■ 塚本邦雄は定家の選んだ歌が作者の代表作ではないとして選び直した。
■ 百首すべてについて比較する前に、
■ 「公任」「定頼」親子の間の歌を取り上げてみよう。
- 藤原定家 小倉・百人一首
- 塚本邦雄 新撰小倉百人一首
- 藤原定家 百人秀歌
■ 新撰小倉百人一首
55 秋深き汀の菊のうつろへば波の花さへ色まさりけり 大納言公任
・・・
56 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部
57 おぼつかなそれかあらぬか明暗のそらおぼれする朝顔の花 紫式部
58 はるかなるもろこしまでも行くものは秋の寢覺の心なりけり 大貳三位
59 有明の月は袂に流れつつかなしき頃の蟲の聲かな 赤染衞門
60 春の來ぬところはなきを白川のわたりにのみや花は咲くらむ 小式部内侍
61 おきあかし見つつながむる萩の上の露吹き亂る秋の夜の風 伊勢大輔
62 花もみな繁き梢になりにけりなどかわが身のなる方もなき 清少納言
56 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部
57 おぼつかなそれかあらぬか明暗のそらおぼれする朝顔の花 紫式部
58 はるかなるもろこしまでも行くものは秋の寢覺の心なりけり 大貳三位
59 有明の月は袂に流れつつかなしき頃の蟲の聲かな 赤染衞門
60 春の來ぬところはなきを白川のわたりにのみや花は咲くらむ 小式部内侍
61 おきあかし見つつながむる萩の上の露吹き亂る秋の夜の風 伊勢大輔
62 花もみな繁き梢になりにけりなどかわが身のなる方もなき 清少納言
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63 榊葉の木綿しでかげのそのかみにおしかへしてもわたる頃かな 左京大夫道雅
64 梢には殘りもあらじ神無月なべて降りつる夜半のくれなゐ 權中納言定頼
64 梢には殘りもあらじ神無月なべて降りつる夜半のくれなゐ 權中納言定頼
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■ 百人秀歌
59 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほとまりけれ 大納言公任
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60 夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ 清少納言
61 あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな 和泉式部
62 有馬山猪名のささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位
63 やすらはで寝なましものをさ夜更けて傾くまでの月を見しかな 赤染衛門
64 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
65 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔
66 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 小式部内侍
61 あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな 和泉式部
62 有馬山猪名のささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位
63 やすらはで寝なましものをさ夜更けて傾くまでの月を見しかな 赤染衛門
64 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
65 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔
66 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 小式部内侍
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67 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木 權中納言定頼
■ 定家の時代に、女性作家の誰が知られていたのか。
■ 定家が再評価することにより、名前だけでなく、具体的に歌として世に現れた歌もあるかと思う。
・・・
■ 定家は塚本が取り上げた和泉式部の歌は評価していた。
■ しかし、「身にしむ色の秋風」と、自分も歌にしているので取り上げなかった。
秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部
しろたへの袖のわかれに露おちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 藤原定家
■ 塚本選の歌は単独で見れば、それはそれとして悪くはないだろうが、・・・
■ 他の作者との関係性を考慮すれば、定家選の方が物語性があり、親しみやすい。
■ 例えば、親子関係もある。
■ 次々歌い継いでゆく百首が構成する物語性だ。
■ 個々の歌はそれぞれ独立しているけれど、歌の中にある「言葉」が何か連想させる効果がある。
■ どのように連想するかは読み手の問題ではあるが、定家が考えたコトを推測するのもおもしろい。
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