2024年1月13日土曜日

気になる記述、井上靖・猟銃、追記





■ 2024-01-15 追記
■ と、途中迄書いたが、鳥見に出た。
■ 2024-01-14
■ 昨日は、たまたま、夕刊に井上靖の小説に関する記事があったので、・・・
■ 彼の散文詩を取り上げた。↑
■ 一応、小説の方もざっと見た。
■ 彼は新聞記者だったので、読者に興味ある題材として「猟銃」を書いたのだろうが、・・・
■ 詩、も、小説も、何か作りモノである感じがすると、冷めてしまう。
  1. 散文詩・猟銃
  2. 小説・猟銃
■ 小説では、多少具体的な感じで、書き換えられていて、そこがちょっと気になる。
その人は大きなマドロスパイプを銜へ、
セッターを先に立て、
長靴で霜柱を踏みしだき乍、
初冬の天城の間道の叢をゆっくりと分け登って行った。
二十五発の弾丸の腰帯、黒褐色の革の上衣、
その上に置かれたチャアチル二連銃、
生き物の命断つ白く光れる鋼鉄の器具で、かくも冷たく武装しなければならぬものは何であらうか。
■ 箇条書き風に書き改めた。
■ まず、パイプ、これはないだろう。
■ 動物は音やにおいに敏感だ。
■ また、山火事の原因にもなる。
■ 次に、二五連発も必要なのか、必要だとしても、ベルトはどうか、
■ 黒褐色は普通はない。誤射を防ぐための色にするだろう。
■ 狩猟対象にもよる。
■ 天城の間道を、登、・・・水鳥ではなく山にいる鳥か?、
■ しかし、キジやコジュケイなどなら平地だろうから、ヤマドリ狙いか、分からん。
■ セッターは対象を追い出すために使われる、としたら、何を目的にしているのか。
■ 「革の上衣、その上に置かれた」これはないだろう。
■ 普通、銃を携行するとき、二連銃なら肩には担がない。
■ 脇に抱え持つ。
■ 足を滑らす、踏み外したときの安全など考えるはずだし、・・・
■ こんなことが気になると、小説の筋立ても何か嘘くさく感じてしまう。
■ ただ、
  • 「薊をぱっと大きく織出した納戸の結城のお羽織」
■ を効果的に演出している。
■ 33歳の人の13年前、の記憶、つまり二十歳のときに結婚したときの出来事が書かれている。
■ いかにも新聞記者的な筋立てで、面白くないコトもないので、いろいろ些細なことにこだわらなければ、まあ、面白く読み直すこともできるのかもしれない。
■ 仮にこの材料で書き直すとしたら、どうだろう。
■ 井上靖の詩の方は次のようになっている

なぜかその中年男は村人の顰蹙を買い、彼に集まる不評判は子供の私の耳にさえも入っていた。ある冬の朝、私は、その人がかたく銃弾の腰帯をしめ、コールテンの上衣の上に猟銃を重くくいこませ、長靴で霜柱を踏みしだきながら、天城への叢をふっくりと分け登ってゆくのを見たことがあった。 それから二十余年、その人はとうに故人になったが、その時のその人の背後姿は今でも私の瞼から消えない。生きものの命断つ白い鋼鉄の器具で、あのように冷たく武装しなければならなかったものは何であったのか。私はいまでも都会の雑踏の中にある時、ふと、あの猟人のように歩きたいと思うことがある。ゆっくりと、静かに、冷たくーー。

■ しかし、私が書き直すことはない。
■ 百人一首のいくつかの歌に作者の思いなどを考える方がいい。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 河盛好蔵が解説を書いている。
■ 「みどりの手紙」が一ばん作為のあとが見えすぎて、・・・
■ と書いているが、
■ ガラス戸に映った背後の男が銃口を自分に向けているのに気づく場面、これが一つの山だ。
■ もともと小説の虚構性をどう表現するかだから、この場面を一番書きたかったのではないだろうか。
  • ■ 2024-01-15 追記
■ 途中迄書いたが、鳥見に出た。
■ 続きを書いておこう。
■ まず「詩・猟銃」があり、それを「小説・猟銃」に仕立てた。
■ 表現は多少違うが、
あの猟人のように歩きたいと思うことがある。ゆっくりと、静かに、冷たくーー。
■ この部分は変わりない。
■ 即ち、肯定している。

 その後、都会の駅や盛り場の夜更けなどで、私はふと、ああ、あの猟人のように歩きたいと思ふことがある。ゆっくりと、静かに、冷たく--。そんな時きまって私の瞼のなかで、猟人の背景をなすものは、初冬の天城の冷たい背景ではなく、どこか落莫とした、白い河床であった。そして一個の磨き光れる猟銃は、中年の孤独なる精神と肉体の双方に、同時にしみ入るやうな重量感を捺印しながら、生きものに照準されたときには決して見せない、ふしぎな血ぬられた美しさを放射しているのであった。

■ なんか、恰好つけている。
■ 賛美している。
■ なにが、「ふしぎな血ぬられた美しさを放射しているのであった。」なのかと思う。
1949年 - Wikipedia (昭和24年)
■ 時代の社会的背景も考慮しないといけないだろうが、現代でもありそうな、いわば普遍的コトであり、短編なので、すぐ、読めるから、読んでみてもいいように思うが、
■ 井上靖の捉え方、というか、人生観には、疑問がある。
■ 「中年の孤独なる精神と肉体の双方に」スタンプするものとして、・・・
■ 「猟銃」以外に考えられなかったのか。
■ 「中年の孤独なる精神と肉体」など、特別なものではない。
■ 私は「あの猟人のように歩きたいと思ふことがある。」などとは思わない。
■ ・・・まあ、それは人それぞれで、勝手といえば、かってだけれど。

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