2024年3月20日水曜日

小野小町、と、萩原朔太郎。長雨に 色移りゆく 紫陽花の 人の心は 淋しかりけり / 遊水


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■ 2024-03-21
■ 萩原朔太郎の詩に「こころ」がある。
■ 青空文庫で見てみよう。↑
■ 3部構成だが、何か繰り返し的で分かりにくい。
■ 1番目と最後の1行があればいい感じだ。

こころ
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
***
わがこころはいつもかくさびしきなり。

■ 失恋の歌、のようだ。
■ この詩の心を私が短歌にすれば、

長雨に 色移りゆく 紫陽花の
人の心は 淋しかりけり   遊水

■ こんな感じだろう。
■ この詩を取り上げたのは、三好達治が「朔太郎の詩の概略」に取り上げていたからだ。
■ 特に私が選んだわけではない。
■ ただ、この詩から小野小町の和歌を連想した。
  • いろみえで うつろうものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける 小町
■ 小町と朔太郎を比べれば、小町の方が、断然、上だ。
■ ただ、「花」を具体的に「紫陽花」としているところに朔太郎の感性が見られる。
■ こんな文章を、三橋美智也が歌う福田こうへいの
  • 恋に破れたこの心~
■ を聞きながら
■ 人により、また、状況により様々だと思うのだ。
■ それにしても、詩とはなんなのかね。
■ 言葉からみれば、和歌が洗練され優れた表現形式であることが分かる。
■ 紫陽花については以前、2,30年昔に、シーボルトのことなども書いたことがある。
■ そのうち、取り上げてみよう。

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