■ 2024-01-16、
■ 今回はカメラを持って行った。
2024-01-16
LUMIX G7 + 14-140mm
■ 三好達治は、萩原朔太郎に心酔し、「萩原朔太郎」を書いている。
■ 目次は
- 萩原朔太郎詩の概略
- 朔太郎の一面
- 「詩の原理」の原理
- 「路上」
- 萩原さんという人
- 仮幻
- 後記二
- あとがき
- 三好さんとの二十年(伊藤新吉)
■ 再読したのは「朔太郎の一面」だった。
■ 最初に、
山に登る旅よりある女に贈る
■ この短いながらも三部構成の詩がある。
■ 三島達治は、三部構成だとは思っていなかったようだ。
■ この詩は、映画の一場面にしてもいいようだ。
■ 丸谷才一も中学生の頃、朔太郎の詩に夢中になっている。
■ それらも取り入れると、結構内容のある映画にできるかもしれない。
■ あるとき、朔太郎は「山に登る」とこにした。
空には風がながれている、おれは小石をひろって口にあてながら、どこともいふあてもなしに、ぼうぼうとした山の山頂を歩いていた。
■ 昔「あの女」と行った「山」だ。
■ その時、朔太郎の心は「ぼうぼう」としている「山頂」そのものだった。
■ 「小石」を「口にあてながら」
■ どうしたものか分からずに「あてもなく」「歩いていた。」
■ 「小石」が「恋し」だと意識していたわけではない。
■ 「口にあて」が「口づけ」を意識していたわけでもなく、
■ 相手が「小石」のように身を硬くしたのかもしれないが、それを意図的に書いたわけでもない。
■ 朔太郎は詩人だから、自然に、そんな表現となったのだ。
■ 朔太郎は「小石」に「口をあてながら」昔のことを思い出していた。
山の頂上にはきれいな草むらがある、その上でわたしたちは寝ころんでいた。
■ まあ、いい感じだった。
眼をあげてとおほい麓の方を眺めると、いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
■ そう、あの頃は「わたしたち」のことをそんな風に思っていた。
■ そんなこともあったはず、思い出して、「山に登」ったのだ。
■ 宿に戻り「ある女に贈る」詩を書いた。
おれはいまでも、お前のことを思っているのだ。
■ ・・・と。
■ 書いたけれど、手紙ではない。
■ 詩にしたけれど、送ったわけではない、かもしれない。
- 朔太郎の一面
■ この章で、三好達治は次のようなことを書いている。
この作品ではもちろん正常らしい主格は「おれ」であらう---と考えられるが、それでは最初の「おれたち」でもないところの「わたしたち」は何をさしているのあらう。恐らくは作者のうかつな手落ちが前後どこかに隠れているのではあるまいか。
■ これを読んで、えっ、と思った。
■ 「わたしたち」は当然、作者の朔太郎、と、この詩を贈った相手の「女」に決まっている。
■ 手落ちでも何でもない。
■ そして、・・・
さういふ一種の誤謬をふくんでいるのは、この詩のやうな比較的単純な場合に限らず、少し誇張をしていへば萩原さんの作品全體到るところにのべつばら撒かれてゐる、・・・、彼特有のレトリックの一端でもあるところの、甚だ奇異な特徴であるかもしれない。
■ こんなことを書いている。
■ 萩原の作品全体いたるところ、にあるのだとしたら、三好達治は、果たして萩原朔太郎の作品を本当に理解していたのだろうか、と疑問になった。
■ 達治がこの文章を書いたのは、昭和27年のことだった。
■ 達治52歳。
■ 昭和23年に、福井地方で大地震に会い。家財も失っている。
■ 「萩原朔太郎」が書かれたのは、昭和38年5月14日、のことだから、ずっと、分かっていなかったようだ。
■ 三好が死んだのは64歳
■ 三好達治は、「師よ 萩原朔太郎」と題した詩の中で、
無二の詩人最上の詩人でした。
■ とたたえている。
■ 本人ばかりでなく、誰もが三好達治の師は萩原朔太郎、だと思っていた。
■ ちょうど日本列島の最高峰・富士山に譬えたらいいだろう。
■ 丸谷才一も朔太郎を評価している。
■ 朔太郎を今読み直してもいいと思う。
■ しかし、三好達治は詩人だったけれど、評論家ではなかったようだ。
■ 文章には句読点がある。
山に登る旅よりある女に贈る
■ この詩には「。」が4つある。
■ 先に3部構成だと書いたが4部構成だととらえた方がいいかもしれない。
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
■ これは実景ではない、朔太郎が思ったことだ。
■ 仮に、映画、にするとしたら、この部分は、どうするか、と考えていい所だ。
■ そして、映画を構成するとしたら、現代の人を登場させるのがいいだろう。
■ また、創造の場面があるということは、アニメーションと実写を組み合わせるのもいいし、
■ 萩原朔太郎や三好達治、あるいは丸谷才一に関しては実在の人物なので、挿話とすることができ、
■ 萩原朔太郎や三好達治、あるいは丸谷才一に関しては実在の人物なので、挿話とすることができ、
■ 朗読、と映像を組み合わせるのもいいだろう。
■ 三好達治や丸谷才一のように、もう一人の少年がいていい。
■ 詩が好きで、百人一首の好きな少年だ。
■ まあ、当然、カップルになるような女の子の登場もアリだ。
■ 最後は、カルタとりの場面で、・・・
■ もちろん、「有馬山~」の場面だ。
■ その伏線として、有馬温泉を持ってくるのもいいだろう。
■ 富士山は休火山で、昔は、煙を上げていた。
■ 日本列島は火山列島でもあり、各地に温泉がある。
■ 温泉のある場所では、湯煙りが立ち硫黄の臭いがするので発見されやすい。
■ 昔から、有馬山も有馬温泉として知られていたといっても過言ではない。
■ 古い記録を探せば、みつかるかもしれない。
■ 最後の場面は、いろいろある。
■ もう一つの場面、あるいは、どこかに挿入してもいいのだが、
おれはいまでも、お前のことを思っているのだ。
■ この言葉だ。
■ 萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の「山に登る」の頁に何かを挟んで、贈る、というのもありかもしれない。
■ そうしたことが考えられるような、詩だ。
■ そうした、現代版もアリだ。
■ 萩原朔太郎を素材に色々できそうだ。
■ このように考えれば、シリーズ化もできるかもしれない。
■ 撮影機材やAIアニメを駆使すれば、高校生、大学生諸君でも可能だし、
■ 発表場所は YouTube もある。
■ 今、適当に拾ってみたが、何かあるだろう。
■ 問題は、いかに台本を作るかだ。
■ 実現可能と分かれば、焦らず、練り上げることだろう。
■ 自動でできる、他の作品と同じではつまらないだろうから、・・・
■ 新潮文庫・萩原朔太郎詩集を見ると、
■ 「月に吠える」の前に、「月光と海月」という詩がある。
■ この詩など、言葉で読むより、画像にしてみるといいかもしれない。
■ この詩をそのままAI動画作成エンジンに放り込んだら面白そうだ。
■ もちろん、言葉遣いは、例えば、
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか
■ そのままではなく現代語にしなければならないだろう。
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