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2025年8月22日金曜日

その時がいつか来るとは知りながら 昨日今日とは思わざりけり   橋本遊水

 ■ 2025-08-21,-22
■ 先日、紀伊国屋に行って、目当ての本がなかったので、気まぐれに買った中西進・「辞世のことば」・中央公論をいちおう読んだ。60人の言葉だった。何かを選ぶことで、何かを表現したいということなのだろうが、今の世では辞世に人の関心は薄いのかもしれない。
■ 在原業平の歌は以前、自分なりに作っていた。


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■ 兄が逝ったとき、思い出した。

2025年1月31日金曜日

和歌って、解釈するもんなのかねぇ

■ 2025-01-31
■ 安東次男・百人一首・新潮文庫、を図書館から借りて読んだ。
■ 手元にあればもう少しじっくり読みたいが、返却しよう。
■ ・・・
■ 久しぶりに、島津忠夫・新版・百人一首・角川ソフィア文庫を手に取った。
「百人一首の解釈ということ」
■ この部分をまた読んだ。
■ 和歌は解釈するものなのかね。
■ 感じるモノでしょ。
■ 在原業平朝臣の歌の解釈が書かれている。
■ 今では定説となっているのは、
  1. 潜る
  2. 括る
■ ククルだそうな。
■ 水は見えず、一面、紅の川を見て、ククルとは何なのかね。
■ 赤で染めた場合、糸でくくられた部分が白くなる。
■ 紅葉は赤だが、紅葉の形が括った部分だとしたら、白く残る。
■ 紅葉の周りが白く残るように染めるということか。
■ 解釈というのは、考えるということだろうが、歌を考えてどうする。
■ ことばとしては

みず
くくる
とは

潜る
とは

■ 水は、紅葉の下を流れている、と見た方が自然のように思う。 

からくれないに
みずくくる
とは

■ ・・・

たつたがわ
からくれないに
みずくくるとは

■ ・・・まあいいか。
■ どちらが正しいか、議論しようとは思わない。
■ 直感的に感じればいい。
■ これについてはどこかにも書いた。
■ 屏風絵だから、紅葉の形がはっきりわかるような、紅葉を散らした絵だったのではなかろうか。
■ 屏風絵を見て作った歌のようだが、実際の川の様子を見てどうなのか、と思う。
■ 我々は和歌を読んで、屏風絵を想像するのではなく、
■ 現実の紅葉の川を思い浮かべるコトだろう。
■ ・・・
■ 「千早古」についても何度か書いた。
■ ここいらで、もう一度、百人一首をとりあげてもいいかもしれない。





2025年1月16日木曜日

きよらかな ながれなるかな ゆるやかに ちとせかわらぬ くれないのかわ  遊水


■ 2024-01-16
■ 早くも半ば過ぎ、昨日の残りのぜんざいに、餅を焼いて入れて食った。
■ さて、昨日の続きで、百人一首の歌を取り上げよう。
■ 紅葉は日本の自然現象で、昔から今までの2000年で変わるコトがない、と書いた。
■ このような観点から「千早古」の歌を見直すのもいいんじゃないの、と言うことになる。
■ まず、下の句

ちとせかわらぬ
くれないのかわ

■ まあ、適当にこんな句が浮かんだ。
■ 上の句をどうするか、龍田川を詠みこむのは先人がやったところでよく知られている。
■ 日本の川は、龍田川ばかりではない。
■ なので詠みこまない。
  • きよらかな こころなるかな ゆるやかに ちとせかわらぬ くれないのかわ
  • きよらかな ながれなるかな ゆるやかに ちとせかわらぬ くれないのかわ  遊水
■ まあ、とりあえずこんな歌にした。
■ そのうち何かになるかもしれない。

2023年12月12日火曜日

立春や 二条后の 遊び歌


■ 2023-12-12
■ 二条のきさきの春の初めの御うた、の「雪の内に春はきにけり・・・」は
■ ふるとしに春たちにける日によめる、在原元方の「年の内に春はきにけり・・・」を意識して詠まれていて、どちらも当時よく知られていたので、古今和歌集・巻第一・春歌上に採られている。
■ 在原の元方の歌が、古今和歌集の全体としても1番目の歌で二条の后の歌は4番目にある。
■ しかも、構成として、2番、3番の歌も、言葉から配置上よく考えられているのが分かる。
  1. 年の内に春はきにけり  在原元方
  2. 春立けふの風やとくらん  紀貫之
  3. はふりつつ  題しらず、よみ人しらず
  4. のうちに春はきにけり ウグイスのこほれる泪いまやとくらん  二条后
  5. ・・・
■ 5番、6番とつづく歌もまた考えられて配置されている。
■ 日本で初めての勅撰和歌集ゆえの選者たちの気合の入れ方がうかがえるのだ。
■ 平安時代は現代より多少温度が高かったようだが、現実の天候がどのようだったか知らない。
■ まだ、暖かいというほどでもなかったろう。
■ ・・・・
■ 雪の内に春はきにけり、という表現は、逆にいえば、
■ 立春に雪が降っていた、ということだ。
  • いにしえの あそびごころや はるたつひ うぐいすなくも ゆきはふりけり  遊水
■ こういうことだろう。
■ ところで、在原業平の「ちはやふる神世もきかず、・・・」は古今和歌集・巻第五 秋歌下・294にあるが、佐伯梅友の脚注には
  • 珍しい事のあった神代でも聞いた事がない
■ としているが、一体何をさしているのか。
■ 珍しい事、って何。
■ 神代とは神話の世界だ。
■ 古事記には人代と神代がある。珍しい出来事として何があったというのか。
■ 古事記を読み、神話の世界を知るといい。
■ 神話と、だいたい、現実の世界の紅葉の話とは無関係だろう。
■ 「神世もきかず」という言葉の「も」とは何か、
■ 神代から今の世まで、千年もの長きにわたって聞いた事がない程のという感じだ。
■ もちろん誇張した表現である。
■ 在原業平がそう思っただけのことだ。
■ 794年、奈良をなくして平安京 or 鳴くよウグイス平安京
■ 1192年、いい国つくろう鎌倉幕府
■ 平安時代の業平から見れば、千年の昔が神代だった。
■ 西暦、2023年の今から考えれば、およそ千年前は業平の生きた時代だった。
■ ・・・

千早古 神代
千早古 平安

■ 今の世からみれば、

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千早古 京の都の 春たつ日 氷も解けて 鶯の声  遊水



2023年12月9日土曜日

「千早古神世も聞かず 」これがすごい。業平は絶世の美女という言葉は知らなかったが、

括り染は、布の所々を糸でくくり、そこを白く染め残して模様を出す染め方。また、その模様。絞り染め
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■ 2023-12-09
■ 例えば、小倉百人一首など、古典に親しむのは昔の人はどのように感じどのように表現したか、
■ 言葉とはなにかに興味がある。
■ そして、自分はどのように表現するか、ということだ。
■ 詩人がどのような感性で、どのような言葉として、捉えるかは、まあ、読んでもいいかとは思うが。
■ 自分ならどう書くか、昨日ちょっと目にした歌をとりあげよう。まず

佐伯梅友校注・古今和歌集・岩波文庫
ちはやぶる神世もきかず たつた川からくれないに水くゝるとは  なりひら朝臣

■ この歌の心をどう自分の歌につなげるかだけれど、その前にどのように表記するかだ。
■ 「ちはやぶる」とあるが「ぶ」はもともと濁点が付いていたのか、疑問だ。
  • 千早古 神世も聞かず 竜田川 韓紅に 水潜るとは  遊水
■ 「千早古」については先に夏目漱石の句もあげた。
■ 疑問の余地はない。
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■ 次は、「水くゝ」これを「くくり染め」だと解釈したのは賀茂真淵だそうだが、
■ これはごく普通にみて疑問。
■ そのさまを自分で画用紙に描いてみればいい。
■ 賀茂真淵は、頭でっかちの、奇をてらう、癖があったかのような人で、
■ 人と違うことをいい、他人の注意を引くかのようだ。
■ 絞った部分は染まらず白く残る。
■ どんな形で残るのか、到底、紅葉の葉には見えない。↑、絞り染め
■ 又「から紅」に染めるということは全体としては赤い布になる。
■ 赤い川に白い紅葉、ということになる。
■ 赤いのは紅葉でしょ。それが白なら、何これ、ということだろう。
■ そして、一番重要なのは、在原業平の気持ちはどうだったのか、だ。
■ 古今和歌集・巻第五・秋歌下の「そせい」の歌の詞書にある状況だった。
■ 屏風絵を見て二人が詠んだ。
■ その屏風の持ち主は、「二条の后」即ち、業平が恋した、というか、愛した女だった。
■ Wikipedia の絵↑、にもあるような関係だった。
■ その人に贈る歌に、自分の心を託さないはずはない。
■ 川が真っ赤に染まるほどに浮いた一面の紅葉は当然、二条の后、即ち、藤原高子で、彼女への思いを、その真紅の紅葉の下を流れる川に託した、と解するのがごく常識的のように思われる。
■ そして、
  • 千早古 神世も聞かず
■ これがすごい。
■ いままで歴史上もないほどの美しさだ。
■ 美しい紅葉だ。
■ 絶世の美女、という言葉が今はある、業平の時代にはなかったのだろう。
■ 「絶世」を言い換えれば「神世も聞かず」となる。
■ その美しい紅葉のようなあなた。
■ 竜田川、即ち、私の上に浮かんでいる。
■ 当然「括る」ではない「潜る」という表現になる。
■ まあ、人がどのように解釈するかは、人それぞれかもしれないが、通説などどうでもいい。
■ 自分はどう感じ、どう評価し、どう自分のものとするかだ。

2023年9月28日木曜日

昨日今日とは思わざりけり

■ 2023-09-28
■ いつのことだったか、ブログ内検索してみた。

つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを  在原業平

■ 4時半頃だった、とか。

2023年9月25日月曜日

秋立つや千早古る世の杉ありて  漱石

漱石俳句db 877  ひやひやと雲が来る也温泉の二階: 夏目漱石俳句集 (seesaa.net)
■ 参考
香椎宮 - Wikipedia
香椎宮 kashii-gu - YouTube
 
■ 2023-09-25
■ 書斎のパソコンでブログを書いていたら、・・・
■ 「ひやひやと雲が来る・・・」漱石の俳句、25日付の子規に送った手紙にあるんだって、などと、ABC放送の気象予報士・清水さんが言ってるよ、という声が聞こえた。
■ 夏目漱石全集を見ると、

舟後屋温泉
ひやひやと雲が来る也温泉の二階

■ この時はたくさん送っている。
■ そのなかに

香椎宮
秋立つや千早古る世の杉ありて  漱石

■ こんな句もある。
■ 百人一首の解説では「ちはやぶる」としているのがほとんどだが、
■ 夏目漱石は「ちはやぶる」ではなく「ちはやふる」と理解していたことが分かる。
  • ちはや
  • もはや
■ これについては、何度も書いた。
■ 百人一首の業平の句は、当然、神代、につながるのだから、千早古る、なのだ。
■ 夏目漱石はちゃんと分かっていたんだな、と改めて感心した。