百人一首に遊ぶ 001~050

藤原公任編集・和漢朗詠集
■ 後で、↑


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■ 2024-08-31
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■ 2023-07-02
■ 2023-06-28
■ 2023-06-17、18、19、20、22、24
■ 2023-09-26
  • 001 
  • みよしのの よしののやまの やまざくら さくらふぶきと なりにけるかな  遊水

■ 小倉・百人一首は、天智天皇から始まる。
天智天皇
天武天皇
■ 「天」という文字がつく天皇は他になく、・・・
■ 「智」と「武」の面で、混乱の時代での存在がそののち評価されたということだろう。
■ 選者・藤原定家が、時代をさかのぼって、
■ 中臣鎌足が天智天皇から賜った「藤原」姓をどれほど重視したかは知らない。
■ ここでは、天皇を意識したり重要視することもなく、最初は春の歌にした。
  • よしの・吉野山・山桜・桜吹雪
■ 尻取り遊び的で、ほとんど無内容といってもいいほどの歌だが、・・
■ 吉野は桜の名所
  • 下千本・中千本・上千本・奥千本
■ 歌は、何度も口ずさみ、歌の心や光景を頭に描くことが大切だ。
■ 和歌の、5・7・5・7・7、という形式は、万人が容易に使える言語媒体であり、
■ それぞれの思いを伝え、また、記憶しやすい。
■ 例えば、文書をA4一枚にまとめる、と共通すると考えてもいい。
■ ともあれ、初めの歌は、難しい意味の歌でないほうがよいように思う。
■ 次、夏だ。
  • 002 
  • 民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に白く 夏は来にけり  遊水
  • 春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山 // 持統天皇 万葉集
  • After spring
    Summer is coming.
    Drying white clothes
    Amanokaguyama

■ 天智天皇の歌は「秋の田の・・・」だった。
■ いつの世も治めるためには食料の安定供給が不可欠であり、稲作について詠っている。
■ そして、米作りには水が欠かせない。
■ 即ち、・・・日照りの時は涙を流し寒さの夏はおろおろ歩かなくてすむように
■ 天の恵み・水の重要性は昔も今も変わらない。
■ 天之香來山の「天」は Ama ではなく、
■ 古事記では「アメ」と発音される字、阿米能迦具夜麻が当てられていることから、
  • あめの香来山、で雨を意味する。
■ 天智天皇の娘・持統天皇は、雨乞いの儀式を行う立場にあったと思う。
■ 「天の」香りが来る山、という意味から「天の香来山」だったものが
■ 香だから嗅ぐということになったような気がする。

天の・かくやま  kaku yama
天の・かぐやま  kagu yama

■ 地名とか物の名とかは古ければごく単純にというか純粋に具体的な特性を意味している。
■ では「香」とは何か、
■ 山だから植物も考えられ、
■ 日本書紀を見ると、天香具山には榊がたくさん生えていたようで、

■ 天照大神が岩戸に隠れたときこの木が使われた。

  • 忌部遠祖太玉命掘天香山之五百箇眞坂
■ これが「香具山」の由来だったと思われる。

■ 天香久山のマサカキを根っこから堀りとって、ということは現実味がある。

  • 天の香久山にはサカキが生えていた。

■ これはそのまま受け取ってもいいように思う。

■ また、白妙は古くから「万葉には多く白栲と書けり」とあり、
■ 栲は楮の古名で繊維を衣服にする。
■ 染料がなければ布は染められない。
■ 染料は庶民の手には届かない。
■ 即ち、白ということで、染色していない庶民の衣服であることが分かる。
■ 持統天皇という女性の細やかな視線が衣服や洗濯という庶民の営みに向けられていて
■ いい歌だと思われる。
・・・
■ 2024-07-15
■ 元の歌からはなれ、
  • はつなつの 風わたりゆく 国原に 天のめぐみよ 雨の香来山   遊水
■ 「雨の香来山」を詠む歌として、改めて作ってみた。

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はつなつの 風わたりゆく 国原に 天のめぐみよ 雨の香来山   遊水


  • 003 
  • さざ浪や志賀の都はあれにしを昔ながらの山櫻かな  忠度

■ 天智天皇の志賀の都、大津京は滅びているので、時代は離れているが、この歌に注目したい。
■ 定家の父・俊成が「そののち世静まって」「今更思ひ出でて哀れなりけり」と千載集に入れた、平家物語の一節を再読するにつけても、京の都の滅びと併せて記憶に残る。
■ ついでながら、丸谷才一は平忠度のこの歌は「さざなみ」でなく「ささなみ」として書いている。これについてはまたどこかに書くかもしれない。
■ 藤原俊成はこの歌を千載集に「読人しらず」として入れたが、これに関して丸谷才一は、歌道に不熱心だった後白河院がなぜ俊成を早朝に呼びつけ千載集を編纂させたのか、それは祟りを鎮めるためだったろうと推測している。
■ 千載集は手元にない。誰の歌が取り上げられているのか調べてみるのもいいだろう。
  1. 昔ながら
  2. 長等山
■ と、さりげない掛詞も好感を呼ぶ。
■ 小倉百人一首では、3番目は柿本人丸の歌、
  • ながながしよを ひとりかもねん
■ やまどりの独り寝の習性はよく知られていたので、この歌がある。
■ 野鳥は身の安全のため雌雄が分かれて寝るが、山鳥に限らない。
■ 定家がこの歌を選んだの・・・
■ この「百人一首に遊ぶ」では99番、100番にあげたように定家が一番であることを示したが、
■ それでもなお、その時の老齢の定家としては、淋しさが残ったということだ。
■ 柿本人麻呂は天智天皇より後、天武天皇の頃の人だった。
  • 004
  • いにしえの みやこのあとは いずこなる ただみずとりの なみにむれなく  遊水
  • あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ 人麻呂

■ この歌は「淡海乃海 夕浪千鳥」とある。
  • チドリ科の鳥は足に水掻きがない
■ 波に浮かないので、「千鳥」が多くの鳥の意味であることが分かる。
■ 波に浮くのは、カモ科の鳥たちだ。
■ 琵琶湖も夜になるとその鳴き声がうるさいほどだ。
■ その騒々しさ故、滅びた都市のにぎやかさがよみがえり寂しさがつのるのだ。
■ さて、・・・
■ 皇位継承の争いで、
天智天皇の弟、大海人皇子が
天智天皇の子、大友皇子に勝ち
■ 天武天皇となった。
■ この争いが壬申の乱と呼ばれ、この時、志賀の都は焼け亡びた。
■ この戦のありさまは日本書紀に多く記されている。

■ 万葉集に様々な植物や動物が歌われているて、馬も出てくるが、

■ 日本書紀 巻第二十九、天武天皇、に



婦女乗馬 如男夫 其起干是日也
天智天皇の記述にも
又多置牧而放馬


■ とあり、いわゆる万葉の頃は

■ 馬はたくさんいて、移動手段として、馬がよく使われたと思われる。

■ このことを頭に入れて、山辺赤人の歌は読むがいい。
  • 005 
  • みぎわまで こまうちかけて みかえれば ふじはましろに たちにけるかな  遊水
  • 田兒之浦從 打出而見者 眞白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留   山部赤人

■ 山部赤人が田子の浦から青い駿河の海を目指して馬に鞭を打って水際まで駆けて行き、
■ 馬上で振り返ったとき、真っ青な空に、真っ白に雪を頂いた富士山が見えた。
■ この動的な感動が読み取れる。

打ち・出でて
漕ぎ・出でて
立ち・出でて
わき・いでて

■ これらの複合動詞は、今、必ずしも理解されてないようだが、例えば、
  • 千鳥鳴く 佐保の 河門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通わん  大友家持
■ こんな歌にも「馬うち渡し」即ち、馬に鞭打つ、が詠まれている。
■ 車社会の現代では馬の存在は意識の外になっていると思われる。
■ 西部劇では騎兵隊・horse soldier はなじみであろう。
■ 南京に整然と日本軍が入城する記録映画もある。
■ 昔から馬は特に道が整備されてないところでは重要な移動手段だった。
■ 古い映画を持ち出さなくても「ホース・ソルジャー」という映画も作られている。
■ まあ、ギャンブルとしての競馬の存続はあながち無駄とは言えない。
■ 付記

たちまわる
たちならぶ
たちすくむ
・・・ 
  • 006 
  • うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば  遊水
  • うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば  家持

■ 人は親を選ぶことも、時代を選ぶこともできない。
■ 社会とどうかかわるかは、その人の資質とか意欲などによるが、一人でコトをなすことは一般にはむずかしい。
■ 倭建命が九州・熊襲の征伐後、東の国に派遣され、古事記などでは討伐したように書かれているが、伊吹山で死んでいる。
■ のちのちの征東将軍や征夷大将軍という名称は関東・東北の勢力圏の存在を意味している。
■ 大伴家持は征東将軍時に陸奥国で没した。
■ 不安定な時代の政争に巻き込まれ、社会的には不遇であったといえる。
■ いつの世も、時代背景があり、人がいる。
■ しかし、地球は自転・公転し時は移ってゆく、めぐりくる四季の移ろいの中、自然を感じる感性があった。

和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敝可母
我がやどのい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも  家持

■ こうした歌の記録があることに今との共通性を感じ、・・・

うららかな みそらにひばり

■ と、昭和の歌手の名前、美空ひばり、を詠みこんでみた。
  • いにしえの うたよみおれば おもわるる ときはうつれど ひとはかわらず  遊水
■ 聖徳太子が国書に「日出処天子到書日没処天子無恙云」と書いた小野妹子の遣隋使。
■ その後も「日本」は遣唐使として唐の国に人をやり大陸の国と交流していた。
■ 大伴家持とほぼ同じ天武天皇の頃、阿倍仲麻呂は大陸に渡った。
■ 仲麻呂がかの地で活躍したのは玄宗皇帝、楊貴妃の時代だ。
■ 帰国しようとしたが難破してかなわなかった。そのころ詠んだ歌が伝えられている。
  • 007 
  • 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも  安倍仲麻呂
  • 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見 // 柿本人麻呂


■ ・・・
  • ふり・さけ・みれば
■ こうした言葉遣いに、日本語への思いが深まる。
 別れに際した、李白や王維のの詩がある。

  哭晁卿衡 李白
日本晁卿辞帝都
征帆一片繞蓬壷
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

  送秘書晁監還日本 王維
積水不可極 安知滄海東
九州何處遠 萬里若乘空
向國惟看日 歸帆但信風
鰲身映天黑 魚眼射波紅
郷國扶桑外 主人孤島中
別離方異域 音信若爲通

■ これらの詩に見られるように、唐の国では「日本」として知られていた。
■ 安倍仲麻呂は難破し、ベトナムの方に流されたが、僧・鑑真は日本にたどり着いた。
■ その際に失明した。
■ のちに松尾芭蕉が、若葉して御目の雫ぬぐはばや、との発句でよく知られている。
■ 吉備真備、僧・玄昉は無事帰国した。
■ 社会政治情勢、権力争いの歴史などたどりたくないが、
■ 大雑把に、奈良の大仏・廬舎那仏を建立した聖武天皇の時代だ。
■ 聖徳太子以降仏教が治世に使われた。
  • あらそいの あとのみたまを しずめんと ならにはおおき ほとけなるなか  遊水
■ 目に見える形でなく、言葉・ことのは・歌が人の心をおさめているように思われる。
  • 008 
  • 青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有  小野老
  • あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり  小野老

■ 「青丹」と色彩的に奈良の都を表現している。
■ この色は建物の色だが、それは仏教・寺の色ではないだろう。
■ どちらかと言えば鳥居など神社の色だと思われる。
■ 現在、寺と神社、この二つと人はどう付き合っているのか、・・・

葬式・寺
結婚・神社

■ 心とか意識の底流にある宗教観は一応頭に入れておいた方がいいだろう。 
■ 万葉の時代、多くの歌があるが、笠金村も志貴皇子とともに記憶したい。
  • 高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに  笠金村
  • 石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも  志貴皇子
■ 藤原定家は、万葉の次に古今和歌集の人々を取り上げた。
■ 小野小町の生没年はわからないようだが、社会情勢は不安定だったと思われる。

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  • 009 
  • しるべなき うみにわがふね かぢをなみ しおのながれに みをまかせつつ  遊水
  • 海人のすむ 浦こぐ舟の かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき  小野小町

■ 現代では、過去の多くの書物や国外の書物、そして、インターネットを介して得られる情報はあふれている。
■ ありすぎ選択に困り、結局選択できず、目についた人の情報に頼るのか。
■ また、容易に得られる方に眼がゆくのは避けられない。
■ 紙に書かれた文字は読まれない傾向にあるのかもしれない。
■ 小野小町の頃の、過去あるいは当時の情報は現在と比較すると格段に限られている。
■ 従って、より深く読んだことだろう。
■ 万葉集は読んでいたと思われる。
  • たわやめの おもひたわみて たもとほり あれはぞこふる ふなかぢをなみ 笠金村
■ 「かじをなみ」という言葉が使われている。

海人のすむ 浦こぐ舟の かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき
伊勢の海 浦漕ぐ舟の 梶を無み 世を倦み渡る 我ぞ悲しき   遊水

■ 「海人のすむ」とあるのはいかにも、みやこ人的感じがするので、「伊勢の海」に替えてみた。
■ 個人生活は政治・社会及び人的環境の中にあり、当然人間関係の悩みもあったろう。
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 和漢朗詠集の撰者・藤原公任はこの歌を代表作としていたようだが、同感だ。
■ この歌は今の世でも通じ、人の心変わりに気づかなかったり、あるいはまた、・・・
■ ああ、あの人はもう私のことなど思ってもないのか、と気づいたりする。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  小町
■ 定家は「はなのいろ」の花を桜ととったようだが、固定観念のように思われる。

いにしえの やまとごころよ はるのひに 色は変わらず 散る桜かな  遊水
紫陽花の 色移りゆく 長雨に 小野小町の 昔も今も  遊水

■ 書き残された、文字を介して、我々は昔の人の心を知ることになる。
  1. 木がらしの風にも散らで人知れず 憂き言の葉のつもる頃かな〔新古1802〕
  2. はかなしや我が身の果てよ浅みどり 野辺にたなびく霞と思へば〔新古758〕
  3. うたたねに恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき(古今553)
■ 丸谷才一は新々百人一首で「うたたねに」の歌を取り上げている。
  • 年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな  紫式部
■ 紫式部は小野小町より100年ほど後の人だが、小野小町と同様な知性が感じられる。
■ 比較してみるといい。
  • 010 
  • これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関  蝉丸



■ このあたりについては、また後で整理しよう。
  • 011 
  • 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見  万葉集
  • あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ  万葉集

■ 万葉集に、こうした歌が詠まれているのを知ると、ほっとした感じになる。
■ 人の世を離れた宇宙に目を向けた歌を選ぶ感覚がある。
■ 夏山の山頂で夜空を見上げた時の満天の星を思い出す。
■ 小倉・百人一首で11番目の歌は
  • わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣舟  小野篁
■ この歌だった。嵯峨天皇のときの遣唐副使に選ばれたが、自分の乗る船を、破損した大使の船と交換させられたことに怒って仮病を使い、また帝に対して忌はばかる言葉のある詩を作ったため、逆鱗にふれ死罪。一等許されて遠流になったときの歌だと。
■ しかし、若いころ、白楽天の七言律詩の4節めの「空望」をわざと「遥望」と変えて、どうだ、と試されたとき「空望」の方がよいと答えたことなど才があり、またへつらわない性質の人だったので、翌年許されたのだそうな

  白楽天「春江」
炎涼昏曉苦推遷
不覺忠州已二年
閉閣只聽朝暮鼓
上樓空望往來船
・・・
■  この歌の「わたの原」は、以前も書いたが、もともとは
  • 「うなばら」・「ばら」・「ばだ」・「わだ」・「わた」
■ と変化したものと思われる。↓、ここに詳しく書いた。
■ 即ち、日本語の「海原」が半島に伝わり、広いという意味の「原」が海・「바다・bada」となり、さらに、逆流し、日本に伝わり「わだつ海」となったものと考えられる。
■ 和歌などにも
  • わだつみ・・・和田海
  • わたつみ
■ として用いられている。
■ 76番 和田の原こぎいでてみれは久堅のくもいにまがふ奥津白波  藤原忠通
■ あまりいい歌とは思えない。
■ ただ頭で作ったような歌だ。
■ しかし、わだつみ、とか、わたつみ、こうした古い言葉をみると、古い時代に往来が断続的にあったことがわかる。
■ 日本書記にも、半島や大陸との行き来に関する記述が多くみられる。
■ 蛇足ながら、
■ 現在では、上海・Shanhai は、상하이・sanghai で、単に、日本のカタカナ的な発音となっていて、「海」または「原」に相当する意味的な言葉ではない。
■ 漢字を捨て、文字文化を捨てたことで、漢字であらわされた中国大陸の書物や日本の書物を読むことができず、即ち、自分なりの客観的判断ができない人々が多くうまれ、洗脳教育され、洗脳されたとも思わず、いわゆる、反日的言動を恥ともせず主張し、それが正しいと行動するのであろう。
■ これは無知蒙昧と言う。


  • 012 我庵は都のたつみしかぞすむ世をうじ山と人はいふなり  喜撰法師
■ 小倉・百人一首では8番の歌だ。
■ 喜撰法師の住んだとされる喜撰山は、野鳥撮影をする私にとっては、私市とともにハヤブサの巣として記憶に残る崖で、宇治川・天ヶ瀬ダムの手前、志津川の上流にある。
■ ・・・
  • 013 
  • つくばねの みねよりおつる 男女川 恋ぞふかみて 愛となりけり  遊水
  • つくばねの峰より落つるみなの川こひぞつもりて淵となりぬる  陽成院
■ 「恋ぞ積りて」を「淵」とするには、さすがにおかしいと、「恋ぞ溜まりて」とした方がいいなどという評もあったようだ。
■ まあ、どうせなら、淵を捨てるのもいいかと「女男川」と漢字で表記し「愛」にした。
  • 014 陸奥のしのぶもじずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに 源融


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  • 015 君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ  光考天皇
  • 016 
  • 雪のうちに春はきにけり ウグイスのこほれる泪いまやとくらん  二条后
  • 行き違う 月の満ち欠け 陽の光 こころ惑いて 歌に詠みけり  遊水
  • 千早古 京の都の 春たつ日 氷も解けて 鶯の声  遊水
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  • 017 
  • 千早古 神世も聞かず 竜田川 韓紅に 水潜るとは  在原業平・遊水書く
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
  • 017-2 
  • 世中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平
  • よのなかに たえて戦の なかりせば ひとのこころは のどけからまし  遊水
■ 古今和歌集・序に

在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主

■ この順であげられている。
■ 業平の次は文屋康秀だ。
  • 017 吹くからに 秋の草木の しほるれば むべ山風を 嵐といふらむ  文屋康秀
■ 江戸時代は飛脚屋は文屋と呼ばれていた、とか。
■ ここいらでちょっと息抜きだ。
  • 文屋とは 嵐さんぷう 飛脚便 手書きの文字を 運び伝える
■ 平安時代頃から飛脚はあったそうな。
■ 江戸時代は庶民にも百人一首はよく知られ「山風」をサンプウと駄洒落で発音したと。
■ 「山風」「嵐」については別に書いた。

  • 018 花さそふ 比良の山風 吹きにけり こぎ行く舟の 跡みゆるまで   宮内卿

■ 「比良の山風」は六甲おろしのように「比叡下ろし」という表現もあるかもしれない。
■ この歌は、桜の花が琵琶湖の湖面いっぱいに水が見えないほど散り浮いているさまを逆にそこを進んでゆく船の跡で間接的に表現していて、いかにも知的だ。
■ 「花さそふ」が素晴らしい。
  • 019 世の中を 何にたとへむ 朝びらき 漕ぎ去にし船の 跡なきごとし 沙弥満誓 
    万葉集・第3巻・351 世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
  江亭晩望 宋之間 
浩渺浸雲根 煙嵐出遠村 
鳥帰紗有跡 船過浪無痕 
・・・

■ 「跡みゆるまで」と「跡なきごとし」を並べてみたのだが、たまたま、引用した宋之間 の詩に「煙嵐」という言葉があった。
■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。 
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか
■ 文屋康秀のこの歌が、案外、新しい意味合いでの文字の使い方を普及させたのかもしれない。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。
■ 同じ文字を使うからといって、同じ意味だとは限らない。
■ だいたい「漢字」という言い方を、かの国はするのかね。
■ 漢字は中國文字であり「漢字・カンジ」ではないだろう。
■ よう知らんけど。
■ google 翻訳で中国文字の「娘」を英語にすると「mother」だが、
■ 普通の日本人は「娘」が母だとは思わないだろう。
■ 和歌を見ていて、特に気になるのは「妹」という文字だ。
■ 日本語の「姉妹」の意味での「妹」ではないように思う。
■ これについては、また、あとで考えてみよう。
■ ちょっと横道にそれた。
  • 020 あらし吹く三室の山のもみじばは龍田の川のにしきなりけり  能因法師
■ 小倉百人一首では69番目の歌だが、「あらし」とあるのでここにもってきた。
■ 次の歌は74番で、「山おろし」
  • 021 うかりける人を初瀬の山おろしはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼
■ 強く吹く風、弱く吹く風、かそけき風、いろいろ歌われている。
  • 022 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬ 藤原敏行
■ 藤原敏行の歌は、小倉百人一首では、18番に住之江の・・・があげられているが、この歌の方がよい。
■ 時代をさかのぼって、
  • 023 君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く  額田王
■ こんな歌もいい。
  • 024 月みれば千々にものこそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど 大江千里

■ 小倉・百人一首・24番に定家は菅家、即ち、菅原道真の「此たびは ぬさもとりあへず・・・」を取り上げている。
■ なんとなくピントこない。
■ 定家の時代には、おそらく、道真は学問の神ではなかったのただろう。
■ 菅原道真の、東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ、この歌も、何か非論理的、非現実的な感じで、好きになれない。
■ 人に言われなくても花は咲くし匂いもする。都だけでなく、大宰府にいても梅はある。
■ 金もなく、ほっぽり出されたということかもしれない。
■ しかし、何とか生きてやろうという気はなかったのか。
■ 大伴家持の父・旅人の歌、・・・

験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし  旅人
生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生なる間は楽しくを有らな  旅人

■ 清少納言・枕草子に、雪の日に、香炉峰の雪いかならむ、と問われて、御簾を高く上げた、話があるように
■ この頃よく知られていたのは白楽天の詩だった。

   白居易
日高睡足猶慵起
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香爐峰雪撥簾看

匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處
故鄉何獨在長安
  • 曉とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな  藤原俊成
■ 道真は、・・・

   不出門 菅原道真
一從謫落就柴荊
万死兢兢跼蹐情
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声
 
中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無檢繋
何為寸歩出門行

■ この詩のように漢字を使い詩を作ることができたが、大宰府の役所にも行けずあばら家にいたようだ。

    食後 白居易
食罷一覺睡 起來兩甌茶 
擧頭看日影 已復西南斜
樂人惜日促 憂人厭年賖 
無憂無樂者 長短任生涯

■ 道真は詩の形や言葉はよく知っていたが、白楽天の心境にはなれなかった。
  • 人生は 読み書きソロバン 衣食住
■ 最低限「食」が満たされていれば、生き延びることもできただろう。
■ 詩歌で人に訴えようとするならば、自らの思いをかの国の言葉で歌にするのは方法論的には誤りで、漢詩をよくした学者・道真が、唐の滅びを知ってか、遣唐使の廃止をしたのは、まあ、皮肉だ。
■ ともあれ、菅原道真が遣唐使の中止を提言し、このあと大和歌が花開いたのか。
  • 025 さつきまつ花たちばなの香をかげば昔のひとの袖の香ぞする  詠み人しらず
  • 026 
  • うぐいすの 囀り楽し 小倉山 道行くわれに つきくるごとく  遊水
  • をぐら山峰の紅葉ば心あらは今ひとたびのみゆきまたなん  藤原忠平
■ 小倉・百人一首には、ウグイスの歌がなかったので、江戸の人は
  • 鶯の初音はきかぬ小倉山
■ こんな川柳をつくったとか。
■ 小倉山とウグイスを取り合わせた歌は、探せばあるかもしれないが、面倒だ。
  • 027 みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ  中納言兼輔
  • 028 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば  源宗于
  • 029 わが恋はゆくへも知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ  凡河内躬恒
■ 定家が選んだ、心あてに おらばやおらむ 初霜の をきまどわせ るしらぎくの花
■ この歌は何か好きになれない。
■ 率直に歌った方がいいように思う。
  • 030 有明のつれなくみえし別れより暁ばかりうきものはなし 壬生忠岑
  • 031 
  • まよなかの ましろきしもか げっこうか おもいおこすは ふるさとのやま  遊水
  • 朝朗有明の月とみるまでに芳野の里にふれる白雪  坂上是則

めざめてにわの つきあかり
しもがおりたと まちがえて
やはりつきかと あおぎみた
ふっとこころに ふるさとよ  遊水

  靜夜思  李白
牀前看月光 疑是地上霜
擧頭望山月 低頭思故鄕

■ この頃は李白などが読まれるようになったのか。
  • 032 山川に風のかけたるしがらみは ながれもあへぬ紅葉なりけり  春道列樹
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  • 033 
  • うららかな こころまちした はるなのに きもちもしらず はなはちりゆく  遊水
  • 久堅のひかりのどけき春の日にしず心なく花のちるらむ  紀友則

■ 古今和歌集の選者は4名だった。

紀友則
紀貫之
凡河内躬恒
壬生忠岑 

■ 友則は完成前に死に貫之が主になったようだ。
■ 「ひさかたのひかりのどけきはるのひに・・・」この歌はいい歌だ。
■ ただ昨今の「ひさかた」の扱いは納得がゆかない。
  • ひさしぶり ひかりのどかな はるなのに こころみだして はなはちりゆく  遊水
■ ひさしぶり、ひさかたぶり、と解すべき、というか、もともと久方は久方ぶりの意味で作られたはずなのに、だれかが「光」にかかる「枕詞」にしてしまった。
■ 枕詞は分類上の名前だ。
■ 紀友則の歌は実に論理的に作られて、よく彼の心を表している。
■ 春はいつもいい日和ばかりではなく、雨風に、花見ができないこともある。
  • 久しぶりに いい天気になったのに
■ そんな気持ちをあらわしているのに、それがなぜ、枕詞になってしまうのか。
■ 残念だ。

久方(ぶり)の
光のどけき
春の日(なの)に
しづ心なく
花の散るらむ
 
■ 人がどう思おうと、まあ、いいか。
■ 私としては、歌から紀友則の心、というか、気持ちを読み取りたい。
  • 034 
  • 怨みても泣きてもいはむ方ぞなき鏡に見ゆるかげならずして  藤原興風

■ 他にいいのもあるだろうけど、適当に選んでみた。
■ 壬生忠岑、凡河内躬恒はさきにあげた。
■ 次は紀貫之だ。

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  • 035 
  • その場所を 訪ねてみんか ひとり我 恋や忘るか ユウスゲの花  遊水
  • 道しらば摘みにもゆかむ 住江のきしに生ふてふ恋忘れぐさ  つらゆき

■ 古今和歌集の最後の歌がこの歌だ。
■ とすれば、この歌が彼の自選の一首、代表作・表歌だったのではないかという気もする。
■ 客観的にこの歌がいいかどうかは別だ。
  • 山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ  つらゆき
  • 逢ふことは雲ゐはるかになる神の音に聞きつつ恋ひ渡るかな  つらゆき
■ 要するに彼の恋の相手が高貴な身分の人だったのではないか。
■ それを歌に残したい。
■ ただ、あからさまに詠むのは憚られる、という感じだ。
■ 後にあげる西行の場合も同様だ。
  • 036 夏の夜はまだ宵ながら開けぬるを雲のいずくに月やどるらむ  清原深養父
  • 037 
  • 秋風や 貫きとめぬ 白露の 玉と散りける 朝の光に  遊水
  • 白露に風のふきしく秋ののは つらぬきとめぬ玉ぞ散りける  文屋朝康

  • 038 忘らるる身をば思わずちかいてし人のいのちのおしくもあるかな  右近
  • 039 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき  参議等
  • 040 しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで  平兼盛
  • 041 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか  壬生忠見
  • 042 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは  清原元輔
  • 043 あひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり  藤原敦忠
  • 044 あふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし  藤原朝忠
  • 045 あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな  藤原伊尹
  • 046 ゆらのとを渡る舟人かぢを絶え行くへも知らぬ恋の道かな  曾禰好忠

沓冠 三十一種
あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに
なにわづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな

  • 047 八重むぐら茂れるやどの寂しきに人こそ見えね秋は来にけり  恵慶法師
  • 048 風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな  源重之
  • 049 み垣もり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ  大中臣能宣
  • 050 きみがため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな  藤原義孝

■ 義孝は21歳、天然痘で死んだ。兄もその日の朝に死んだ。
■ 法華経、即ち、妙法蓮華経を読みたいから火葬にしないでといったという。
・・・
■ このあたりの歌については、またそのうち、ということにする。



「メモ」」
■ stomを中文ではなんというか google翻訳してみるといい。
■ 「上海」という都市の名前、この都市が海の上にあるわけではない。
■ 地図をみても分かるように、海のほとりにある。
■ 日本語でも、上下・じょうげ・うえした、と読み方が意味合いが一定ではない。
■ 中国大陸のように広くて、他民族の場合、時代や場所により読み方は変わるだろう。
■ だいたい「漢字」という言い方を、かの国はするのかね。
■ 漢字は中國文字であり「漢字・カンジ」ではないだろう。
■ よう知らんけど。
■ 「漢」という国から伝わったから、という感じではないのかね。
■ いわゆる魏志倭人伝の解説文をみると「大小」即ち「おとな、も、こども」も入れ墨をしている、などとある。
■ 入れ墨はいったん入れたら簡単に消すことはできないのだから、おとな、も、子供も入れているはずがない
■ 「大人」と「小人」は日本語の「おとな、こども」ではない。
■ いわば社会的、身分的なことばといえる。
■ 君はオトナだねえ、というとき、肉体的に成人を指すわけではないだろう。
■ あるいは、また、「老」という文字にしても、同じ意味合いではない。
■ 例えば、三国志の動画を英文の字幕でみると参考になる。
■ 簡単な文字ほど、その意味合いの違いが分かりにくいと言えよう。

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