■ 2024-01-09
2024-01-08
■ 丸谷才一の評論に付き合うのも適当にしないと、鳥見もできないので、中途半端だった。
■ しかし、後鳥羽院の歌について知ることは無駄ではない。
■ 先にも記した通り、丸谷才一は新々・百人一首で次の歌を取り上げた。
海辺時雨 後鳥羽院
わたつ海の波の花をば染かねて
八十島遠く雲そしくるる
■ この歌は、4つの歌の一つとして、丸谷才一が取り上げている。
■ この歌の心を知るにはその4つの歌を全体的に見るのがいいのだが、
■ この歌が初めにあるものだから、彼はこの歌にこだわりすぎたようだ。
■ だから、評論家故に色々な「層」を取り上げようとした。
■ 歌人としての立場でない。
■ そして、分からないので色々論評しようとした。
■ ゴチャゴチャ書くということはなかなか理解できなかったコトを意味する。
■ 歌には年齢とか境遇が現れる。
■ 自分だったらどう詠むかという視点から歌を見るのがいい。
■ 後鳥羽院については色々書かれているだろうから多くを記す必要はないだろう。
■ google 検索してみればいい。
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鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ 遊水
■ 彼は、隠岐の島に馴染んだかというと、もちろん、馴染めなかった。
■ 自分のかつての地位、と、今の境遇を思わぬ日はなく、都に帰りたかった。
■ しかし、帰れない。
■ 苦しい時の神頼み、で、神に縋るしかない。
■ その心が、4番目の「松」に表わされている。
- わたつうみの-なみのはなをは-そめかねて-やそしまとほく-くもそしくるる
- さらてたに-おいはなみたも-たへぬみに-またくしくれと-ものおもふころ
- ひとはよも-かかるなみたの-そてはあらし-みにならひにも-つれなかるらむ
- うつつには-たのめぬひとの-おもかけに-なのみはふかぬ-にはの松かせ
■ 松は、待つ、で昔から日本人の頭には常識的にある。
■ 小倉・百人一首・藤原定家の歌を思い出してもいい。↑
■ さて、後鳥羽院は何を神と見立てたのか。
■ このように考えたとき、後鳥羽院が帰りたいが帰れないという心
わたつ海の波の花をば染かねて八十島遠く雲ぞ時雨るる
■ 海の神に、ただ願い祈るしかないが、
■ 海の神の心に届かない。
■ 波の花、で神の心を表している。
■ これは、小野小町の歌を見れば分かる。
■ しかし、その心を変えようとしても、
■ 白い波を、染め変える、ことができない。
■ 自分のいる、隠岐の島、は神の心、即ち、意志からは遠く
■ 雲に隠れて、時雨ている、寒く淋しく、自分は悲しんでいる。
■ 4番目の歌で、「現には 頼めぬ」と現状を嘆いている。
■ と、まあ、こういうことだろう。
■ 丸谷才一も、最後は、「雑の感懐の歌という層がある」として
山の神海の神
■ に至っている。
■ 最初から「まつのき小唄」を歌いながら考えるのがいいのだ。
■ 「松の木ばかりがマツじゃない」・・・
■ この唄の歌詞を書き、その替え歌として、後鳥羽院の心を考えればいい。
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