■ 今日は雨だ。
■ 日本経済新聞・俳壇からひとつ拾ってみよう。
- 八十余年いまは花野にゐるごとし 稲沢 中山整三
■ 花野、と言えば、
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな 与謝野晶子
■ こんな歌があった。
■ 花野、の印象も色々あるのかな、・・・
■ さて、話変わるが、塚本邦雄・新小倉百人一首の西行の歌として、次を上げていた。
- 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山 西行
■ この歌は、一応、知っていたが、何で知ったのか、手元にある本を見たがなかった。↑
■ さて、どこで見たのか、・・・
- 井伏鱒二編 小林秀雄
■ ここで見たようだ。
■ そこで、ちょっと気になったのだが、・・・
- 西行は何故出家したのか、・・・、僕には興味のないことだ。
- 凡そ詩人を解するには、その務めて現さうとしたところを極めるのがよろしく、努めて忘れようとし隠さうとしたところを詮索したとて、何が得られるものではない。
■ こんなことを小林秀雄は書いている。
■ 1」についてはまあそれでいいが、2」について西行は隠そうとしたのだろうか、あるいは忘れようとしたのだろうか。
■ 一般的に、2」はその通りだが、西行に関しては当てはまらない。
■ 定家は西行の歌として、・・・
- なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな 西行
■ 忘れようとした、ということであれば、この歌は理解できない。
■ また、定家がなぜこの歌を選んだのかも分からないだろう。
■ 忘れようとしたはずはない。
■「月」は何を象徴しているのか。
- 面影のわすらるまじき別れかななごりを人の月にとどめて 西行
■ 当時の人は、その間の状況を知っていたが、大っぴらに口にできなかった。
■ 定家の「ほのめかし」と同類なのだ。
■ だから定家はこれを選んだ。
■ 西行の場合も、以前にも書いた。↓
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