事実を知った源氏(六条院)に宴席で皮肉を言われた柏木は恐怖のあまり自失、死の床についた。
■ 2024-09-10
■ 今朝は、ある疑問が沸いていたので、3時頃起きて本を開いた。
- 美貌
- 天才
■ このような言葉が平安時代、というか、紫式部が生きていた時代にあったのか。
■ おそらく、なかったと思い当たった。
■ 与謝野晶子の訳では
光 の君という名は前に鴻臚館 へ来た高麗人 が、源氏の美貌 と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。 与謝野晶子訳・青空文庫- 「光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。
- 「光君といふ名は、高麗人(こまうど)のめで聞えて、附け奉りける」とぞいひ傳へたるとなむ。
■ 角田光代訳では、
- ところで光君という名は、高麗人の人相見が源氏を賞賛してそう名づけた、と言い伝えられているとのこと・・・
■ ついでながら、Arthur Waley の訳では、・・・
- Same say that the name of Hikaru the Shining One was given to him in admiration by Korean fortune-teller.
■ だいたい「美貌」という言葉は女性的で男に対して用いる言葉でもない。
■ まあ、イケメン的な言葉ではあるけれど。
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- 美貌
- 天才
■ これだけが人間を評価する基準になるものではない。■ 例えば、
- 思いやり
- 寛容さ
■ 立派な人かどうかは、もっと他の要素があると思われる。■ むしろ、美貌や天才以外の人間性の方が重要なことは古今変わるものではない。
■ 先にこんなことを書いた。↑
■ 「美貌」や「天才」が紫式部の言葉だとすれば、このように言ってもいいかもしれないが、当時はこういう言葉で言ったはずはない、ことに気付いて原文に当たってみた。
■ ただ、他の部分も合わせ読むと、与謝野晶子がこのように評したのも分かるような気がする。
- この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと・・・御子のおよすげもておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えたまふを、
- 七つになりたまへば、読書始などせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。
- わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けば、ことごとしう、 うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。
- 相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。
- 「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷の重鎮かためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」
■ ・・・
- 人相見は驚いてしきりに首をかしげる。
- 「国の親となって、帝王の位に昇るべき相があるが、
- その方面からみると、国が乱れる恐れがある。
- 朝廷の重臣となって天の下の治世を補佐するという面から見れば、
- その相もまた違うでしょう」と言う。
■ 光源氏が7歳の時、作者は人相見の言葉を借りて、彼の一生を暗示している。
■ 日本の占い師も同様のことを言っている、と。
■ この源氏物語の最初の「桐壺」の部分と、光源氏最後の部分「幻」を読むと占い師通りの人間だったということが分かる。
■ また、第三章を見ると、その子、孫も、同様の人間だったいうことも分かる。
■ ・・・
■ 光る源氏には影がありすぎる。
■ 例えば、
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■ この人のYouTube はしばらく投稿がなかったので、どうしているのかなと思っていた。
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