■ 以前もどこかに書いたような気がするが、もういちど書いておこう。
■ 百人一首に採られた式子内親王の歌に応え、定家も歌を詠んでいる。
玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ることの弱りもぞする 式子内親王君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を 定家朝臣
■ この二つを並べて何か論じられているのを見たことはないが、関係はあったと思う。
■ いわゆるプラトニック・ラブかどうかは知らない。
■ そして、・・・
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしのそでの香ぞする 皇太后宮大夫俊成女かへり来ぬ昔を今とおもひ寝の夢の枕に匂うふたちばな 式子内親王
■ どちらもうまいが式子内親王の方が具体的のように思われる。
■ さらに、玉の緒、の歌に続いて、・・・
忘れてはうち嘆かるるゆうべかなわれのみ知りて過ぐる月日を 式子内親王わが恋は知る人もなしせく床のなみだもらすな黄楊の小まくら 式子内親王
■ 式子内親王は、立場上自分の恋をあからさまに語ることはできなかった。
■ 彼女の恋を知っているのは、つげでできた枕のみで、人には告げるなと詠っている。
■ 相手は、定家であろうと推測する。
■ 定家は、新古今和歌集の編者の一人だった。
■ 当然、式子内親王の歌も熟知していた。
■ だから、彼は、彼女が心待ちにしている心情を次のように詠った。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家
■ 藤原定家が百人一首を作った最大の理由はこの歌を作り披露することだった。
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