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2025年3月17日月曜日

憂かりける人、の話。普通、誰でも、はげしかれとは祈らない。

■ 2025-03-17
■ ・・・
  • 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを    源俊頼
■ 後鳥羽院は俊頼の歌の姿を
  1. うるわしくやさしき様、の歌
  2. もみもみと、人は詠みおほせぬやうな姿、の歌があとしている。
    ■ 定家も、同調している。
    • これは心ふかくことば心まかせて、まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり
    ■ 千載和歌集 巻第十二、恋歌二

    祈れどもあはざる恋といえる心をよめる
    憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを  源俊頼朝臣

    ■  恋歌二、にある他の歌に比べると表現が変わっている。
    ■ しかし
    ■ だいたい、誰でも、「はげしかれとは祈らぬ」ものなので、そう祈るはずはない。
    ■ なぜ率直に、祈りましたが、と言えないのか。
    ■ 嫌みだ。
    ■ 嫌みを言われて優しくなれるはずはない。

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    祈れども かぜのはげしき はつせ山 観音様の こころ届かず   遊水



    2024年12月15日日曜日

    オシドリ、と、百人一首・99番の歌。


    ■ 2024-12-15
    ■ 野鳥撮影をしていると和歌の世界など古典への興味が深まる。
    ■ そのひとつはオシドリだ。
    ■ オシドリは何度も撮っている。
    ■ ちょっと振り返ってみた。



    春の風 オシドリ   夏の光 オシドリ
    秋の色 オシドリ   冬の音 オシドリ




    2024年9月18日水曜日

    ディケンズは3度も百人一首を翻訳している、と。


    ■ 2024-09-18
    ■ 田淵句美子・百人一首・岩波新書をざっと読んだ。
    ■ 古典についての研究はかなり進んでいるという感じだ。
    ■ ディケンズは3度も百人一首を翻訳している、と書かれていた。
    ■ 読んでみたいと思う。
    ■ それはさておき、・・・
    • 「百人一首」巻末に後鳥羽院・順徳院の歌を加えて世に放ったことで、強いインパクトを与えるものに変化した。・・・巻末の二首が最後に置かれなければ「百人一首」はこれほど巨大な文化的存在にはならなかったと思う。
    ■ と、ある。
    ■ 小倉百人一首は長い間、知られないようにひっそりと箱の中に隠されていた。
    ■ 藤原定家が、世に放ったわけではない。
    ■ 私の感じとしては、むしろ百人秀歌の方がよかったように思う。
    ■ 後鳥羽院の歌を入れるとしても、百人一首は、定家が最高位であることを示す歌集であるから、
    ■ 私であれば、定家の歌は最後にし、
    ■ 後鳥羽院の歌は、例えば、「おほけなく憂き世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖」の前に配置する。
    ■ 後鳥羽院の歌は「敗者」の歌で、この歌を定家が選んだことにより、いわば貶めているのだから
    ■ 源実朝の歌をそのままにするとして、二つの歌で挟むように配置した方がオモシロイ。
    ■ また、その方が一貫している。
    ■ だいたい、後鳥羽院はその地位ゆえに好き勝手なことをしている。
    ■ 死んでしまえばそれも終いだ。
    ■ 定家のように、生きている方が勝ち組だ。
    ■ 前にも書いたが、・・・

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    鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ  遊水



    2024年2月15日木曜日

    田渕句美子・百人一首、を興味深く読んだ

    ■ この映画は見たことなかった。
    ■ 面白くは無かったが、グランドキャニオンのさびれた金鉱の町が舞台だ。
    ■ これを見た後、Alvarez Kelly があること気づいた。
    ■ 映画の頁にリンクした。
    ■ そして、見た。面白かった。

    ■ 後で聞いてみよう。

    ■ 2024-02-15
    ■ 先日買った、田渕句美子・百人一首を興味深く読んだ。
    ■ ところで、秘仏、秘宝、秘伝、口伝、などと言う言葉がある。
    ■ 藤原定家にとって、最大の宝物は何だったのか。
    • 百人一首
    ■ これは、自らの歌が最高であることを示すものであった。
    ■ 定家の歌が万葉集を素に作られていて、
    ■ 百人一首は万葉の時代から、後鳥羽院・親子の歌に及んでいる。
    ■ その500年以上の歌と作者や時代背景について知っている定家は歌を並べることで物語を作り上げた。
    ■ 田渕句美子は、・・・

    このような物語化は、定家の時代から下って、平安王朝の影の暗闘も、後鳥羽院・順徳院の悲劇も、はるか遠い昔の記憶となった頃にこそ可能だったのではないだろうか。

    ■ と書いている。
    ■ 後鳥羽院・順徳院の諡号は定家の時代にはなかったから、ということから論じているが、
    ■ 名前は無くとも歌はあった。
    ■ 後鳥羽院とその歌を、どのように評価するかだが、定家にとって、自らが最高位であることを示すためには、後鳥羽院の歌が必要だった、とみるべきだろう。
    ■ 定家は、万葉集の歌が存在することを知っているのだから「百人一首」として自らの歌が、後々まで残り知られることは当然意識していたと考えてよい。
    ■ 物的証拠として「百人一首」がなかったとしても、「百人秀歌」から再構成することを、
    • 言い残していた、
    ■ ・・・と考える方が自然だと思う。


    2024年1月7日日曜日

    後鳥羽院、の歌・海辺時雨、2024-01-08

    丸谷才一・後鳥羽院 - Google 検索 ・・・読んでない。

    わたつうみの-なみのはなをは-そめかねて-やそしまとほく-くもそしくるる
    さらてたに-おいはなみたも-たへぬみに-またくしくれと-ものおもふころ
    ひとはよも-かかるなみたの-そてはあらし-みにならひにも-つれなかるらむ
    うつつには-たのめぬひとの-おもかけに-なのみはふかぬ-にはのまつかせ

    ■ 2024-01-07
    ■ ・・・
    1. 社会的どのような存在であったか
    2. 一個の人間としてどのような人であったか
    3. 何を、あるいは誰を評価したか
    4. 歌人としてどのような「ことば」により、何を表現したか
    5. 誰が評価しているのか
    6. ・・・
    ■ 人を見る時、幾つかの側面があるだろう。
    ■ 後鳥羽院に関しては、結局のところ、罪人として終わったということだけれど、・・・
    ■ 和歌の作者、新古今和歌集の選者・鑑賞者・批評家としての後鳥羽院がいた。
    ■ 文芸評論家・丸谷才一は、新々百人一首で、後鳥羽院の、海辺時雨、を取り上げている。

    わたつうみの波の花をばとりつとも人の心をいかが頼まむ  紀貫之
    • わたつ海の波の花をは染かねて八十島遠く雲そしくるる  後鳥羽院・海辺時雨
    ながつきのしぐれの雨にぬれとほり春日の山は色づきにけり  万葉集
    しぐれの雨まなくし降れば真木の葉もあらそいかねて色づきにけり  万葉集 ○
    しぐれの雨染めかねてけり山城のときはの森の真木の下葉は  能因
    やよ時雨もの思ふ袖のなかりせば木の葉ののちに何を染めまし  慈円
    わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛が原に風さわぐなり  慈円 ○
    夕まぐれ鴫立つさわのわすれ水思ひいづとも袖は濡れなむ  慈円
    深緑あらそひかねていかならん間なくしぐれのふるの神杉  後鳥羽院

    ■ ここでちょっと横道、「ふるの神杉」・・・布留・石上神宮
    ■ あれは、どこの杉だったか、・・・秋立つや千早古る世の杉ありて 漱石。香椎宮
    ■ 関係なかったか。

    なき人のかたみの雲やしをるらん夕べの雨に色は見えねど  後鳥羽院・雨中無常
    恋すとて袖には雲のかからねど泪の雨はをやみだにせず  後鳥羽院
    わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよあまの釣船  小野篁
    色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける  小野小町 ◎
    うつろひし心の花に春くれて人もこずゑに秋風ぞ吹く  藤原良経 ◎
    うつろひぬ心の花は白菊の下おく色をかつうらみても  藤原定家
    人ごころうつりはてぬる花の色に昔ながらの山の名もうし  後鳥羽院

    ■ その他の歌も引きながら解説している。
    ■ これらの歌の言葉を辿りながら、後鳥羽院の歌の多層の構造を理解するのも大変だ。
    単なる冬歌ではなく恋歌という層をもつ
    時雨は言い寄る男、山の草木は言い寄られる女という単純な比喩
    叙景歌 
    ・・・
    ■ 丸谷才一は、書いている。
    • 波がしらの白は時雨によってぜったい色を改められない。・・・が、それにもかかわらず、時雨は波の花を染めようと欲しながら瀟々と降りそそぐ。さういふ憂愁と悲劇性を彼は沈痛に歌ったのである。
    ■ まあ、そういうことですか。
    ■ この歌をとらえるにしては手が込みすぎている。
    ■ 定家の選んだ、百人一首の歌、それでいいように思う。
    ■ こんな詠み方、解し方、しかできないのであれば、仕方ない。
    ■ 定家が選んだ歌は、まだ若いころの歌であり
    ■ 丸谷才一が選んだ歌は、流刑地での歌という違いがあるということだろう。
    ■ 最初にあげた4首を見ると、そんな感じだ。
    ■ 同じ人の歌であっても、・・・
    ■ 年齢の違いとか境遇の違いで歌風も変化すると言えるのかもしれない。
    ■ まあ、いい。
    ■ 後鳥羽院の歌とは関係なく、丸谷才一が取り上げた歌でいいのもある。

    小野小町 ◎ うまいものだ。
    藤原良経 ○ 春くれて、秋風ぞ吹く、・・・時間経過がありすぎのようにも思う。
    万葉集 ○
    慈円 ○

    ■ ついでながら、後鳥羽院は次の人を評価していた。
    1. 西行
    2. 慈円
    3. 藤原良経
    4. 式子内親王
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    丸谷才一 - Wikipedia 日本小説家文芸評論家翻訳家随筆家

    ■ 丸谷才一は文芸評論家ではあるが、歌人ではないようだ。
    ■ つまり、評論の対象を必要とする。
    ■ 評論するということは、いい面、を見つけ出し評価することだ。
    ■ ただ、つまらんモノをこき下ろしてもしょうがない。
    ■ 評論、ではなく、事実とは何かということを述べるときは、つまらんモノをのつまらなさについて言及する場合はある。
    ■ 私の場合、俳句や短歌を表現の一つとしている。
    ■ なので、ことば、の面から現在、過去の作品を読み、日本語の表現について考え、自分の作品につなげてゆこうと思う。
    ■ 評論家にとって、評論の対象になるモノが必要だが、歌人は歌い継げばいい。
    ■ 私だったら、こんな歌にする、と。
    ■ 現在・過去・未来というつながりとなる。
    ■ 言葉とはそうしたものだ。
    ■ ついでに、・・・

    ■ 珍解釈の項に落語・千早の話が出てくる。