2024年11月3日日曜日

定家の「ほのめかし」・式子内親王との関係 2024-11-03 追記、コマドリを振り返る



■ 藤原定家選 小倉百人一首

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする   式子内親王
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ      權中納言定家

■ 塚本邦雄選 新小倉百人一首

かへりこぬ昔を今とおもひ寢の夢の枕に匂ふたちばな         式子内親王
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮          權中納言定家

■ 橋本遊水選

かへりこぬ昔を今とおもひ寢の夢の枕に匂ふたちばな
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ

■ 昔、定家の「来ぬ人を・・・」の歌を読んだとき、傲慢な感じがした。
■ 仮に、式子内親王が相手だとして、この歌で、あなたの気持ちを詠みました、と言えるだろうか。
■ おそらく彼女が死んだ後だから作ることができた。
■ 組み合わせを考えれば、塚本邦雄選ではありえない。なんの面白みもない。
■ 実際の関係性を今更言ったところで始まらないが、・・・
■ 定家の意図を考えると、・・・
■ 多くの人が、「玉の緒・・・」の歌を、誤解しているようなので、
  • 定家の「ほのめかし」の効果が出なくなった
■ 橋本遊水選のようにすると、事実としての関係性はどうであろうと、明確に関係性を「ほのめかす」ことができたように思う。
■ 万葉集を素材にした形で、現実の、いわば高貴な方との関係性を「ほのめかす」ことで定家としては最高の歌にすることができたはずであった。
■ 塚本邦雄のように、小倉百人一首は幾つかを除き凡作ばかりだから、として定家の「こぬひとを・・・」の歌も、他の歌に替えてしまったのでは、百人一首、あるいは、百人秀歌というまとまった選集というか、作品の意味がなくなるように思う。
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■ 2024-11-02
■ 蛇足ながら、新古今和歌集の、・・・

1034 式子内親王  玉の緒よ・・・ 
1757 定家・・・  君が代にあはずば何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を

■ この二つの歌の意味をよく考えるといい。
■ 離れて置かれているので気づかない人もいるかもしれない。
■ 「玉の緒」は二人に関係している。
■ これは、以前にもどこかに書いた。
■ しかし、誰かが、玉は命だ、といったものだから、おかしくなってしまった。
■ もともと、定家の意図を十分くみ取っていれば、藤原定家選でよかった。
■ ・・・
■ コマドリは

秋より春に撮っている方が多いのは、
秋は地元で探鳥する方が多かったのかもしれない。
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どうなのか


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