■ 今日は大寒か、さほど寒くないけれど。
■ 源氏物語の4番目は、夕顔、だ。
■ 物語性のある章だ。
■ 安東次男・百人一首、47番・八重むぐら・・・、この項にこの夕顔関連の話か出てくる。
■ 安東次男・完本・風狂始末・芭蕉連句評釈・猿蓑・鳶の羽の巻、にある連句だ。
- 痩骨のまだ起直る力なき 史邦
- 隣をかりて車引こむ 凡兆
- うき人を枳穀垣よりくぐらせん 芭蕉
- いまや別の刀さしだす 去来
■ 我田引水的な感じもしたが、安東は、
- 恋の歌を季(秋)の歌に移しているところも例によって晩年の定家の好みである。・・・合わせるということは、もともとの歌の姿とは別な面白さをそこに発見することでもあるから、そう眺めることもあながち理由のないことではなくて、後世、芭蕉も、猿蓑の歌仙の中でこの歌から恋の余情を汲出してはこんでいる。
■ としている。
■ 安東次男は、1 ~ 3、を上げているが、夕顔を読んで、4、も付け加えてもいいかな、と思った。
■ ここで「合わせるということは」と書いているが、安東の本は「百人一首」という題だが、「百人秀歌」という題で語った方がよかったと思われる。
■ ついでながら、百人一首の成立は
- 百人秀歌
- 百人一首
■ この順だとされているが、おそらく、そうではなく、・・・
- 原本 百人秀歌 藤原定家
- 原本 百人一首 後世の編者
■ このように考えた方がよいようにも思われる。
■ 要するに、原本が他に存在したと考えるのが論理的で、安東次男のように、2首づつ対にして捉えるのがよいように思われる。
■ 塚本邦雄は個々の歌に注目して、その作者にはもっといい歌がある、としたが、
■ 安東の歌の解説は必ずしも賛成できない部分もあるが、対にして、考えるという姿勢だ。
■ 私は研究者ではないのでよく知らないが、百人一首の研究は、まだ、初歩の段階かもしれないと思う。視点の誤りがあるのではないだろうか。
■ 百人一首は捨てて、百人秀歌を研究するのがいいように思う。
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