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2024年1月22日月曜日

諸越、と、唐土。飛び来る 日の本の国 憧れて 何を心に 帰国するらん



■ 2024-01-22
■ 初めて作られたときは、「越えてる」お菓子だったのだろう。
■ 日本のお菓子の伝統的素材は、小豆だ。
■ ごく大雑把にいえば、あんこを型に入れて乾燥し焦げ目をつけたお菓子。
■ 秋田にいたころ、よく食べた。
■ さて、・・・
■ 藤原定家は大弐三位の歌として、「有馬山」を選んだ。
■ 丸谷才一が選んだのは、・・・
  1. 遥かなるもろこしまでもゆくものは秋の寝ざめの心なりけり  大弐三位
  2. 遥かなる異国の地までもゆくものは秋の寝ざめの心なりけり
■ 「もろこし」が出てきた。
■ 2」のように詠み変えてもいいかもしれない。
■ しかし、そこまで言うのか。
遥かなるもろこしまでもゆくものは
秋の寝ざめの心なりけり
■ 秋の寝ざめ、と、もろこし、に何の関係があるのかと思ってしまう。
■ 丸谷才一は、
冷え冷えとした秋の夜、夜半の寝ざめに悩みながら女はあれこれと思ひつづける。その思ひはどこまでもどこまでも果てしない。さながら遠くへだたる漢土にまで達するくらゐに。とすれば、今夜、男のゐる家までその思ひがゆくのは当然のことで、大弐三位はさういふこみいった事柄を一気に詠み下した。
■ 人肌恋しい秋の夜、あるいは、男に飽きられた、のではないかと思えば寝付かれない、そんな感じに解説している。
■ まあ、そういうことなのか、・・・
ロマン派に限らず、遠方の土地に憧れるのは詩情の基本の一つである。
それが昂じたときに生ずる異国趣味はどの国どの時代にもあった。
■ と、彼は書いている。
花の都、パリ
音楽の都、ウイーン
・・・
■ 萩原朔太郎は「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠しせめては新しき背廣をきてきままなる旅にいでてみん。」などとしにしているが、今は飛行機がある。
■ 海外から日本に訪れる人も多いようだ。
  • とびきたる ひのもとのくに あこがれて なにをこころに きこくするらん  遊水

2024年1月20日土曜日

画像&動画の映画を想定し、詩を論理的に再構成する



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幾年の 難き時代を 乗り越えて 和歌のことばは 我に響きぬ  愛子


■ 2024-01-20
■ 朝刊に歌会始の記事があった。
■ 愛子様は「和歌のことば」を取り上げていた。
■ さて、・・・
■ 百人一首は、一人、一首だ。
■ 現代詩の場合でも、ひとつ、であってもおかしくはない。
■ どれを選ぶか、あるいは、選ばれたのはどれか、・・・
■ 丸谷才一が萩原朔太郎の詩「山に登る」をとりあげていたので、
■ この詩をもう少し考えてみよう。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ 文章には句読点がある。

山に登る
  旅よりある女に贈る

■ この詩には「。」が4つある。
■ 先に3部構成だと書いたが4部構成だととらえた方がいいかもしれない。

いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

■ これは実景ではない、朔太郎が思ったことだ。
  1. 回想1
  2. 回想2
  3. 現実
  4. 結論的意志表明
■ 並べ替えてみる。

  萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
 
山に登る 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた
 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた
 
旅よりある女に贈る  
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた
 
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。 

■ 言葉をそのままにして、題名と副題を織り込み、並べ替えるだけにしたが、・・・
■ 言葉を少し変えて、回想1、と、回想2、を分離再配置すると
■ もう少し本歌取り的、新しい詩になるかな、と思う。
■ これで三好達治の誤解はなくなると思われる。
■ 人に読ませるのであれば、情景や心が読んで分かるように構成・表現しなければならない。


2024年1月18日木曜日

和歌と自由詩、本歌取り



■ 昭和23年、三好達治は福井地方で大地震に会い、家財を失った。
■ 昭和27年、三好達治、52歳。「朔太郎の一面」を書いた。
■ 昭和38年5月14日「萩原朔太郎」を書く。
■ 昭和39年、64歳で死亡。
■ 三好達治の詩は好きなのがあるので、また、いつか書くことにしよう。
■ ・・・
■ さて、和歌には本歌取りという作り方がある。
■ いい歌を取り込んで自分なりに詠むのだけれど、まあ、ある程度、ではあるが、・・・
■ 本歌取りで、言葉の継承がなされる。
■ つまり、言葉で表される心、が伝えられてゆく。
■ 丸谷才一は、萩原朔太郎の「山に登る」は百人一首の「有馬山」と関連付けたのではないかというようなことを書いているが、・・・
■ そうなんよ、
■ と、こんなことを書くのは、最近、小池昌代訳・百人一首、をみてたら、・・・
■ なに、これ、・・・
■ 自由詩にすることの意味がよく分からない。
■ 朔太郎の場合、意識したかどうかは知らないが、興味深いものがある。
■ 和歌の場合、応答歌、という感じで、一般に詠ませるものでない場合も多い。
■ 相手に分かればいいので、状況の説明はいらないことも多い。
■ 詞書で補うこともあるし、
■ ひとつだけでなく、連作してもよい。
■ また、相手からの歌と並べることで、物語性も出てくる。
■ 丸谷才一は、朔太郎の詩を置き、次に、「有馬山」の歌を置いている。
■ 一応、本歌取り的であれば、先に、「有馬山」を置いて考える方が分かりやすい。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原 
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ ざっと、こんな感じか。
■ 自由詩とは、なんと不自由なものか、どれほど言葉を費やせばいいのか、という感じになる。
■ 「山の頂上にきれいな草むらがある、」ではどこか分からん。
■ 一方、・・・
■ 「有馬山」は二人にとって思い出の場所だったのか、あるいは、相手のコトを事を意味する言葉だったのか、二人で有馬温泉に行った、ということかもしれない。
■ また行こうよ、有馬温泉、・・・
■ それはどうでもいいことなのだが、・・・

有馬山
いなの笹原

■ これだけで説明されている。

否、
なによ、今更、嫌よ

■ ということが、はっきりと、相手に分かる、ように詠まれている。
■ これが和歌のよさだ。
■ 小池昌代の自由詩を並べ置いてみようとは思わない。
■ 本歌取り的ではなく、つまり、彼女の詩ではなく、単なる説明文だからだ。
■ 解説本など、今までたくさんあり、
■ 新鮮さがない。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 全く、蛇足だけれど、・・・

なによ、なにが、有馬温泉よ
♨、好きだから、行きたくなったら、行くけど、
なにも、あんたと行かなくてもいいわよ

■ と、まあ、紫式部の娘が、当時、行ったかどうか定かではないが、・・・
■ 火山列島の日本は、湯けむりと硫黄の臭いで、昔から、発見、利用されてきたのは確かだ。
■ 万葉集などの歌にも温泉は出てくる。


2024年1月11日木曜日

掛詞 十重・訪え



■ 2024-01-11
■ 丸谷才一・新々百人一首

たれかこの 數は定めし 我はただ とへとぞ思ふ 山吹の花   道綱の母

■ いかにも知的というか、とっつきにくい感じの女だ。

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
七重八重 九重とこそ 思いしに 十重咲き出ずる 萩の花かな

■ 例えば、・・・

山吹や 誰が決めたん 八重などと 訪え二十重と 早う来んかい
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初詣 二重の君が 可愛いと     
何かいいこと きっとあるはず  遊水


■ 今思いついた短歌だ。
■ 人の心をおもいやり、・・・

2024年1月9日火曜日

後鳥羽院の、帰郷を願う心、望郷の歌


■ 2024-01-09
2024-01-08

■ 鳥見の楽しみがある。
■ 丸谷才一の評論に付き合うのも適当にしないと、鳥見もできないので、中途半端だった。
■ しかし、後鳥羽院の歌について知ることは無駄ではない。
■ 先にも記した通り、丸谷才一は新々・百人一首で次の歌を取り上げた。

海辺時雨 後鳥羽院
わたつ海の波の花をば染かねて
八十島遠く雲そしくるる   

■ この歌は、4つの歌の一つとして、丸谷才一が取り上げている。
■ この歌の心を知るにはその4つの歌を全体的に見るのがいいのだが、
■ この歌が初めにあるものだから、彼はこの歌にこだわりすぎたようだ。
■ だから、評論家故に色々な「層」を取り上げようとした。
■ 歌人としての立場でない。
■ そして、分からないので色々論評しようとした。
■ ゴチャゴチャ書くということはなかなか理解できなかったコトを意味する。
■ 歌には年齢とか境遇が現れる。
■ 自分だったらどう詠むかという視点から歌を見るのがいい。
■ 後鳥羽院については色々書かれているだろうから多くを記す必要はないだろう。
■ google 検索してみればいい。
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鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ  遊水


■ 彼は、隠岐の島に馴染んだかというと、もちろん、馴染めなかった。
■ 自分のかつての地位、と、今の境遇を思わぬ日はなく、都に帰りたかった。
■ しかし、帰れない。
■ 苦しい時の神頼み、で、神に縋るしかない。
■ その心が、4番目の「松」に表わされている。
  1. わたつうみの-なみのはなをは-そめかねて-やそしまとほく-くもそしくるる
  2. さらてたに-おいはなみたも-たへぬみに-またくしくれと-ものおもふころ
  3. ひとはよも-かかるなみたの-そてはあらし-みにならひにも-つれなかるらむ
  4. うつつには-たのめぬひとの-おもかけに-なのみはふかぬ-にはの松かせ
■ 松は、待つ、で昔から日本人の頭には常識的にある。
■ 小倉・百人一首・藤原定家の歌を思い出してもいい。↑
■ さて、後鳥羽院は何を神と見立てたのか。
■ このように考えたとき、後鳥羽院が帰りたいが帰れないという心

わたつ海の
波の花をば
染かねて

八十島遠く
雲ぞ時雨るる

■ 海の神に、ただ願い祈るしかないが、
■ 海の神の心に届かない。
■ 波の花、で神の心を表している。
■ これは、小野小町の歌を見れば分かる。
■ しかし、その心を変えようとしても、
■ 白い波を、染め変える、ことができない。
■ 自分のいる、隠岐の島、は神の心、即ち、意志からは遠く
■ 雲に隠れて、時雨ている、寒く淋しく、自分は悲しんでいる。
■ 4番目の歌で、「現には 頼めぬ」と現状を嘆いている。
■ と、まあ、こういうことだろう。
■ 丸谷才一も、最後は、「雑の感懐の歌という層がある」として
山の神
海の神
■ に至っている。
■ 最初から「まつのき小唄」を歌いながら考えるのがいいのだ。
■ 「松の木ばかりがマツじゃない」・・・
■ この唄の歌詞を書き、その替え歌として、後鳥羽院の心を考えればいい。


2024年1月7日日曜日

後鳥羽院、の歌・海辺時雨、2024-01-08

丸谷才一・後鳥羽院 - Google 検索 ・・・読んでない。

わたつうみの-なみのはなをは-そめかねて-やそしまとほく-くもそしくるる
さらてたに-おいはなみたも-たへぬみに-またくしくれと-ものおもふころ
ひとはよも-かかるなみたの-そてはあらし-みにならひにも-つれなかるらむ
うつつには-たのめぬひとの-おもかけに-なのみはふかぬ-にはのまつかせ

■ 2024-01-07
■ ・・・
  1. 社会的どのような存在であったか
  2. 一個の人間としてどのような人であったか
  3. 何を、あるいは誰を評価したか
  4. 歌人としてどのような「ことば」により、何を表現したか
  5. 誰が評価しているのか
  6. ・・・
■ 人を見る時、幾つかの側面があるだろう。
■ 後鳥羽院に関しては、結局のところ、罪人として終わったということだけれど、・・・
■ 和歌の作者、新古今和歌集の選者・鑑賞者・批評家としての後鳥羽院がいた。
■ 文芸評論家・丸谷才一は、新々百人一首で、後鳥羽院の、海辺時雨、を取り上げている。

わたつうみの波の花をばとりつとも人の心をいかが頼まむ  紀貫之
  • わたつ海の波の花をは染かねて八十島遠く雲そしくるる  後鳥羽院・海辺時雨
ながつきのしぐれの雨にぬれとほり春日の山は色づきにけり  万葉集
しぐれの雨まなくし降れば真木の葉もあらそいかねて色づきにけり  万葉集 ○
しぐれの雨染めかねてけり山城のときはの森の真木の下葉は  能因
やよ時雨もの思ふ袖のなかりせば木の葉ののちに何を染めまし  慈円
わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛が原に風さわぐなり  慈円 ○
夕まぐれ鴫立つさわのわすれ水思ひいづとも袖は濡れなむ  慈円
深緑あらそひかねていかならん間なくしぐれのふるの神杉  後鳥羽院

■ ここでちょっと横道、「ふるの神杉」・・・布留・石上神宮
■ あれは、どこの杉だったか、・・・秋立つや千早古る世の杉ありて 漱石。香椎宮
■ 関係なかったか。

なき人のかたみの雲やしをるらん夕べの雨に色は見えねど  後鳥羽院・雨中無常
恋すとて袖には雲のかからねど泪の雨はをやみだにせず  後鳥羽院
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよあまの釣船  小野篁
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける  小野小町 ◎
うつろひし心の花に春くれて人もこずゑに秋風ぞ吹く  藤原良経 ◎
うつろひぬ心の花は白菊の下おく色をかつうらみても  藤原定家
人ごころうつりはてぬる花の色に昔ながらの山の名もうし  後鳥羽院

■ その他の歌も引きながら解説している。
■ これらの歌の言葉を辿りながら、後鳥羽院の歌の多層の構造を理解するのも大変だ。
単なる冬歌ではなく恋歌という層をもつ
時雨は言い寄る男、山の草木は言い寄られる女という単純な比喩
叙景歌 
・・・
■ 丸谷才一は、書いている。
  • 波がしらの白は時雨によってぜったい色を改められない。・・・が、それにもかかわらず、時雨は波の花を染めようと欲しながら瀟々と降りそそぐ。さういふ憂愁と悲劇性を彼は沈痛に歌ったのである。
■ まあ、そういうことですか。
■ この歌をとらえるにしては手が込みすぎている。
■ 定家の選んだ、百人一首の歌、それでいいように思う。
■ こんな詠み方、解し方、しかできないのであれば、仕方ない。
■ 定家が選んだ歌は、まだ若いころの歌であり
■ 丸谷才一が選んだ歌は、流刑地での歌という違いがあるということだろう。
■ 最初にあげた4首を見ると、そんな感じだ。
■ 同じ人の歌であっても、・・・
■ 年齢の違いとか境遇の違いで歌風も変化すると言えるのかもしれない。
■ まあ、いい。
■ 後鳥羽院の歌とは関係なく、丸谷才一が取り上げた歌でいいのもある。

小野小町 ◎ うまいものだ。
藤原良経 ○ 春くれて、秋風ぞ吹く、・・・時間経過がありすぎのようにも思う。
万葉集 ○
慈円 ○

■ ついでながら、後鳥羽院は次の人を評価していた。
  1. 西行
  2. 慈円
  3. 藤原良経
  4. 式子内親王
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丸谷才一 - Wikipedia 日本小説家文芸評論家翻訳家随筆家

■ 丸谷才一は文芸評論家ではあるが、歌人ではないようだ。
■ つまり、評論の対象を必要とする。
■ 評論するということは、いい面、を見つけ出し評価することだ。
■ ただ、つまらんモノをこき下ろしてもしょうがない。
■ 評論、ではなく、事実とは何かということを述べるときは、つまらんモノをのつまらなさについて言及する場合はある。
■ 私の場合、俳句や短歌を表現の一つとしている。
■ なので、ことば、の面から現在、過去の作品を読み、日本語の表現について考え、自分の作品につなげてゆこうと思う。
■ 評論家にとって、評論の対象になるモノが必要だが、歌人は歌い継げばいい。
■ 私だったら、こんな歌にする、と。
■ 現在・過去・未来というつながりとなる。
■ 言葉とはそうしたものだ。
■ ついでに、・・・

■ 珍解釈の項に落語・千早の話が出てくる。


映画と和歌、 別れぞ恋のはじめなりける 寂連

寂蓮 - Wikipedia ~1202年8月9日



■ 2024-01-07 訂正
■ 2024-01-06
■ 年末から年始にかけて、幾つか古い映画をYouTubeで見た。
■ その中の一つに、終着駅、があった。
■ と、いうか、以前見たが、
■ これは、細かい所はよく覚えてなかったので、もう一度見てみようかな、とリンクしたのだ。
■ で、・・・
■ その前に、丸谷才一・新々百人一首・寂連、の歌をここに引いてみるのもいいかと思った。

逢うまでの 思いはことの 数ならで
別れぞ恋の はじめなりける  寂連

■ どうかなあ、・・・
■ 今から、70年ほど前に作られた映画と、
■ その750年ほど前の和歌とを関連付けてみることもできそうだが、どうだろう。
■ そのうち、また見てみよう。
■ 見た。
■ 2024-01-07
■ 年数の記述に誤りがあったので訂正した。
■ 終着駅、この映画の作り方はうまい。
■ 監督は誰なのか、そして、他にどんな作品があるのか。