■ なぜ、これにしたのか、よくわからない。
■ 白洲正子・私の百人一首、には、87寂連法師の頁に、いわゆる三夕が記されている。
■ 新古今和歌集の、361、362、363、の歌だ
さびしさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ 寂連心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つさわの秋の夕暮れ 西行見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 定家
■ そして、・・・
同じ新古今の調べでも、西行だけが孤独で、自分自身の「秋の夕暮れ」を見つめていることに注意していい。
■ と書いている。
■ 要するに、白洲正子は、このみっつの中では西行の歌を評価している。
■ 百人一首に次の「秋の夕暮」の歌がある。
村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕暮れ 寂連
淋しさに宿を立ちいでてながむればいずくも同じ秋の夕暮れ 良暹法師
■ 寂連の「秋の夕暮」の歌として、定家はこっちの方を取り上げた。
■ 白洲正子は、良暹法師に関しては・・・
特にこの歌をえらんだ頃は、新古今の調べも定着し、その先駆けをなす秀歌として賞翫されたのであろう。
■ としている。
■ 塚本が百人一首は凡作ばかりだとするのは、まあ、勝手といえば勝手だが、
■ 来ぬ人を、を置き換えてしまうと、なんの百人一首か分からない。
■ それに、定家の、花も紅葉もなかりけり、とする景色が秋の夕暮れなのだろうか、と思う。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
■ 自分が住んでいるわけでもない、漁師の住まいを遠くから見て、歌にしている。
■ 自分の「秋の夕暮」ではなく、寂連の「色としもなかりけり」を言い換えてみただけの歌で、いわば凡作だ。
■ それをなぜ塚本は定家の代表作のように「来ぬ人を」からこの歌に替えたのか。
■ 分からん。
■ ・・・
■ 芭蕉は、秋深き隣は何をする人ぞ、とした。
■ 会津八一は
かすがのに おしててるつきの ほがらかに あきのゆうべと なりにけるかも 八一
■ 今、百人一首から離れて、どんな秋の夕暮れを詠めばいいのだろうか、・・・
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にぎわいの 梅田の街に ふらり出て 疲れて帰る 秋の夕暮 遊水
■ 「空しく帰る」より「疲れて帰る」でいいか、とした。
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