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2025年3月17日月曜日

貫之の古今集と、新古今集の定家の心境。2025-03-20

■ 2025-03-17
■ 古今和歌集・巻第一・春歌上
  1. 年の内に春はきにけり ひととせをこぞとやいはん ことしとやいはん  在原元方
  2. 袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん  紀貫之
■ 古今和歌集・巻第十四、最後の歌。
  • 道しらば摘みにもゆかむ 住之江のきしに生ふてふ恋忘れ草  つらゆき
■ 藤原定家は新古今集の編集人の一人として参加したが、要するに下働きであった。
■ 後鳥羽上皇が采配し、さらに、京極摂政良経も口出ししたようだ。
■ 年下の男たちに、なんだ、こいつら偉そうに、と心の中で思わなかったとは言えない。

古今集 我が世の春の つらゆきは 自らの歌 初め終わりに 2025-03-20
新古今 下働きの さだいえは 院切り捨てて 秀歌となせり

■ こんなところか。
■ 藤原定家は、古今和歌集、紀貫之に勝る百首の最後を飾る歌を詠む自信があった。

2025年3月16日日曜日

百人一首における、古今和歌集の仮名序にある歌人の配置

■ 古今和歌集には、仮名序、がある。
■ ここに次の人が取り上げられている。

  1. 柿本人麿
  2. 山辺赤人
  3. 僧正遍照
  4. 在原業平
  5. 僧喜撰
  6. 小野小町
  7. 大友黒主
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百人一首
奇数・偶数で歌合わせとなる。

天智天皇
持統天皇

柿本人麻呂
山辺赤人

猿丸大夫
中納言家持

阿倍仲麻呂 
喜撰法師  我が庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり

小野小町  花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身 世にふる ながめせし間に 
蝉丸    これやこの 行くもかへるも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関   

参議篁 
僧正遍照

陽成院     筑波峰の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりける
河原左大臣   陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

光孝天皇 
中納言行平

在原業平朝臣  ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは
藤原敏行朝臣  住の江の 岸に寄る波 夜さへや 夢の通い路 人目よくらむ 

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百人秀歌

天智天皇御製
持統天皇御製

柿本人麿
山辺赤人

中納言家持
阿倍仲丸

参議篁
猿丸大夫

中納言行平  たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰りこん
在原業平朝臣 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは  

藤原敏行朝臣
陽成院御製

小野小町  花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身 世にふる ながめせし間に
喜撰法師  我が庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり

僧正遍照
蝉丸

河原左大臣   陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れむと思ふ 我ならなくに
光孝天皇御製  君がため 春の野にいでて 若菜つむ 我が衣手に 雪は振りつつ  

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■ 歌合わせ

猿丸大夫
中納言家持
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中納言家持
阿倍仲丸

 ■ どちらの組み合わせがよいか。↑、↓

僧正遍照
陽成院

河原左大臣
光孝天皇 
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藤原敏行朝臣
陽成院御製
 ・・・
河原左大臣
光孝天皇御製

■ 藤原定家は、古今集を手本に百人一首・百人秀歌を作った。

2025年3月12日水曜日

式子内親王の恋の歌、と、藤原定家

■ 2025-03-12
■ 以前もどこかに書いたような気がするが、もういちど書いておこう。
■ 百人一首に採られた式子内親王の歌に応え、定家も歌を詠んでいる。

玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ることの弱りもぞする  式子内親王
君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を  定家朝臣

■ この二つを並べて何か論じられているのを見たことはないが、関係はあったと思う。
■ いわゆるプラトニック・ラブかどうかは知らない。
■ そして、・・・

橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしのそでの香ぞする  皇太后宮大夫俊成女
かへり来ぬ昔を今とおもひ寝の夢の枕に匂うふたちばな    式子内親王

■ どちらもうまいが式子内親王の方が具体的のように思われる。
■ さらに、玉の緒、の歌に続いて、・・・

忘れてはうち嘆かるるゆうべかなわれのみ知りて過ぐる月日を  式子内親王
わが恋は知る人もなしせく床のなみだもらすな黄楊の小まくら  式子内親王

■ 式子内親王は、立場上自分の恋をあからさまに語ることはできなかった。
■ 彼女の恋を知っているのは、つげでできた枕のみで、人には告げるなと詠っている。
■ 相手は、定家であろうと推測する。
■ 定家は、新古今和歌集の編者の一人だった。
■ 当然、式子内親王の歌も熟知していた。
■ だから、彼は、彼女が心待ちにしている心情を次のように詠った。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ  権中納言定家

■ 藤原定家が百人一首を作った最大の理由はこの歌を作り披露することだった。

2025年2月7日金曜日

伊勢物語、と、百人一首との共通性



■ いつだったか、大和文華館で、↑、こんな色紙の複製を買ったことがあるが、どこかにいった。
■ 伊勢物語は、たしか、平安時代初期に書かれた物語ではなかったか。
■ 以前、こんな頁を書いていたのを思い出した。

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■ 伊勢物語には、百人一首で見られる歌がいくつかあったような気がして、・・・
■ もう一度、本棚から、田辺聖子・竹取物語、伊勢物語・集英社文庫を取り出して見た。
■ なるほど、なるほど、だ。



■ 藤原定家は、なぜ、百人秀歌をまとめてみようとしたのか、考えてみよう。
■ まず、源氏物語、は自分では書けない。
■ ならば歌集だ。
■ ただ、自分は在原業平のような主人公にはなれない。
■ また、最初の勅撰和歌集として、古今和歌集がある。
■ 和歌の歴史としては、古今和歌集より万葉集を取り上げるべきだ。
  1. 伊勢物語
  2. 古今和歌集
■ この二つが、定家の意識の中にあったと考えて無理はない。
■ 対抗意識と見てもいい。
■ 新古今和歌集は歌の数が多すぎる。
■ 自分の感覚で選びたい。
  • 紀貫之よりも上だ、と思っていた。
■ 彼自身、歌は、必ずしもうまくない。
■ しかし、彼は、多くの歌を知っている。誰よりも知っているという自負があった。
■ 伊勢物語、と、百人秀歌、を研究対象にすると、より明確に百人一首がみえでくるだろう。
■ 伊勢物語の最後の方に、・・・
  • 「我とひとしきひと」
■ こんな段がある。
■ 藤原定家は、この歌をどのような思いで見ただろう。
■ ひとつ前の段の歌については、この頁に書いた。
■ 定家は、百人秀歌で俊成を越えたといえる。


2024年11月3日日曜日

定家の「ほのめかし」・式子内親王との関係 2024-11-03 追記、コマドリを振り返る



■ 藤原定家選 小倉百人一首

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする   式子内親王
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ      權中納言定家

■ 塚本邦雄選 新小倉百人一首

かへりこぬ昔を今とおもひ寢の夢の枕に匂ふたちばな         式子内親王
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮          權中納言定家

■ 橋本遊水選

かへりこぬ昔を今とおもひ寢の夢の枕に匂ふたちばな
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ

■ 昔、定家の「来ぬ人を・・・」の歌を読んだとき、傲慢な感じがした。
■ 仮に、式子内親王が相手だとして、この歌で、あなたの気持ちを詠みました、と言えるだろうか。
■ おそらく彼女が死んだ後だから作ることができた。
■ 組み合わせを考えれば、塚本邦雄選ではありえない。なんの面白みもない。
■ 実際の関係性を今更言ったところで始まらないが、・・・
■ 定家の意図を考えると、・・・
■ 多くの人が、「玉の緒・・・」の歌を、誤解しているようなので、
  • 定家の「ほのめかし」の効果が出なくなった
■ 橋本遊水選のようにすると、事実としての関係性はどうであろうと、明確に関係性を「ほのめかす」ことができたように思う。
■ 万葉集を素材にした形で、現実の、いわば高貴な方との関係性を「ほのめかす」ことで定家としては最高の歌にすることができたはずであった。
■ 塚本邦雄のように、小倉百人一首は幾つかを除き凡作ばかりだから、として定家の「こぬひとを・・・」の歌も、他の歌に替えてしまったのでは、百人一首、あるいは、百人秀歌というまとまった選集というか、作品の意味がなくなるように思う。
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■ 2024-11-02
■ 蛇足ながら、新古今和歌集の、・・・

1034 式子内親王  玉の緒よ・・・ 
1757 定家・・・  君が代にあはずば何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を

■ この二つの歌の意味をよく考えるといい。
■ 離れて置かれているので気づかない人もいるかもしれない。
■ 「玉の緒」は二人に関係している。
■ これは、以前にもどこかに書いた。
■ しかし、誰かが、玉は命だ、といったものだから、おかしくなってしまった。
■ もともと、定家の意図を十分くみ取っていれば、藤原定家選でよかった。
■ ・・・
■ コマドリは

秋より春に撮っている方が多いのは、
秋は地元で探鳥する方が多かったのかもしれない。
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どうなのか


2024年10月5日土曜日

「秀歌」を選ぼうという意識ならば自分の歌が最高で最後であるはずだ。

■ 2024-10-05
■ 昨日、一昨日と天気が良くなかった。
■ 雨の後だからだろう。
■ 朝の風が秋風だ。
■ で、コンピュータを立ち上げてすぐ、気象庁のサイトで雨雲の動きを見た。
■ ・・・
■ 百人一首で気になっていたのは、なぜ定家は99番の歌を入れたのか。
■ 100番の歌は「ももしきや」だから、100番にしても悪くはない。
■ しかし、99番の歌は不要のはずだった。
■ なぜなら、百人一首は定家の歌が最高であることを示す歌集のはずだからだ。
■ 研究者にとっては、後鳥羽院の歌があることで、興味がひかれるかもしれないが、
■ 私だったら、無視してよいかと思う。
  1. 百人一首
  2. 百人秀歌
■ 「百人秀歌」という題名が最初からついていたかどうか知らないが、
■ 「秀歌」を選ぼうという意識であれば、自分の歌が最高で、最後でなければならない。
■ 百人秀歌では、最後の歌が、
花誘う嵐の庭の雪ならで 
ふりゆくものは我が身なりけり
■ これは、3番目の
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長々しき夜をひとりかもねん
■ これと呼応して、定家の恋の歌に、若き日の回想である、との深みを与える感じがする。
■ 研究対象としては百人一首がいいのかもしれないが、
■ 俳句や歌に親しむ私としては、藤原定家の立場から見ると百人秀歌の方がよいと思われる。
■ とにかく当時、歌人としての最高の地位を世の人は認めていたのだから、本人も意識していたと思う。
■ 流人の後鳥羽院など、どうでもいいのだ。
■ 仮に入れるとしたら、全体的に配列を再考するのもありかと思う。
■ 更に、例えば、5首から10首ほど他の歌に入れ替えて、定家に対抗してみるのもいいのではないか。
■ というか、定家がもう少し生きていたら、こんな選び方もあるかもしれないと、
  • 改定・小倉・百人一首
■ 研究者は当時の和歌集について詳してことだろうから、やってみたらどうか。

2024年9月18日水曜日

ディケンズは3度も百人一首を翻訳している、と。


■ 2024-09-18
■ 田淵句美子・百人一首・岩波新書をざっと読んだ。
■ 古典についての研究はかなり進んでいるという感じだ。
■ ディケンズは3度も百人一首を翻訳している、と書かれていた。
■ 読んでみたいと思う。
■ それはさておき、・・・
  • 「百人一首」巻末に後鳥羽院・順徳院の歌を加えて世に放ったことで、強いインパクトを与えるものに変化した。・・・巻末の二首が最後に置かれなければ「百人一首」はこれほど巨大な文化的存在にはならなかったと思う。
■ と、ある。
■ 小倉百人一首は長い間、知られないようにひっそりと箱の中に隠されていた。
■ 藤原定家が、世に放ったわけではない。
■ 私の感じとしては、むしろ百人秀歌の方がよかったように思う。
■ 後鳥羽院の歌を入れるとしても、百人一首は、定家が最高位であることを示す歌集であるから、
■ 私であれば、定家の歌は最後にし、
■ 後鳥羽院の歌は、例えば、「おほけなく憂き世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖」の前に配置する。
■ 後鳥羽院の歌は「敗者」の歌で、この歌を定家が選んだことにより、いわば貶めているのだから
■ 源実朝の歌をそのままにするとして、二つの歌で挟むように配置した方がオモシロイ。
■ また、その方が一貫している。
■ だいたい、後鳥羽院はその地位ゆえに好き勝手なことをしている。
■ 死んでしまえばそれも終いだ。
■ 定家のように、生きている方が勝ち組だ。
■ 前にも書いたが、・・・

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鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ  遊水



2024年9月1日日曜日

百人秀歌、再評価

■ 2024-09-01
■ 小倉百人一首、に興味を持って何度も読んでいる。
■ 動画も聞いている。
■ 何度も読んで、定家はなぜ、百人一首の形にしてしまったのか、と疑問をもつ。
■ 百人秀歌の方が流れとして、一貫性があり、すっきりしている。
■ いわば、彼の恋の歌に関する思いというか、彼の歌が最後に生きる。
■ そして、それが一番だとして、誰も認めたことだろう。
■ 百人一首の99、100は取り上げなくてよかった。
■ どこかに、何かの迷いが出たのかもしれない。
■ 百人一首の最後の方の歌の流れがないように感じる。
■ 2つの歌を入れるにしても、もう一度、並べ替えるべきだっただろう。
■ 例えば、秀歌の最後の5首を取り上げてみよう。
  1. みよし野の山の秋風小夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり
  2. 世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも
  3. 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
  4. 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
  5. 花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
■ 実朝の歌も生きる。
■ 最後の「ふりゆくものは我が身なりけり」で終わるのも分かりやすい。
■ これにすることで、3首目の
  • あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
■ ・・・からのつながりが明確になる。
■ しかし、いまとなっては、どうにも仕方ない。
■ 私としては、百人秀歌の方で彼の歌に関する思いを辿りたいと思う。
■ 近くにある本には、二つがある本が、何冊かある。
■ やっぱり、と思えば百人一首に戻ればいいのだから。




英語に「ッ」はない 日本語緊張英語学習勉強Rio Koike Japanese comedian ニューヨーク日本人スタンダップコメディアン小池良介英会話ポケトーク (youtube.com) この人の以前見たことがある。英語の勉強、とかで動画検索すると出て来るのかもしれない。知らんけど。