2025年1月31日金曜日

和歌って、解釈するもんなのかねぇ

■ 2025-01-31
■ 安東次男・百人一首・新潮文庫、を図書館から借りて読んだ。
■ 手元にあればもう少しじっくり読みたいが、返却しよう。
■ ・・・
■ 久しぶりに、島津忠夫・新版・百人一首・角川ソフィア文庫を手に取った。
「百人一首の解釈ということ」
■ この部分をまた読んだ。
■ 和歌は解釈するものなのかね。
■ 感じるモノでしょ。
■ 在原業平朝臣の歌の解釈が書かれている。
■ 今では定説となっているのは、
  1. 潜る
  2. 括る
■ ククルだそうな。
■ 水は見えず、一面、紅の川を見て、ククルとは何なのかね。
■ 赤で染めた場合、糸でくくられた部分が白くなる。
■ 紅葉は赤だが、紅葉の形が括った部分だとしたら、白く残る。
■ 紅葉の周りが白く残るように染めるということか。
■ 解釈というのは、考えるということだろうが、歌を考えてどうする。
■ ことばとしては

みず
くくる
とは

潜る
とは

■ 水は、紅葉の下を流れている、と見た方が自然のように思う。 

からくれないに
みずくくる
とは

■ ・・・

たつたがわ
からくれないに
みずくくるとは

■ ・・・まあいいか。
■ どちらが正しいか、議論しようとは思わない。
■ 直感的に感じればいい。
■ これについてはどこかにも書いた。
■ 屏風絵だから、紅葉の形がはっきりわかるような、紅葉を散らした絵だったのではなかろうか。
■ 屏風絵を見て作った歌のようだが、実際の川の様子を見てどうなのか、と思う。
■ 我々は和歌を読んで、屏風絵を想像するのではなく、
■ 現実の紅葉の川を思い浮かべるコトだろう。
■ ・・・
■ 「千早古」についても何度か書いた。
■ ここいらで、もう一度、百人一首をとりあげてもいいかもしれない。





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