■ 昨日は、名前を詠みこんだ俳句を作った。
- 年賀状、律子と書いてリッシかな 遊水
■ 俳句同人誌・うろこ、の編集・発行人の俳号だ。
■ さて、・・・
■ 昔、和歌は、題詠が多かった、ようだ。
■ 言葉は、人とのかかわりで発せられるものだから、句会にも参加せず、人と話もしないようになれば、独吟もしなくなる。
■ ただ、何かに触発され、刺激されるコトがある。
- 春待つや萬葉、古今、新古今 万太郎
■ こんな句を見ると、だったら、百人一首はどうなんだ、という問いが頭の中に発せられる。
■ 俳句というのは季語をいうので、つまらん。
■ 季語などなくてもいいのだ。
■ たとえば、
- いにしえの 奈良のみやこや 百人首 遊水
■ 季節はいつか、と、問われれば、自ずと、
■ 「八重桜」がを思い浮かべられるだろう。
■ 春だ。
■ 丸谷才一が「新々百人一首」に
ここでちよつと注の形で言って置く。「百人一首」をヒヤクニンイツシユと発音するのは今風である。・・・、・・・、「百人一首ハ百人一首ト四字ヲアラハニ読ベカラズ。一ノ字ヲ人ノ下ニフクミテ聞エヌヤウニ読ムベシト也」・・・。また、・・・、・・・
■ こんなことを書いている。
■ まあ、そういうことで、「一」をあえて省いて、百人首、とした。
■ こういう場合、仮名書きにすることも一応考えられる。
- いにしえの 奈良のみやこや ヒャクニンシュ 遊水
■ 漢詩表記の方が理解しやすいかも。そして、百人一首、ちゃうのん。
■ と、言いたくなる人もいるコトだろう。
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