2024年10月5日土曜日

「秀歌」を選ぼうという意識ならば自分の歌が最高で最後であるはずだ。

■ 2024-10-05
■ 昨日、一昨日と天気が良くなかった。
■ 雨の後だからだろう。
■ 朝の風が秋風だ。
■ で、コンピュータを立ち上げてすぐ、気象庁のサイトで雨雲の動きを見た。
■ ・・・
■ 百人一首で気になっていたのは、なぜ定家は99番の歌を入れたのか。
■ 100番の歌は「ももしきや」だから、100番にしても悪くはない。
■ しかし、99番の歌は不要のはずだった。
■ なぜなら、百人一首は定家の歌が最高であることを示す歌集のはずだからだ。
■ 研究者にとっては、後鳥羽院の歌があることで、興味がひかれるかもしれないが、
■ 私だったら、無視してよいかと思う。
  1. 百人一首
  2. 百人秀歌
■ 「百人秀歌」という題名が最初からついていたかどうか知らないが、
■ 「秀歌」を選ぼうという意識であれば、自分の歌が最高で、最後でなければならない。
■ 百人秀歌では、最後の歌が、
花誘う嵐の庭の雪ならで 
ふりゆくものは我が身なりけり
■ これは、3番目の
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長々しき夜をひとりかもねん
■ これと呼応して、定家の恋の歌に、若き日の回想である、との深みを与える感じがする。
■ 研究対象としては百人一首がいいのかもしれないが、
■ 俳句や歌に親しむ私としては、藤原定家の立場から見ると百人秀歌の方がよいと思われる。
■ とにかく当時、歌人としての最高の地位を世の人は認めていたのだから、本人も意識していたと思う。
■ 流人の後鳥羽院など、どうでもいいのだ。
■ 仮に入れるとしたら、全体的に配列を再考するのもありかと思う。
■ 更に、例えば、5首から10首ほど他の歌に入れ替えて、定家に対抗してみるのもいいのではないか。
■ というか、定家がもう少し生きていたら、こんな選び方もあるかもしれないと、
  • 改定・小倉・百人一首
■ 研究者は当時の和歌集について詳してことだろうから、やってみたらどうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿