、その歌詞は「詩」だろうな。
■ 多くの人に歌われ心に残る言葉、それはやはり「詩」だと思う。
■ 小池昌代訳・百人一首、を読んだときも、現代詩とは何か、と思った。
■ もちろん、・・・


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2024年1月22日月曜日

諸越、と、唐土。飛び来る 日の本の国 憧れて 何を心に 帰国するらん



■ 2024-01-22
■ 初めて作られたときは、「越えてる」お菓子だったのだろう。
■ 日本のお菓子の伝統的素材は、小豆だ。
■ ごく大雑把にいえば、あんこを型に入れて乾燥し焦げ目をつけたお菓子。
■ 秋田にいたころ、よく食べた。
■ さて、・・・
■ 藤原定家は大弐三位の歌として、「有馬山」を選んだ。
■ 丸谷才一が選んだのは、・・・
  1. 遥かなるもろこしまでもゆくものは秋の寝ざめの心なりけり  大弐三位
  2. 遥かなる異国の地までもゆくものは秋の寝ざめの心なりけり
■ 「もろこし」が出てきた。
■ 2」のように詠み変えてもいいかもしれない。
■ しかし、そこまで言うのか。
遥かなるもろこしまでもゆくものは
秋の寝ざめの心なりけり
■ 秋の寝ざめ、と、もろこし、に何の関係があるのかと思ってしまう。
■ 丸谷才一は、
冷え冷えとした秋の夜、夜半の寝ざめに悩みながら女はあれこれと思ひつづける。その思ひはどこまでもどこまでも果てしない。さながら遠くへだたる漢土にまで達するくらゐに。とすれば、今夜、男のゐる家までその思ひがゆくのは当然のことで、大弐三位はさういふこみいった事柄を一気に詠み下した。
■ 人肌恋しい秋の夜、あるいは、男に飽きられた、のではないかと思えば寝付かれない、そんな感じに解説している。
■ まあ、そういうことなのか、・・・
ロマン派に限らず、遠方の土地に憧れるのは詩情の基本の一つである。
それが昂じたときに生ずる異国趣味はどの国どの時代にもあった。
■ と、彼は書いている。
花の都、パリ
音楽の都、ウイーン
・・・
■ 萩原朔太郎は「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん。」などとしにしているが、今は飛行機がある。
■ 海外から日本に訪れる人も多いようだ。
  • とびきたる ひのもとのくに あこがれて なにをこころに きこくするらん  遊水

2024年1月20日土曜日

画像&動画の映画を想定し、詩を論理的に再構成する



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幾年の 難き時代を 乗り越えて 和歌のことばは 我に響きぬ  愛子


■ 2024-01-20
■ 朝刊に歌会始の記事があった。
■ 愛子様は「和歌のことば」を取り上げていた。
■ さて、・・・
■ 百人一首は、一人、一首だ。
■ 現代詩の場合でも、ひとつ、であってもおかしくはない。
■ どれを選ぶか、あるいは、選ばれたのはどれか、・・・
■ 丸谷才一が萩原朔太郎の詩「山に登る」をとりあげていたので、
■ この詩をもう少し考えてみよう。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ 文章には句読点がある。

山に登る
  旅よりある女に贈る

■ この詩には「。」が4つある。
■ 先に3部構成だと書いたが4部構成だととらえた方がいいかもしれない。

いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

■ これは実景ではない、朔太郎が思ったことだ。
  1. 回想1
  2. 回想2
  3. 現実
  4. 結論的意志表明
■ 並べ替えてみる。

  萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
 
山に登る 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた
 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた
 
旅よりある女に贈る  
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた
 
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。 

■ 言葉をそのままにして、題名と副題を織り込み、並べ替えるだけにしたが、・・・
■ 言葉を少し変えて、回想1、と、回想2、を分離再配置すると
■ もう少し本歌取り的、新しい詩になるかな、と思う。
■ これで三好達治の誤解はなくなると思われる。
■ 人に読ませるのであれば、情景や心が読んで分かるように構成・表現しなければならない。


2024年1月18日木曜日

和歌と自由詩、本歌取り



■ 昭和23年、三好達治は福井地方で大地震に会い、家財を失った。
■ 昭和27年、三好達治、52歳。「朔太郎の一面」を書いた。
■ 昭和38年5月14日「萩原朔太郎」を書く。
■ 昭和39年、64歳で死亡。
■ 三好達治の詩は好きなのがあるので、また、いつか書くことにしよう。
■ ・・・
■ さて、和歌には本歌取りという作り方がある。
■ いい歌を取り込んで自分なりに詠むのだけれど、まあ、ある程度、ではあるが、・・・
■ 本歌取りで、言葉の継承がなされる。
■ つまり、言葉で表される心、が伝えられてゆく。
■ 丸谷才一は、萩原朔太郎の「山に登る」は百人一首の「有馬山」と関連付けたのではないかというようなことを書いているが、・・・
■ そうなんよ、
■ と、こんなことを書くのは、最近、小池昌代訳・百人一首、をみてたら、・・・
■ なに、これ、・・・
■ 自由詩にすることの意味がよく分からない。
■ 朔太郎の場合、意識したかどうかは知らないが、興味深いものがある。
■ 和歌の場合、応答歌、という感じで、一般に詠ませるものでない場合も多い。
■ 相手に分かればいいので、状況の説明はいらないことも多い。
■ 詞書で補うこともあるし、
■ ひとつだけでなく、連作してもよい。
■ また、相手からの歌と並べることで、物語性も出てくる。
■ 丸谷才一は、朔太郎の詩を置き、次に、「有馬山」の歌を置いている。
■ 一応、本歌取り的であれば、先に、「有馬山」を置いて考える方が分かりやすい。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原 
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ ざっと、こんな感じか。
■ 自由詩とは、なんと不自由なものか、どれほど言葉を費やせばいいのか、という感じになる。
■ 「山の頂上にきれいな草むらがある、」ではどこか分からん。
■ 一方、・・・
■ 「有馬山」は二人にとって思い出の場所だったのか、あるいは、相手のコトを事を意味する言葉だったのか、二人で有馬温泉に行った、ということかもしれない。
■ また行こうよ、有馬温泉、・・・
■ それはどうでもいいことなのだが、・・・

有馬山
いなの笹原

■ これだけで説明されている。

否、
なによ、今更、嫌よ

■ ということが、はっきりと、相手に分かる、ように詠まれている。
■ これが和歌のよさだ。
■ 小池昌代の自由詩を並べ置いてみようとは思わない。
■ 本歌取り的ではなく、つまり、彼女の詩ではなく、単なる説明文だからだ。
■ 解説本など、今までたくさんあり、
■ 新鮮さがない。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 全く、蛇足だけれど、・・・

なによ、なにが、有馬温泉よ
♨、好きだから、行きたくなったら、行くけど、
なにも、あんたと行かなくてもいいわよ

■ と、まあ、紫式部の娘が、当時、行ったかどうか定かではないが、・・・
■ 火山列島の日本は、湯けむりと硫黄の臭いで、昔から、発見、利用されてきたのは確かだ。
■ 万葉集などの歌にも温泉は出てくる。


2024年1月16日火曜日

富士山、と、「月に吠える」の「山に登る」、と、三好達治





■ 2024-01-16、
■ 今回はカメラを持って行った。


2024-01-16
LUMIX  G7 + 14-140mm

■ 三好達治は、萩原朔太郎に心酔し、「萩原朔太郎」を書いている。
■ 目次は
  1. 萩原朔太郎詩の概略
  2. 朔太郎の一面
  3. 「詩の原理」の原理
  4. 「路上」
  5. 萩原さんという人
  6. 仮幻
  7. 後記二
  8. あとがき
  9. 三好さんとの二十年(伊藤新吉)
■ 再読したのは「朔太郎の一面」だった。
■ 最初に、

山に登る
  旅よりある女に贈る

■ この短いながらも三部構成の詩がある。
■ 三島達治は、三部構成だとは思っていなかったようだ。
■ この詩は、映画の一場面にしてもいいようだ。
■ 丸谷才一も中学生の頃、朔太郎の詩に夢中になっている。
■ それらも取り入れると、結構内容のある映画にできるかもしれない。
■ あるとき、朔太郎は「山に登る」とこにした。

空には風がながれている、
おれは小石をひろって口にあてながら、
どこともいふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の山頂を歩いていた。

■ 昔「あの女」と行った「山」だ。
■ その時、朔太郎の心は「ぼうぼう」としている「山頂」そのものだった。
■ 「小石」を「口にあてながら」
■ どうしたものか分からずに「あてもなく」「歩いていた。」 
■ 「小石」が「恋し」だと意識していたわけではない。
■ 「口にあて」が「口づけ」を意識していたわけでもなく、
■ 相手が「小石」のように身を硬くしたのかもしれないが、それを意図的に書いたわけでもない。
■ 朔太郎は詩人だから、自然に、そんな表現となったのだ。
■ 朔太郎は「小石」に「口をあてながら」昔のことを思い出していた。

山の頂上にはきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでいた。

■ まあ、いい感じだった。

眼をあげてとおほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

■ そう、あの頃は「わたしたち」のことをそんな風に思っていた。
■ そんなこともあったはず、思い出して、「山に登」ったのだ。
■ 宿に戻り「ある女に贈る」詩を書いた。

おれはいまでも、お前のことを思っているのだ。

■ ・・・と。
■ 書いたけれど、手紙ではない。
■ 詩にしたけれど、送ったわけではない、かもしれない。
  • 朔太郎の一面
■ この章で、三好達治は次のようなことを書いている。

この作品ではもちろん正常らしい主格は「おれ」であらう---と考えられるが、それでは最初の「おれたち」でもないところの「わたしたち」は何をさしているのあらう。恐らくは作者のうかつな手落ちが前後どこかに隠れているのではあるまいか。

■ これを読んで、えっ、と思った。
■ 「わたしたち」は当然、作者の朔太郎、と、この詩を贈った相手の「女」に決まっている。
■ 手落ちでも何でもない。
■ そして、・・・

さういふ一種の誤謬をふくんでいるのは、この詩のやうな比較的単純な場合に限らず、少し誇張をしていへば萩原さんの作品全體到るところにのべつばら撒かれてゐる、・・・、彼特有のレトリックの一端でもあるところの、甚だ奇異な特徴であるかもしれない。

■ こんなことを書いている。
■ 萩原の作品全体いたるところ、にあるのだとしたら、三好達治は、果たして萩原朔太郎の作品を本当に理解していたのだろうか、と疑問になった。
■ 達治がこの文章を書いたのは、昭和27年のことだった。
■ 達治52歳。
■ 昭和23年に、福井地方で大地震に会い。家財も失っている。
■ 「萩原朔太郎」が書かれたのは、昭和38年5月14日、のことだから、ずっと、分かっていなかったようだ。
■ 三好が死んだのは64歳
■ 三好達治は、「師よ 萩原朔太郎」と題した詩の中で、

無二の詩人
最上の詩人でした。

■ とたたえている。
■ 本人ばかりでなく、誰もが三好達治の師は萩原朔太郎、だと思っていた。
■ ちょうど日本列島の最高峰・富士山に譬えたらいいだろう。
■ 丸谷才一も朔太郎を評価している。
■ 朔太郎を今読み直してもいいと思う。
■ しかし、三好達治は詩人だったけれど、評論家ではなかったようだ。
■ 文章には句読点がある。

山に登る
  旅よりある女に贈る

■ この詩には「。」が4つある。
■ 先に3部構成だと書いたが4部構成だととらえた方がいいかもしれない。

いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

■ これは実景ではない、朔太郎が思ったことだ。
■ 仮に、映画、にするとしたら、この部分は、どうするか、と考えていい所だ。
■ そして、映画を構成するとしたら、現代の人を登場させるのがいいだろう。
■ また、創造の場面があるということは、アニメーションと実写を組み合わせるのもいいし、
■ 萩原朔太郎や三好達治、あるいは丸谷才一に関しては実在の人物なので、挿話とすることができ、
■ 朗読、と映像を組み合わせるのもいいだろう。
■ 三好達治や丸谷才一のように、もう一人の少年がいていい。
■ 詩が好きで、百人一首の好きな少年だ。
■ まあ、当然、カップルになるような女の子の登場もアリだ。
■ 最後は、カルタとりの場面で、・・・
■ もちろん、「有馬山~」の場面だ。
■ その伏線として、有馬温泉を持ってくるのもいいだろう。
■ 富士山は休火山で、昔は、煙を上げていた。
■ 日本列島は火山列島でもあり、各地に温泉がある。
■ 温泉のある場所では、湯煙りが立ち硫黄の臭いがするので発見されやすい。
■ 昔から、有馬山も有馬温泉として知られていたといっても過言ではない。
■ 古い記録を探せば、みつかるかもしれない。
■ 最後の場面は、いろいろある。
■ もう一つの場面、あるいは、どこかに挿入してもいいのだが、

おれはいまでも、お前のことを思っているのだ。

■ この言葉だ。
■ 萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の「山に登る」の頁に何かを挟んで、贈る、というのもありかもしれない。
■ そうしたことが考えられるような、詩だ。
■ そうした、現代版もアリだ。
■ 萩原朔太郎を素材に色々できそうだ。
■ このように考えれば、シリーズ化もできるかもしれない。
■ 撮影機材やAIアニメを駆使すれば、高校生、大学生諸君でも可能だし、
■ 発表場所は YouTube もある。
■ 問題は、いかに台本を作るかだ。
■ 実現可能と分かれば、焦らず、練り上げることだろう。
■ 自動でできる、他の作品と同じではつまらないだろうから、・・・
■ 新潮文庫・萩原朔太郎詩集を見ると、
■ 「月に吠える」の前に、「月光と海月」という詩がある。
■ この詩など、言葉で読むより、画像にしてみるといいかもしれない。
■ この詩をそのままAI動画作成エンジンに放り込んだら面白そうだ。
■ もちろん、言葉遣いは、例えば、

わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか

■ そのままではなく現代語にしなければならないだろう。

2024年1月13日土曜日

有馬山 猪名のささ原 風吹けば 2024-01-15 追記


山に登る
旅よりある女に贈る 
 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつてくちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

■ 2024-01-13
■ 日本経済新聞・夕刊・文学周遊、欄は井上靖・僧行賀の涙、だった。
■ これは読んだことはない。
■ ただ、井上靖の詩集を思い出した。
■ 散文詩だ。
■ 猟銃、そして、小説・猟銃。
人生の白い河床をのぞき見た中年の孤独なる精神と肉体の双方に、同時にしみ入るような重量感を捺印するもは、やはりあの磨き光れる一箇の猟銃をおいてはないと思うのだ。
■ ・・・ ホンマかいな。
■ 今「詩」からは離れているが、・・・
■ 丸谷才一・新々百人一首の、はしがき、に、萩原朔太郎・旅よりある女に贈る、があげられており、この詩は、大弐三位の和歌の影響下に書かれたのではないか、と、十代の丸谷才一は気づき、二つを二重写しにして文学的感銘を受けていたと。
■ なるほど、と思う。
■ しかし、
■ 尾崎雅嘉・百人一首夕話、・・・
かの有馬山より猪名の篠原さして風が吹きくれば、
篠の葉がそよそよとすれ合ふそのそよといふ言葉を、
それよといふ事にして、
まことにそれよ来もせぬ人の心こそ覚束なけれ
こなたには忘れはせぬものをといふ事なり。
  • 有馬山 猪名のささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする  大弐三位
■ 和歌、短歌の前に「詩」は
  • おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。」
■ などと言ったところで形無しだ。
■ いかにも空疎な感じだ。
 ■ ・・・
■ 三好達治は萩原朔太郎、という本を書いている。
■ 三好達治の詩は、幾つか好きなのがある。