■ 古今和歌集の編者は百人秀歌ではほぼまとめられている。
菅家
壬生忠岑
凡河内躬恒
紀友則
・・・
紀貫之
■ 菅家、菅原道真の後にある。
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 菅家
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 壬生忠岑
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 壬生忠岑
心あてに 折らばや折らん 初霜の 置きまどわせる 白菊の花 凡河内躬恒
久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく花の散るらん 紀友則
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を嵐といふらん 文屋康秀
人はいさ 心は知らず 故郷は 花ぞ昔の 香ににほひける 紀貫之
人はいさ 心は知らず 故郷は 花ぞ昔の 香ににほひける 紀貫之
■ 菅家、菅原道真は漢詩人で彼が遣唐使の廃止を進言した。その後、勅撰和歌集が作られてゆく。万葉集のあとは、漢詩が作られた。万葉集は、漢字による当て字の表記の日本の歌だったが、古今和歌集は、やまとことば、表記としての最初の記念すべき勅撰和歌集だった。
■ 壬生忠岑の歌は、無関係ながら、大宰府に左遷された菅原道真との別れを思い起される。
■ 文屋康秀の歌の嵐について、
江亭晩望 宋之間浩渺浸雲根 煙嵐出遠村
鳥帰紗有跡 船過浪無痕・・・
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀が、新しい日本的な意味合いでの文字の使い方にした。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。
■ 日本の歌の故郷は万葉集だとも言える。
■ 紀貫之の歌は、そんな感じを受けるようにも捉えられる。
0 件のコメント:
コメントを投稿