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2025年4月25日金曜日

高村薫・墳墓記、と、万葉集 第6巻 935番の歌、百人一首、2025-04-26


■ 2025-04-21
■ 今日の日本経済新聞・夕刊に高村薫の記事が出ていた。
■ 2025-04-25
■ 墳墓記を刊行「4年ほど前、一寸先も見えない状況でのスタートでした。ただ、藤原定家の日記に天武天皇の墓が盗掘にあったとの記述があり、定家は古代に興味がないと聞いていたので、おおっと思った。当然、万葉集に載る天武の歌も知っているはず、といったところから始めた」
■ こんな記述があった。
■ 「一寸先も見えない状況」だと言っても、百人一首の存在も知らなかったのだろうか。
天智天皇
持統天皇
柿本人麻呂
山部赤人
大伴家持
■ こうした人の名前も知らなかったのだろうか。
■ 天智天皇は天武天皇の兄であり、持統天皇は天武天皇の妻であるので、定家が「当然、万葉集に載る天武の歌も知っているはず」とする感覚が異常だ。
■ 文字情報のあふれる現代で万葉集を知らない人はていも、藤原定家の時代、彼以前の文字の歴史としては万葉集はいわば必須であったと思われる。
■ それしかないのだ。
■ 紫式部でさえ、という言い方はよくないが、紫式部は日本書紀も読んでいた。
■ まして、定家が万葉集を知らないはずはない。
■ そして、藤原定家の歌は、笠金村の歌を下敷きにして作られていることも知らなかったのだろうか
万葉集 第6巻 935番の歌
名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松<帆>乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三
■ 知らないことが悪いわけではない。
■ 「定家は古代に興味がないと聞いていたので、おおっと思った」という彼女の発言にかなり違和感を感じた。
■ また、「定家の日記」から入ろうとすることに何か、裏道・迷い道のような気がした。
■ 主人公の設定が「能楽師の家に生まれ」とするところに室町時代の評価を元に語ろうとしているのだろうか。いわば偏見ではないか。
■ 「この世界で言語化できないものを鬼と名付ける。私は今作を書いていて、日本語を拡張したいという思いがありました」としている。
■ 要するに、「日本語を拡張」することで「言語化」し「鬼」をなくせる、とい考え方か。
■ しかし、昔を知らなかったので、というか、忘れたので、というか、捨て去って返りみようとしなかったので、現在萎縮?しているだけで、拡張しようということではなく、ただ、昔の言葉の中に存在している心を再発見するということだろう。「鬼」とする意識とは何か、ということではあるが、「鬼」という言葉自体、人の想像の世界にあるものに過ぎない。
■ 新聞記事から、こうした先入観を持ってしまった。
■ 彼女の長編を読み通すことができるかどうか、一応、買ってみようかと思う。
■ 何も読まずに勝手なことを書くのもよくないと思い、南千里まで行き、この本ともう一冊を買った。
■ ざっと読んでの感想をとりあえず書いておこう。
■ 墳墓記の最後にこんな記述がある。
■ 多少長くなるが、・・・
■ 引用する前に、ちょっと google した。
吹きはらふ紅葉のうへの霧はれて峯たしかなるあらし山かな  定家

■ さて、・・・

男はいま、長年想像していたよりはるかに曖昧な心地とともにこの結果を迎えている。何もなさず何の役にも立たない長い彷徨の果てに転がっていたものを、今はもう、あえて言い当てることもない。たぶん何であれ十分に生きたあとでは、ひとまずすべての荷を下ろして空っぽになるのが望ましく思えるということだろう。

かの歌詠みも後年は技巧を離れた。思えば、生々しい言葉の力に満ちた万葉の歌にはついに届かず、もはや古今・新古今にもそれほどこころが動かなくなった老いの果てに、言葉で満杯にもなった己の人生を、ひとまず空っぽにしたい衝動にかられたこともあったことだろう。

男はひとつ呼吸をする。長い間見ていなかった、くっきりした気持ちのよい眺望が目の前いっぱいに開けてゆく。もう言葉はいらない。ふきはらふもみぢのうへの霧はれて峯たしかなる嵐山哉

貞永元年(1232)四月作か?
和歌データベース 拾遺愚草_定家
藤原定家年譜

■ 「かの歌詠み」は藤原定家とみられるが、・・・
■ 定家は45歳以降はほとんど歌を詠まなくなった。死んだのは81歳だった。 

1162年 定家誕生
1207年 45歳
1210年 新古今和歌集
1235年 百人一首 原型
1239年 後鳥羽院死亡
1241年 藤原定家死亡

■ 計算すると年齢が一致しないので、この年表は正確ではないが、ざっとこんな感じか。
■ 墳墓記の作中、「男が」どのように思ったとしても、定家と関係があるとは言えない。勝手に思っているだけだ。作者の考え方、というか、高村薫自身の、彼女の人生に過ぎない。
■ ・・・
万葉集の時代
古今集~新古今集の時代
能の時代
今、昭和から令和の時代 
■ 「能」の時代の解釈に引き込まれてしまった感じがする。
■ 定家はあくまで「生」に生きていた。武士の時代を経た「能」の「死」の世界、世界観とか、人の意識は異なっていたととらえた方がいいだろう。
■ 「もはや古今・新古今にもそれほどこころが動かなくなった老いの果てに」定家は百人一首を編集したのか、そうではあるまい。
■ 新古今和歌集は下働きであったので、自分のものとして百人一首を作り上げたと、思われる。
■「もう言葉はいらない」ではないだろう。
■ 老いてなお、歌への、あるいは、自分の存在の主張、自分への執着があったように考えた方がよいだろう。
■ 高村薫は、この続編を、別の視点から、つまり、主人公を変えて、書かねばならぬ事態に陥ったのではないか、作家として、落とし前をつけなければならない感じがする。
■ これでは済まされない。



2024年11月20日水曜日

月は澄んだ清らかな女性の象徴だろう

アンソロジー(anthology)とは、一般的には、複数の作家が特定の題目(テーマ)で手掛けた作品をまとめた「選集」のこと。

■ 2024-11-20

おぼつかなそれかあらぬか明暗のそらおぼれする朝顔の花     紫式部 塚本邦雄選
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな  紫式部 藤原定家選
年暮れてわがよふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな    紫式部 橋本遊水選

■ 百人一首としては、定家の選んだ歌が、やはりいいかと、今は思う。
■ 紫式部の歌を、定家自身の作だと仮定すると。
■ その心はどうなるのだろうか。
  1. 誰と誰がめぐり逢ったのか
  2. 月とは何を象徴するのか
  3. ・・・
■ まず月は、澄んだ清らかな女性の象徴だろう。
■ 出会ったのは、定家と式子内親王
■ このように考えたとき、定家は、ごく自然にこの歌を選んだとしても違和感はない。
  • 詞書「早くよりわらは友だちに侍りける人の年ごろ経て行きあひたるがほのかにて七月十日ごろ月にきほひて帰り侍りければ」新古今和歌集・巻第16・雑上
■ こんな詞書があるのを知ってしまうと、定家が選んだ、その心を想像しにくくなる。
■ 百人一首を短編物語としてみれば、いろいろ想像することもできるだろう。
■ なぜ、定家は百人一首を選んだのか。
■ 定家の視点がある。


  

2024年11月2日土曜日

百人一首・西行、秀歌でなくとも、その人にとっての一番の歌


■ 2024-11-02
■ 今日は雨だ。
■ 日本経済新聞・俳壇からひとつ拾ってみよう。
  • 八十余年いまは花野にゐるごとし  稲沢 中山整三
■ 花野、と言えば、

なにとなく君に待たるるここちして
出でし花野の夕月夜かな  与謝野晶子

■ こんな歌があった。
■ 花野、の印象も色々あるのかな、・・・
■ さて、話変わるが、塚本邦雄・新小倉百人一首の西行の歌として、次を上げていた。
  • 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山  西行
■ この歌は、一応、知っていたが、何で知ったのか、手元にある本を見たがなかった。↑
■ さて、どこで見たのか、・・・
  • 井伏鱒二編 小林秀雄
■ ここで見たようだ。
■ そこで、ちょっと気になったのだが、・・・
  1. 西行は何故出家したのか、・・・、僕には興味のないことだ。
  2. 凡そ詩人を解するには、その務めて現さうとしたところを極めるのがよろしく、努めて忘れようとし隠さうとしたところを詮索したとて、何が得られるものではない。
■ こんなことを小林秀雄は書いている。
■ 1」についてはまあそれでいいが、2」について西行は隠そうとしたのだろうか、あるいは忘れようとしたのだろうか。
■ 一般的に、2」はその通りだが、西行に関しては当てはまらない。
■ 定家は西行の歌として、・・・
  • なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな  西行
■ 忘れようとした、ということであれば、この歌は理解できない。
■ また、定家がなぜこの歌を選んだのかも分からないだろう。
■ 忘れようとしたはずはない。
■「月」は何を象徴しているのか。
  • 面影のわすらるまじき別れかななごりを人の月にとどめて  西行 
■ 当時の人は、その間の状況を知っていたが、大っぴらに口にできなかった。
■ 定家の「ほのめかし」と同類なのだ。
■ だから定家はこれを選んだ。
■ 西行の場合も、以前にも書いた。↓



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2024年10月14日月曜日

大江山は都から遠いので、おっちょこちょいの定頼はからかった。


■ 2024-10-14
■ 先にこんな頁を書いた。

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2024-10-10


■ もう少し、書き足してもいいかと思う。
■ 白洲正子・私の百人一首・新潮選書、にこんなことが書かれている。

64 権中納言定頼
定頼は和歌だけでなく、書もよくしたと聞く。が、子式部内侍をからかったのでもわかるとおり、父親の公任に似て、いくらか軽率なところがあったらしい。

■ なるほど、なるほど、だ。
■ そこで、小倉・百人一首の歌の並びを見ると、・・・
60 子式部内侍
61
62
63
64 権中納言定頼
■ ところが、百人秀歌を見ると、・・・

66 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天橋立  子式部内侍
67 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬々の網代木  権中納言定頼

■ このように関連する者を並べ置いている。
■ 子式部内侍と定頼の物語を知っている人は、なあるほど、と思うだろう。
■ しかも、公任とこの定頼の間に七人の女性の歌がある。
■ うまく配列していると感心するのだ。
■ このことも合わせ考えると、やはり、百人一首より百人秀歌の方が定家の意図に沿っていると考えられる。

13/26 参照



2024年2月15日木曜日

田渕句美子・百人一首、を興味深く読んだ

■ この映画は見たことなかった。
■ 面白くは無かったが、グランドキャニオンのさびれた金鉱の町が舞台だ。
■ これを見た後、Alvarez Kelly があること気づいた。
■ 映画の頁にリンクした。
■ そして、見た。面白かった。

■ 後で聞いてみよう。

■ 2024-02-15
■ 先日買った、田渕句美子・百人一首を興味深く読んだ。
■ ところで、秘仏、秘宝、秘伝、口伝、などと言う言葉がある。
■ 藤原定家にとって、最大の宝物は何だったのか。
  • 百人一首
■ これは、自らの歌が最高であることを示すものであった。
■ 定家の歌が万葉集を素に作られていて、
■ 百人一首は万葉の時代から、後鳥羽院・親子の歌に及んでいる。
■ その500年以上の歌と作者や時代背景について知っている定家は歌を並べることで物語を作り上げた。
■ 田渕句美子は、・・・

このような物語化は、定家の時代から下って、平安王朝の影の暗闘も、後鳥羽院・順徳院の悲劇も、はるか遠い昔の記憶となった頃にこそ可能だったのではないだろうか。

■ と書いている。
■ 後鳥羽院・順徳院の諡号は定家の時代にはなかったから、ということから論じているが、
■ 名前は無くとも歌はあった。
■ 後鳥羽院とその歌を、どのように評価するかだが、定家にとって、自らが最高位であることを示すためには、後鳥羽院の歌が必要だった、とみるべきだろう。
■ 定家は、万葉集の歌が存在することを知っているのだから「百人一首」として自らの歌が、後々まで残り知られることは当然意識していたと考えてよい。
■ 物的証拠として「百人一首」がなかったとしても、「百人秀歌」から再構成することを、
  • 言い残していた、
■ ・・・と考える方が自然だと思う。


2024年2月7日水曜日

春の歌、夏の歌、ミコアイサ、野鳥写真のない時



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■ 2024-02-07
■ 帰宅すると、うちの者が、Kさんがパンダガモ撮ってるよ、と言う。
■ 行ってみた。
■ あいにく雨が降り出した。
■ オス2羽、メス2羽だった。
■ うまく撮れなかったので、明日も行ってみよう。
■ 2022-11-15~22 に千里南公園でメスを撮っている。
■ この頃のブログ「ことのは」↑では野鳥写真を載せてないので、ひとつ拾ってみよう。


2024-02-07  吹田市・千里南公園


2024-02-07  吹田市・千里南公園


2022-11-15  吹田市・千里南公園

■ 2024-02-07
■ 新古今和歌集を見ると、春、夏の最初の歌は

  巻第一・春歌 上
  春立つこころをよみ侍りける
みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり  摂政太政大臣・良経
  巻第三・夏歌
春過ぎて夏来にけらししろたへの頃もほすてふ あまのかぐ山  持統天皇御歌

■ これを見ると、藤原定家は百人一首で、まず、この夏の歌を選んだと思われる。
■ 次に、天智天皇の歌を選んだのだろう。
■ このやり方は、100番、99番の選択意識も同様だ。
■ 100番を選び、次に99番を選んだ、とみてよい。
■ 春の歌の最初の歌の作者良経は、槍で突き殺された、といこともあり、対象外だった。
■ また、新古今和歌集の編纂時には、あれこれ口を出す彼に、定家はいい感情を持っていなかったとも考えられる。
■ 巻第二・春の歌 下、もあるがこれは行く春を惜しむ感じだろう。

2024年1月28日日曜日

さだいえの 万・千・百の 歌心 少なからずに 選びたりける、と、Paganini 2024-01-28 追記


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パガニーニ   「春の風」
パガニーニ  「夏の光」
パガニーニ   「秋の色」
パガニーニ   「冬の音」


● リンクした頁の鳥たち懐かしい。
■ ついでに見ると、

■ 2024-01-26

さだいえの 
万・万葉集
千・千載和歌集・藤原俊成
百・百人一首・藤原定家
の 歌心 
少なからずに 選びたりける

■ 定家らが選んだ、新古今和歌集では万葉集以外は7代集に採られている歌は採らない方針だった。
■ 定家は、もう少し自由にえらんだようだ。
■ そして、私の場合、

義理立てて 百にこだわる こともなし 30、50 適度に選べば  遊水

■ 要するに、もちろん完璧を期さず、その時、気に入ったものをとりあげ、できれば、その心を自分の歌として詠めればいいなと思う。
■ 過去の和歌は、いわば日本の宝だと考え、継続発展させるに越したことはないと思う。

2023年6月3日土曜日

わがよふけゆく 風の音

玉葉和歌集 冬 1036

■ 2023-06-03
■ 玉葉和歌集を見たことはなかった、ような気がする。
■ たまたま、時実新子・恋歌ノート、に次の紫式部の歌があったので見てみた。
■ この歌は他と比較するとよく分かる。
■ 例えば、・・・
  1. 年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな  紫式部
  2. 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに  小野小町
  3. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり  入道前太政大臣
■ 3」の歌が、一番内容的に平凡だ。駄作だと言ってもよい。
■ 2」の歌は、ある意味で、自分の美貌を意識し過ぎている。
■ 1」の歌は、男女問わず、だれにも共通する感慨であろう。
■ 特に、後期高齢者など、納得する人も多いのではないか。分かりやすい。
■ 紫式部は、あるいは、美人ではなかったかもしれない。いわは普通の人だった。
■ だから、ごく自然に人生観を詠むことができたように思う。
■ 藤原定家は、百人一首に、各作者の一番の秀歌を選んだわけではない。
■ 当然のことだ。
■ これについては、以前、何度も書いた。
■ 例えば、・・・
■ 定家が、それぞれの歌を選んだ理由をやはり考えた方がいい。
■ 自分の歌が最高峰にあることを強調したいのだろう。
 

2023-06-03  吹田市・高町池