■ 並べてみる。
- 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼朝臣
- 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家
- 山桜さきそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸 源俊頼朝臣
■ 意味の面からではなく、表現方法としてとらえると、1、2、は、複雑な、もってまわった言い方で、読む人に、印象的、刺激的効果を意識しているように感じられる。
■ 百首の中に同様の歌は他にない。
■ 3、は、上から順に素直な落ち着いた感じの表現となっている。
■ 源俊頼のどちらの歌を、定家が評価したか、というと、「憂かりける」の方だと思われる。
■ そして、自分より俊頼の方が優っていると感じたのではないか。
■ なので、最終的に歌集から外した。
■ 百人一首・百人秀歌は、藤原定家自身、俺が選んだ歌集だからだ。
- 百人秀歌
- 百人一首
■ 百人秀歌の後に百人一首が編纂されたとする考え方が一般的だとしているようだ。
■ 逆だと思われる。
■ 師弟関係的に捉えると、師に当たるのは源俊頼であり、弟子にあたるのは源実朝であろう。
■ 俊頼は優れていたが、既に過去の人であり、選ぶのは定家だった。
■ 実朝は百人秀歌の配置を見れば分かる。
■ 百人一首の方はどちらかと言えば年代順の感が強い。
■ 百人一首は拾い上げたまま、そして、並べ替えたのか百人秀歌と考えた方が自然だ。
■ 最初、全体のまとめとしての形として、後鳥羽院が含まれていた。
- 天智天皇、持統天皇
- 後鳥羽院、順徳院
■ 当時、和歌の最高位的存在となっていた定家としては、反逆者・流人である後鳥羽院は除外する心境になっていた、と考えられる。
■ 今後、百人秀歌の並びとか歌合わせ的な面から見直すと、百人一首により理解が深まるのではないかと思う。
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