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2025年8月23日土曜日

ふたつの記事


ラクダ・アート武市萌美さん、2019年1月10日撮影

■ 2025-08-23、-24
■ 今朝の日本経済新聞の記事でちょっと気になったのが2つあった。
■ 私の履歴書の森村泰昌・レーニンが面白くなかったので、読んだのだ。
■ 吉田恵里佳・攻める相手を見誤らぬ世に、
私は好んでぴったりしたスタイルに身を包んでいた。
「そりゃ痴漢がなくならない訳ね」
最初は自分に向けられた言葉とは分からなかった。
「服装と、襲われることって何か関係がある?」 
・・・
どんな行動をしても被害者に非はないし、どんな境遇や理由があっても性加害した人を許してはならない。
■ なるほど、どんな行動をとっても、責任は自分にあるのだと分かっていれば、いいだろうけれど、社会現象としては服装は一番関係があると考えられているように思う。また、イスラム教徒の女性やアーミッシュの女性が頭に被り物をするのはまさにそれだろう。
■ 階段を上っていて、ふと見上げると、割れ目の形がくっきり分かるようなことは何度かあった、見たくないから横にそれるが、「ぴったりしたスタイル」と「痴漢を呼ぶ」ことに因果関係は、ないとは言えず、むしろ、あると断定できる。
■ 里見八犬伝のパロディー本で「女性の美しさは罪である」としていた。
■ 「魅力」とは何なのかね。
■ 何のために化粧するのか、何のために、あるいは誰のために、装うのか、
■ 映画「哀愁」で主人公のビビアン・リーが口紅をぬぐう場面がある。
■ なぜぬぐったのか、・・・
■ もうひとつ、
■ 名作コンシェルジェに、山中智恵子歌集が取り上げられていた。
■ 4つの短歌があったがどれも知らなかった。
■ 高野公彦・現代短歌をみるとどれも含まれてなかった。
■ 前衛歌人ということのようだが、前衛って何、どうでもいいけど。

山中智恵子 - Wikipedia 前衛歌人





中国の「三十年河東、三十年河西」(栄枯盛衰)は、現代でも企業家に影響。破産や逃亡、飛び降り自殺が急増。1950年代の公私合営・三反五反でも同様の悲劇が。70年経ち、再び同じ運命が。#精鋭論壇 - YouTube




2025年8月22日金曜日

その時がいつか来るとは知りながら 昨日今日とは思わざりけり   橋本遊水

 ■ 2025-08-21,-22
■ 先日、紀伊国屋に行って、目当ての本がなかったので、気まぐれに買った中西進・「辞世のことば」・中央公論をいちおう読んだ。60人の言葉だった。何かを選ぶことで、何かを表現したいということなのだろうが、今の世では辞世に人の関心は薄いのかもしれない。
■ 在原業平の歌は以前、自分なりに作っていた。


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■ 兄が逝ったとき、思い出した。

2025年3月15日土曜日

つかぬこと・短歌


■ 2025-03-15
■ 土曜日は詩歌の日だ。
■ 今朝の日本経済新聞・歌壇に次の歌があった。
  • ベルリンに豆腐はあるかと聞かれたら豆腐のようなものならあります  ドイツ 布山登
■ これで思い出した。
■ ・・・

つかぬこと おききしますが ベルリンに 豆腐はあるの 納豆あるの  遊水
つかぬこと おききしますが ベルリンに 豆腐はあるの あるにはあるが 


2025年3月8日土曜日

なきひとを おもいだしつつ くちづさむ 加賀に生れて 昭和に生きて  遊水



■ 2025-03-08
■ 今日は土曜日、詩歌の日だ。
■ 日本経済新聞・歌壇に、この短歌があった。
■ こんな短歌を見ると、自分でも何か作ってみたくなる。

君恋し大利根無常加賀の女時には母のないこのやうに  横浜 島田あき子
なきひとを おもいだしつつ くちづさむ 加賀に生れて 昭和に生きて  遊水

■ ・・・

2025年2月19日水曜日

スマホ・メールの時代だからこそ、和歌もアリ。みそひともじの遊び

■ 2025-02-19
■ 先日、こんな頁を書いた。
■ 私は、日本人の一人として和歌に親しみたいと思う。

ひとはいさ こころはしらず われはただ みそひともじに こころくだいて  遊水
人はいさ心も知らず故郷は花ぞ昔の香ににほひける  紀貫之

■ 和歌にも色々あるが、基本、当時の手紙で、今でいう、メールのことだから、
■ 言い方を変えれば「今・現在」のことだ。
■ ゼンゼン、同じだ。
■ 当時は当時の言葉を使った。
■ 今は今の言葉を使えばいい。
■ 基本的に日本語で、ことばは時代とともに移り変わってゆく。
■ それは、今でも使う人により変わってゆく。
■ 言葉は変わってゆくれけれど、こころは変わらないものがある。
■ 言葉は変わってゆく、というのは、新鮮さを表せる言葉にしたいからで、
■ 心は同じものだが、人とは違う自分を表現する、ということ、
■ どんな言葉で自分を表現するか、まあ、そういうコトに、つまり言葉に人は心を使った。
■ なるべく自分の気持ちや考えや思いをいい言葉で、適切な言葉で表現したい。
■ 言葉は変わってゆくけれど、すたる言葉もあるし残る言葉もある。
■ 残ることばは、使いたい言葉で、基本的には日本語だから、
■ 今も残る昔の和歌が参考になる。
■ 散文だと優劣をつけにくい。
■ 形が決まっていると、その差、違いが分かる。
  • 5・7・5・7・7 ・・・ 31・みそひともじ
■ 定型とはそういうことだ。
■ そこが日本人のえらいところだ。
■ それが日本の文化ということだ。
  • だいじょうぶ ただつくるだけ めちゃやばい みそひともじに こころがあれば
■ ・・・

2025年2月12日水曜日

桜餅、と、桜、そして、俳句と短歌、スマホ時代に住みながら。

俳句誌α 1992年11月創刊 

■ 2025-02-12
■ 桜餅、買ってきたよ、という。
■ 妻は、桜餅はさほど好きではないが、私の好みだからだ。
■ 昔作った句を思い出す。
  • 香りよき葉ごと食いけり桜餅  遊水
■ この句は、歌集「瀬音」美智子、を読んで作ったものだ。

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■ 雛の節句頃に合わせて売る商魂が、バレンタインデーと同様いかにも日本的だ。
■ まだ早いけど、桜って散るところがいいのよね。
■ という。
■ 起承転結的に続く。
■ 昔、俳句誌αアルファは季刊でその何号かに投稿した句が上田五千石という人に佳作で選ばれてうれしかった句がある。
■ この頃、俳句なんてほとんど知らなかった。
■ 選者についても知らない。
■ 桜の句や歌は世にたくさんあることだろう。
■ よく知られた歌に、

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき

■ このような歌に対し藤原定家はどう評価したのか、百人一首には
  • 久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらん  紀友則
■ 選は作である、などとも言う。
■ これら3つを比較すれば、「のどけからまし」や「散ればこそ」は何か理屈ぽく、ただ頭で作ったように感じられる。
■ 一方「しず心なく」は新鮮な言葉使いに聞こえ、率直な感じがする。
■ 思いや考え方は、だれもが表現しやすい。
■ 「ことば」はなかなか思いつきにくい。
■ だから、和歌がある。
■ 「しず心」の歌の「久方の」は「枕詞」だとする解説がある。
■ 何の違和感もなく、枕詞だとする感覚、なぁんか変だよね。
■ 最初にそのことばを使った場合も枕詞なのか、と疑問を持たなくていいのか。
久方ぶり
久しぶり
■ こんな言葉は今も活きている。
■ 久しぶり、の春の日。
■ 久しぶり、の、のどかな春の日

■ 久しぶり、の、のどかな日、なのに、「なんでよぉ」
■ 散っちゃうなんて、・・・
■ もっと眺めていたいのに。

■ そんなふうに、私は読んでいる。
■ この歌の場合、枕詞であるはずがない。
■ 何度も書いた。
■ さて、「花の散るらん」の花は桜だととれる。
■ だからといって、どんな場合も桜かというと、それは違う。
■ 百人一首の歌に
  1. 花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに  小野小町
  2. 色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける  小野小町
■ 「2」の方は桜だとは言えない。
■ どちらにも、花、や、色、という言葉が出て来る。
■ 同じ作者、小野小町は「色」をどのように捉えていたか、
■ 色彩の色ではない。
■ 何なのか、私は、次の歌にしてみた。
  • 世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに  遊水
■ そして、小野小町でなく、紫式部の歌だったら、面白いのにな、と思った。
■ 源氏物語と併せて考えると、こんな歌もありかと思う。

世の中はうつりにけりないたづらに我が御世に古るながめせしまに  遊水
世の中はうつりにけりないたづらに我関せずとながめせしまに  遊水

■ 今の時代に、スマホも使わず生活している。
■ だから、こんなふうにも世の中を見てしまう。
■ ・・・

2025年1月29日水曜日

歌合わせ、その3、解説・・・噂で聞いて初めて、お前もか

■ 2025-01-29
■ これに関しては、もう少し書いてもいいかな、と思う。

しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで  平兼盛
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか  壬生忠見

■ 島津忠夫・新版・百人一首、白洲正子・私の百人一首、など、
歌話的興味にひかれたと思うのである。
有名な逸話があるところから二人を並べてだしたのだろう。
 
■ そうかな、?、先に書いたように、天皇の判定ではなく、自分だったらこっちだ、と。
■ 当時、歌の最高権威であると自認していた定家の性格を表しているように思う。
■ それはさておき、

こいすてふ
わがなはまだき
たちにけり
ひとしれずこそ
思ひ初めしか

■ ・・・

恋をした
早くも 私の名前が
噂になっている
人に知られないように
思い始めた ばかりなのに

■ 575 で書くと短歌になる。
■ 似たような情況はあるだろう。
■ なので、躊躇せず、自分の言葉で書くのがいい。
  1. 噂聞く お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのに
  2. なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから
  3. 恋をした いつか噂に なっていた 人にも言えず 黙っていたのに
■ 「1」の場合、噂で聞いて初めて、お前もか、という感じも出ているだろうか。
■ 三角関係の様相だ。
■ 「2」の場合、二人の友情だ。
■ 「3」の場合は、独り言。
■ 平兼盛、の場合は、自慢話だ。
■ これらの歌の質は置いといて、どれがいいか、・・・
■ また、私だったら、こう作る、と、女の立場ではどうだろう。
■ 色々できるだろう。


2025年1月28日火曜日

歌合わせ「忍恋」、なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから // 遊水

■ 2025-01-18
■ 昨日は、こんなコトを書いた。
■ 何かひとつできれば、それを元に考えればよい、
■ 例えば、・・・
  1. なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 顔に書いてる
  2. なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから  遊水
■ 推敲という言葉がある。
■ そういうことで、「2」にした。
■ ここで、先に書いた歌と並べてみる。
■ それが歌合わせ、ということだ。
■ ここで、以前も書いたが「うわさ」というのも取り上げてみよう
  1. 人の言う お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのに
  2. 噂聞く お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのに
  3. なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから
■ どうというコとのない歌だけれど、・・・
■ よくある話で、百人一首の昔から、「忍恋」として取り上げられていて、
■ 昔も今も変わらない、ということなのだ。
  • 私だったら、こう作る
■ という人もいることだろう。
■ やってみようや、歌合わせ。


2024年12月26日木曜日

いきてかえらぬ ひとぞかなしき


■ 2024-12-25
■ 今回は日本の団体が受賞したようだ。
■ しかし、賞が存在することで、平和になったのか、あるいは、なるのかという疑問がある。
■ 例えば、若い人たちが、広島・長崎の資料を見る機会を増やすことをした方がよいように思う。

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2024年12月25日水曜日

いつの世も人の気持ちは変わらない春夏秋冬・日本列島

■ 2024-12-25
■ こんな歌を作っていた。


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へいぼんに すぎさるひびの はやいこと きょうもきのうと かわることなく // 遊水


■ そして、先日




■ こんな頁を書いたけど、

いつの世も人の気持ちは変わらない春夏秋冬・日本列島


2024年11月20日水曜日

月は澄んだ清らかな女性の象徴だろう

アンソロジー(anthology)とは、一般的には、複数の作家が特定の題目(テーマ)で手掛けた作品をまとめた「選集」のこと。

■ 2024-11-20

おぼつかなそれかあらぬか明暗のそらおぼれする朝顔の花     紫式部 塚本邦雄選
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな  紫式部 藤原定家選
年暮れてわがよふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな    紫式部 橋本遊水選

■ 百人一首としては、定家の選んだ歌が、やはりいいかと、今は思う。
■ 紫式部の歌を、定家自身の作だと仮定すると。
■ その心はどうなるのだろうか。
  1. 誰と誰がめぐり逢ったのか
  2. 月とは何を象徴するのか
  3. ・・・
■ まず月は、澄んだ清らかな女性の象徴だろう。
■ 出会ったのは、定家と式子内親王
■ このように考えたとき、定家は、ごく自然にこの歌を選んだとしても違和感はない。
  • 詞書「早くよりわらは友だちに侍りける人の年ごろ経て行きあひたるがほのかにて七月十日ごろ月にきほひて帰り侍りければ」新古今和歌集・巻第16・雑上
■ こんな詞書があるのを知ってしまうと、定家が選んだ、その心を想像しにくくなる。
■ 百人一首を短編物語としてみれば、いろいろ想像することもできるだろう。
■ なぜ、定家は百人一首を選んだのか。
■ 定家の視点がある。


  

2024年11月19日火曜日

身にしむ色の秋風、をもう一度、と、蛍の歌



■ 2024-11-19
■ 塚本邦雄は新小倉百人一首の和泉式部の歌として
  • 56 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ    和泉式部
■ この歌を上げている。
■ 「身にしむ」については以前書いた。
■ この際、これらをまとめ比較してみよう。

秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ  和泉式部
しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く  藤原定家
若き日は見えざりしこの風のいろ身にしむ色の風の秋なる  小島かおり
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く  橋本遊水

■ 色は「ような」という意味。

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「いろ」は色彩の色でなく、辞書には/顔色、ようす/種類、しな/情趣、味わい/やさしさ、情け/……とあり、「風情」といつたところか。今風に言えば「カンジ」である。従って、・・・


■ さて、塚本邦雄は藤原定家の小倉百人一首を凡作だと貶すがどうだろう。
■ まあいいか、そのうち私も何か選んでみよう。
■ その一つとして

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黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部


■ こんな歌を選んでいた。
■ この歌の方が塚本邦雄選よりいいと思うが、定家・小倉百人の歌は、当時の人間関係なども考えられていることを思えばそのままでもいいのかもしれない。
■ 書き並べてみよう。

あらざらむこの世の外の思ひ出に今一度の逢ふこともがな    和泉式部 藤原定家選
秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ  和泉式部 塚本邦雄選
黒髪のみだれもしらずうち臥ふせばまづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部 橋本遊水選

■ ・・・・

○   ○   ○

■ ついでに・・・
■ この動画で「その中から2句紹介します」と言っているが「2首」といってほしいものだ。
■ 重箱の隅ではあるけれど、・・・
■ しかし、まあ、こういう解説があるのも悪くない。
  • もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る   和泉式部
■ この歌も上げている。
■ そして、紫式部の評についてもふれていた。
■ 紫式部・源氏物語・玉鬘の蛍の歌は、・・・
  • 声はせで身をのみ焦がす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
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■ 蛇足ながら、比較してみると面白い。

2024年11月18日月曜日

長々し夜を独りかも寝ん、どんな時

■ 2024-11-18
■ 平安時代は気温は今より高かったようだ。
■ 百人一首でも「春の雪」などとあるから、この歌が詠まれたころは雪も降っていた。
■ また、単身赴任、というのも、例えば越後の国などに、安全保障上の役所もあり、
■ 例えば、紫式部は親とともに北陸地方に行っている。
■ 行き帰りに伊吹山の雪なども見ている。
  • 三年め降り積む雪に音もなし 長々し夜を独りかも寝ん   遊水
■ さて、「三年目」と言う表現はいかにも今風だ。
  • みとせふる
■ とでもした方がいいのかもしれない。
■ しかし、あまり、よくない。
  • 三年ふる真白き雪に音もなし
  • はやみとせ降り積む雪に音もなし 長々し夜を独りかも寝ん   遊水

2024年11月17日日曜日

三年め降り積む雪に音もなし 長々し夜を独りかも寝ん 遊水


■ 2024-11-17
■ 暫く、百人一首から遠のいていた。
■ それは、紫式部の悩みがどんなものだったのか、ということから、源氏物語に首を突っ込んでしまったからだ。
■ まあ、いい。
■ ところで、百人一首の3番目は柿本人麻呂の歌だった。
■ 下の句を使い、別の歌を作ってみるのもいいのではないか。
■ 例えば、単身赴任のとき
  • あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む   人麻呂
  • 三年め降り積む雪に音もなし 長々し夜を独りかも寝ん   遊水

  • 三年め降り積む雪に音もなし 赤いリンゴの枝に残りて
  • 北国の単身赴任の窓の外 赤いリンゴの枝に残りて
■ 定家は「長々し夜をひとりかも寝む」との心境を人麻呂の歌を用いて表現したかった。
■ 人麻呂や定家ばかりでなく、現代の人々も、そんな気持ちの時があるだろう。
■ それぞれが、歌にすればいいように思う。

2024年11月9日土曜日

土曜日は詩歌の日、と、ハチ公

■ 2024-11-09
■ 日本経済新聞・朝刊・俳壇に次の句があった。
  • 廃業の生業いくつ草の花   浜松 宮田久常
■ ふうむ、・・・
■ ところで、今年、自分はどんな歌を作ったろうか。
■ 思い出すのは、・・・
■ これは気に入っているのだか、どうだろか。
■ 新しい短歌もいいだろうけれど、本歌取り、もいいように思う。
■ なんせ、短歌には長い歴史があり、廃れてないのだから。
■ 最近、百人一首や、新古今和歌集を適当に拾い読みしているのだが、楽しめる。

2024年10月27日日曜日

身にしむ色

■ 2024-10-27

前衛?、と、アカガシラサギを振り返る

■ よく笑う。


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2005-10-16    11:19:36

枚方市・山田池公園




■ 2024-10-27
■ Wikipedia で塚本邦雄を見ると「前衛」という言葉が出て来る。
  • 寺山修司岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、・・・
■ 誰が「称した」のか、・・・
■ 前衛、という言葉の使い方が正しければ、今の時代を先取りもしていたはずだけれど、
■ どうだろう。
■ まあ、奇をてらったとでも言った方がいいのかもしれない。
■ 本来、言葉は、相手に伝わるものとしてなければ意味はない。
■ また、みそひと文字で、すべてをいいあらわすことなどできない。

秋の夕暮、もう一度

■ 2024-10-27
■ 百人一首の「秋の夕暮」の歌について書いた。
■ 良暹法師、とラベルをつけた頁を見てみよう。

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■ これをもとに以前の頁を見たが、誤り、に気付いた。
■ 馬場あき子のヶ所で
馬場あき子著「百人一首」に
[歌のこころ] 
草も木も枯れ枯れになる秋。寂しさに草案を出て
・・・
■ 草案ではなく「僧庵」だ。
■ ごめんなさい。
・・・
■ 以前に作った歌と、今回の歌と並べ置いてみよう。
  1. みやこまで さんりのみちの ゆきかえり いずこもおなじ あきのゆうぐれ  遊水
  2. 寂しさは 誰でも同じ 秋の暮 知る人もなき 雑踏の中  遊水
  3. にぎわいの 梅田の街に ふらり出て 疲れて帰る 秋の夕暮  遊水
■ 「2」より今回の「3」の方がいい。
■ 少し進歩したのかも、というか、もとにした歌が違うからだ。
  1. 良暹法師
  2. 藤原定家
■ 何を元に発想するか、連想するか、その違いだ。
■ 「2」と「3」は似ているが、「2」は説明的だ。

2024年10月26日土曜日

短歌、塚本邦雄



■ 2024-10-26
■ 行きがかり上、塚本邦雄の新小倉百人一首を見てみようか、ということなった。
  1. 藤原定家・小倉百人一首
  2. 時実新子・恋歌ノート
  3. 塚本邦雄・新小倉百人一首
■ 2」の解題の最後に塚本の歌がある。
■ これは、恋の歌として、彼の代表作なのかもしれない。
  • 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ  塚本邦雄
■ この歌の他は、と、一応、高野公彦編・現代の短歌・講談社学術文庫、をひらいてみた。
■ 私の短歌とは、ほとんど相いれない。
■ 頭で作ったという感じで、おおげさだ。
■ 「人あやむるこころ」などとしなくてもいいだろう。
■ 例えば、
  • よのなかの ふたりにひとり おみないて むねのふくらみ はだのぬくもり  遊水
■ こんな感じの、普通でいいのではないか、という気もする。

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2024年10月18日金曜日

塚本邦雄、と、式子内親王の歌


■ 2024-10-18
■ 塚本邦雄の新小倉百人一首を見ると、時実新子・恋歌ノートの解題にあげた歌とは違っていた。
■ 改定したようだ。
  1. 定家選  玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする     式子内親王
  2. 塚本選1 恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしもあらず君を聞くらむ
  3. 塚本選2 かへりこぬ昔を今とおもひ寢の夢の枕に匂ふたちばな
■ なるほど、なるほど、・・・
■ 私は、先に次のように書いた。

  • 099
  • あのひとと ともにつかいし このまくら かおをうずめて おもいねるかな  遊水

かへりこぬ むかしをいまと おもひねの 
ゆめのまくらに にほふたちばな // 式子親王内

  • 100
  • もしおやき こころこがして こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎろかも  遊水
 
こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに
やくやもしおの みもこがれつつ // 藤原定家

■ 定家選の「玉の緒よ」の歌もよくないとは思わないが「命を懸けた恋」的に解釈されると、拒否したくなる。
■ 「かえりこぬ」の歌の方が素直に心を表現していると思う。
■ また、塚本は、後鳥羽院、順徳院の歌も、そして定家の歌も入れ替えている。
■ これについては頁を新たにしよう。
■ 一人一首という制約がどれを選ぶかと、よく読み理解することにつながる。
■ 例えば、この例では、
  • 塚本選1 恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしもあらず君を聞くらむ
■ 世にもあるべし、とは理屈っぽい。