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2025年6月14日土曜日

百人秀歌から百人一首を眺める その2 絶世の 真紅の紅葉 竜田川 昔も今も 変わることなく

「天」を含む「天香久山」と「天香具山」、および「天」を含まない「香久山」と「香具山」の各表記があるが、国土地理院の地図では「天香久山」とされる

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前書き

■ 「定家好み」という言葉を何度か見たことがある。
■ だれが、どこに、どの歌について書いていたか記憶にないが、それを拾い出し、考えるのもいいかもしれない。
■ 「定家好み」という感想が定家を、あるいは、百人一首・百人秀歌を本質的に捉えていると思う。
■ 人それぞれが歌を詠んでいる。
■ それぞれの思いで詠んでいる。
■ 定家の思いとは必ずしも一致するわけではない。
■ しかし、それを取り上げることで、何か定家自身の事のようにも捉えることもできる。
■ ちょっと横道になるが、平家物語・巻第六・葵前、という話がある。
■ この名前は、当時の人々に源氏物語がよく知られていたことを意味するが、
  • 忍ぶれど色に出でにけり
■ この歌を渡され、どうしようもなく、結局死んでしまった。
■ 同様だ。
■ 例えば、次のように作者の名を変えても通じる心ではなかろうか。

逢てみてののちの心にくらぶれば昔はものを思うはざりけり  権中納言淳忠
逢てみてののちの心にくらぶれば昔はものを思うはざりけり  さだいえ?

■ 若い時は、誰にもある、異性と接した時の初めての経験だ。
■ 作者名をつけることで、ああ、あれは彼の体験だよ、ということができるが、あなた自身もそんな感じだったのでしょうね、ということもできる。
■ こうした時、その相手は誰なんだろう、と問いかけることにもなる。
■ 百人一首を読むとは、そうした関連性を見つけ出すことにひとつの楽しみがある。
■ 例えば、紀貫之の歌をどう解釈、というか、関連づけることができるか、だ。
■ 解釈ということばは使わない。
■ 解釈というなら、何らかの根拠、客観的論拠が必要だ。
■ ここでは、定家が思ったかもしれないことを、勝手に考えているだけだ。
■ 他人と論争するつもりはない。「百人一首に遊ぶ」なのだ。
■ 紀貫之の歌のところに書くけれど、定家の一つの大きな連想的な例と見ることができそうだ。
■ だから、?、定家は貫之を高く評価していたのではないだろうか。
■ 一般に、引用するとは、自分に関連したものとして、引き寄せることで、自分の世界を、連想・創造することもできそうだ。
■ 一見無関係に見えることを関係があるのではないかとみるのも本質に近づく方法だ。
■ つまり、既成概念から離れ考え直してみることだ。


■ 「定家好み」について、気が付いた。
■ ちはやふる、のところを書いて、島津忠夫の注釈をみると、「定家好み」の次のような記述があった。
「定家があえてこの一首をとりあげたのは「是は心詞かけたる所なきゆへに入らるる也。これを以此百首のおもむきをも見侍るべきにぞ」(応永抄)ということもにもなり、晩年の定家好みの表れとみられよう。」
■ この文章、伝藤原満基筆「百人一首抄」は「『応永抄』と言ったり、筆者の名を冠して『満基抄』とも言う」ようだが、「業平の歌は大略心あまりて詞たらぬを、」の後に書かれている。
■ 要するに、業平の歌は古今和歌集の仮名序に「そのこころあまりて言葉たらず」としているが、この「ちはやふる」の歌は、心も言葉も欠けた所がない。即ち、完璧で、この歌で百人一首の全体像が把握できる、ということになる。私はこの見解に同意する。
■ 島津忠夫は「ちはやぶる」としているので、研究者として、応永抄を引用していているだけのようだけれど。

「定家好み」という感想が定家を、あるいは、百人一首・百人秀歌を本質的に捉えていると思う

■ と先に書いた。
■ 逆に言えば、この歌が分からなければ、定家の心も、百人一首も分からない、ということになる。
■ まあ、そういうことで、在原業平の「ちはやふる」のところにくどくど書いた。
からくれない、は女性の美しさを象徴し、
川は、変わらない心を象徴している。
■ 恋の歌だ。
■ 定家自身の歌「こぬひとを」は、自分に対する女心を自信たっぷり詠っている。
■ 先に、百人一首を一言で言えば「老人と愛」だと書いた。
■ 百人一首を全体的に見ると、地位も低く、歌だけが取り柄で、自分の恋の相手を、自慢している老人・定家の心情がうかがえる。
■ このような観点からは、百人一首をきっかけとして、他の歌を見て行くのがよいかと思うが、歌の読み方、とか、詠み方、としては色々得るところがあるだろう。
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■ 2025-03-22
■ 新古今和歌集と百人一首の編集方針は、
  1. 万葉集以外は過去の勅撰和歌集にある歌は原則採らない。
  2. 百人一首は勅撰和歌集から採る。
■ 百人一首・百人秀歌、までの和歌の世界をざっと見るとこんな感じか。
万葉集・原本
勅撰和歌集

古今和歌集 醍醐天皇
紀友則
紀貫之
凡河内躬恒
壬生忠岑
後撰和歌集
拾遺和歌集
後拾遺和歌集
金葉和歌集 白河院
源俊頼
詞花和歌集 崇徳院
藤原顕輔
千載和歌集 後白河院
藤原俊成
新古今和歌集 後鳥羽院
源通具
藤原有家
藤原定家
藤原家隆
参議雅経(飛鳥井雅経)
百人一首
百人秀歌 藤原定家
万葉集・賀茂真淵

■ 古今和歌集の編者は百人秀歌ではほぼまとめられている。
■ 菅家、菅原道真の後にある。

 菅家
壬生忠岑
凡河内躬恒
紀友則
・・・
紀貫之

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに   菅家
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし   壬生忠岑

心あてに 折らばや折らん 初霜の 置きまどわせる 白菊の花   凡河内躬恒
久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく花の散るらん      紀友則


吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を嵐といふらん   文屋康秀  
人はいさ 心は知らず 故郷は 花ぞ昔の 香ににほひける     紀貫之

■ 菅家、菅原道真は漢詩人で彼が遣唐使の廃止を進言した。その後、勅撰和歌集が作られてゆく。万葉集のあとは、漢詩が作られた。万葉集は、漢字による当て字の表記の日本の歌だったが、古今和歌集は、やまとことば、表記としての最初の記念すべき勅撰和歌集だった。
■ 壬生忠岑の歌は、無関係ながら、大宰府に左遷された菅原道真との別れを思い起される。

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(001) 天智天皇御製 後撰集
001 あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わかころもてはつゆにぬれつゝ

(002) 持統天皇御製 新古今集
002 はるすきてなつきにけらし白妙の ころもほすてふあまのかく山 
  • 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山  万葉集
■ 瑞穂の国の日本の天皇として「米」を詠った歌を最初にしたのは無難だったと思う。
■ 稲作に必要なのは水だ。
■ 天智天皇の娘である持統天皇、雨乞いの役を担っていたと考えられないことはない。
■ 雨乞は、あめのかくやま、で行った。
■ 香具山は、奈良盆地の南東端にあり、万葉集の二つ目の歌にも見られる。

山常庭村山有等取與呂布天乃香具山騰立國見乎為者國原波煙立龍海原波加萬目立多都怜𪫧國曽蜻嶋八間跡能國者

■ 天智天皇の父・三十四代・舒明天皇が国見をした丘で、
国原は煙たち立つ
海原は鴎たち立つ
■ としているように、その頃、奈良湖があり、その後、水抜きし、水田が広がった。
■ google map で見ると縦横きれいな区画となっている。即ち、計画的、人工的だったといえる。
■ 阿蘇山の北側も同様だ。ここも水抜きをしていた。
■ おそらく九州にいた人が奈良に移り住み、その経験が活きたのだろう。
■ 水抜きがいつのことか、藤原京の頃、或いは後の平城京との間の時期だと推定される。
■ 舒明天皇の後、皇極天皇(女性)、孝徳天皇、斉明天皇(皇極天皇と同じ人)を経て、天智天皇。弘文天皇、天武天皇の後、天武の妻・持統天皇
舒明天皇、岡本宮から田中宮(橿原市) 
天智天皇、近江大津宮
天武天皇、藤原宮
持統天皇、藤原宮
文武天皇、飛鳥岡本宮
■ 「ころもほすてふ」とあるように「衣を干したと言われる」香具山。
■ この「てふ」が問題だ。
■ 持統天皇の現実の世界で詠んだ歌が、想像で作られた世界になりかねないコトになった。
■ つまり、都が平城京から平安京に移ってからの時代の、京都に住み、奈良に行ったことのなく、香具山も見たことのない人が、勝手に「天」を「アマ」と読んだことで混乱した。
■ その混乱は今も続いている。
■ 香久山は、海抜 152 m だが、近くの道路を基準にすれば、65 m の高さで「天・てん」とは何の関係もない、平凡な山であることがわかり、逆に利用しやすい、高台であることが分かる。
■ 「山」には違いないが、もともとは古事記のヤマトタケルの歌にあるように、「阿米能」即ち「雨の」としている丘だ。
  1. 阿米能迦具夜麻 古事記・ヤマトタケルノミコト
  2. 天之香來山   万葉集
  3. 雨の香来山   遊水
■ 香具山に多く生えていた榊の匂いと相まって「雨の香が来る山」と考えらていた。
■ 世を治める側の立場にある者としては、夏の天気が気になる。
■ 庶民が白い衣を洗濯し干しているのを見て、今年の夏が気になった。
■ 庶民は、天皇とは違い、高価な色物を着られず染色してない白い衣だった。
■ 乾くまでの間、替わりに用いる衣服が少なかった庶民は寒い時期は洗濯できにくかった。
■ 持統天皇は女性ゆえ、洗濯という庶民の行為を通して季節感を感じた。
■ 夏が来た、と。
■ 夏は春の次に来るのだから「春過ぎて」としなくてもいいという評もあった。
■ 「初夏の」という言葉があればいらないかもしれない。
はつなつの かぜとなりぬと みほとけは おゆびのうれに ほのしらすらし  会津八一
■ こんな感じだ。
■ 当時は「はつなつ」と季節感の用語がなかったのだろう。

はるすきて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかくやま 
たみびとが ころもあらいて ほしたるか このまにしろく なつはきにけり
ほらごらん なつになったと いうことよ せんたくものが みえるじゃないの

■ 漢字表記とか、よみ、が迷わせられる原因だ。
■ 「天の」は「雨の」であることは問題ない。
■ 日本書紀を見ると、天香具山には榊がたくさん生えていたようで、
■ 天照大神が岩戸に隠れたときこの木が使われた。

忌部遠祖太玉命掘天香山之五百箇眞坂樹。

■ これが「香具山」の由来だったと思われる。
■ 古代の人は榊の香りを特別な香りとしてとらえていたようだ。
■ 万葉集の「香来山」という表記の読みは、・・・

ka gu yama ではなく
ka ku yama 

■ であり、雨の香が来る山となり、論理的だ。
■ 香りを嗅ぐ、ということから「ぐ」となり「香具山」となったのだろう。
■ よくあることだが、これは重要なコトで、「五十音」で「は」行を口に出して言ってみるといい。「はひふへほ」、これと同様に捉えなければならないだろう。
■ 日本の代表的な山は、富士山、Fuji san、と書く。Ha Hi  -- He  Ho
■ どのように発音したかだ。
■ 例えば、HERMES・エルメス。フランス人は Ha が発音できないとか言う。
■ 馬鹿・Paka にしているわけではないが、Ba が発音できない国の人もいるようだ。
■ 東京の人は「ひ」を「し」のように発音するとも言われ、お姫様、と言ってみろ、などとからかうこともあったようだ。
■ 発音と表記のコト。
■ 古くは濁音表示をしない表記だが、現代人は濁音を通常使用するので誤解する人が多い。
■ 漢字はもともと当て字だということだ。
■ 「これは『新古今和歌集』の「夏歌」の巻頭に据えられた名歌である」とある本があったので、一応、新古今和歌集を開いて見た。「香具山」とは書かれてないようだが、なぜ「香具山」という漢字を使ったのか、と思う。新古今和歌集に当たってみたのだろうか。岩波文庫のそれには「かぐ山」となっていたが、もちろん元々は「濁点は」打たれてなかったと思われる。
■ 掛詞の場合も仮名表記にしているのが多い。勝手に漢字を用いるのは、いわばカイザンであろう。本来、言葉を重んじる歌人ならば、してはならないことだ、と、馬場あき子・「百人一首」・NHK出版、を読みながら思った。
■ 下記の本があった。
■ これは、ぜひ読むべきものではなかろうか。

https://adeac.jp/adeac-arch/viewer/001-mp001461-200010/001-0010460855/
3頁
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19頁 持統天皇


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■ 百人一首、と、百人秀歌、について、
■ だいたい、最初から 100首だったとは考えられない。
■ 多くの歌から、候補をより多く選び出し、取捨選択の過程が、当然あったはずだ。
■ その結果、この二つが残ったということに過ぎない。
■ 百人秀歌が先で、百人一首が後に作られた、という説が一般的だそうな。
■ 後先を考える前に定家が何を考えたかを意識する必要があろう。
■ まず、天智天皇、持統天皇を置いたのは、万葉集にならい、権威付けをした。
■ 「天」のつく天皇は二人で「天智」と「天武」どちらかを選ぶとすれば「武」でなく「智」の方になる。
■ 「智」は「知」でなく、天智天皇の「智」は智謀という意味合いもある。
■ 天智天皇・皇子時代の中大兄皇子は中臣 鎌足・藤原 鎌足と蘇我入鹿を暗殺し、武力で敵を排除した。
■ 藤原の時代の始まりの象徴でもある。
■ まあ、その辺のところを藤原定家が強く意識したかどうかは知らない。
■ ただ、季節的に、春夏秋冬と考えれば、秋、夏、を逆に置き、ひとつ前に春の歌を置きたい。

春 みよしのの よしののやまの やまざくら さくらふぶきと なりにけるかも  遊水
夏 はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかぐやま  持統
秋 あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ 天智

■ 季節の順におきたいけれど、それはともかく、天智天皇と持統天皇最初に置いたことで、最後に後鳥羽院親子の歌を置くのは一見整っているかに見えるが、それではやはり、定家自身の選集にするには、後鳥羽院親子の歌は、邪魔だという印象が残る。たとえ無くても、歴史的には、定家を持ち上げてくれた後鳥羽院の存在は消えることはないので、後鳥羽院の歌がなくても、問題はない。もっと後鳥羽院の良い歌をとりあげるならともかく、「ひともをし」の歌を上げるくらいなら、むしろ、ない方がいいと言える。
■ さて、定家は、基本的に、古今和歌集の序文にある人は取り入れようとしている。
柿本人麿
山邊赤人
僧正遍照
在原業平
文屋康秀
喜撰法師
小野小町
■ 外されているのは、「そのさまいやし」と評されている大友黒主だ。

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(003) 柿本人麿 拾遺集 古今和歌集・仮名序
003 あしひきの山とりのをのしたりをの なかゝゝしよをひとりかもねん

■ 野鳥は身の安全のため雌雄が分かれて寝る。山鳥に限らないが、
■ やまどりの独り寝の習性はよく知られていたので、この歌がある。
■ 定家にとって、上の句はなくてもよく、今は独り寝、だと言いたいのだろう。

ながながしきよを ひとりかもねん

■ 誰と離れて「長々しき夜を独り」で寝るのか。
■ この歌を取り上げたときの心境が最後の「来ぬ人を」につながる。
■ 百人秀歌では最後の100番目に自分の歌を置きも定家が一番であることを示したが、
■ 定家がこの歌を選んだのは・・・
■ それでもなお、その時の老齢の定家としては、淋しさが残ったとしていいだろう。
■ それが定家の気持だったとしても人麻呂の歌としては、
■ 始まったばかりの3首目に、天智天皇の都の滅びの「古思ほゆ」歌は、ふさわしくはないだろうが、よく知られた、
  • 淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努尒古所念
■ この歌など上げたい。
■ 「淡海乃海 夕浪千鳥」とある。チドリ科の鳥は足に水掻きがない
■ 波に浮かないので、「千鳥」が多くの鳥の意味であることが分かる。
■ 波に浮くのは、カモ科の鳥たちだ。
■ 琵琶湖も夜になるとその鳴き声がうるさいほどだ。
■ その騒々しさ故、滅びた都市のにぎやかさがよみがえり寂しさがつのるのだ。

あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ   人麻呂
いにしえの みやこのあとは いずこなる ただみずとりの なみにむれなく  遊水

■ こんな歌を作ってみたが、「夕浪千鳥」がチドリ科の鳥だと解釈しなければ、それでよい。
■ さて、・・・
■ 皇位継承の争いで、
天智天皇の弟、大海人皇子が
天智天皇の子、大友皇子に勝ち
■ 天武天皇となった。
■ この争いが壬申の乱と呼ばれ、この時、志賀の都は焼け亡びた。
■ この戦のありさまは日本書紀に多く記されている。
■ 戦に馬は欠かせない。
■ 天智天皇の記述に「又多置牧而放馬」
■ とあるように人は馬に乗っていた。
■ 日本書紀 巻第二十九、天武天皇、にはさらに「婦女乗馬 如男夫 其起干是日也」とあり、女も男と同じように馬に乗ったことが分かる。
■ 万葉集に様々な植物や動物が歌われていて、その頃は
■ 馬はたくさんいて、移動手段として、馬がよく使われたと思われる。
■ 万葉集に
軽皇子・文武天皇(天武・持統の孫)の時
日並皇子の命の馬並めてみ狩立たしし時は来向ふ  柿本人麻呂
■ このことを頭に入れて、山辺赤人の歌は読むがいい。

(004) 山邊赤人 新古今集 古今和歌集・仮名序
004 たこのうらにうちいてゝみれは白妙の ふしのたかねにゆきはふりつゝ

■ 「うち出でて」とあるので馬に乗っていたことが分かる。
■ 天武天皇の頃から馬は重要視されていて、これは、百人一首の歌を読むときにも知っておくべきことだ。
■ 以前に、どこかで、何度も取り上げたが、
■ まとめの意味でもう一度、取り上げておこう。

  •  田兒之浦從 打出而見者 眞白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
  • たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける 
  • みぎわまで こまうちかけて みかえれば ふじはましろに たちにけるかな
  • 水際まで 駒打ち駆けて 見返れば 富士は真白に 立ちにけるかな   橋本遊水

■ 万葉集の原文を見れば
  • 打出
■ となっている。
■ 複合動詞にこんなのがある。
  • たち・いでて  立ち・出でて
  • うち・いでて  打ち・出でて
  • こぎ・いでて  漕ぎ・出でて
  • わき・いでて  湧き・出でて
■ 一番分かりやすいのは、舟を漕ぐだ。
■ うち・いでる、は馬に鞭を打ち走らせること。
■ 2022年の現代において、日本では、移動手段として馬は使われない。
■ 従って、馬に関する意識は低いか、ほとんど無いのが現状だろう。
■ 馬に鞭打つイメージがあれば、
■ かなり動的に、駿河湾に向かって馬を走らせる様が映画のように目に浮かぶ。
■ 青い海に向かって、水際まで走らせ
■ 馬に乗ったまま、振り返ってみると、
■ 真っ青な空に、真っ白な富士山がドーンと立って見えるのだ。
■ まあ、そういうことでしょう。
■ だから、この歌は好きだ。
■ アニメにすれば山辺赤人の感動が伝わってくるように思う。
■ これらの複合動詞は、今、必ずしも理解されてないようだが、例えば、
  • 千鳥鳴く 佐保の 河門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通わん  大友家持
■ こんな歌にも「馬うち渡し」即ち、馬に鞭打つ、が詠まれている。
■ 車社会の現代では馬の存在は意識の外になっていると思われる。
■ 西部劇では騎兵隊・horse soldier はなじみであろう。
■ 南京に整然と日本軍が入城する記録映画もある。
■ 昔から馬は特に道が整備されてないところでは重要な移動手段だった。
■ 古い映画を持ち出さなくても、2018年制作の映画「ホース・ソルジャー」もある。
■ まあ、ギャンブルとしての競馬の存続はあながち無駄とは言えない。
■ 次の歌もいい。

三吉野乃象山際乃木末尒波幾許毛散和口鳥之聲可聞
み吉野の象山のまの木末にはここだも騒く鳥の声かも
 
若浦尒塩満来者滷乎無美葦邊乎指天多頭鳴渡
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る

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 (006) 中納言家持 大伴家持 新古今集
005 かさゝきのわたせるはしにおくしもの しろきをみれはよそふけにける

■ 大伴家持については後で書き直そう。
■ 次の歌もいい。
 
宇良宇良尒照流春日尒比婆理安我里情悲毛比登里志於母倍婆
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独りし思へば
 
■ こうした歌の記録があることに今との共通性を感じ、うららかな みそらにひばり、と、昭和の歌手の名前、美空ひばり、を詠みこんでみた。

うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば 遊水
いにしえの うたよみおれば おもわるる ときはうつれど ひとはかわらず  遊水

■ 「鵲のわたせる橋」を現実の「宮中の御橋」とするようだが、
■ 宮中のことなど知らないことだし、大伴家持の心を推測することではなく、
■ 鵲の橋は、仰ぎ見る天の川として捉えたい。
あまのかわ ふりさけみれば かささぎの はしとわたして よはふけにける  // 遊水
■ 霜ということばから、月落烏啼霜満天、こんな漢詩も思い浮かべた。
■ カササギはカラスの一種で、ユーラシア大陸+北アメリカに広く生息する。
■ 水滸伝にも出てくる。喜鵲と言われ、縁起がいいので、月落鵲啼霜満天
■ この方がよさそうにも思うが、どうかな、
■ 「かささぎの わたせるはしに」の歌を家持は、宮中の橋を見て詠んだのだろうが、定家は、天の川の伝説を想像、意識して、自らも相手に会えないので、取り上げたものと、いかにも低次元だが、その程度とも考えられる。
■ 定家としては、人麻呂の歌とあわせて

独り寝る・夜ぞ深けにける

■ と続けたかったのかもしれない。
■ 家持は、あちこちに行っていて、最後は東北だった。

天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に金花咲く  家持

■ こんな歌を作っている。
■ 松尾芭蕉は、平泉に行く前に「金花咲く」と金華山と間違えて奥の細道に書いているが家持の歌は知っていた。
■ こんなことも含め、またいつか、書き直そうかと思う。

天の川 振りさけみれば カササギの 渡せる橋を 思い出すかな  遊水


(007) 安倍仲丸 古今集
006 あまのはらふりさけみれはかすかなる みかさの山にいてし月かも 

■ 聖徳太子が国書に「日出処天子到書日没処天子無恙云」と書いた小野妹子の遣隋使。
■ その後も「日本」は遣唐使として唐の国に人をやり大陸の国と交流していた。
■ 大伴家持とほぼ同じ天武天皇の頃、阿倍仲麻呂は大陸に渡った。
■ 仲麻呂がかの地で活躍したのは玄宗皇帝、楊貴妃の時代だ。
■ 帰国しようとしたが難破してかなわなかった。そのころ詠んだ歌が伝えられている。
■ ・・・
ふり・さけ・みれば
■ こうした言葉遣いに、日本語への思いが深まる。
■ 別れに際した、李白や王維のの詩がある。

  哭晁卿衡 李白
日本晁卿辞帝都
征帆一片繞蓬壷
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

  送秘書晁監還日本 王維
積水不可極 安知滄海東
九州何處遠 萬里若乘空
向國惟看日 歸帆但信風
鰲身映天黑 魚眼射波紅
郷國扶桑外 主人孤島中
別離方異域 音信若爲通

■ これらの詩に見られるように、唐の国では「日本」として知られていた。
■ 安倍仲麻呂は難破し、ベトナムの方に流されたが、僧・鑑真は日本にたどり着いた。
■ その際に失明した。
■ のちに松尾芭蕉が、若葉して御目の雫ぬぐはばや、との発句でよく知られている。
■ 吉備真備、僧・玄昉は無事帰国した。
■ 社会政治情勢、権力争いの歴史などたどりたくないが、
■ 大雑把に、奈良の大仏・廬舎那仏を建立した聖武天皇の時代だ。
■ 聖徳太子以降仏教が治世に使われた。
  • あらそいの あとのみたまを しずめんと ならにはおおき ほとけなるなか  遊水
■ 目に見える形でなく、言葉・ことのは・歌が人の心をおさめているように思われる。

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 (011) 参議篁 古今集  
007 わたのはらやそしまかけてこきいてぬと 人にはつけよあまのつりふね


(005) 猿丸大夫 古今集 
008 おく山にもみちふみわけなくしかの こゑきくときそ秋はかなしき 

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 (016) 中納言行平 古今集  
009 たちわかれいなはの山のみねにおふる まつとしきかはいまかへりこん






 (017) 在原業平朝臣 古今集 古今和歌集・仮名序 伊勢物語
010 ちはやふる神よもきかすたつた河 からくれなゐにみつくゝるとは


■ まず、明治時代の俳句をあげておこう。
■ 漱石は、ちはやふる、と詠んででいる。
  • 秋立つや千早古る世の杉ありて 漱石。香椎宮
ちはや  千  早くも 千年 すぎて
もはや  百  早くも 百年 すぎて

■ 伊勢物語に次のふたつの歌がある。

陸奥の しのふもちすり 誰ゆへに 乱れそめにし 我ならなくに
ちはやふる 神よも聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

■ この二つの歌が百人一首に取り入れられている。
■ また、伊勢物語の歌を念頭に、似た歌を選択したと思われるのもある。例えば

月やあらぬ春はむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして 在原業平
月見れば千ぢにものこそ悲しけれ 我が身一つの秋にあらねど   百人一首

■ 自ら作るならば容易かもしれないが、人の歌を選び出すのは知らないとできない。
■ 新古今和歌集では過去の勅撰和歌集からは採らないということは、選者たちは、過去の和歌集をよく知っていた、と言える。
■ 伊勢物語にもあるこの歌は、落語ができるほど、人を混乱させた歌だった。
■ 寄り道になるが、その落語のあらましは、回り道になるが本質的なのでとりあげよう。
■ 以前、「からくれない」って何ですか、とまじめな顔で訊かれたこともある。

たつたがわ、を漢字で書くと川という文字があるだろう。
だからと言って、river のことではない。
関取が昔いたんだ。
  1. gawa
  2. kawa
分かるかな
この辺が日本語的なのだ
・・・
その関取がな
ちはや、という花魁を見初めたんだが、関取なんて嫌だと拒否された
拒否されたのはなぜか、に言及するのは、下世話なコトにもなるのでやめておく 
ならば、妹の、かみよ、でもいい、と交渉したんだがな
おねさまがいやなものは、わちきもいやでありんす、と
ちはや、にふられ
かみよ、もいうことをきかない
かみよも、きかず、だ
それで、すっかり、世の中が嫌になってな、女断ちをして精進しても、こんなことなら相撲取りなんかもうやめだと故郷に帰ったんだ
父親の豆腐屋を引き継ぎ、くらしていたところ
店先に女乞食が来て、なにも食べてないので、せめて、おからでもください、という。
どこかで見た顔だが、じっとみると、ちはや、だ
お、お前は千早だな
俺を振った、千早じゃないか
お前なんかに
おからだって、くれてやるものか
・・・
からくれないに
というわけだ、分かるかな
え、なに、そういうことですかい
と、話はつづき、拒否された、ちはや、は、とうとう店先の井戸に身を投げてしまう
どぼーん、とな
へええ、そういうことだったんですか、
そういうことだ、わかるかな
井戸の水に身を投げた、つまり
みずくぐるとは、だな
漢字で書くと、水潜る、だ。

  1. kukuru 
  2. kuguru

と、ここまで話が進み、いい加減だなあ、と思うのは早計、
「括り染め」ではないぞ、と、落語家は考えたというところまで読み取らないといけない
だいたい、わかったんですがね、最後の、とは、とはなんですかい
なに、それぐらいまけとけ
いやいや、そうはいきません、みそひともじの、ふたもじですから、まけられません
なに、なら、おしえてやろう
とは、とはだなあ、・・・
なんですか、とは、とは
それぐらい知らなくてどうする
とは、とは、千早の本名だ。

■ 安東次男、と、塚本邦雄の本を比較品しながら読んでいると面白い。
■ 安東は、「振る」という文字に惑わされているようだ。
■ 塚本邦雄は、「第一、龍田川が、河川を纐纈にするのは、神代からのことであったらうに、「きかず」は聞こえぬ。」などと書いている。
■ 在原業平が思っていた、神代、は千年の昔。
■ 今からは、ざっと2千年まえになる。
■ 今と同じように紅葉が美しかったと考えて無理はない。
■ 紅葉は日本の自然現象であって、1000年経とうが、2000年経とうが、気候は変動するにしても、 昔から今までの2000年で変わるコトがない。
■ このような観点から「千早古」の歌を見直すのもいいんじゃないの、ということになる。

ちはやふる 神よも聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

■ まず、下の句

ちとせかわらぬ
くれないのかわ

■ まあ、適当にこんな句が浮かんだ。
■ 上の句をどうするか、龍田川を詠みこむのは先人がやったところでよく知られている。
■ 日本の川は、龍田川ばかりではないので詠みこまない。

きよらかな こころなるかな ゆるやかに ちとせかわらぬ くれないのかわ
きよらかな ながれなるかな ゆるやかに ちとせかわらぬ くれないのかわ  遊水

■ まあ、とりあえず、こんな歌にした。
■ 次は、「水くくる」これを「くくり染め」だと解釈したのは賀茂真淵だそうだが、
■ これはごく普通にみて疑問。
■ 賀茂真淵は、頭でっかちの、奇をてらう、癖があったかのような人で、
■ 人と違うことをいい、他人の注意を引くかのようだ。
■ 絞った部分は染まらず白く残る。
■ どんな形で残るのか、到底、紅葉の葉には見えない。
■ 又「から紅」に染めるということは全体としては赤い布になる。
■ 赤い川に白い紅葉、ということになる。
■ 赤いのは紅葉でしょ。それが白なら、何これ、ということだろう。
■ そして、一番重要なのは、在原業平の気持ちはどうだったのか、だ。
■ 古今和歌集・巻第五・秋歌下の「そせい」の歌の詞書にある状況だった。

二条の后の東宮のみやす所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかかりけるを題によめる
もみぢ葉のながれてとまるみなとには 紅深き浪やたつらん  そせい
ちはやふる神世もきかず たつた川から紅にみずくくるとは  なりひら朝臣

■ このように屏風絵を見て二人が詠んだ。
■ その屏風の持ち主は、「二条の后」即ち、業平が恋した、というか、愛した女だった。
■ その人に贈る歌に、自分の心を託さないはずはない。
■ 川が真っ赤に染まるほどに浮いた一面の紅葉は当然、二条の后、即ち、藤原高子で、彼女への思いを、その真紅の紅葉の下を流れる川に託した、と解するのがごく常識的のように思われる。
■ そして、
  • 千早古 神世も聞かず
■ これがすごい。
■ いままで歴史上もないほどの美しさだ。
■ 美しい紅葉だ。
■ 絶世の美女、という言葉が今はある、業平の時代にはなかったのだろう。
■ 「絶世」を言い換えれば「神世も聞かず」となる。
■ 逆に言えば「神世も聞かず」は「絶世」だ。
■ その美しい紅葉のようなあなた。
■ 竜田川、即ち、私の上に浮かんでいる。
■ 当然「括る」ではない「潜る」という表現になる。
■ まあ、人がどのように解釈するかは、人それぞれで、通説などどうでもいい。
■ 解釈などしてどうなる。感じ取らなければならない。自分はどう感じ、どう評価し、どう自分のものとするかだ。
■ ・・・
■ 歌は論理的だ。
■ 繰り返すようだが、もう一度書いてみよう。
■ 在原業平らは屏風絵を前にして歌を詠んだ。
■ なので、業平の歌に「紅葉」という言葉は出てこない。
からくれない
■ という言葉で紅葉を表している。
■ この屏風の絵について歌を詠め、と言われて見ると、描かれているのは、紅葉と川だ。
■ 人間だとしてみると、紅葉は女で、川は男だ。
■ この頃の歌は、単に自然の景を読むのではなく、詠み人の心を詠み込んでいる。
■ ただきれいだ、などと済ますようでは、恋愛などできない。
■ 在原業平は、今からおおよそ千年の昔の人だ。
■ そして、神代は業平からみて千年の昔のコトだ、というか、古い時代の遠い昔のこと。
■ 長い歴史の中でも、特に、この紅葉は美しい。
■ こんなに美しい紅葉の話は聞いたこともない。
■ 美しい紅葉は、美しい人、を表している。
■ 一面に美しい紅葉を浮かべる川は昔からずっと変わりなく流れ続けている。
■ 私の心もこの流れのように変わりない。
■ あなたのことを思っている。
■ と、まあ、こんな感じで業平は歌として詠んだのだろう。

絶世の 紅葉うかべて 竜田川 昔も今も 変わることなく
絶世の 眺めなるかな 竜田川 昔も今も 変わることなく  遊水

■ 現代では、普通の人は、絶世、という言葉から、絶世の美女、を思い浮かべるだろう。
■ から紅、即ち、真紅の紅葉は女性。
■ もちろん、あなたのことです、と公の場では言葉には出せないものの。
■ 在原業平は藤原高子の顔を見ながら、ちはやふる・・・と詠んだのだった。
■ わかるかな、歌は心だ。
■ こころを歌に詠む、それが当時の歌を評価する基準になる。
■ 絶世の紅葉、と言うのはやはりだめか。
■ 風景ならば絶景となるけれど、とりあえず、眺め、としてみた。
■ まあ、こんなことをしなくても、単に、表記を変えるだけで済むことだ。
  • 千早古神世も聞かず竜田川韓紅に水潜るとは   業平・遊水書く
■ 現代の人は、おそらく、こんな歌は詠めないだろう。
■ それを定家は取り上げた。
■ もっとも、伊勢物語にある歌をそのまま取り上げただけだが、定家は評価した。
■ 「神世も聞かず」という認識は誤っていて、今でも美しい紅葉の名所だけれど、それは業平が感じたことなので否定しなくてもいい。
■ 歯の浮くような、おべんちゃら、ではあるけれど、いけしゃあしゃあ、と、顔だけは真剣そうに言うのが業平だ。
■ そんな男はいけ好かぬ、かどうかは別にして、歌としては、これはこれで、ヨオ・デケテルと言っていいか。
■ 「心詞かけたる所なき」との評価は適切だ。
■ ・・・
■ 参考にした古今和歌集は、1990年12月15日、第18刷、佐伯梅友・校注、岩波文庫で、
これには「ちはやぶる」とあったが「ちはやふる」とした。元々の古今和歌集にどのように記載されているかは知らないが、古いカルタに「ぶる」と書かれているのは無いようだ。
■ なぜ「ぶる」と校正したのか分からない。「ぶる」って何ですか。
■ こんな議論は無駄だ。
■ もみじ、は色々な木や草で見られる現象で、木の種類や場所によって、黄色や赤に変化する。例えば、蔵王のような場所では黄色だ。あるいは、銀杏の場合も黄色だ。紅葉というように「くれない」という文字を使っている。赤くなる木が一般的な「もみじ」だ。色づくのに一番影響するのは気象条件だ。急激に冷え込んだり、谷川の霧の発生具合など、温度や湿度、あるいは日照条件が紅葉に影響する。植物学的、化学現象的な説明は専門家が解明していることだろう。地形とか気象条件に基本的な変化がなければ毎年同じ場所で発生する日本列島における自然現象だととらえてよい。
■ 従って、「神代も聞かず」という珍しい現象ではない。
■ 1000年、2000年、昔、即ち、在原業平が言う神代の昔から変わることはない。
■ 詩歌としては、先に記したように、現代的にいうならば「絶世の」即ち一番ということを業平は表現している。
■ 「からくれない」の色の美しさをいい、間接的に、誰よりも、あなたは美しい、との誉め言葉として詠んだ。
■ 屏風絵の紅葉を美しい、即ち、画家を褒めたところで、何の意味も面白くもない。
■ 一番重要なことは、いつまでも流れ続けている川のように、私はあなたのことを思っている、ということだ。
■ こうしたことを読み取っているので、昔は評価され、選ばれ、記録されている。
■ どこの誰かしら知らんが、画家の技量を褒めているわけではないい。
■ もしその屏風絵に価値があるならば、その絵が残っていなければならない。
■ 比喩という表現があることは国語の授業で習ったと思われるが、この歌はその典型だ。
■ さらにいうなら、この世に、男と女がいて、多くの人の関心事のひとつは、男女関係で、和歌にはそれが多い。
■ まして在原業平は色好みとして知られている。
■ くどいようだが「ぶる」って何ですか。
■ 丸谷才一は新々百人一首に次の歌を上げている。
  • 君により思ひならひぬ世の中のひとはこれをや恋といふらむ  在原業平
■ 「ぶる」って何ですか、などと下らぬ人の解説などを気にするより、あっさり、こんな歌を取り上げる方がいい。
■ 「千早古」はいわば未練の歌で、相手がいるから成り立つが、この歌は伊勢物語では丸谷才一の解説では、多少問題のある歌かもしれないが、歌自体は、あっさり素直な、というか、率直な人の心が伝わってくる。
■ 島崎藤村の「初恋」の、ひと恋そめしはじめなり、という感じか。
■ さて、くどいようだが、次の結論で、すっきりした。

千早古 神世も聞かず

絶世の美女という言葉は業平の時代にはなかった。
「絶世」は言い換えれば「神世も聞かず」だ。
歴史上にない美しさ。
美しい紅葉だ。
その美しい紅葉のようなあなた。
 歯の浮くような誉め言葉。

■ 人の解説など見ないい方がいい。





■ 昔のことだが、・・・
■ 「校正」関係で最初に疑問を感じたのは、伊藤博校注「万葉集上巻」角川文庫の2番目の歌の脚注だった。

海原は鴎たち立つ・・・池を海に、池辺の水鳥を鴎に見立てたもの

■ この記述は野鳥撮影をしている私にとっては無視できないものだった。なぜ鴎を水鳥に見立てなければならないのか。見立てる必要はあるのかという気がした。
■ この歌の「海原は鴎たち立つ」だけを見ればごく普通に見られる光景だ。
■ カモメの水平さん、という童謡もある。鴎が出て来る演歌など腐るほどある。鴎は港や海や大きな川で見られる。ちあきなおみの「カモメの街」、いいね。作詩、ちあき 哲也で歌詞がいいというより、歌い方がいいのだけれど。
■ 奈良盆地に「海原」があるはずがないという先入観だったからだろう。なぜ、歌の通りに「海原」を想像ができなかったのか。それは現在は、海はおろか池もないからで、当時の海を思い浮かべることができなかった。例えば、巨椋干拓地は干拓地という名だから昔は池だったと分かるけれど、ただ見ただけでは、今は水田だから想像できない人もいるかもしれない。同様だ。自分が見たものを信じてしまうのは、逆に言えば、想像力がない、ということだ。この人に限らない。
■ 近くに千里南公園がある。
■ 翡翠を撮っていると、「こんな都市の中にもカワセミはいるのね」などと言うのが聞こえたりする。
■ 千里ニュータウンは大阪万博記念公園のころ造られた。
■ そのニュータウンも、オールド・タウンになり、今は、集合住宅が建て直されて。
■ 若い人にとって、生まれる前のことには思いも至らないのはいいとしても、学者もたいして変わらない。
■ まして、奈良時代、飛鳥時代、そしてその前の時代のことなど、常識外のことなのか。
■ こんなことは他にも、いくらでもある。例えば、
むしぶすまなごやが下に臥せれども妹とし寝ねば果たし寒しも  万葉集巻四・524
ふかふかした、カラムシ織の柔らかいふとんを敷いている。それが「むしぶすま」である。
■ などと、永井路子も書いている。ホンマかいな、植物のカラムシ、ですか。虫は蚕のことで、真綿でしょ。蚕ががいつの頃から飼われていたか調べるといい。

■ 業平には次の歌もある。
よのなかに たえて桜の なかりせば ひとのこころは のどけからまし  業平
よのなかに たえて戦の なかりせば ひとのこころは のどけからまし  遊水
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(018) 藤原敏行朝臣 古今集  
011 すみのえのきしによるなみよるさへや ゆめのかよひち人めよくらん 


■ 「すみのえ」を取り上げたかった、ともいえる。
■ これは、古今集の最後の、つらゆき、の歌を連想しながら読むといい。
  • 道しらば摘みにもゆかむ 住江のきしに生ふてふ恋忘れぐさ  つらゆき
■ そして、次の歌、「こひぞつもりて」とは、つらゆき、の恋につながる。
■ その恋は積もるのだが、成就しない。


(013) 陽成院御製 後撰集
012 つくはねのみねよりおつるみなのかは こひそつもりてふちとなりける 

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 (009) 小野小町 古今集 古今和歌集・仮名序
013 はなのいろはうつりにけりないたつらに わか身よにふるなかめせしまに
000 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける

■ 同じ作者の歌を並べてみると、花とか、色という言葉が、必ずしも、植物の花とか、色彩の色、ではないことに気付く。
 
はなのいろは
うつりにけりな
 
■ 「うつりにけりな」に目を移し、わが身に引いてみると、「移った」と感じられるのは「世の中」だった。
■ 先にも書いた。 

世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに
世の中は 移ろいにけり いたずらに 我関せずと 眺めせしまに  遊水

■ 定家は「はなのいろ」の花を桜ととったようだが、固定観念のように思われる。

いにしえの やまとごころよ はるのひに 色は変わらず 散る桜かな  遊水
紫陽花の 色移りゆく 長雨に 小野小町の 昔も今も  遊水

■ 小野小町自身がどんな人だったかは知らないが、共感を呼ぶ歌がある。
■ 小野小町の歌を読んだあと、こんな歌を作った。

しるべなき うみにわがふね かぢをなみ しおのながれに みをまかせつつ  遊水

海人のすむ 浦こぐ舟の かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき  小野小町
伊勢の海 浦漕ぐ舟の 梶を無み 世を倦み渡る 我ぞ悲しき   遊水
たわやめの おもひたわみて たもとほり あれはぞこふる ふなかぢをなみ 笠金村

■ 現代では、過去の多くの書物や国外の書物、そして、インターネットを介して得られる情報はあふれている。
■ ありすぎ選択に困り、結局選択できず、目についた人の情報に頼るのか。
■ また、容易に得られる方に眼がゆくのは避けられない。
■ 紙に書かれた文字は読まれない傾向にあるのかもしれない。
■ 小野小町の頃の、過去あるいは当時の情報は現在と比較すると格段に限られている。
■ 従って、より深く読んだことだろう。
■ 万葉集は読んでいたと思われる。
■ 笠金村の「かじをなみ」という言葉が使われている。
■ 「海人のすむ」とあるのはいかにも、みやこ人的感じがするので、「伊勢の海」に替えてみた。
■ 個人生活は政治・社会及び人的環境の中にあり、当然人間関係の悩みもあったろう。

色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町

■ 和漢朗詠集の撰者・藤原公任はこの歌を代表作としていたようだが、同感だ。
■ この歌は今の世でも通じ、人の心変わりに気づかなかったり、あるいはまた、・・・
■ ああ、あの人はもう私のことなど思ってもないのか、と気づいたりする。
■ 書き残された、文字を介して、我々は昔の人の心を知ることになる。

木がらしの風にも散らで人知れず 憂き言の葉のつもる頃かな〔新古1802〕
はかなしや我が身の果てよ浅みどり 野辺にたなびく霞と思へば〔新古758〕
うたたねに恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき(古今553)

■ 丸谷才一は新々百人一首で「うたたねに」の歌を取り上げている。

年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな  紫式部

■ 紫式部は小野小町より100年ほど後の人だが、小野小町と同様な知性が感じられる。
■ 比較してみるといい。


(008) 喜撰法師 古今集 古今和歌集・仮名序 
014 わかいほはみやこのたつみしかそすむ よをうち山と人はいふなり 

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(012) 僧正遍昭 古今集 古今和歌集・仮名序
015 あまつかせ雲のかよひちふきとちよ をとめのすかたしはしとゝめん 


千早古 昔を今に 歌留多とり 乙女の姿 しばしとどめん  遊水


 (010) 蝉丸 後撰集
016 これやこのゆくもかへるもわかれつゝ しるもしらぬもあふさかのせき

■ この歌は先にあげた。
■ 最初はこんなふうに作っていた。

これやこの くるもかえるも つどいては しるもしらぬも とうきょうのまち  遊水

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 (014) 河原左大臣 古今集 伊勢物語
017 みちのくのしのふもちすりたれゆへに みたれむとおもふ我ならなくに 

  • 百人一首  陸奥のしのぶもぢずり誰ゑに乱れそめにしわれならなくに 
    百人秀歌  陸奥のしのぶもぢずり誰ゑに乱れむと思ふ我ならなくに
    古今集・恋四・724
    • みちのくのしのふもちすりたれゆゑにみたれむと思ふ我ならなくに



■ 陸奥、あるいは奥州藤原氏と関係があるのか
■ 河原左大臣・源融は光源氏のモデルだと言われている。物語だから誰かがモデルであろうとかまわないのだが、モデルになる人物がいた方が作りやすい。
■ この歌を取り上げたのは、歌も悪くはないが、「ヒカル」をとりあげたかったのではないだろうか。
■ 源融も源光も、天皇の子だが、「みなもと」という姓を与えられ臣下となった。
■ 紫式部のすごいと思われるのは、「ヒカル」と名付けたのは物語を書いている自分ではなく、唐の人相見だった、としているところだだ。そして、ほめそやしているが、本当のところ、主人公の性質とか品格を肯定しているわけではない。ヒカルの求める人はどこかに行ったり、死に別れたりで結局のところ主人公は幸せにならず死んでしまう。
■ 若い時は、ちやほやされたりするだろうけれど、死を迎えるというか、出家するときだろうけれど、「幻」の章での最後の歌として紫式部は書いている。
  • もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる 光源氏
■ この男の品位のなさは、同じ「幻」の歌
  • 大方は思い捨ててし世なれどもあふひはなほやつみおかすべき 光源氏
■ この相手は「紫の上」に長く使えてきた女房で、要するに、光源氏はその地位の女性と同等だと、紫式部は語っていることになる。
■ 「ひかる」の心情の下品さを「蛍」の章で「玉鬘」にはっきり言わせている。
■ もちろん紫式部本人の感想だ。
■ 「ひかる」自身はそれに気づいてない。分かってない。 
■ 人間、若い時もあれば老人にもなる。登場人物の年齢を頭に入れて読まないと間違う。
■ ここは、源氏物語について多くを語る場ではないが、紫式部は、架空の人物で虚構の小説ではなく、実のところ、現実であることを「物語」として語っている。
■ 定家は、「物語」を作り上げようとしている。
■ 連鎖、連想なのだ。 ちょうどネックレスのように鎖は隣とつながっている。
■ 個々の輪が全体として形をなす。 
■ 伊勢物語の最後に業平の歌がある。
  • つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふ今日とは 思はざりけり 業平
  • その時が いつか来るとは 知りながら 昨日今日だと 思わざりけり  遊水
■ 定家は、源氏物語の主人公にも、伊勢物語の主人公にもなれないのだが、
■ 百人一首・百人秀歌をまとめ上げて満足して死んだのではないかと思う。



(015) 光孝天皇御製 古今集
018 君かためはるのゝにいてゝわかなつむ わかころもてにゆきはふりつゝ

■ この「君」はもちろん定家にとっての君を想像しなければならない。
■ 何かを選択する時、選択する理由があるはずだ。ただ好きだから、とか、いいと思うから、とか、漠然としたコトもあるかもしれない。もう少し、色々な理由があるだろう。逆に嫌いだから、ということもあるだろうし、貶めることもあるかもしれない。とにかく一人につき一首しか取り上げないのだから、その理由を考えたくなる。
■ 「貶めることもある」のか、そんなことない、と思うかもしれない。「ある」と思う。ではどの歌なのか。
■  大納言公任の歌は、百人一首と百人秀歌では違う。なぜ違うのか。それはその項に書こうと思うが、理由があるはずだ。
■ 藤原定家は、いわゆる「いい人」だとも言えないと思う。かなり自意識の強い、いわば変人ではないか、それは当時として、彼がどのような待遇であったかによると思う。今の世では歌人の評価は低いわけでもないだろうが、平安末期から鎌倉時代、歌人は何の役にたったのか、と思わざるを得ない。
■ 鎖は、前と後、とのつながりでできている。

連鎖・連想 、連想・連鎖 

■ 連鎖・連想は前後だけで、必ずしも百首すべてが同じ選択基準で選ばれなくてもいいが、少なくとも、前後の歌は、何らかの関係性を持っている、と考えていい。

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 (019) 伊勢 新古今集
019 なにはかたみしかきあしのふしのまも あはてこのよをすくしてよとや




■ しりとり遊びのような感じでとらえるといい。

(020) 元良親王 後撰集
020 わひぬれはいまはたおなしなにはなる みをつくしてもあはんとそ思 

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(028) 源宗于朝臣 古今集
021 やまさとはふゆそさひしさまさりける 人めも草もかれぬとおもへは 

(021) 素性法師 古今集
022 いまこんといひしはかりになか月の ありあけの月をまちいてつる哉 

■ 2023-06-25
■ 世の中、知らんことだらけで、・・・
■ 俳諧歌という部立てが古今和歌集にあるコトに、今気づいた。
■ というのもパラパラと適当にめくっていたら、こんな歌があった。
  • 山吹の 花色衣 ぬしたれや 問へどこたへず くちなしにして  そせい法師
■ 古今和歌集・巻第19・雑歌・俳諧歌の2番目だ。
■ なるほど、なるほど、掛詞というには冗談ポイ。
■ 梔子、と、口無し、・・・
■ こういう冗談の言葉遊びなんだけれど、・・・
■ こんな遊び心は嫌いではない。
■ なぜ、梔子なのか、というと、・・・
■ 梔子の実は染料として、またキントンの色付けに使われると聞いていたので、・・・
■ なるほどと思ったのだ。
■ 山吹色の服を着ていた人、あれは誰、と訊いた、ということか。
■ 素性法師と言えば百人一首・21、・・・

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 (024) 菅家・菅原道真 古今集
023 このたひはぬさもとりあへすたむけ山 もみちのにしき神のまにゝゝ

■ 漢詩から和歌の時代への象徴は古今集だった。
■ 古今集の編者の前に菅原道真を配置するのは適切だったと思う。


■ 定家の時代には、おそらく、道真は学問の神ではなかったのただろう。
■ 菅原道真の、東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ、この歌も、何か非論理的、非現実的な感じで、好きになれない。
■ 人に言われなくても花は咲くし匂いもする。都だけでなく、大宰府にいても梅はある。
■ 金もなく、ほっぽり出されたということかもしれない。
■ しかし、何とか生きてやろうという気はなかったのか。
■ 大伴家持の父・旅人の歌、・・・

験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし  旅人
生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくを有らな  旅人

■ 清少納言・枕草子に、雪の日に、香炉峰の雪いかならむ、と問われて、御簾を高く上げた、話があるように
■ この頃よく知られていたのは白楽天の詩だった。


   白居易
日高睡足猶慵起
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香爐峰雪撥簾看


匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處
故鄉何獨在長安
曉とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな  藤原俊成
■ 道真は、・・・


   不出門 菅原道真
一從謫落就柴荊
万死兢兢跼蹐情
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声


中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無檢繋
何為寸歩出門行


■ この詩のように漢字を使い詩を作ることができたが、大宰府の役所にも行けずあばら家にいたようだ。


    食後 白居易食罷一覺睡 起來兩甌茶 
擧頭看日影 已復西南斜
樂人惜日促 憂人厭年賖 
無憂無樂者 長短任生涯


■ 道真は詩の形や言葉はよく知っていたが、白楽天の心境にはなれなかった。
人生は 読み書きソロバン 衣食住
■ 最低限「食」が満たされていれば、生き延びることもできただろう。

■ 詩歌で人に訴えようとするならば、自らの思いをかの国の言葉で歌にするのは方法論的には誤りで、漢詩をよくした学者・道真が、唐の滅びを知ってか、遣唐使の廃止をしたのは、まあ、皮肉だ。
■ ともあれ、菅原道真が遣唐使の中止を提言し、このあと大和歌が花開いたのか。








 


 (030) 壬生忠岑 古今集 古今和歌集・編者
024 ありあけのつれなくみえしわかれより あかつきはかりうきものはなし



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(029) 凡河内躬恒 古今集 古今和歌集・編者
025 こゝろあてにおらはやおらんはつしもの おきまとはせる白きくのはな


さえわたる光を霜にまがへてや月にうつろふ白菊の花  藤原家隆
白洲正子は家隆の項にこの歌を上げている。

(033) 紀友則 古今集 古今和歌集・編者
026 ひさかたのひかりのとけきはるの日に しつこゝろなく花のちるらん 

■ 伊勢物語にふたつの桜の歌がある。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平
散ればこそいとど桜はめでたけれ   うき世になにか久しかるべき
■ これらの理屈っぽい歌より、こっちの方がいい、と定家は思って取り上げたのだろう。
■ 業平の歌ばかり取り上げるのも、ナンだし。 
久方の
久方ぶりの
久しぶりの
■ 桜が咲くころは、雨が降ったり風が吹いたりして、必ずしも、いつもいい日ばかりではない。今日は、久しぶりの、のどかな春だから、散ったりせずに楽しませてほしいなぁ

■ メモ
ひなざかる
あまざかる

離る(かる)
空間的に遠くなる。
時間的に遠くなる。

ふりさけ
振り向く
振り返る
「さけ」は動詞「さく(放く・離く)」の連用形。
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(022) 文屋康秀 古今集 古今和歌集 仮名序
027 ふくからに秋の草木のしほるれは むへ山風をあらしといふらん 


旅に出て 見上げる空に 鱗雲 秋の心は 愁いなりけり  遊水

  江亭晩望 宋之間 
浩渺浸雲根 煙嵐出遠村 
鳥帰紗有跡 船過浪無痕 
・・・

■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀が、新しい日本的な意味合いでの文字の使い方にした。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。
■ おろし、を漢字で書くと


(035) 紀貫之 古今集 古今和歌集・編者
028 人はいさこゝろもしらすふるさとは 花そむかしのかにゝほひける 

  • 嫁ぎゆき 人はなけれど 沈丁花 春ぞ昔の 香に匂いける   遊水
■ こんな歌を作ったこともある。
■ 定家は、紀貫之に対して1目置いていたように思う。
■ 新古今和歌集での定家の歌の在り方と、古今和歌集の紀貫之の歌の在り方を比較するとわかる。

■ 古今集を手本としてとらえていたようだ。
■ 貫之は自分の歌集として古今和歌集を編集した。
■ 最後に自分の歌を置いている。

道しらば 摘みにもゆかん 住之江の きしに生ふてふ 恋忘れ草  つらゆき
その場所を 訪ねてみんか ひとり我 恋や忘るか ユウスゲの花   遊水

■ 古今和歌集の最後の歌がこの歌だ。
■ とすれば、この歌が彼の自選の一首、代表作・表歌だったのではないかという気もする。
■ 客観的にこの歌がいいかどうかは別だ。
■ 表歌、即ち、代表歌は作者と第三者では評価が違う。
■ 恋忘れ草は萱草。
■ 住江の岸だからハマカンゾウということか。
■ 住之江にばかり生えているものでもないだろうけれど、有名だったのだろう。
■ 彼の恋の相手は誰だったのか
■ 藤原定家や西行と同様で、皇族の人だろう。
■ それを歌に残したい。
■ ただ、あからさまに詠むのは憚られる、という感じだ。
■ 後にあげる西行の場合も同様だ。

山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ  つらゆき
逢ふことは雲ゐはるかになる神の音に聞きつつ恋ひ渡るかな(古今482)
色もなき心を人にそめしよりうつろはむとは思ほえなくに(古今729)
玉の緒のたえてみじかき命もて年月ながき恋もするかな(後撰646)

■ 「逢ふことは雲ゐはるか」ということだから、片思いでしかなかったようだ。
■ だからだろうけれど、「道しらば」の歌には切実感が感じられない。
■ 「恋忘れ草」を摘んだところで、忘れるとも思えないし、それほどの問題でもない感じだ。
■ だいたい「恋」しか関心事はないのかと思うが、
■ それが当時としては歌の題材としての関心事、風潮だったのだろう。
■ 定家も、自分ものとしての歌集を作ろうと思ったのではないか。
■ 自分の歌で最後を飾るために自分好みの過去の和歌を用いたのはいい考えだった。
■ 百人一首での他の人も1首なのだから、結局のところ、1首でいいのだ。
■ 定家は、万葉集の歌を下敷きに「こぬひとを」と歌にしている。
 ■ 定家自身の歌は、まさに、花ぞ昔の香に匂ひける、で、人のことは知らないが、私の歌は「ふるさと」であるやまと言葉の万葉集に戻ったのだと。
人はいさ
心も知らず
故郷は
花そ昔の
香に匂いける   
■ このように、自らの歌を評価するかのようにもとれる貫之の歌を選んでいる。
■ 他の歌についても定家の選択は定家のこととしてもとらえられるような歌が多い。
■ 例えば、紫式部の「雲隠れにし夜半の月」は定家のことと考えれば「月」は誰なのか。■ 短い期間の付き合いは誰だったのか、と。

ゆうすげと こころをうたう はなあれば 
むかしのこいは かなしかりけれ  遊水

■ 永井路子・万葉恋歌・日本人にとって「愛する」とは・KAPPA BOOKS・光文社
■ ・・・を読んでいたら、・・・
■ 恋を、孤悲、と表記する歌が万葉集にはあると書いている。

そういえば、「万葉」の中には、「恋」を「孤悲」と書いている例がいくつかある。このころは「万葉仮名」といって、いろいろ漢字をあて字に使っているのだが、この「孤悲」という使い方は、まことに、気のきいた、意味深長な使い方だ。
 恋とはたしかにひとりでいることが悲しく、愛する人と共にいることを望む気持ちである。それでいながら、なかなかいっしょにいられないことが、さらに人の悲しみを深くする。その苦しみがさまざまのかたちの愛の詩を生むのである。

■ 例えば、これは書き分けている。

玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎  第2巻102番歌・巨勢郎女
たまかづら はなのみさきて ならずあるは たがこひにあらめ あはこひもふを

■ ・・・
たがこひにあらめ  誰の恋なのか
あはこひもふを   吾は、孤悲、念

■ 今では「思う」しかないが「念」という文字で表現すると一層きもちがはっきりする。
白川静・文字遊心・平凡社、P.486
[万葉]には「おもふ」が七百三十数例あり、半分が仮名、あとは「念ふ」が五「思ふ」が四の割である。他に、意・憶・想が一、二例、[記][紀]には惟・懐・欲・以為などもあり、これは散文的語彙とされたのであろう。

恋おもう 恋しさならば そのこひは 孤悲のこころと おもいいたりて  遊水

■ ドイツ人兄弟がYouTube で「九九は日本語で考える」という話をしていた。
■ 訪日客も多い昨今、「大人向け・九九普及動画」を作って、世界に発信してもいいのではないか、と思う。「世界99普及会」という感じでまじめに取り組むのであぁる。
■ 先日は、七夕にちなんで、短歌を作った。
  • 始終苦のおもいも笹にさらさらと 風に流せよ孤悲の短冊  遊水
■ 7月7日だから、7×7=49、しじゅうく、始終苦、というわけだ。
■ 最初、始終苦、というのもナンかなあ、と思ったが、・・・
■ 恋を孤悲、と表記するなら、恋の悩みに始終苦しんで、という感じで、まあ、いいか、と思ったが、どうなんだろう。
■ まあ、99の遊び、というかダジャレというか、こんな使い方もあるかもしれない。
おもい
思い
重い
■ これも、一応、掛詞のつもりだ。
■ 恋・こひ・孤悲、があるなら
■ 表記として、・・・
■ 思ひ・おもひ・面悲、があってもおかしくないだろう。

能面の おもひ 悲しき 薪能 ・・・ 遊水

ひとはいさ こころはしらず われはただ みそひともじに こころくだいて  遊水  
だいじょうぶ ただつくるだけ めちゃやばい みそひともじに こころがあれば


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百人秀歌から百人一首を眺める その1 いにしえの 京のみやこの ことのはな けふわが筆に 咲きにけるかな


■ 2025-06-14
■ 量が多くなったので、とりあえず、2つに分割した。
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■ ある時、こんな句を作った。

そっとてをひらいてみせるほたるかな  遊水
やさしいね

■ と、私の顔を見て、句会で言った人がいたけれど、・・・
■ 女の子が何も言わず、小さな両手を開いて

ほらね

■ という顔をして、あそこにいたよ、と、言った。
■ こんな句がいくつかできたらいいな、と思うが、必ずしも読む人に伝わらない。
  • 私が手を開いた、と読む人が多い。
■ 句歌は万人を対象に作るわけではない。
■ それでも、歌を詠む人と、読む人の間に、距離がある場合も多い。
■ それはしょうがない、と思う。
■ まして、千年も昔の和歌ならなおさらかもしれない。
■ 分かりにくい歌もある。
■ しかし、時空を超えての同じ思い、が感じられる歌もたくさんある。
■ それがことばであり、そんな歌を知りたいと思うし、自分でも作ってゆけたらいいなと思う。
■ 自分とは違う言葉の世界を発見するのも、歌に接する楽しみのひとつだ。
■ と、ここまで書いて、何度か繰り返して読むうちに、具体的に何かとりあげた方がいいように思った。
■ ひとつとりあげよう。
■ その前に一首。
■ 平仮名なのでうっかりすることもあるが、言の葉、ではなく、言の花だ。

いにしえの 京のみやこの ことのはな けふわが筆に 咲きにけるかな

■ 伊勢大輔は「京のみやこ」でなく「奈良の都」の歌を詠んでいる。
■ 言葉が明確で機知に富んでいて、知性が感じられる。
■ 八重桜は咲く時期が少し遅い。
■ なので、いつも、花見が終わった頃に、毎年、奈良・興福寺から贈られてきたようだ。
■ 同席していた紫式部は、中宮・彰子に代わり、それに応える歌も作っていた。

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな     伊勢大輔
九重に 匂ふを見れば 桜狩 重ねて来る 春の盛りか     紫式部
九重に 春の盛りの 桜花 重ねて来たる 喜びありて     遊水

■ 伊勢大輔と紫式部は、次の歌の詞書に見られるように、仲はよかった。

清水に籠りたりけるに、伊勢大輔参りあひて、もろともに御燈火奉りて、しきみの葉にかきてつかはしける
心ざし 君にかかぐる ともし火の おなじ光に あふがうれしき  紫式部
いにしえの 契もうれし 君がだめ 同じ光に 影を並べて     伊勢大輔

■ こんな逸話や歌がある。定家は適切に選んだようだ。
■ 伊勢大輔は、百人一首の他にどんな歌を作っているかを見ていたら気付いた。私が、「時空を超えての同じ思いが感じられる歌」として、本歌どりしたのは次の歌だ。
■ 並べおく。

わかれにしその日ばかりはめぐりきていきもかへらぬ人ぞ恋しき      伊勢大輔
原爆忌 そのひばかりは めぐりきて いきてかえらぬ ひとぞかなしき  遊水
忘れろと 言えないけれど 世の中の 忘れることの 優しさ思う     遊水

■ 歌は自分のことを詠むばかりでなく、他の人の心を詠むこともある。
■ 伊勢大輔が、今の時代に生きていたら、詠んだかもしれない共通の思いではないか。
■ 「原爆忌」という言葉は、説明しなければ、分からない国の人もいる。
■ 原子爆弾による無抵抗の人を無差別に大量に殺すという残虐さ、を意味する。
■ 原子爆弾を2個も落とすという残虐な行為をしたのはUSAだった。
■ いかなる手段であろうと、一個の人間が理由もなく殺されることに、人の思いがある。
■ 人には、一人ひとりの思いがある。ひとりひとりの思いとしてとらえなければならない。
■ 私が歌にする前に、そんな思いがあっただろうし、これからもあるだろう。
■ 「その日ばかりはめぐりきて」は何か考えさせるものがあった。
■ 以前、「観覧車回り続ける思い出は・・・」という歌をいくつか作ったことがある。
■ そんなもんではない。
■ 私の思いとは関係なく、その日ばかりはめぐりくる。
■ 「原爆忌」はこれからもずっと「めぐりきて」「無抵抗の人を無差別に大量に殺すという残虐さ」を思い起こさせるだろうか、原子爆弾は存在し続けている。
■ 伊勢大輔の歌は、ひとりの人の心をよく捉えて表現していた。
■ このように百人一首の歌ばかりでなく、いい歌がいくつもあることに気付くだろう。
  •  「この日ばかりは、めぐりくる」モノは他に幾つもある。
■ 「生と死」が主題だとすれば、逆に、

誕生日 この日ばかりは めぐりくる 母と私の 絆なるべく

■ 誕生日は自分自身が記憶してないからなのか、あまり、短歌として見ないような気がするが、ごく最近読んだ歌集に、誕生月の季節を詠んだ歌があった。
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生まれ親しむ 季節となりて

石蕗
我が生れし季節に入れば石蕗の花咲きてうれしその道をゆく     美智子
つわぶきの 花咲く道の うれしさよ 生まれ親しむ 季節となりて  遊水

■ 私が生まれたのは5月だけれど、端午の節句、鯉幟、粽、五月晴れ、などと詠んでも私の歌になるべくもない。
■ 困ったな、と思う。
  • 生まれ親しむ 季節となりて
■ この7・7の下の句に、上の句をどうつけるか、宿題だ。
■ いつできるか、分からない。
■ 困ったな。
■ 五月の私はつけられずいるけれど、他の人はつけることができるかもしれない。
■ 誕生石、や、星占いに使われる・星座、もある。
■ 世界中の誰にとっても、これは必ずある「題」なので、やってください。
■ こうした題詠の題を幾つか取り上げると、短歌の世界にまとまりがでてくるかもしれない。
■ 花言葉は、毎日だ。
■ 百人が詠めば、千人が詠めば、と考えると、この題だけで、大きな世界になる。
■ 新しく生まれて来る人もいるのだから、年々、大きな広がりとなる。日本人に限ることはなく、この題詠で、人々の交流も生まれるだろうし、互いの理解も深まると思われる。
■ こんなことを書いて、読み返していて、今日、ふっと思いついた。

月と日と ★と鳴く鳥 渡りくる 
生まれ親しむ 季節となりて

■ 星とされずに★と仮名漢字変換されたが、まあ、いいだろう。遊びなのだ。
■ 普通の人には分かりにくいかもしれない。
■ インターネットで「三光鳥」と検索、さえずりの動画があれば聞くとよい。
■ 野鳥撮影を始めたくなるかもしれない。
■ 野鳥撮影している人はすぐ分かるだろう。
■ 大阪城公園などで野鳥撮影している人には、待ち焦がれる鳥の一つで、続けてホイホイホイと鳴く。
■ ニセアカシアの花の咲く頃やってくる。
■ アカシアの蜂蜜というように、蜜を吸う虫が集まるからで、その虫を鳥が食う。
■ 大阪近辺では、アオスジアゲハもよく咥えているのが見られる。
■ 蝶の食草と関係するのだろう。
■ やってくるのは子育てのためだから、里帰りだ。
■ 美智子歌集「ゆふすげ」の歌をもうひとつ取り上げておこう。

  花吹雪
「雪」といふまごの声に見し窓にまこと雪かと花舞ひしきる     美智子
ゆきと言う 幼な児の声 窓の外に まこと雪かと 花舞いしきる  遊水・改作  

■ 最初読んだときに、5・7・5・7・7ではないので読みにくく感じた。
■ 字余りも、字足らずもありだけれど、読みやすさからは、・・・

「雪」といふまごの声に見し窓に
「雪」といふまごの声して見し窓に

■ こうすると、「に」が続くのも避けられる。
■ 私には子もいないし孫もいないので、幼な児、になる。
■ 幼児が言った言葉としては、漢字であらわされる「雪」でなく、言葉の「ゆき」という声だろうだから、「雪」というカッコつきの文字に引っかかったけれど、
■ 花吹雪という題で「まこと雪かと花舞ひしきる」という感性は素晴らしい。
■ これに替わる何か、と考えたが思いつかない。
■ 百人一首の「ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづごころなく はなのちるらむ」これは好きな歌で、「しずごころなく」がいいけれど、また、いくつか桜の歌を思い出せるけれど、「まこと雪かと花舞ひしきる」にまさる表現はないかと思う。
■ 自分では、桜の歌は作ってないような気がする。ただ、桜散る昭和は遠くなりにけり、と「明治は遠くなりにけり」を変えたような句とか
  • 淋しくて桜吹雪の中にたつ  遊水
■ こん句は作ったことがある。
■ 桜を題にした短歌を何か作れたらいいなと思う。

「花吹雪」異国の人に説明す「まこと雪かと花舞いしきる」さま    遊水

■ 詞書に「花吹雪」とあったので、とりあえず、こんなふうにしてみた。
■ ちなみに、同じ題の歌集がある。出版を強く勧めた永田和宏は気が付かなかったのか、ことばは個人のモノではないにしても、残念に思う。
2024年、美智子歌集「ゆふすげ」
1987年、道浦母都子歌集「ゆうすげ」
■ 「誕生月」は季節感がある。
■ 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、・・・1月、2月、3月、・・・と個別にはあるが、
■ 「誕生日」という言葉自体を季語に入れてもいい。
■ 俳句には「季語」があり、歳時記がある。
■ 古今和歌集と比較すると、「雑」がない。
■ このため川柳という分野ができてしまった。
■ 江戸時代は、「俳句」とか「川柳」という分野というようなものはなく自由だったろう。
■ いったん有季定型という概念が定まると、ねばならない、という制約となり、広がりがなくなる。
■ 逆に、俳句の場合、季語があれば、それで俳句になると俗に流れやすくもある。
■ 歳時記があるだけに、そこある言葉をまず拾い出して句を作る人もいるようだが、その手軽さが、短いだけに、問題だ。
■ 私の場合「俳句」という言葉は使うけれど、「俳味」など意識しない。
■ 俳句は、元々、和歌から生まれた。
■ 俳味という潜在意識があったからだろう。
■ ある期間が過ぎると、俳句では表せない心があるのに気付くだろう。
■ 和歌、短歌は、俳句と違い、ほどよい長さなのようだ。
■ 私は俳句から定型詩に入ったが、短歌の方が自分には合っている気がする。
■ 俳句より和歌の方が選集としてたくさんあるし、言葉が洗練された歴史が深い。
■ しかし、まあ、俳句でよければ俳句も作る。
■ 川柳がよければ川柳になる。
■ 都都逸がよければ、7・7・7・5、の都都逸になるだろう。
・・・ 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
■ いずれにしても定型だ。
■ 多少話が横道にそれた。
■ 内容的に、俳句には歳時記がある。古今和歌集では次の分類だ。
  1. 春、夏、秋、冬
  2. 賀、離別、羇旅、物名、恋、哀傷、雑、
  3. 大歌所御歌・神遊びのうた・東歌
  4. 墨滅歌
■ 「戦争と平和」や「愛と誠」などは普遍的だが、意識が現代社会と違うので、こんな部立てになっている。

世中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし  在原業平
よのなかに たえて戦の なかりせば ひとのこころは のどけからまし  遊水

■ さて、・・・
■ 平安時代の和歌の特色を一言で言えば「袖と涙」になるだろうか。
■ では「百人一首」の場合は何か、・・・
■ 百首中、恋の歌は43首、女性は21人。
■ ヘミングウェイの「The Old Man and the Sea」的に書くと「老人と愛」かと思う。
■ そして定家の場合は、その「愛」を肯定的に得たとしている。
■ 「老人と愛」という見方が当たっているかどうか、百人一首に戻ろう。
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■ 丸谷才一は「新々百人一首」の、はしがき、に「萩原朔太郎・旅よりある女に贈る」と大弐三位「有馬やま」を挙げて、朔太郎はその影響下に作詩したのでは、などと書いていて、彼自身も朔太郎のこの詩が気に入っていた、と。
■ 私の場合は、中学時代など凡々たるものだったが、母の「うかはげ」という言葉はよく記憶している。くしくも、源俊頼の「うかりける」の歌がこの文章を書くきっかけのひとつだった。
■ 以前は、よく分からない歌だと思っていたが、自分で短歌を作るようになってからは、自分なりの観点で百人一首や他の和歌も読み、私だったらとこう作ると、歌を詠むようになった。
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あい

■ 「うか・はげ」については後で書くとして、朔太郎と大弐三位について書いてみよう。

ありまやま いなのささはら かぜふけば 
いでそよひとを わすれやはする

■ 掛詞として「有」「否」を織り込んだ歌だが、このように2行に書きつけると、また、違ったことに気付く。
■ 即ち「あい」である。
■ ideal ではない。アクセントが違う。
■ 愛である。
■ 愛についての和歌であり、詩だ。
■ たまたま「あい」となっただけで、別に意識したわけではなく、単なる言葉遊びには過ぎないけれど、ひとつのきっかけとして書いてみよう。
■ 昔は、恋はあったが、愛・あい、という言葉はなかった。
■ いとし・こいし、の、いとし、だ。
■ 漢字で書くと、なぜ愛になるのか、愛しい、とコンピュータで仮名漢字変換される。
■ 何の疑問も持たず、この変換を受け入れるのは、変だが、意味的に、いとしい、が愛に通じる。
■ 本当は、いとしい、ではなく、いと・おしい、だ。
■ 愛おしい、と変換される。
■ 日課で野鳥を撮っていると、オシドリにその言葉が残っていると気づく。
■ いとおしい、から、いとしい、になり、「お」がなくなった。
■ 言葉は使われてゆくうちに変化し、もともとの意味が分からなくなるのは、よくあることだ。
■ 「お」がなくなり「おし」とは何、となって、わからん、なに、こじつけちゃうのん、となる。
■ 「おし」という言葉が使われた順番から言えば、をし、おし、・・・
OSI
ITO - OSI, ITOOSI
ITOSI
■ ホンマかいな。
■ ホンマかどうか、その辺のところが、言葉というのは、面白い・オモロイ、のだ。
■ ここで多少寄り道だが、

国土 こくど  koku  do
土地 とち   to  chi    to   ti
地面 じめん  ji  men   zi   men

■ 仮名文字の使い方の制限の悪影響だ。
■ このような言葉の使われ方をすることを十分頭に入れておいた方がいい。
■ このような言葉を使い慣れていると、古い言葉遣いの判断に誤ることがある。
■ おし・をし、は後鳥羽院の歌がある。
■ 「ひともをし」の歌は私が引っかかった歌のひとつだが、後で書こう。
■ 昔、愛はなかった、というけど、だったら、
  • あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり
■ こんな歌、百人一首にあるやろ、この「あい」って、なんなの、というかもしれない。
■ ないことない、あるやないの、というご意見、ごもっともである。
■ あいみての、って、具体的に、現実的に考えて、何することなのでしょうか。
■ 解説書などみると、きぬぎぬのうた、即ち漢字で書くと、
  • 後朝の歌、と婉曲に表現している。
■ 後朝、って何、・・・衣々。
■ じつは、こじつけ、ちゃうよ、この、あいみての、ということは、夜があって朝、朝になって、よかった、と思うかどうか、ということなんだから、
■ 意識して、そういう言葉を使ってなかったかもしれないが、ちゃんと、「あい」という言葉はあったのだ。
■ 愛という文字でおかしくなった。
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■ ところで、朔太郎の詩だけれど、これについては三好達治に関連して書いた記憶がある。

山に登る
旅よりある女に贈る

山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

■ この詩は、現実と過去が交差した記述になっている。
■ 「俺」が今、「私達」が回想だから、言葉は変えず、時間軸に合わせて再構成した。

 萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
 
山に登る
空には風がながれてゐる、

おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
 
旅よりある女に贈る

眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

ありまやま いなのささはら かぜふけば 
いでそよひとを わすれやはする

■ 和歌は手紙を介しての間接的な対話だが、現実のやり取りだ。
■ それが恋と愛の違いかもれない。
■ 萩原朔太郎は大弐三位のこの歌をどのように参考にしたのかな、と思う。
■ それには歌の意味を知らなければならない。
■ 丸谷才一はどのように捉えて朔太郎と関連があるとしたのか。
■ 詞書には
  • 「かれがれなる男の覚束なうなどいひたりけるに詠める」
■ とある。
■ 二人の仲が疎遠になっているのはあなたの心が覚束ない、つまり、はっきりしないので、などと言ってきたので詠んだ、という状況だ。
■ よく見る解説では、尾崎雅嘉「百人一首一夕話」とほとんど同じで、上の句は「いでそよ」というための序詞に過ぎない、としているが、単なる序詞ではない。
■ 「有」と「否」でのやりとりだ。
■ 「かぜふけば」ということは、相手が言ってきたから、それに対しての返事だ。
■ 「いでそよ」を単に「そうですよ」としていいのかなと思う。
■ 和歌を解説してもその歌を理解したことにはならない。
■ 心を言葉にしたものが歌だから、自分だったら31文字にどう表現するかだ。
■ 歌にしないと、元の歌の良さをとらえたことにはならない。
■ 自分が作ってうまくいかなければ、元の歌が優れていることになる。
■ 相手が稲野に住んでいる人かどうか、その辺のところは、本人同士のやり取りだから歌には表れない。推測するしかない。
■ 有馬山から吹く風が強いから、俺の住んでる稲野では笹原がそよぐのだ。
■ そうですか、あなたの方で、どんな風がふいているか知りませんけど、私の方の気持ちは「有」ますよ。「「否」ではありません。

ありまやま いなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする  大弐三位
有ますよ 否の風だと いいますが よそかぜほども 忘れてません      遊水

■ 大弐三位の歌には、有馬山、と、猪名川、と、ふたつの地名が詠み込まれている。
■ やはり、有馬山と猪名川に住む二人の間のやり取りが想定される。
■ ささはら、とあるが、篠笛、篠籠、などに使われる篠竹、矢竹の多い場所であろう。
■ いでそよ、の、そよ、は、前に、かぜふけば、とあるので、そよかぜ、となる。
■ 31文字で詠み込むのは難しいけれど、それを補う詞書がある。
■ 相手の男は、自分のことは棚に上げ、かれる、とか、おぼつかない、などの言葉のある歌をよこしたようだ。並べ置いてみよう。

かれにしは おぼつかなくも ゆれうごく 有馬やま吹く かぜもつめたく  よみ人知らず
ありまやま いなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする

■ 一応、よみ人知らず、としておいたが、私の知るところではある。
■ 当時の相関図など作ってみると面白いかもしれない。
■ いつだったか、google で愛と恋を翻訳したらどちらも love だった。
■ 英語は、よお知らんけど、へええっ英語圏には恋愛ってないのかな、と思う。
■ 日本の場合、漢字はもともと当て字だった。
■ もちろん、あい、という概念はあった。
■ 同音意義語を見ると、それが、あい、だと分かる。
■ 古事記など見ればよく分かる。
■ 「かみ」も同様だ。
■ 同じように同音異義語を漢字で書いて、その幾つかに共通する何か「上」など、昔の人が何に着目していてるかを考えるとよい。
■ 英語の God と違うのは、「同様」という言葉を理解できない人たちの認識だ。
■ 愛という漢字は、いつ頃から使われるようになったのか。
■ これについては、またいつか、だが、
■ 簡体中文では
■ と書き、こんな文字を平気で使う国、もはや、心なき人々だろう。
■ この文字を元にもどさなければ、その国は、まあ、ダメだなという気がする。文字と言葉の不整合が人の意識に影響する。
■ 日本語の場合、表意文字と表音文字の組み合わせで、仮名文字の存在の意味は大きい。
■ さて、「うかはげ」のことだけれど、
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うかはげ


■ 「うかはげ」って何ですか、という問いに、直ちに答えられる人はたくさんいると思われる。
■ たくさんと言っても、めちゃ、多いわけではないだろうけれど。
■ すぐ、反射的に応えられる人は確実にいる。
■ ほんと?と疑う人もいるかもしれないが、私が立証するまでもない事実だ。
■ この言葉を知ったのは、母からだったが、いつ頃だったかは記憶にない。
■ おそらく、中学の時だった。
  • うか・はげ
■ この言葉から、その世界に入るのも一つの道かもしれない。
■ その世界では常識なのだから、・・・
■ その世界とは、カルタとり/百人一首だ。
■ 島津忠夫訳注・新版百人一首の新版に当たって、
角川文庫「百人一首」は昭和四十四年七月に初版が出て、平成十一年六月に新版を書き、十一月に初版が発行されたことが分かる。
■ 新版には索引の後に、「きまり字を太字で示した」平仮名の百首一覧がある。
■ この表を見ると、別の視点も得られる。
■ うか・はげ、は「あいうえお」の「う」だからすぐ出てくる。

字余り

■ 和歌・短歌は、普通5・7・5・7・7、だれど
■ 全て仮名文字故、字余りの歌も幾つあるかもすぐ分かる。
■ こうした歌に注目するのもいい。
■ 例えば、はなのいろは、も6文字で始まる。
■ 小野小町については後で書くことになるが、実は、この歌、私は、自分に絡めて次のように書いた。

花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に   小町
世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に 
世の中は 移りにけれな いたずらに 我関せずと 眺めせしまに   遊水

■ この歌から書き始めてもいいかと思っていた。
■ 一般に古典に接するのは、普遍的なモノを見出すからで、人が増えただけ社会が複雑になっているが、ごく個人的な人は基本的には変わらない。時代はうつり「どう思うか」はそれぞれで、今の自分の歌としてどう詠むかだ。

このひばかりは、めぐりきて
うつりにけりな いたづらに

■ このような言葉に共通性が感じられる。
■ 百人一首は過去の人の心の記録で、その資料を、ことばとして、心としてどう読むのかだろう。
■ ここで、あえて「資料」という言葉を使った。研究者とか評論家にはその資料・ネタであろうが、私の場合は、ただ、自分の歌を詠むためにだけに読んでいるわけではない。

吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風をあらしといふらむ  文屋康秀

■ 嵐という文字は、もともとは、日本語的な荒々しい風ではなく、靄のような状態で、
■ 漢詩では、翠嵐などと使い、緑の山の空気の・雰囲気をいう。
■ 「やまおろし」という言葉があるが、それに似ている。山と風の組み合わせだと、馬鹿にする解説はよくある。
■ 単純すぎる。
■ そんな解説でいいのかね。
■ そんなことに気付く面白さもあり、他に発見することもあるかもしれないのが言葉だ。
■ 「百人秀歌から百人一首を眺める」ということで書き始めた。
■ 百人一首は百人秀歌の並びで見た方が定家の意図が分かりやすいと思ったからだれど、
■ 個々の歌についてとらえようとすると、仮名書き・五十音順で分類された100首はごく基本的には一番いいかもしれない。
■ 作者も省けば、余計なことは考えず「ことば」のみに集中できる。

ひらがな

■ 日本語を学ぶ人は、仮名文字を最初に習うだろう。
■ 仮名文字だけで書かれた和歌は「ことば」を知る基本になる。
■ 文字が読めれば、何度も声に出して、文として読むことができる。
■ 言葉は耳で聞くものだった。目で読むより耳で聞く方が印象に残る。
■ それは、名前でもいえるかもしれない。
■ 池波正太郎の「剣客商売」に出て来る「みふゆ」と比較して、ようこ、ゆうこ、・・・どんな響きが、女剣士の名前として感じられるか、と似ている。
み  mi  きりっととした感じ
ふゆ fuyu ふわっとした感じ
■ 耳で聞くと、意味より先に何かが感じられるかもしれない。
■ ということで、日本語を知らなかった人に、古典を理解する優位性があるかもしれない。
■ 日本語を日常的に使っている日本人の全てが百人一首を知っているわけではなく、日本語を知っていると思っていることが本当に理解しようとするコトの妨げになることもあるだろう。
■ 言葉を純粋に積極的に知ろうとする人が、本当によく知ることになる。
■ 分かち書きにすればより良いかもしれないが、基本、5・7・5・7・7にした。
■ 島津忠夫訳注・新版百人一首では、5・12・14、の一覧表になっている。
■ 「きまり字」の覚えとしてはその方ががいい。
■ 下の句の最初、4句目で、あいうえお順に並べてみると、・・・
■ 上の句と下の句のつながりに何かがあることを発見できるかもしれない。
■ 1句目で並べることのほか、2句目、3句目、4句目、5句目で、5種類の一覧表を作ると、各句索引より便利かもしれない。
■ Excel を使えば容易にできる。
■ 百人一首のように限定的な世界では、使われている言葉はそれ以外にないので、幾つか一覧表的に作ると言葉に対する感覚が違って見えるかもしれない。
■ 頻繁に使われる言葉と「無い」ことばは、分類によって分かりやすくなる。
■ こうして100首並べると、多いようにも感じられる。
■ 百人一首・百人秀歌を、例えば、10首ごとに区切りをつけ、適当に選ぶのがいいかもしれない。
好きな歌
気になる歌
■ など、自分の選択基準のもとに、20 首程度を対象にして鑑賞するのもいいかと思う。
■ 20という量は扱いやすい。
■ 100首全体については、そのあと、じっくり扱えばよい。
■ とにかく、自分にとって「百人一首・百人秀歌」とは何か、だ。

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仮名書き・五十音順


■ 後でもう少し見直すとして、とりあえず、・・・
■ あいうえお ・・・ 「あ」で始まる言葉が多い。
 
001   79   あきかぜに  たなびくくもの  たえまより   もれいづるつきの かげのさやけさ
002     1   あきのたの  かりほのいほの  とまをあらみ  わがころもでは  つゆにぬれつつ
003   52   あけぬれば  くるるものとは  しりながら   なほうらめしき  あさぼらけかな
004   39   あさぢふの  をののしのはら  しのぶれど   あまりてなどか  ひとのこひしき
005   31   あさぼらけ  ありあけのつきと みるまでに   よしののさとに  ふれるしらゆき
006   64   あさぼらけ  うぢのかはぎり  たえだえに   あらはれわたる  せぜのあじろぎ
007     3   あしびきの  やまどりのをの  しだりをの   ながながしよを  ひとりかもねむ
008   78   あはぢしま  かよふちどりの  なくこゑに   いくよねざめぬ  すまのせきもり
009   45   あはれとも  いふべきひとは  おもほえで   みのいたづらに  なりぬべきかな
010   43   あひみての  のちのこころに  くらぶれば   むかしはものを  おもはざりけり
011   44   あふことの  たえてしなくは  なかなかに   ひとをもみをも  うらみざらまし
012   12   あまつかぜ  くものかよひぢ  ふきとぢよ   をとめのすがた  しばしとどめむ
013     7   あまのはら  ふりさけみれば  かすがなる   みかさのやまに  いでしつきかも
014   56   あらざらむ  このよのほかの  おもひでに   いまひとたびの  あふこともがな
015   69   あらしふく  みむろのやまの  もみぢばは   たつたのかはの  にしきなりけり
016   30   ありあけの  つれなくみえし  わかれより   あかつきばかり  うきものはなし
017   58   ありまやま  ゐなのささはら  かぜふけば   いでそよひとを  わすれやはする

018   61   いにしへの  ならのみやこの  やへざくら   けふここのへに  にほひぬるかな
019   21   いまこむと  いひしばかりに  ながつきの   ありあけのつきを まちいでつるかな
020   63   いまはただ  おもひたえなむ  とばかりを   ひとづてならで  いふよしもがな

021   74   うかりける  ひとをはつせの  やまおろしよ  はげしかれとは  いのらぬものを
022   65   うらみわび  ほさぬそでだに  あるものを   こひにくちなむ  なこそをしけれ

023     5   おくやまに  もみぢふみわけ  なくしかの   こゑきくときぞ  あきはかなしき
024   72   おとにきく  たかしのはまの  あだなみは   かけじやそでの  ぬれもこそすれ
025   60   おほえやま  いくののみちの  とほければ   まだふみもみず  あまのはしだて
026   95   おほけなく  うきよのたみに  おほふかな   わがたつそまに  すみぞめのそで
027   82   おもひわび  さてもいのちは  あるものを   うきにたへぬは  なみだなりけり

■ かきこけこ 

028   51   かくとだに  えやはいぶきの  さしもぐさ   さしもしらじな  もゆるおもひを
029     6   かささぎの  わたせるはしに  おくしもの   しろきをみれば  よぞふけにける
030   98   かぜそよぐ  ならのをがはの  ゆふぐれは   みそぎぞなつの  しるしなりける
031   48   かぜをいたみ いはうつなみの  おのれのみ   くだけてものを  おもふころかな

032   15   きみがため  はるののいにでて わかなつむ   わがころもでに  ゆきはふりつつ
033   50   きみがため  をしからざりし  いのちさへ   ながくもがなと  おもひけるかな
034   91   きりぎりす  なくやしもよの  さむしろに   ころもかたしき  ひとりかもねむ

035   29   こころあてに をらばやをらむ  はつしもの   おきまどはせる  しらぎくのはな
036   68   こころにも  あらでうきよに  ながらへば   こひしかるべき  よはのつきかな
037   97   こぬひとを  まつほのうらの  ゆふなぎに   やくやもしほの  みもこがれつつ
038   24   このたびは  ぬさもとりあへず たむけやま   もみぢのにしき  かみのまにまに
039   41   こひすてふ  わがなはまだき  たちにけり   ひとしれずこそ  おもひそめしか
040   10   これやこの  ゆくもかへるも  わかれては   しるもしらぬも  あふさかのせき

■ さしすせそ 

041   70   さびしさに  やどをたちいでて ながむれば   いづこもおなじ  あきのゆふぐれ

042   40   しのぶれど  いろにいでにけり わがこひは   ものやおもふと  ひとのとふまで
043   37   しらつゆに  かぜのふきしく  あきののは   つらぬきとめぬ  たまぞちりける

044   18   すみのえの  きしによるなみ  よるさへや   ゆめのかよひぢ  ひとめよくらむ

045   77   せをはやみ  いはにせかるる  たきがはの   われてもすゑに  あはむとぞおもふ

■ たちつてと 

046   73   たかさごの  をのへのさくら  さきにけり   とやまのかすみ  たたずもあらなむ
047   55   たきのおとは たえてひさしく  なりぬれど   なこそながれて  なほきこえけれ任
048     4       たごのうらに うちいでてみれば しろたへの   ふじのたかねに  ゆきはふりつつ
049   16   たちわかれ  いなばのやまの  みねにおふる  まつとしきかば  いまかへりこむ
050   89   たまのをよ  たえなばたえね  ながらへば   しのぶることの  よわりもぞする
051   34   たれをかも  しるひとにせむ  たかさごの   まつもむかしの  ともならなくに

052   75   ちぎりおきし させもがつゆを  いのちにて   あはれことしの  あきもいぬめり
053   42   ちぎりきな  かたみにそでを  しぼりつつ   すゑのまつやま  なみこさじとは
054   17   ちはやふる  かみよもきかず  たつたがは   からくれなゐに  みづくくるとは

055   23   つきみれば  ちぢにものこそ  かなしけれ   わがみひとつの  あきにはあらねど
056   13   つくばねの  みねよりおつる  みなのがは   こひぞつもりて  ふちとなりぬる

■ なにぬねの 

057   80   ながからむ  ここをもしらず  くろかみの   みだれてけさは  ものをこそおもへ
058   84   ながらへば  またこのごろや  しのばれむ   うしとみしよぞ  いまはこひしき
059   53   なげきつつ  ひとりぬるよの  あくるまは   いかにひさしき  ものとかはしる
060   86   なげけとて  つきやはものを  おもはする   かこちがほなる  わがなみだかな
061   36   なつのよは  まだよひながら  あけぬるを   くものいづこに  つきやどるらむ
062   25   なにしおはば あふさかやまの  さねかづら   ひとにしられで  くるよしもがな
063   88   なにはえの  あしのかりねの  ひとよゆゑ   みをつくしてや  こひわたるべき
064   19   なにはがた  みじかきあしの  ふしのまも   あはでこのよを  すぐしてよとや

■ はひふへほ

065   96   はなさそふ  あらしのにはの  ゆきならで   ふりゆくものは  わがみなりけり
066     9   はなのいろは うつりにけりな  いたづらに   わがみよにふる  ながめせしまに
067     2   はるすぎて  なつきにけらし  しろたへの   ころもほすてふ  あまのかぐやま
068   67   はるのよの  ゆめばかりなる  たまくらに   かひなくたたむ  なこそをしけれ

069   33   ひさかたの  ひかりのどけき  はるのひに   しづごころなく  はなのちるらむ
070   35   ひとはいさ  こころもしらず  ふるさとは   はなぞむかしの  かににほひける
071   99   ひともをし  ひともうらめし  あぢきなく   よをおもふゆゑに ものおもふみは

072   22   ふくからに  あきのくさきの  しをるれば   むべやまかぜを  あらしといふらむ

073   81   ほととぎす  なきつるかたを  ながむれば   ただありあけの  つきぞのこれる

■ まみむめも 

074   49   みかきもり  ゑじのたくひの  よるはもえ   ひるはきえつつ  ものをこそおもへ
075   27   みかのはら  わきてながるる  いづみがは   いつみきとてか  こひしかるらむ
076   90   みせばやな  をじまのあまの  そでだにも   ぬれにぞぬれし  いろはかはらず
077   14   みちのくの  しのぶもぢずり  たれゆゑに   みだれそめにし  われならなくに
078   94   みよしのの  やまのあきかぜ  さよふけて   ふるさとさむく  ころもうつなり

079   87   むらさめの  つゆもまだひぬ  まきのはに   きりたちのぼる  あきのゆふぐれ

080   57   めぐりあひて みしやそれとも  わかぬまに   くもがくれにし  よはのつきかな

081  100     ももしきや  ふるきのきばの  しのぶにも   なほあまりある  むかしなりけり
082   66      もろともに  あはれとおもへ  やまざくら   はなよりほかに  しるひともなし

■ やいゆえよ 

083   59   やすらはで  ねなましものを  さよふけて   かたぶくまでの  つきをみしかな
084   47   やへむぐら  しげれるやどの  さびしきに   ひとこそみえね  あきはきにけり
085   32   やまがはに  かぜのかけたる  しがらみは   ながれもあへぬ  もみぢなりけり
086   28   やまざとは  ふゆぞさびしさ  まさりける   ひとめもくさも  かれぬとおもへば

087   71   ゆふされば  かどたのいなば  おとづれて   あしのまろやに  あきかぜぞふく
088   46   ゆらのとを  わたるふなびと  かぢをたえ   ゆくへもしらぬ  こひのみちかな

089   93   よのなかは  つねにもがもな  なぎさこぐ   あまのをぶねの  つなでかなしも
090   83   よのなかよ  みちこそなけれ  おもひいる   やまのおくにも  しかぞなくなる
091   85   よもすがら  ものおもふころは あけやらで   ねやのひまさへ  つれなかりけり
092   62   よをこめて  とりのそらねは  はかるとも   よにあふさかの  せきはゆるさじ

■ らりるれろ ・・・ なし
■ わいうえを

093     8      わがいほは  みやこのたつみ  しかぞすむ   よをうぢやまと  ひとはいふなり
094   92   わがそでは  しほひにみえぬ  おきのいしの  ひとこそしらね  かわくまもなし
095   38   わすらるる  みをばおもはず  ちかひてし   ひとのいのちの  をしくもあるかな
096   54   わすれじの  ゆくすゑまでは  かたければ   けふをかぎりの  いのちともがな
097   76   わたのはら  こぎいでてみれば ひさかたの   くもゐにまがふ  おきつしらなみ
098   11   わたのはら  やそしまかけて  こぎいでぬと  ひとにはつげよ  あまのつりぶね
099   20   わびぬれば  いまはたおなじ  なにはなる   みをつくしても  あはむとぞおもふ

100   26   をぐらやま  みねのもみぢば  こころあらば  いまひとたびの  みゆきまたなむ

■ 100首並べると、多いようにも感じられる、と先に書いた。
■ どれから始めるか、迷う人もいるかもしれない。
■ 五十音で並べると、一つしかない歌もある。
「さ」 さびしさに
「す」 すみのえの
「せ」 せをはやみ
「ふ」 ふくからに
「ほ」 ほととぎす
「む」 むらさめの
「め」 めぐりあひて
「を」 をぐらやま
■ また、「らりるれろ」の歌はない。
■ 百人一首は定家の選で私が選んだ訳ではない。自分の好みとか自分が取り上げた歌について述べればいいようにも思う。
■ 百人一首については多くの本があり、ただの解説なら、それらを見ればいい。
■ 私がそのまま繰り返しても何の意味もない。
■ 「さ」で始まる歌は、さびしさに、しかない。とりあげてみよう。

さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ  あきのゆふぐれ

■ この歌は表面的には分かりやすい歌だと思う。
■ ただ、解説書を見れば、誰も分かってないのかな、と思う。
■ 内を出て、ぐるっと見回しただけなら、いづこもおなじ、とは言わない。

いづこもおなじ
いつもとおなじ

■ なので、外に出てぐるっと周囲を見回しただけではない。
■ あちこち行って、見て、どこもおなじだ、と感じたに違いない。
■ だから、やどをたちいでて、から、ながむれば、いづこもおなじ、と感じる間には長い時間があったはずだ。
■ この歌を詠んだのは、ゆふぐれ、だ。
■ では、たちいでた、のはいつだったのか、ふつうに考えれば朝だ。
■ 朝に起きて、あちこちに行って、夕方に帰ってきた。
■ と、こんなふうには、解説していない。
■ ということで、この歌は、ほとんど誰も理解してないように思った。
■ 「さびしさに」というコトは、寂しかったので、寂しくないトコロに行ってみようかな、と思いたった。
■ 寂しい所はどこで、寂しくない所はどこなのか。
■ 31文字の短歌は論理的なのだ。
■ 朝起きて帰宅するまで何時間あったのか。
■ 9時に出て、17時に帰って来た、とすると8時間ある。
■ 往復、それぞれ4時間、行った先で何かをしたとすると、約3時間の道のりだと考えられる。
■ この歌の作者は、良暹法師は大原に住んでいた。都の3里北だ。
■ 彼は寂しかったので、(賑やかな)京都の街に出た。

さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ  あきのゆふぐれ
みやこへは さんりのみちの ゆきかえり いずこもおなじ あきのゆうぐれ  遊水

■ 並べ置くと、さびしさに、と言わなくてもよかった。
■ このように、ひとつしかない歌から始めるのもいい。
■ 「わたのはら」で始まる歌は2首ある。「あさぼらけ」や「きみがため」も2首ある。「君がため」は意味的に問題はない。
  • わたのはら、とは何か
■ これについては以前書いたが、この言葉自体が意味深い。
  • わたつみ わだつみ
わたつうみの波の花をばとりつとも人の心をいかが頼まむ  紀貫之
わたつ海の波の花をは染かねて八十島遠く雲そしくるる  後鳥羽院

■ 日本語の起源を調べてゆくと、古代韓国語は、日本から渡っていったことが分かる。
■ そして、例えば、「海」は、その名残で、今でも使用している。

水 湖 
mizu  mizu-umi  umi

海原
una-bara
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
海  바다 
umi  bada
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
南コリアの人間に、una bara を発音させてみると分かるだろう。
bara ではなく、bada に近い発音になる。
そして、逆に、日本語として発音すると、・・・

bada → wada

和田の原
wada-no-hara

または
わたのはら
wata-no-hara
ex. わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりふね

わだつみ
わだつうみ
wada-tu-umi
ex. 聞け、わだつみの声
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
umi

海原  草原
原は広い場所をさす

■ わたのはら、とか、わだつみ、ということばを海として使うのは語呂のよさもあるだろうけれど、異国への憧れ的なこころでもあろう。
  • わたつ海のおきにこがるる物見ればあまの釣りしてかへるなりけり 清少納言
  • はるかなる唐土までも行くものは秋の寝覚の心なりけり  大弐三位
  • はるかなるParisまでも行くものは秋の寝覚の心なりけり  遊水
■ この歌の「もろこし」と似た感じだ。
■ 次に、「わたつみ」の例を幾つかとりあげた。

袖ぬれて海人の刈りほすわたつうみのみるをあふにてやまむとする 伊勢物語
草も木も色変はれどもわたつ海の浪の花にぞ秋なかりける 文屋康秀古今和歌集・秋下

源実朝、番号は、岩波文庫「金槐和歌集」による。
225 和田の原八重の塩路にとぶ雁の翔のなみに秋風ぞふく
263 ながめやる心もたへぬ和田の原八重の塩路の秋のゆうぐれ
482 わたつみに流れ出たるしかま川しかもたえずや戀わたりなむ
641 わたつ海の中に向ひていずる湯のいづのお山とむべもいひけり
690 春秋はかはりゆくともわたつ海のなかなる島の松も久しき

和田津海の沖に火もゆる火の国に われあり誰ぞやおもわれ人は  柳原白蓮

■ この歌の碑は、近くの公園・千里南公園の梅林の南端にあるので取り上げた。
■ ・・・
■ 「百人一首」は「あきのたの」から始まり「ももしきや」で終わるが、この順に読まなければならないわけではない。好きなところを読めばいい。五十音に並んでいるのをみると、「あ」で始まるものが多い。17首もある。どれを取り上げようかと迷うが、ひとつしかなければ、悩むこともない、として、 先に、「さ」の歌を取り上げた。

これやこの 逢坂の関

■ 「さびしさに」の一つ上に「これやこの」がある。
■ この歌に入る前に、楽譜のことが思い浮かんだ。
■ Da capo、とか、Dal segno、などだ。
■ というのも、繰り返し、何度も書いたからだ。
■ そして、まだ、自動翻訳などできないな、と思う。
④ --------------------------------------------------

ゆくも・かえるも
しるも・しらぬも

■ これが特徴で、こんな感じの歌は他にない。

これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき

■ 「逢坂の関」はいつ頃からあるか、また、なぜ「逢坂」と呼ばれているかは知らないが、おそらく、誰かが調べていることだろう。
■ 古くからあった関所で、紫式部も「源氏物語」第十六帖・関屋、にも取り入れられていて、よく知られていたと思われる。

逢坂の関やいかなる関なればしげき嘆きの中を分くらん  空蝉
行くと来とせきとめがたきなみだをや絶えぬ清水と人は見るらむ  空蝉

■ ここでは「行くと来と」としている。
■ 私は「くるもかえるも」とした。

ゆくもかへるも
くるもかえるも

しるもしらぬも
おいもわかきも

わかれては
つどいては

わかれては しるもしらぬも
にほんごを しるもしらぬも

■ この歌は、色々変化をつけられてオモシロイ。
  • これやこの くるもかえるも つどいては しるもしらぬも ハチ公の前  遊水
■ 訪日客を意識して作ったので、来るも帰るも、とした。
■ 忠犬「ハチ公」は、今や、世界的に有名だ。
■ こんなことを考えながら読むと、百人一首のオモシロサが倍増する。
■ しかし、次のような google 翻訳でも分かるように、この短歌では理解できないようだ。


■ 見ず知らぬ人でも出会う、ということで「互いに知っている人」でも「知らない仲」でも人々は出会う場所だ、という意味には受け取れないようだ。
■ 英語はよく知らないが、感じとしては

This is it
 this is the place 
「この」は「ハチ公の前」という場所を示す

coming and going
coming or going 
来る人も、帰る人も

gathering together
gathering there 
この場所に集まる

whether we know it or not
everybody 
誰もがみんな

■ ついでに、源氏物語に挑戦してみようという人もいるかもしれない。
■ 長い物語だが、一から全部読まなければならないではない。
■ 適当に面白そうなところを読めばいいのだ。
fine
① --------------------------------------------------
■ 以前も google 翻訳したような気がしてふりかえってみた。以下だ。
■ 本歌取りとして、どの言葉を取り上げるか
これやこの
しるもしらぬも
■ この二つ、これは、いろいろ詠みこむことができるのではないか。
■ 先にも上げたが、もう少し自由に書いてみよう。
  • これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも 居酒屋の席  遊水
■ 同音異義語として、・・・
■ としたが、もちろん、これにこだわることはない。
■ そうすることにより、広がりも出るだろう。
■ 例えば、
  • これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも 東京の街  遊水
■ こうすることにより、蝉丸の世界から別の世界に移ることもできるだろう。
■ 日本に観光で来る人も増えたようだ。
■ そんな光景を動画で見ると、こんな歌もできた、ということだ。
■ ここで google 翻訳してみた。


■ 自動翻訳はまだまだ、だ。
■ 英語をよく知る人は、詩として洗練されたものにもできるだろう。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 蝉丸の「これやこの」は「逢坂の関」を指していて、同様に、ここでは「東京の街」を指している
■ また、「知るも知らぬも」は、お互いに知らない、初めての人であったとしても、という意味だ。
■ こんなことを書いていた。
② --------------------------------------------------
■ そして、また、次のように書いた。
■ 最後の「東京の街」の部分だが、最初、新宿より渋谷がいいかな、と思っていたが、うまくまとまらなかったのを思い出した。
■ そこで、もうひとつ

これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも 東京の街
これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも ハチ公の前  遊水

■ これだと、訪日客にも伝わるような気がした。

意識して 春夏秋冬 四句八句 できも不出来も 書き留めてゆく  遊水
これやこの カルタ遊びの 百人首 知るも知らぬも 競い合う席

■ 百人一首を素に本歌取り的に短歌を作るのも勉強になる。
■ 百人一首がわかるようにするためには、初句をそのまま使うのがいいかも。
■ これだと、訪日客にも伝わるような気がした。と書いたが
■ 言葉の壁は厚い。互いに理解できる、と思わない方がいいのかもしれない。
③ --------------------------------------------------
■ 2024-08-26
■ 昔から、関所は幾つもあり、国の安定・安全のため、国境の出入り口で、武器や情報の出入りを監視していた。
■ 入り鉄砲、出女だ。
■ 今でも基本的考え方は、原則変わらないはずだけれど、現実はどうか。
■ それはさておき、
■ 逢坂の関という名前の由来を知るべきなんだろうが、・・・
■ 蝉丸の歌に限ってみれば、出会いの門とするのがいいのかもしれない。
  1. この場所が
  2. 出てゆく人も
  3. 帰ってくる人も
  4. たとえ別れても
  5. 知っている人もいるし
  6. 知らない人もいるけれど
  7. 再び出会う
  8. 関所なんだ
■ ちょっと google 翻訳してみよう。


■ 最後の「関所なんだ」の所を welcome port とか、単に airport としてもいいのかも。
■ 「逢う」はロマンチックな意味合いで使われることが多い。
■ と、記す辞書もある。
■ 特別な場所なんだ、とか、・・・
  • 愛の関所、love checkpoint とか、・・・
■ まあ、そんなことを考えながら。
Da capo --------------------------------------------------
■ 旅に出る人を「見送る」別れのとき、旅から帰ってくる人を「出迎える」再会のとき、
■ もちろん、普通に、出て行く人、帰って来る人、行き交い、顔を合わせる。
■ 多様な出会いがあり、それが、人生での出逢いになるかもしれない。

これが 逢坂の関

■ そんな感じで読んでいるけれど、google 翻訳では、うまく翻訳されない。
■ 仮名書きによる和歌、どれだけ理解されるだろうか、と危惧しないわけではない。
■ また、そのうちだ。
■ 追記、今昔物語を見ていると巻第二十四・第二十三・源博雅朝臣会坂の盲の許に行きたるの語、に次の二つの歌があった。1. は和漢朗詠集・下・述懐や新古今和歌集十八・雑下などにもあるようだ。2. は続古今集・十八・雑中。
  1. 世の中はとてもかくてもすごしてむ みやもわらやもはてしなければ  蝉丸
  2. あふさかのせきのあらしのはげしきに しゐてぞゐたるよをすごすとて
■ ついでながら、琵琶に流泉・啄木と云う曲有。ということで一応聞いてみた。
■ 源博雅はこれを聞きたくて三年通ったなどと書かれている。
■ さて、 

百人一首、の他に、
百人秀歌、がある。

■ ほぼ同じだが、全く同じではないので、ふたつとも存在している。
■ 細かい違いはいくつかあるが、まず大きなところから始める。
■ 百人一首には、百人秀歌にはない、後鳥羽院・親子の歌がある。
■ 百人秀歌では、源俊頼の歌が百人一首と異なる。

百人秀歌  山桜咲きそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸  源俊頼
百人一首  憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを  源俊頼

■ 後鳥羽院は、俊頼の歌の姿を
  1. うるわしくやさしき様、の歌
  2. もみもみと、人は詠みおほせぬやうな姿、の歌があるとしている。
■ 定家も、「近代秀歌」にあるように、同調している。
  • これは心ふかくことば心まかせて、まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり
■ 千載和歌集 巻第十二、恋歌二、を見ると、
■ 詞書があり
祈れどもあはざる恋といえる心をよめる
■ としている。
■ 恋の歌が色々ある中で、この歌は他と違う表現であることが分かる。
■ 後鳥羽院や定家はその違いを見てとって評価した。その時点での評価を、正しく把握しているだろうか。現在の見方で評価し直すことも必要かもしれない。
■ 小説家の田辺聖子が
分かりにくい歌である。
現代からみると、こういう歌の、どこに値打ちがあるのか、よく分からない。
■ としている。
■ 面白い小説を書く彼女の評価は直感的な正しさを含んでいるようにもみえる。
■ だいたい、
  • 誰でも、「はげしかれとは祈らぬ」ものなので、そう祈るはずはない。
■ なので、
■ 私が詠むとすれば、次の歌だ。並べ置いてみよう。

うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを 俊頼
いのれども かぜのはげしき はつせやま かんのんさまの こころとどかず  遊水

■ こんな感じでもいいだろう。
■ 間接的だが、素直に心を伝えることができるだろう。
■ 頭で、もみもみ、こねこね、ねりねり、しないで、だだ、心のままに書けばよい。
■ ただ、なぜ後鳥羽院は「もみもみ」とした歌だと考えたのか。
■ 一般に、百人秀歌のあとに百人一首が作られたとされている。
■ 仮に、百人秀歌の方が先に作られていたとしたら、なぜ、最初から「憂かりける」を取り上げなかったのか。
■ 「まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり」ではなかったのか。
■ 後鳥羽院口伝に「うるわしくやさしき様」の歌としては「やまざくら」ではなく「うづらなく」だった。
■ 百人秀歌から百人一首に替えたとしたとき、「山桜」から「憂かりける」にする理由があるだろうか、ないようだ。

俊頼堪能のもの也。歌すがた二樣によめり。うるはしくやさしき樣もことにおほくみゆ。又もみもみと人はえよみおほせぬ樣なる姿もあり。此一樣則定家卿か庶幾するすがた也。うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとはいのらぬものを此すがたなり。又うづらなくまのゝ入江のはま風におばななみよる秋のゆふぐれ、うるはしき姿也。

■ 後鳥羽院・親子の歌を外した時、「憂かりける」の歌も、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に外し、「山桜」の歌にしたといえそうだ、というか、「定家卿か庶幾するすがた」とされるのが気に入らなかったのだろう。
■ 定家は後鳥羽院の「もみもみ」という評価に最初同調したが、考え直したと考えられないか。
■ 定家の心理だ。これなら論理的だ。
■ しかし、逆にも考えられる。これは後で記すが、・・・
■ 要するに、百人一首が先で百人秀歌が後に作られた。
■ こう考えたとき、他の、理由が存在することに気付く。
■ 百人一首と百人秀歌の違いを細かく見てゆくと分かってくるだろう。
■ ほとんど同じ歌なので、歌の並びなどで、より定家の考え方が分かるだろうし、
■ 当然のことながら、違っているところに注目するべきだろう。
■ 100首の歌集であるためには、2首外したら、2首追加しなければならない。
■ 2首追加するために2首外した、とするならば、どれを外すか考えなければならない。
■ 100首に限定すると、百人秀歌の100首内に無い歌として、百人一首の96番の「花さそふ」の歌があり、101番に、いわば番外として、置かれている。
■ 番外にすることで、百人秀歌では3首追加できた。
■ 百首という形としては、百人一首、と、百人秀歌、で、次の3首が異なっている。

異なる3首

(099) 人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は  後鳥羽院  
(100) 百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり      順徳院
(096) 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり      西園寺公経

053  夜もすから契りしことを忘れすは 恋ひん涙の色そゆかしき     藤原定子
073  春日野の下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪      権中納言国信
090  紀の国の由良の岬に拾うてふ たまさかにだに遭ひみてしがな    権中納言長方

■ 新古今集をまとめた後、定家自身
  • 「ふりゆくものはわが身なりけり」
■ という思いで、「嵐の庭の雪」という何か変な言葉遣いにもかかわらず、上の句にこだわることもなかったのだろう。
■ 3つの歌を、百人一首から外した時、百人秀歌が定家自身の歌集となったといえる。
■ 逆に、通説のように、百人秀歌が先にあり、3首外し、しかも、「花さそふ」を100首内に組み込んだとするのは、いかにも不自然だ。
■ 百人一首の、96、99、100、を外して、百人秀歌の、53、73、90、を追加した、とする方が分かりやすい。
■ 追加もばらばらの位置になっている。
■ 逆に、53と73と90、を外す理由は何か、他の歌を外してもよかったのではないか。
■ 他の歌より、これらが劣っていたのか。
■ そこで、53と73と90の、関連性は何かを問題にすることになるかもしれない。
■ とにかく、番外とした西園寺公経の「花さそふ」を100首に組み込む意味があるのか分からない。
■ ついでながら、「花さそふ」の歌としては、西園寺公経の歌より、宮内卿の歌の方が格段に優れている。

花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで  宮内卿
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり   西園寺公経
吹く風に庭の桜の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり   遊水 

■ 嵐でなく、あっさり、「吹く風に」でもよかったように思う。
■ 「花さそふ」という言葉を使いたかったのかもしれないが、「花吹雪」つまり「桜の雪」だろうけれど、「嵐の庭の雪ならで」は言葉遣いとしては不自然で駄作といわざるえない。
■ ところで、宮内卿の歌はうまいけれど、素人的には次の歌でもいいかもしれない。

花誘う比叡おろしに桜花 漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで   遊水
その上を歩いて見たくなるほどに水面にうかぶ桜なるかな  遊水

■ さて、
■ もう一度、「うかりける」に戻ろう。
  • 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
■ 最初、この歌を詠んだとき、「初瀬」「長谷」「大泊瀬幼武 おおはつせわかたけ」のことが頭に浮かんだ。
■ 万葉集の最初の歌の男だ。
■ 名前を知らなければ、今でも知り合ったことにはならないが、
■ お前の名前は何だ、俺は大和の国を平らげた者で俺から名乗ってやる、などと相手の女を強引に得ようとする歌だ。
■ 以前、次のようなことを書いた。
■ 一文字変えてみた。

うかりける ひとをはつせの やまおろしよ
うかりける ひとははつせの やまおろしよ

■ このようにすると、次のようにも考えられる。
「憂かりける人」は「初瀬の山おろし」のような人で
激しい気性の人だ。
■ 国を治める立場の人は立派で穏やかな人であってほしいと民は願う。
  • 激しかれとは祈らない
■ しかし、長い歴史上には、必ずしも、望ましい人ばかりではなかった。
■ そうした古い歴史を思い浮かべながら、
■ 身近な実らぬ恋と、重ね合わせることもできるような歌だともいえる。
  • ワカタケル かれははつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを
■ のちに雄略天皇と呼ばれるワカタケル、ワカは未熟を意味する、猛々しい者だった。
■ 日本書紀に、こんな記述がある。
「日頃から乱暴で恐い。にわかに機嫌が悪くなると、朝にお目にかかった者でも夕方にはもう殺され、夕にお目にかかったものでも翌朝には殺されます」
■ あるいは、性的不能を隠すためだったかもしれないが、恐れられていた。
■ 初瀬観音というのがあるそうな、・・・
■ 長谷寺には行ったことがあるが、その時は何も考えてなかった。
■ 観音像が設置されるのは、人が「優しさ」や「慈しみ」を願い求めるからだ。
■ 幸せならば、神や仏に願いすがることなどない。
■ 逆に言えば、厳しい現実の世の中だったことを意味する。
■ 菅原道真を祭るのも祟りを恐れてのことという側面がある。
■ 同様だ。
■ 長谷寺は、源氏物語でも、九州から都に戻った夕顔の娘・玉鬘が行った寺だった。
■ 要するに、昔から、有名な寺だった。
■ なぜ有名だったのか、そして、長谷寺はなぜあの場所に建てられたのだろうか。
■ そんなことをぼんやり考えていたら、ワカタケルに思い至った。
■ 思い過ぎかもしれないが、普通なら、はげしかれとは祈らぬものだから、俊頼の歌心に疑問が生じたのだ。
  1. 西園寺公経の歌を番外にした。
  2. 俊頼の歌を入れ替えた。
■ この二つが、百人秀歌が後に作られたとする証拠だ、といえるだろう。
■ 後で書くが、他にもある。並びを見ていると気づく。
■ 個々の歌を読む場合どちらでもいい。むしろ作者名はかえって鑑賞の邪魔になるともいえるが、
■ 百人秀歌が後にできたとすると、後鳥羽院がないので、淋しい。
■ やはり彼の歌にも触れるべきものだろう。
■ というのも、最初は、百人一首は最後から読んだ方がいいような気がしていた。
■ 一番いいのは、だいたい、最後に置くと思ったからだ、
■ しかし、最後は「ももしきや」で、「百」があり、それゆえに、百人一首としては、これを最後にするのがよい。それにしても、後鳥羽院は定家にしてみれば、恩義があることだし、無視するわけにはゆかず、99番に配置したのかもしれない、などと思い、では、後鳥羽院のこの歌が最後で本当にいいのかと考えた。
■ そんな経過で「ひともをし」が気になっていた。
■ そして、ある時、自分自身のことも絡めて、次の歌にした。
  • 人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は   後鳥羽院
  • あの頃の 愛と妬みと 裏切りの 世を思う故 もの思う身は  遊水
■ 1234年5月13日、73歳の日記「明月記」に後鳥羽・順徳院の環京運動が記載されているようだが、環京運動は九条道家や摂政教実らによって行われたようで、定家が直接行動を起こしたわけではないようだ。そして鎌倉に拒否されている。
■ 後鳥羽院には他にもいい歌がありそうだが、定家はどのような意識でこの歌を選んだのか、それぞれの年齢を考え、当時の歌の世界では頂点に立つ定家と、罪人として島流しにある者、であることを考えれば、定家が関係を断ち切ったとして不思議ではない。
■ 家隆は、隠岐にも行ったようだが、定家は、冷静だったようだ。当然だろう。
  • 鎌倉と 戦し破れ 流刑地の 隠岐の島なる 天の高さよ  遊水
■ 心をを寄せるべくもないのだ。
■ 後鳥羽院の歌は後の時代の人が付け加えたという説もあるようだが、
■ 定家自身が外したとするのが論理的だ。
■ 前書きの前が長すぎた。