■ 田淵句美子・百人一首・岩波新書をざっと読んだ。
■ 古典についての研究はかなり進んでいるという感じだ。
■ ディケンズは3度も百人一首を翻訳している、と書かれていた。
■ 読んでみたいと思う。
■ それはさておき、・・・
- 「百人一首」巻末に後鳥羽院・順徳院の歌を加えて世に放ったことで、強いインパクトを与えるものに変化した。・・・巻末の二首が最後に置かれなければ「百人一首」はこれほど巨大な文化的存在にはならなかったと思う。
■ と、ある。
■ 小倉百人一首は長い間、知られないようにひっそりと箱の中に隠されていた。
■ 藤原定家が、世に放ったわけではない。
■ 私の感じとしては、むしろ百人秀歌の方がよかったように思う。
■ 後鳥羽院の歌を入れるとしても、百人一首は、定家が最高位であることを示す歌集であるから、
■ 私であれば、定家の歌は最後にし、
■ 後鳥羽院の歌は、例えば、「おほけなく憂き世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖」の前に配置する。
■ 後鳥羽院の歌は「敗者」の歌で、この歌を定家が選んだことにより、いわば貶めているのだから
■ 源実朝の歌をそのままにするとして、二つの歌で挟むように配置した方がオモシロイ。
■ また、その方が一貫している。
■ だいたい、後鳥羽院はその地位ゆえに好き勝手なことをしている。
■ 死んでしまえばそれも終いだ。
■ 定家のように、生きている方が勝ち組だ。
■ 前にも書いたが、・・・
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鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ 遊水
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