俳句誌α 1992年11月創刊
■ 2025-02-12
■ 桜餅、買ってきたよ、という。
■ 妻は、桜餅はさほど好きではないが、私の好みだからだ。
■ 昔作った句を思い出す。
- 香りよき葉ごと食いけり桜餅 遊水
■ この句は、歌集「瀬音」美智子、を読んで作ったものだ。
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■ 雛の節句頃に合わせて売る商魂が、バレンタインデーと同様いかにも日本的だ。
■ まだ早いけど、桜って散るところがいいのよね。
■ という。
■ 起承転結的に続く。
■ 昔、俳句誌αアルファは季刊でその何号かに投稿した句が上田五千石という人に佳作で選ばれてうれしかった句がある。
■ よく知られた歌に、
散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
■ このような歌に対し藤原定家はどう評価したのか、百人一首には
- 久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらん 紀友則
■ 選は作である、などとも言う。
■ これら3つを比較すれば、「のどけからまし」や「散ればこそ」は何か理屈ぽく、ただ頭で作ったように感じられる。
■ 一方「しず心なく」は新鮮な言葉使いに聞こえ、率直な感じがする。
■ 一方「しず心なく」は新鮮な言葉使いに聞こえ、率直な感じがする。
■ 思いや考え方は、だれもが表現しやすい。
■ 「ことば」はなかなか思いつきにくい。
■ だから、和歌がある。
■ 「しず心」の歌の「久方の」は「枕詞」だとする解説がある。
■ 何の違和感もなく、枕詞だとする感覚、なぁんか変だよね。
■ 最初にそのことばを使った場合も枕詞なのか、と疑問を持たなくていいのか。
久方ぶり久しぶり
■ こんな言葉は今も活きている。
■ 久しぶり、の春の日。
■ 久しぶり、の、のどかな春の日
■ 久しぶり、の、のどかな日、なのに、「なんでよぉ」■ 散っちゃうなんて、・・・■ もっと眺めていたいのに。
■ そんなふうに、私は読んでいる。
■ この歌の場合、枕詞であるはずがない。
■ 何度も書いた。
■ さて、「花の散るらん」の花は桜だととれる。
■ だからといって、どんな場合も桜かというと、それは違う。
■ 百人一首の歌に
- 花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに 小野小町
- 色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける 小野小町
■ 「2」の方は桜だとは言えない。
■ どちらにも、花、や、色、という言葉が出て来る。
■ 同じ作者、小野小町は「色」をどのように捉えていたか、
■ 色彩の色ではない。
■ 何なのか、私は、次の歌にしてみた。
- 世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに 遊水
■ そして、小野小町でなく、紫式部の歌だったら、面白いのにな、と思った。
■ 源氏物語と併せて考えると、こんな歌もありかと思う。
世の中はうつりにけりないたづらに我が御世に古るながめせしまに 遊水世の中はうつりにけりないたづらに我関せずとながめせしまに 遊水
■ 今の時代に、スマホも使わず生活している。
■ だから、こんなふうにも世の中を見てしまう。
■ ・・・
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