2024年1月18日木曜日

和歌と自由詩、本歌取り



■ 昭和23年、三好達治は福井地方で大地震に会い、家財を失った。
■ 昭和27年、三好達治、52歳。「朔太郎の一面」を書いた。
■ 昭和38年5月14日「萩原朔太郎」を書く。
■ 昭和39年、64歳で死亡。
■ 三好達治の詩は好きなのがあるので、また、いつか書くことにしよう。
■ ・・・
■ さて、和歌には本歌取りという作り方がある。
■ いい歌を取り込んで自分なりに詠むのだけれど、まあ、ある程度、ではあるが、・・・
■ 本歌取りで、言葉の継承がなされる。
■ つまり、言葉で表される心、が伝えられてゆく。
■ 丸谷才一は、萩原朔太郎の「山に登る」は百人一首の「有馬山」と関連付けたのではないかというようなことを書いているが、・・・
■ そうなんよ、
■ と、こんなことを書くのは、最近、小池昌代訳・百人一首、をみてたら、・・・
■ なに、これ、・・・
■ 自由詩にすることの意味がよく分からない。
■ 朔太郎の場合、意識したかどうかは知らないが、興味深いものがある。
■ 和歌の場合、応答歌、という感じで、一般に詠ませるものでない場合も多い。
■ 相手に分かればいいので、状況の説明はいらないことも多い。
■ 詞書で補うこともあるし、
■ ひとつだけでなく、連作してもよい。
■ また、相手からの歌と並べることで、物語性も出てくる。
■ 丸谷才一は、朔太郎の詩を置き、次に、「有馬山」の歌を置いている。
■ 一応、本歌取り的であれば、先に、「有馬山」を置いて考える方が分かりやすい。

有馬山 
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。

猪名のささ原 
風吹けば 
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

いでそよ人を 
おれはいまでも、

忘れやはする
お前のことを思つてゐるのだ。

■ ざっと、こんな感じか。
■ 自由詩とは、なんと不自由なものか、どれほど言葉を費やせばいいのか、という感じになる。
■ 「山の頂上にきれいな草むらがある、」ではどこか分からん。
■ 一方、・・・
■ 「有馬山」は二人にとって思い出の場所だったのか、あるいは、相手のコトを事を意味する言葉だったのか、二人で有馬温泉に行った、ということかもしれない。
■ また行こうよ、有馬温泉、・・・
■ それはどうでもいいことなのだが、・・・

有馬山
いなの笹原

■ これだけで説明されている。

否、
なによ、今更、嫌よ

■ ということが、はっきりと、相手に分かる、ように詠まれている。
■ これが和歌のよさだ。
■ 小池昌代の自由詩を並べ置いてみようとは思わない。
■ 本歌取り的ではなく、つまり、彼女の詩ではなく、単なる説明文だからだ。
■ 解説本など、今までたくさんあり、
■ 新鮮さがない。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 全く、蛇足だけれど、・・・

なによ、なにが、有馬温泉よ
♨、好きだから、行きたくなったら、行くけど、
なにも、あんたと行かなくてもいいわよ

■ と、まあ、紫式部の娘が、当時、行ったかどうか定かではないが、・・・
■ 火山列島の日本は、湯けむりと硫黄の臭いで、昔から、発見、利用されてきたのは確かだ。
■ 万葉集などの歌にも温泉は出てくる。


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