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2024年1月23日火曜日

秋の夜の心配は、遥かに遠い異国の地にゆく、かもしれないコト

■ 2024-01-23



■ 何か気になる。
■ 和歌は、どのような状況のときに詠まれたのか。
■ 時、所、背景がある。
■ 通称、大弐三位、は賢子といい、紫式部の娘だが、親仁親王が後冷泉帝として即位したとき、典待に任ぜられ、従三位に叙せられた。2度目の結婚相手は、高階成章で、彼は太宰大弐になった。その後、賢子は大弐三位と呼ばれるようになった。
■ 夫の任地に同行し、筑紫に二度行っている。
■ 「令和」の文字が採られた、万葉集・巻第五にある、天平二年正月十三日、・・・
  • 時に、初春の令月にして、気淑く風和らぐ。
■ この宴会には三十人以上が集まっている。
■ 天平五年の山上憶良の歌には、遣唐使に献る歌などがある。
■ 大宰府は、いわば、西の都で、貿易上、防衛上、重要なところであった。
■ そして「もろこし」が案外身近に感じられる地であった。
■ 大弐三位の歌に、・・・

  後のたび、筑紫にまかりしに、門司の関の波の荒ふたてば
往きとても おもなれにける 船路に 関の白波 こころしてこせ

■ とあり、船で行ったことが分かる。
■ 母・紫式部は、・・・

  筑紫へ行く人のむすめの
西の海を 思いやりつつ 月みれば ただに泣かるる 頃にもあるかな

  筑紫に肥前といふところより、文をこせたるを、いちはるかなるところに見けり。その返ごとに
あひ見むと 思ふ 心は 松浦なる 鏡の神や 空に見るらむ

■ などと詠んでいる。
■ さて、・・・

遥かなるもろこしまでもゆくものは
秋の寝ざめの心なりけり  大弐三位

■ この、秋の寝ざめ、は丸谷才一のいうような心境を詠んだものだろうか。
■ おそらく違うだろう。
■ ひょっとして、夫が「もろこし」まで行くことになったら、どうしよう、といった現実としての心配ごとではないだろうか。
■ サラリーマンの妻が夫の転勤のことを聞いて思い煩うことに似ている。

秋の寝ざめの心、は
遥かなる もろこしまでもゆく、コトだ

■ ・・・、まあ、そんな感じだ。

2024年1月20日土曜日

画像&動画の映画を想定し、詩を論理的に再構成する



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幾年の 難き時代を 乗り越えて 和歌のことばは 我に響きぬ  愛子


■ 2024-01-20
■ 朝刊に歌会始の記事があった。
■ 愛子様は「和歌のことば」を取り上げていた。
■ さて、・・・
■ 百人一首は、一人、一首だ。
■ 現代詩の場合でも、ひとつ、であってもおかしくはない。
■ どれを選ぶか、あるいは、選ばれたのはどれか、・・・
■ 丸谷才一が萩原朔太郎の詩「山に登る」をとりあげていたので、
■ この詩をもう少し考えてみよう。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ 文章には句読点がある。

山に登る
  旅よりある女に贈る

■ この詩には「。」が4つある。
■ 先に3部構成だと書いたが4部構成だととらえた方がいいかもしれない。

いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

■ これは実景ではない、朔太郎が思ったことだ。
  1. 回想1
  2. 回想2
  3. 現実
  4. 結論的意志表明
■ 並べ替えてみる。

  萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
 
山に登る 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた
 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた
 
旅よりある女に贈る  
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた
 
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。 

■ 言葉をそのままにして、題名と副題を織り込み、並べ替えるだけにしたが、・・・
■ 言葉を少し変えて、回想1、と、回想2、を分離再配置すると
■ もう少し本歌取り的、新しい詩になるかな、と思う。
■ これで三好達治の誤解はなくなると思われる。
■ 人に読ませるのであれば、情景や心が読んで分かるように構成・表現しなければならない。


2024年1月13日土曜日

有馬山 猪名のささ原 風吹けば 2024-01-15 追記


山に登る
旅よりある女に贈る 
 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつてくちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

■ 2024-01-13
■ 日本経済新聞・夕刊・文学周遊、欄は井上靖・僧行賀の涙、だった。
■ これは読んだことはない。
■ ただ、井上靖の詩集を思い出した。
■ 散文詩だ。
■ 猟銃、そして、小説・猟銃。
人生の白い河床をのぞき見た中年の孤独なる精神と肉体の双方に、同時にしみ入るような重量感を捺印するもは、やはりあの磨き光れる一箇の猟銃をおいてはないと思うのだ。
■ ・・・ ホンマかいな。
■ 今「詩」からは離れているが、・・・
■ 丸谷才一・新々百人一首の、はしがき、に、萩原朔太郎・旅よりある女に贈る、があげられており、この詩は、大弐三位の和歌の影響下に書かれたのではないか、と、十代の丸谷才一は気づき、二つを二重写しにして文学的感銘を受けていたと。
■ なるほど、と思う。
■ しかし、
■ 尾崎雅嘉・百人一首夕話、・・・
かの有馬山より猪名の篠原さして風が吹きくれば、
篠の葉がそよそよとすれ合ふそのそよといふ言葉を、
それよといふ事にして、
まことにそれよ来もせぬ人の心こそ覚束なけれ
こなたには忘れはせぬものをといふ事なり。
  • 有馬山 猪名のささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする  大弐三位
■ 和歌、短歌の前に「詩」は
  • おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。」
■ などと言ったところで形無しだ。
■ いかにも空疎な感じだ。
 ■ ・・・
■ 三好達治は萩原朔太郎、という本を書いている。
■ 三好達治の詩は、幾つか好きなのがある。