■ 2023-08-13
■ 小倉・百人一首・022番は、文屋康秀の歌で、・・・吹くからに 秋の草木の しほるればむべ山風を 嵐といふらむ
字解き遊びのようで、今日からみれば何ということもないものだが、こうしたことを歌に詠んで面白がっていたことがむしろ面白い。
■ こんなことを書いている。
■ 文屋康秀の頃は漢詩など漢文に関する素養があった。
■ 馬場あきこ、は漢詩など漢文に関する素養がないようだ。
万葉集 ・・・漢字ばかりで書かれている古今和歌集 真名序は漢字で書かれている
文屋康秀 小野小町と同時代
藤原定家 鎌倉時代尾崎雅嘉 江戸時代
島津忠夫 現代
馬場あきこ 現代橋本遊水 今日
■ 先に、 百人一首に遊ぶ 001~050 、で、・・・
■ ・・・■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀のこの歌が、案外、新しい意味合いでの文字の使い方を普及させたのかもしれない。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。
■ 文屋康秀の時代と現代を比較すると、現代の情報量の方が圧倒的に多い。
■ しかし、情報量が多いので、かえって、よく考えず、・・・
■ 先人の意見や判断をそのまま鵜呑みにしてしまうのだろう。
■ 私の、「今日」からみれば、「むべ山風を 嵐といふらむ」といった遊び心が日本語を豊かにしてきたように思う。
■ 人はどう評価するか知らない。
■ それぞれだろうけれど、1000年以上前の人の知恵とか意識は、あるいは「現代」の人より優れている面があるように思う。
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