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2024年9月25日水曜日

天高く 空は澄めども 木々の色 秋の心は 愁いなりけり  遊水

ダイ・ハード (google.co.jp) ■ 何作か見た。


■ 2024-09-24
■ 百人一首に、「嵐」の歌がある。
■ これについては、先に書いた。
■ 嵐という漢字の意味についてだった。

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■ 「愁」という文字がある。
■ 文字の造りからの、言葉遊びとして、歌にしてみた。

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天高く 空は澄めども 木々の色 秋の心は 愁いなりけり  遊水


■ 単純な言葉遣いで、特に技法などと言うモノはない。
■ しかし、こうした、言葉遊びは昔からあるように思う。
■ 意味的には、例えば、・・・
  • 割れても末に会わんとぞ思う
■ こんな落語にもなった歌も、同様の遊び心といえるかもしれない。
■ 全然関係ないけれど、
■ アクション映画俳優が「ことば」を失うこともあるけれど、・・・
■ 言葉から何かが現れる、というか、言葉の中に潜んでいる心を見出すこともある。
■ もともと、漢字は、意味を持つ文字だから、だ。
■ ひらかなで表すことばでも、掛詞など、同様の遊びともいえる。
■ ・・・

2024年6月25日火曜日

ことばに興味を持ったきっかけ、そのひとつ・Tennessee Waltz


■ 2024-06-25
■ 先に、
■ こんなことを書いていると、向こうの部屋から、小林大作 メモリーズ・オブ・ユー、が聞こえてきた。
■ 今日、パティー・ペイジが歌う本当は男の歌、テネシーワルツ、他をやっていた。
Slim Whitman,Tennessee Waltz - Google 検索 歌詞「I introduced him to my loved one ---
■ テネシーワルツについては今まで何度も書いている。
■ 私がことばに興味を持ったきっかけの一つがこの歌詞だった。

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テネシーワルツの話、探し方 (fc2.com)
■ 日本経済新聞・朝刊にパティー・ペイジの死亡記事があった。
■ 以前、こんな頁を作っていた >> テネシーワルツ
テネシーワルツ (fc2.com)
■ 「Tennessee Waltz」、を何度か聴いていて、何かおかしいなと思った。
■ パティ・ペイジの可憐な声に騙されていた。
■ だいたい、女が、「Yes, I lost my little daring」、とは言わないだろう。実際は。
■ 元々は、男が歌う歌だったのではないか。
■ 「デネシー・ワルツ」が女心を歌ったものでなく、男心のようだから、男性歌手のも聞いてみよう。
・・・
■ 何回も聴いてみて、・・・
■ この歌は、その歌詞の物語的な意味をリアルにでなく、・・・
the beautiful Tennessee waltz
■ ただ、ただ、この一点を歌っている、それ故、パティー・ペイジの歌がヒットしたのだろう。
■ 他の部分の苦い思いや、友の裏切り行為などを思い出したところで、つまらない、ということだ。
■ 色々なことがあったにせよ、思い出としては、あくまで、「美しく」ということ。
■ そういうことだな、と、また、聴いている。
■ 

2024年5月17日金曜日

夏という字は、夏至、のときは、「ゲ」と読む。


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2018-05-14  大阪城公園


■ 2024-05-17
■ 今朝の新聞に、能登のとり貝最高値、とあった。
  • とり貝、とは?
■ と、家人がいう。
■ トリガイ、と、バカガイ、は同じモノかと思っていたので、・・・
■ 馬鹿野郎、と思いながら、・・・
  • ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪  万太郎
■ こんな句を知ったかぶりで口にした。
■ 魚介のことはよく知らないので、どっちがバカか分からん。
  • すつぽんもふぐもきらひで年の暮  万太郎
■ こんな句と合わせてみると、ふぐさし、もあるが、
■ どちらかといえば、刺身は好きだが鍋物は嫌いなのかもしれない。
■ まあ、いい。
  1. 春隣
  2. 夏隣
■ 夏隣とは言わない。
■ 夏という字は、夏至、のときは、「ゲ」と読む。
  1. 上品
  2. 下品
■ 「ゲ」という語はなんか品がよくない。
■ ときどき、中学の頃の同級生が電話をしてくる。
■ スマホとかだから、好きなときに好きな場所から電話してくる。
■ こっちは固定電話だから、その都度、電話機のある向こうの部屋まで移動せざるを得ない。
■ 勝手なもんだ。迷惑であぁ~る。
■ そして、そのことばたるや、なんなんだ。
■ いつも同じだ。
  • 電話来る 生きているか、と 夏のはじめ  遊水
■ このとき、「夏」は「ゲ」と発音する。
■ 言葉の響きが何か気持ちも表すコトだろう。
■ しかし、まあ、淋しい、のかもしれない、と、いい人ぶって、つきあってやる。

2024年5月3日金曜日

よむ、詠む、読む、2024-05-03 追記



■ 2024-05-03
■ 2024-04-30
■ 何か、があり言葉が生まれる。
■ 例えば
  1. 電話   電話 - Google 検索
  2. けいたい けいたい - Google 検索 
  3. スマホ  スマホ - Google 検索
  4. ガラケー ガラケー - Google 検索
  1. モバイル モバイル - Google 検索
  2. スマートホン スマートホン - Google 検索
■ 現代の日本で使われているが、他国ではナンと呼んでいるのか
■ 古い携帯電話を「ガラケイ」と呼ぶことで、
■ 「スマホ」でなく「けいたい」に戻ってもよさそうだが、皆さんどう表現しているのか、
■ googl翻訳していると、1回目とそれ以降では変化がある。

Farsími Mobile phone Мобильный телефон 케이타이 keitai 
Téléphone mobile Cellulare Teléfono móvil
智慧型手機 Zhìhuì xíng shǒujī 手机 Shǒujī Mobiltelefon

■ では、google翻訳してみると
電話して make a call / позвонить (pozvonit') 
電話 Telefon 電話して einen Anruf tätigen 

■ まあ、各言語で、実際どのように話すかしらないが、日本語では「名詞」+ ~
■ ちょっと、出だしで横道にそれた。
■ さて、・・・
  • ■ 何か、があり、言葉が生まれる。
■ と書いたが、その何かをモノと呼んでもいいだろうが、モノは物体のように形あるモノに限らない。
■ 「ものおもい」というときのモノは心の中にあるモノだ。
■ 今の世では、使用文字の制限がある。
■ だから、様々な、おもい、をうまく表すことができないコトもある。
■ そして、新しい言葉が使われるようになると、その言葉のもつ概念により更に影響される。
■ 例えば、おもう
  1. 思う
  2. 想う
■ このふたつの、おもう、から、思想という言葉が生まれたとき、この言葉の響きから、おもう、コトとは何か違うモノのような考えになるような気もする。
  1. 思索
  2. 想像
■ という言葉と合わせ考えると、どのように、おもう、のか、というのが分かるのかもしれない。
■ おもう、を類別し厳密にいうことになるのかもしれないが、おもう、から離れてしまうことにもなる。
■ 言葉を文字として表したときの変化がないようにするのがいいのかもしれない。
  1. 詠む
  2. 読む
■ 歌を詠む、というか、歌を作るという言葉でいう方が分かりやすいかもしれないが、
■ 詠む、方が先で、読む、のは後になる。
■ 最初から、詠むコト、はできないかもしれないが、読むコト、で詠めるようになる。
■ 要するに、ことば、は多くの人に様々な場面で使われることにより、できるモノなのだ。
■ そして、思想という言葉をいったん捨てて、おもう、ということから始めると極基本的な考え方になるようになるのではないか。


2024年4月4日木曜日

文学者、2、言葉

在留資格一覧表 session_second_1.pdf (jetro.go.jp)

■ 2024-04-04
■ リービ英雄著・日本語の勝利 アイデンティティーズ・講談社文芸文庫
■ 「日本語の勝利」を読んで違和感を感じた。
■ リービ英雄は万葉集についてはよく知っているようだ。
■ しかし、日本書紀、とか歴史については、どうだろう、と思う。
■ 日本書紀、の持統天皇の頃の記述は、新羅に関することが非常に多い。
■ 多くの朝鮮半島の人間が日本列島に渡来している。
■ これについては、ここで多くは述べないが、例えば、リービ英雄は次のように書いている。
■ これはリービさんが生きづらさを感じたからだろうが、
■ 誤認識のように思われる。

「在日」ということばも、主として、強制連行と、被差別の歴史を背負っている一つの民族を表示していることは、うすうすと知っていた。

■ 「ひとつの民族」とは朝鮮人、ということだろうが、歴史的に見ると「強制連行」はあたらない。多くは、自ら選んだと思われる。朝鮮半島に住むより、日本に住んだ方が得だ、として選んでいる。例えば済州島の人々が、朝鮮半島の人々から蔑まれて逃げてきた、ということもある。それを日本は受け入れてきた。日本に来て必ずしも、よい生活ができたとは限らないし、二世、三世になれば、祖国はないと感じることも多々あったと思われる。
■ しかし、それを日本のせいにするのは当たらない。
■ 日本人で、日本に住みづらく海外に移住ししたものも多い。
■ ブラジル、ハワイ、アメリカ、など、・・・
■ 彼らには、多くの苦難があったと思われるが、克服してきた、と思われる。
■ 現在も、あからさまに、韓国、中国は反日教育をしている。
■ 他者を貶めたからといって自らが優れていることにはならないが、そう思わされているようだ。
■ これはなぜか、と解説してもしょうがないかもしれないが、
■ ひとつは宗教にも原因があろう。
■ 宗教は、自分自身が考えず、他社の意見に従う、ということだからだ。
■ また、韓国は漢字を捨てた。
■ 文字を捨てた民族は歴史や文化を捨てたことになる。
■ 悲しむべきことであっても誇ることではない。
■ 現在、多くの訪日客がいる。
■ マンガやアニメに影響を受けたという人も多い。
■ そこで話されている言葉を知りたい、という。
■ 言葉は心だからだ。
■ 現在の日本には問題点も多い。
■ しかし、日本語が使われている限り、日本の心は生き続けるだろう。
■ 様々な国の人が日本に住んでいる。
■ 彼らの話を聞くことで何かを知ることはあるだろう。


2024年1月25日木曜日

文書を細かく読む習慣、事実とは何か、と、イソヒヨドリの話 + 2024-01-26



■ 2024-01-25
■ YouTubで動画を見ていると、緊急通報が発生した。
■ ベランダに何かがいる、と。
■ どこだどこだ、とガラス越しに見ると、いたぁぁ~
■ カメラを用意して、そぉっと、ガラス戸を開けて撮影した。
■ そのうち、また、どこか近くで見られることだろう。

何かいる 何処だどこだと ガラス越し イソヒヨドリの オスの姿だ

2024-01-25 ベランダの片隅に
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■ 2024-01-26
■ 今日は、在宅せざるを得ないので、暇つぶしに見ていた。
■ アンチ、が出現するのは、オシ、と同様だ。
■ 自分が自分なりの意見を表明したければ、他人に関係なく、表明すればよいのに、
■ 自分の存在を目立たせるために、有名な人を持ち出す。
■ 従って、ほとんどの場合、具体的な事実について議論するのではなく、無内容ゆえ、無視すればよい。
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■ 2024-01-25
■ 日本経済新聞・朝刊に、Willの広告が載っていた。

■ 2024-01-21
■ 雨降りなどのときに、YouTube など見ていると面白い。
■ 「いかりちゃん」は限られた分野ではあろうが、法律に関する専門家なので、文書を細かく読む習慣がついている。
■ また、分析能力が高い。
■ さらに、発言・発信にたけている。
■ 東大I教授は、相手にする人の特性を把握していなかったようだ。
■ 即ち、墓穴を掘ったのかもしれない。
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■ ついでながら、・・・2024-01-25
■ ごく基本的に、日本語を大切にしなければならない。
■ ハングル文字、簡体中文の表記は即刻、削除するべき。
■ これらの文字を表示することで、日本語が軽視されることになっている。
■ 訪日外国人で、日本語は美しいので学びたい、との発言をYouTubeでよく聞く。
■ 今後、あるいは既に実用化しているかもしれないが、
■ スマホ等で日本語を写すだけで自動変換可能になるはず。
■ 旅行客にこびてはならない。
■ 確か、イギリスでは、学校でいくつもの言語を表示することで混乱も起きている。
■ 定住外国人に言語教育をすることが重要。

2024年1月19日金曜日

現代詩?

■ 手元にあれば便利かもしれない。

■ 2024-01-19
■ 三好達治・萩原朔太郎、この本の最後に、
■ 伊藤信吉・三好さんとの20年、がある。
■ 伊藤信吉・詩のふるさと、には多くの詩人が、日本列島の、北の方からあげられている。

短歌・俳句以外の新しい詩形詩--新体詩が、わが国の詩の世界にはじめて登場したのは、明治15年(1882)刊行の「新体詩抄」においてだった。それが現代詩の起点になった、・・・

■ とあるが、現代詩の現状は、どうなのか、
■ よく知らない。
  1. 昭和20年以降、
  2. 平成、令和、の時代
■ ・・・の現代詩、とは何か。
■ ちょっと横道にそれ過ぎた。
■ 現代詩に関心があるわけではない。
■ ただ、人が土地とか時代とかに無関係に存在しているのではないので、
  • 詩のふるさと
■ という視点から、何かを眺めるのはアリかなと思う。
■ 唄・歌・・・歌詞には興味がある。
■ いわば、普通の人が口にできる言葉だからだ。

2024年1月18日木曜日

和歌と自由詩、本歌取り



■ 昭和23年、三好達治は福井地方で大地震に会い、家財を失った。
■ 昭和27年、三好達治、52歳。「朔太郎の一面」を書いた。
■ 昭和38年5月14日「萩原朔太郎」を書く。
■ 昭和39年、64歳で死亡。
■ 三好達治の詩は好きなのがあるので、また、いつか書くことにしよう。
■ ・・・
■ さて、和歌には本歌取りという作り方がある。
■ いい歌を取り込んで自分なりに詠むのだけれど、まあ、ある程度、ではあるが、・・・
■ 本歌取りで、言葉の継承がなされる。
■ つまり、言葉で表される心、が伝えられてゆく。
■ 丸谷才一は、萩原朔太郎の「山に登る」は百人一首の「有馬山」と関連付けたのではないかというようなことを書いているが、・・・
■ そうなんよ、
■ と、こんなことを書くのは、最近、小池昌代訳・百人一首、をみてたら、・・・
■ なに、これ、・・・
■ 自由詩にすることの意味がよく分からない。
■ 朔太郎の場合、意識したかどうかは知らないが、興味深いものがある。
■ 和歌の場合、応答歌、という感じで、一般に詠ませるものでない場合も多い。
■ 相手に分かればいいので、状況の説明はいらないことも多い。
■ 詞書で補うこともあるし、
■ ひとつだけでなく、連作してもよい。
■ また、相手からの歌と並べることで、物語性も出てくる。
■ 丸谷才一は、朔太郎の詩を置き、次に、「有馬山」の歌を置いている。
■ 一応、本歌取り的であれば、先に、「有馬山」を置いて考える方が分かりやすい。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原 
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ ざっと、こんな感じか。
■ 自由詩とは、なんと不自由なものか、どれほど言葉を費やせばいいのか、という感じになる。
■ 「山の頂上にきれいな草むらがある、」ではどこか分からん。
■ 一方、・・・
■ 「有馬山」は二人にとって思い出の場所だったのか、あるいは、相手のコトを事を意味する言葉だったのか、二人で有馬温泉に行った、ということかもしれない。
■ また行こうよ、有馬温泉、・・・
■ それはどうでもいいことなのだが、・・・

有馬山
いなの笹原

■ これだけで説明されている。

否、
なによ、今更、嫌よ

■ ということが、はっきりと、相手に分かる、ように詠まれている。
■ これが和歌のよさだ。
■ 小池昌代の自由詩を並べ置いてみようとは思わない。
■ 本歌取り的ではなく、つまり、彼女の詩ではなく、単なる説明文だからだ。
■ 解説本など、今までたくさんあり、
■ 新鮮さがない。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 全く、蛇足だけれど、・・・

なによ、なにが、有馬温泉よ
♨、好きだから、行きたくなったら、行くけど、
なにも、あんたと行かなくてもいいわよ

■ と、まあ、紫式部の娘が、当時、行ったかどうか定かではないが、・・・
■ 火山列島の日本は、湯けむりと硫黄の臭いで、昔から、発見、利用されてきたのは確かだ。
■ 万葉集などの歌にも温泉は出てくる。


2024年1月9日火曜日

後鳥羽院の、帰郷を願う心、望郷の歌


■ 2024-01-09
2024-01-08

■ 鳥見の楽しみがある。
■ 丸谷才一の評論に付き合うのも適当にしないと、鳥見もできないので、中途半端だった。
■ しかし、後鳥羽院の歌について知ることは無駄ではない。
■ 先にも記した通り、丸谷才一は新々・百人一首で次の歌を取り上げた。

海辺時雨 後鳥羽院
わたつ海の波の花をば染かねて
八十島遠く雲そしくるる   

■ この歌は、4つの歌の一つとして、丸谷才一が取り上げている。
■ この歌の心を知るにはその4つの歌を全体的に見るのがいいのだが、
■ この歌が初めにあるものだから、彼はこの歌にこだわりすぎたようだ。
■ だから、評論家故に色々な「層」を取り上げようとした。
■ 歌人としての立場でない。
■ そして、分からないので色々論評しようとした。
■ ゴチャゴチャ書くということはなかなか理解できなかったコトを意味する。
■ 歌には年齢とか境遇が現れる。
■ 自分だったらどう詠むかという視点から歌を見るのがいい。
■ 後鳥羽院については色々書かれているだろうから多くを記す必要はないだろう。
■ google 検索してみればいい。
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鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ  遊水


■ 彼は、隠岐の島に馴染んだかというと、もちろん、馴染めなかった。
■ 自分のかつての地位、と、今の境遇を思わぬ日はなく、都に帰りたかった。
■ しかし、帰れない。
■ 苦しい時の神頼み、で、神に縋るしかない。
■ その心が、4番目の「松」に表わされている。
  1. わたつうみの-なみのはなをは-そめかねて-やそしまとほく-くもそしくるる
  2. さらてたに-おいはなみたも-たへぬみに-またくしくれと-ものおもふころ
  3. ひとはよも-かかるなみたの-そてはあらし-みにならひにも-つれなかるらむ
  4. うつつには-たのめぬひとの-おもかけに-なのみはふかぬ-にはの松かせ
■ 松は、待つ、で昔から日本人の頭には常識的にある。
■ 小倉・百人一首・藤原定家の歌を思い出してもいい。↑
■ さて、後鳥羽院は何を神と見立てたのか。
■ このように考えたとき、後鳥羽院が帰りたいが帰れないという心

わたつ海の
波の花をば
染かねて

八十島遠く
雲ぞ時雨るる

■ 海の神に、ただ願い祈るしかないが、
■ 海の神の心に届かない。
■ 波の花、で神の心を表している。
■ これは、小野小町の歌を見れば分かる。
■ しかし、その心を変えようとしても、
■ 白い波を、染め変える、ことができない。
■ 自分のいる、隠岐の島、は神の心、即ち、意志からは遠く
■ 雲に隠れて、時雨ている、寒く淋しく、自分は悲しんでいる。
■ 4番目の歌で、「現には 頼めぬ」と現状を嘆いている。
■ と、まあ、こういうことだろう。
■ 丸谷才一も、最後は、「雑の感懐の歌という層がある」として
山の神
海の神
■ に至っている。
■ 最初から「まつのき小唄」を歌いながら考えるのがいいのだ。
■ 「松の木ばかりがマツじゃない」・・・
■ この唄の歌詞を書き、その替え歌として、後鳥羽院の心を考えればいい。


2023年12月31日日曜日

ことば、と、人の名前、朝顔の花193、種323


■ 母国の悪口を言うのは、日本側からみればマイナスかもしれない。
■ どこの国とも友好関係を結ぶ方がいいから。




■ 2023-12-31
■ 今日は日曜日、昨日の日本経済新聞に、名前についての記事があった。
■ 昔は、幼名から成人と名前を変化させることも多かったのか。
■ 「小説家・ペンネーム」で検索しても六なものしかでてこない。
■ 例えば、夏目漱石、は正岡子規がつけたなどとあっても、正岡子規の方はどこからつけたのかが書いてない。
■ 深く検索すれば出てくるのかもしれないが、まあ、今の人は知らないのだろう。
■ 小説など読まないのだろう。
■ 芸名にしても、例えば、谷啓 - Wikipediaダニー・ケイ - Google 検索
■ 筆名辞典などというものあったが、買わなかったのは残念だ。
■ こんなことを書いていると、
■ 「朝顔の種193個」などと声が入る。
■ 今年は少なかった。
■ あまり本気にならなかったこともある。
■ 2024-01-10、訂正。
■ 花193、種323個、だった。



2019-12-31

2023年12月9日土曜日

「千早古神世も聞かず 」これがすごい。業平は絶世の美女という言葉は知らなかったが、

括り染は、布の所々を糸でくくり、そこを白く染め残して模様を出す染め方。また、その模様。絞り染め
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■ 2023-12-09
■ 例えば、小倉百人一首など、古典に親しむのは昔の人はどのように感じどのように表現したか、
■ 言葉とはなにかに興味がある。
■ そして、自分はどのように表現するか、ということだ。
■ 詩人がどのような感性で、どのような言葉として、捉えるかは、まあ、読んでもいいかとは思うが。
■ 自分ならどう書くか、昨日ちょっと目にした歌をとりあげよう。まず

佐伯梅友校注・古今和歌集・岩波文庫
ちはやぶる神世もきかず たつた川からくれないに水くゝるとは  なりひら朝臣

■ この歌の心をどう自分の歌につなげるかだけれど、その前にどのように表記するかだ。
■ 「ちはやぶる」とあるが「ぶ」はもともと濁点が付いていたのか、疑問だ。
  • 千早古 神世も聞かず 竜田川 韓紅に 水潜るとは  遊水
■ 「千早古」については先に夏目漱石の句もあげた。
■ 疑問の余地はない。
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■ 次は、「水くゝ」これを「くくり染め」だと解釈したのは賀茂真淵だそうだが、
■ これはごく普通にみて疑問。
■ そのさまを自分で画用紙に描いてみればいい。
■ 賀茂真淵は、頭でっかちの、奇をてらう、癖があったかのような人で、
■ 人と違うことをいい、他人の注意を引くかのようだ。
■ 絞った部分は染まらず白く残る。
■ どんな形で残るのか、到底、紅葉の葉には見えない。↑、絞り染め
■ 又「から紅」に染めるということは全体としては赤い布になる。
■ 赤い川に白い紅葉、ということになる。
■ 赤いのは紅葉でしょ。それが白なら、何これ、ということだろう。
■ そして、一番重要なのは、在原業平の気持ちはどうだったのか、だ。
■ 古今和歌集・巻第五・秋歌下の「そせい」の歌の詞書にある状況だった。
■ 屏風絵を見て二人が詠んだ。
■ その屏風の持ち主は、「二条の后」即ち、業平が恋した、というか、愛した女だった。
■ Wikipedia の絵↑、にもあるような関係だった。
■ その人に贈る歌に、自分の心を託さないはずはない。
■ 川が真っ赤に染まるほどに浮いた一面の紅葉は当然、二条の后、即ち、藤原高子で、彼女への思いを、その真紅の紅葉の下を流れる川に託した、と解するのがごく常識的のように思われる。
■ そして、
  • 千早古 神世も聞かず
■ これがすごい。
■ いままで歴史上もないほどの美しさだ。
■ 美しい紅葉だ。
■ 絶世の美女、という言葉が今はある、業平の時代にはなかったのだろう。
■ 「絶世」を言い換えれば「神世も聞かず」となる。
■ その美しい紅葉のようなあなた。
■ 竜田川、即ち、私の上に浮かんでいる。
■ 当然「括る」ではない「潜る」という表現になる。
■ まあ、人がどのように解釈するかは、人それぞれかもしれないが、通説などどうでもいい。
■ 自分はどう感じ、どう評価し、どう自分のものとするかだ。

2023年12月4日月曜日

マンガ・哲学と、にしむくさむらい

ニューヨーク店は世界最大の百貨店であると広告されている


■ 2023-12-04
■ なんかいな、と思い15分程度見た。↑
■ 米の庶民のある側面のようだ。
■ つまらんことを取り上げるのは、自分を貶めるようなものだが、まあ、見てしまったものだから、・・・
■ さて、何を書こうと思っていたのか、というと。
  • マンガは哲学する
■ と言う本を読んでいたからだ。
■ 先日、梅田に出たついでに買った文庫本だが、なんか、高かったなぁ。
■ それほどの価値はあるのかな。
■ この本の「哲学」という言葉に反応して、「にしむくさむらい」について書き始めたのだが、この時も、横道にそれてしまった。
■ 漫画はひとつの表現方法だから、哲学する漫画があっても不思議ではないし、
ことば
■ この二つがあるので、文字だけより効果的だともいえる。
■ さらに、漫画の言葉には 、吹き出し、と、地文、擬音、などがある。
■ 目次を参考に、この本でいう「哲学」について考えたらいいのかもしれないが、
■ どの漫画も見てないので、なんともいえないか、という感じだ。
■ ・・・
■ さて、日本人は誰でも知っている、ことば
  • にしむくさむらい
■ 11月末だったので、これを取り上げて書こうかな、と思ったのだった。
■ そして、まず「かな・漢字・変換」から始めた。
西向く侍
■ 意味がありそうにみえる。
西
向く
■ この三つの、意味ある単語になる。
■ それぞれの文字、あるいは言葉に意味があると、全体でも意味があるのかと思ってしまう。
■ これが言葉の危うさだ。
■ 日本語を知らない人、外人などの陥りやすいところだ。
■ 西向く侍、を題として考えても何にもならないのだけれど、いったん仮名から漢字に変換してしまうと、漢字から仮名にするのが難しいようになる。
■ これは「哲学」という言葉を使ってしまうと、いかにも、そこに意味があるかに、感じてしまう。
■ 西、は日が沈む方向であり、宗教的には、西方浄土、という考え方も出てくるかもしれない。

西向く侍、は、侍が西を向いている

■ という文章として捉えられるかもしれない。

にし・むく・さむらい
に・し・む・く・さむらい 

■ この日本の文化や日本を知るには、文字の縦書き、横書き、がある、ということや

2  二  に
4  四  し
6  六  む
9  九  く
11  十一
11  十
       一 士・武士
 
■ 日本語の言葉遊び、語呂合わせ、とか、掛詞、駄洒落、・・・
■ ・・・
■ 今日、そこいら散歩の途中、休憩していると、むち打ち教の人が勧誘に来た。
■ この宗派は勧誘を禁じていたのではなかったか、・・・

イエスとふ 悪戯モノが 世にいでて 多くの人を 迷わするかな

■ マンガは哲学する、に、こんな感じの一休の言葉があった。
■ 他にもある。
■ 洋物を崇め立て祀らんでも
■ 何でもいい。例えば、聖徳太子の言葉でも読んでみる、とか
■ 源氏物語でも読んで紫式部の悩みとは何だったのか理解してやる方がよっぽどいいのではないか 
■ 



2023年8月14日月曜日

むべ山風を 嵐といふらむ

■ 2023-08-13
■ 小倉・百人一首・022番は、文屋康秀の歌で、・・・

吹くからに 秋の草木の しほるれば 
むべ山風を 嵐といふらむ  

■ 馬場あき子著「馬場あき子の百人一首」NHK出版、には

字解き遊びのようで、
今日からみれば何ということもないものだが、
こうしたことを歌に詠んで面白がっていたことがむしろ面白い。

■ こんなことを書いている。
■ 文屋康秀の頃は漢詩など漢文に関する素養があった。
■ 馬場あきこ、は漢詩など漢文に関する素養がないようだ。

万葉集 ・・・漢字ばかりで書かれている
古今和歌集  真名序は漢字で書かれている
文屋康秀   小野小町と同時代
藤原定家   鎌倉時代
尾崎雅嘉   江戸時代
島津忠夫   現代
馬場あきこ  現代
橋本遊水   今日

■ 先に、 百人一首に遊ぶ 001~050 、で、・・・
■ ・・・
■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀のこの歌が、案外、新しい意味合いでの文字の使い方を普及させたのかもしれない。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。

■ 文屋康秀の時代と現代を比較すると、現代の情報量の方が圧倒的に多い。
■ しかし、情報量が多いので、かえって、よく考えず、・・・
■ 先人の意見や判断をそのまま鵜呑みにしてしまうのだろう。
■ 私の、「今日」からみれば、「むべ山風を 嵐といふらむ」といった遊び心が日本語を豊かにしてきたように思う。
■ 人はどう評価するか知らない。
■ それぞれだろうけれど、1000年以上前の人の知恵とか意識は、あるいは「現代」の人より優れている面があるように思う。


2023年8月13日日曜日

色と風、の話、と、・・・


■ 「身にしむ色」は「身にしむような」という意味だが、・・・
■ 風についても同様なことがいえる。
■ 例えば、・・・

現代風
和風 

■ この「風」はそよぐ風のように吹く風ではない。
■ どこかにも書いた気がする。
■ 2023-08-23
■ この続きは、ここに書いた。→ 橋本遊水・ことのは: 風と色の話 
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■ 書きかけで、ちょっと、ハワイ・マウイ島を google したら山火事だと報じている。
■ 日本経済新聞webの記事は「この記事は会員限定です。」と。
■ 別にそんなものを見たいわけではない。
■ どんな感じの山火事なのか見ると、英語では
  • wildfire
■ と、ある。
■ 山ではなく海岸沿いの家々が焼けていた。
■ google 翻訳で「山火事」を見ると「Forest fire」だ。
■ 逆に「wildfire」は「山火事」と訳されていた。
■ なんというか、報道で、何でも山火事という言葉でなく、適当な言葉はないものかと思った。
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■ ・・・

2023年6月13日火曜日

このきせつ 小野小町を おもひだす 色うつりゆく 紫陽花のはな、2023-06-07 リンク追加

■ 2023-06-13 写真追加
■ 2023-05-31

2023-05-31 摂津市・市場池


2023-06-13  吹田市

■ 2023-05-29