百人一首、社会的背景

■ 小倉百人一首/僧侶 12人
■ この数は、まあ、多い。
■ 宗教がどのように影響を与えたのか、知らないといけないかな、と思う。
■ 厄介だ。
■ 欽明天皇の頃、西暦538年に百済から仏像が日本に伝わった。

      15代 応神天皇 誉田天皇 王仁が来日
          難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花 王仁
      16代 仁徳天皇
万葉集・1、21代 雄略天皇 大泊瀬幼武天皇、若いころは乱暴
      29代 欽明天皇 天国排開広庭天皇 百済から仏像伝来
      32代 崇峻天皇 蘇我馬子の指示により暗殺される
      33代 推古天皇 豊御食炊屋姫天皇
          聖徳太子 上宮之厩戸豊聡耳命、厩戸豊聡耳皇子命 仏教普及
          遣隋使 小野妹子
          厩戸皇子聖徳太子死去
          蘇我馬子 死去
万葉集・2、34代 舒明天皇 息長足日広額天皇。香具山に登りて国を望たまふ時の歌

山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 ・・・
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち ・・・
やまとには むらやまあれど とりよろふ 
あめのかぐやま のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ うなはらは かまめたちたつ うましくにぞ あきづしま やまとのくには
 
          当時、奈良盆地は奈良湖であった。
          遣唐使 西暦630年~
      35代 皇極天皇 天豊財重日足姫天皇
          蘇我入鹿 山背大兄王・厩戸皇子(聖徳太子)の子を殺させる
          中大兄皇子、中臣鎌足が蘇我入鹿を殺す
百人首・1、38代 天智天皇中大兄皇子天命開別天皇、近江大津宮
      40代 天武天皇大海人皇子天渟中原瀛真人天皇、飛鳥浄御原宮
万葉集・50    藤原の宮の役民の作る歌
百人首・2、41代 持統天皇 大倭根子天之廣野日女尊 高天原廣野姫天皇、藤原宮
百人首・3、    柿本人麻呂
      44代 元正天皇 日本根子高瑞浄足姫天皇
          藤原不比等中臣鎌足の子
      45代 聖武天皇 天璽国押開豊桜彦天皇 勝宝感神聖武皇帝
          東大寺盧舎那仏像 華厳経
百人首・6、    大伴家持
          千鳥鳴く佐保の河門の清き瀬を馬うち渡しいつか通わん  大友家持
          この歌頃には奈良湖は水が抜かれ奈良盆地になっていた。
          佐保を地図上で確かめること。    
百人首・7、    阿倍仲麻呂 第9次・遣唐留学生
      49代 光仁天皇 天宗高紹天皇

■ 奈良時代は、西暦710年~794年。

      52代 嵯峨天皇、平安京
      59代 宇多天皇
          第20次・遣唐使、中止。菅原道真の建議による。
百人首・24    菅原道真 左遷・大宰員外帥



つづく

■ 寺と神社

寺 葬式
神社 結婚式、七五三、・・・

■ 神社には何が祀られているのか





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