2024年10月10日木曜日

百人秀歌の並びの方が理にかなっている。定家の最終稿だと考えられる。



■ 2024-10-10
■ 百人一首の並びは各作者との関係なども考慮されている、とか。
■ その辺のところ詳しくないので、部分的にとりあげてみよう。
■ 
  1. 大納言公任
  2. 紫式部  娘・大弐三位
  3. 伊勢大輔
  1. 清少納言
  2. 赤染衛門
  3. 紫式部 
  4. 和泉式部  娘・小式部内侍
■ 小倉・百人一首の並び

55 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほきこえけれ  大納言公任
 ・・・
56 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな  和泉式部
57 巡りあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな  紫式部
58 有馬山 猪名のささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする  大弐三位
59 やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな  赤染衛門
60 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも 見ず天の橋立  小式部内侍
61 いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな  伊勢大輔
62 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ  清少納言

■ 百人秀歌の並び

59 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほとまりけれ  大納言公任
 ・・・
60 夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ  清少納言
62 有馬山 猪名のささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする  大弐三位
63 やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな  赤染衛門
64 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな  紫式部
65 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな  伊勢大輔
66 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも 見ず天の橋立  小式部内侍 
61 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな  和泉式部

■ 和泉式部を最後に持ってゆけば、関係性はかなり明確になる。
■ 小倉百人一首が、百人秀歌を並べ替えたものだとする根拠が分かりにくい。
■ 二つの並びを見れば、百人一首を百人秀歌に並べ替えたとする方がが理にかなっているように思える。
■ 伊勢大輔は紫式部から譲られて八重桜の歌を詠んだので紫式部の後になる。
■ 赤染衛門は紫式部の先輩にあたるので前に来る。
■ 大納言公任は、これらの歌の前に置くことで、これらの歌がひとつのまとまりであることを示している。
■ 本来なくてもよかった歌なのかもしれない。
■ ただ、紫式部との物語がある。
■ 藤原行成の歌があれば、清少納言とのやりとりとして物語にすることができるのだろうが、いい歌を詠んでいないのだろう。
■ 和泉式部の歌で「これら七人が、ここで、いまひとたび、出会った」ことになるのかもしれない。
■ 定家が何を考えての並びなのか分からないけれども、そんな感じもする。

名こそ流れてなほとまりけれ

■ 拾遺和歌集・雑上・449、千載集・雑上・1035
  • たきの糸はたえてひさしく成りぬれと名こそ流れて猶きこえけれ
■ 小倉百人一首がどの和歌集から拾ったのか。
■ 最初の歌と同じならば、・・・
■ 百人秀歌の方がそれを元にして、なほとまりけれ、と変えていることになる。
■ そして、これが書き間違えでなければ、この方が新しい。
■ つまり、定家の最終稿だと考えてよいのではないか。


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