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2025年2月7日金曜日

伊勢物語、と、百人一首との共通性



■ いつだったか、大和文華館で、↑、こんな色紙の複製を買ったことがあるが、どこかにいった。
■ 伊勢物語は、たしか、平安時代初期に書かれた物語ではなかったか。
■ 以前、こんな頁を書いていたのを思い出した。

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■ 伊勢物語には、百人一首で見られる歌がいくつかあったような気がして、・・・
■ もう一度、本棚から、田辺聖子・竹取物語、伊勢物語・集英社文庫を取り出して見た。
■ なるほど、なるほど、だ。



■ 藤原定家は、なぜ、百人秀歌をまとめてみようとしたのか、考えてみよう。
■ まず、源氏物語、は自分では書けない。
■ ならば歌集だ。
■ ただ、自分は在原業平のような主人公にはなれない。
■ また、最初の勅撰和歌集として、古今和歌集がある。
■ 和歌の歴史としては、古今和歌集より万葉集を取り上げるべきだ。
  1. 伊勢物語
  2. 古今和歌集
■ この二つが、定家の意識の中にあったと考えて無理はない。
■ 対抗意識と見てもいい。
■ 新古今和歌集は歌の数が多すぎる。
■ 自分の感覚で選びたい。
  • 紀貫之よりも上だ、と思っていた。
■ 彼自身、歌は、必ずしもうまくない。
■ しかし、彼は、多くの歌を知っている。誰よりも知っているという自負があった。
■ 伊勢物語、と、百人秀歌、を研究対象にすると、より明確に百人一首がみえでくるだろう。
■ 伊勢物語の最後の方に、・・・
  • 「我とひとしきひと」
■ こんな段がある。
■ 藤原定家は、この歌をどのような思いで見ただろう。
■ ひとつ前の段の歌については、この頁に書いた。
■ 定家は、百人秀歌で俊成を越えたといえる。


2024年3月25日月曜日

袂をこえて鶉たつなり、と、けたたましくも 雉の飛び立つ


■ 2024-03-25



2008-01-13    09:50:47

宇治川大橋下


2006-04-26 13:09:47  高槻市・芥川

冬枯れの 宇治の川原を 踏み行けば けたたましくも 雉の飛び立つ   遊水


■ どこかに書いたような気がした。
■ ケアシノスリを撮ったときだった、ような記憶があった。
■ それで、上記の段階を経て、この短歌、↑、にたどり着いた。
■ 丸谷才一著・新々百人一首に、次の歌がある。
  • 花すすき茂みがなかをわけゆけば袂をこえて鶉たつなり  俊恵
■ この歌は、現実的な情景を読んでいるように感じた。
■ 雉に限らず、例えば、ヒバリにしても、人がすぐ近くに来るまで、じっとしている。
■ そして、突然、足元から飛び立つようなコトが何度もあった。
■ ところが、・・・
■ 丸谷才一は、・・・
花すすきが風になびく様を、人を招くときの袖および袂にみたてることは古くからおこなはれた。
・・・
その伝統的な袂を、俊恵は一ひねりしてあしらった。
(1)袂にたとへることでのできる花すすきを越えて、とつぜん鶉が飛び立つ
(2)秋の野の茂みのなかをゆく者の袂を越えて鶉が飛び立つ
このどちらともとれる情景を描いたのである。そのあげく、
(3)秋の野をゆく者が花すすきに転身する、といふ一瞬の錯覚さへ可能かもしれない。
俊恵曖昧さの美を差し出した。
・・・
■ そして、藤原俊成の「夕されば・・・」の歌について論を進めている。
■ この歌については、以前どこかに書いた。
■ 今日の、日本経済新聞・朝刊の広告に「なんだっけこれ」というのがあった。
■ 私がADSLを使いだしたのは、・・・
■ いつごろだっけ、ということで懐かしい。