■ 情報の媒体として、新聞・紙をどうとらえるか、
■ そんなことを書こうと思っていたが、たまたま、コウライウグイスの動画を見たので、
■ 漢詩の方に興味が移った。
■ ・・
■ 日本経済新聞を購読していて他の新聞は知らない。
■ 野球好きの内の奥さんは、時々スポーツ新聞を近くのコンビニで買ってきたりするが、
■ そこに何を求めるかだ。
■ 私の場合は、ニュースを求めているのではないので、
■ 新聞をnewspaperとしてとらえると、違和感がある。
■ 偏向報道という面をとらえて、新聞、TV、は廃れていくという捉え方があるが
■ 新聞やTVに事実性や真実性を求めてないので、どうかな、と思う。
■ いつだったか、YouTube で行楽シーズンのTV局動画があった。
■ 見ると紅葉がまだ早いように見えるのに、
■ 紅葉の名所に外人客が集まっている、などとしゃべっている。
■ 馬鹿ではないか、
■ まあ、いい。
■ 新聞紙のいいところのひとつは、広告にある。
■ 新聞広告というのは、広告主が様々で、興味がなければ見なければいい。
■ インターネット広告のように押しつけがましくない。
■ そして、広告の中で、本、書籍、はインターネット上でどのように扱われているのか、
■ 本を読まない人は、本屋にも行かないだろう。
■ 本屋に行ってぶらぶらするその感じは、新聞紙の頁をめくる感じと同じだ。
■ ・・・
■ さて、新聞紙の話はそのうちまた、ということで、
■ 砂漠で、日の丸印は受け入れられず、月や星は親しまれるかもしれない。
■ リービ英雄さんが、
- 東海岸のプリンストン大学から
- 西海岸のスタンフォード大学に
■ 移り、日本文学に関する講義をする虚しさを「there」のないカリフォルニア、に書いている。
■ 四季、とか、季節、のない地域で、
■ 枕草子の、春はあけぼの、冬はつとめて、などと言ったところでなんの意味もない。
■ 今の都市化?したチャイナーは興味はないけれど、
■ 漢詩の場合、季節感があり表現されているのがあるので、親しみやすい。
■ もう一度、並べ於いてみよう。
はるのひかりに みちあふれ
はなもみどりも はれやかに
だけどこころは しずみがち
まだうぐいすの こえもなく 遊水
滿 眼 春 光 色 色 新
花 紅 柳 綠 總 關 情
欲 將 鬱 結 心 頭 事
付 與 黃 鸝 叫 幾 聲 朱淑眞
まばゆき春のなかなかに
花もやなぎもなやましや
むすぼほれたるわが胸に
啼けうぐひすよ 幾聲に 佐藤春夫
■ ことばは、ある共通性の上に存在するので、・・・
■ 共通基盤がなければ、新聞やTVの報道の虚構、偏向性は当然存在する。
■ 事実は言葉の中にあるのだけれど、
■ 言葉の外面からだけでは分かりにくい面は、新聞ばかりではなく詩歌についても同じだ。
■ そんなことも考えながら、自他との共通性について感じてみたらいい。
■ ついでながら、
■ リービ英雄・日本語の勝利、アイデンティティーズ、この本の題名だが
■ 題名は著者本人がつけたのか、出版社がつけたのか知らないが、
■ アイデンティティーに相当する適当な日本語がないのか、その辺が、
■ 彼にとって本当に「日本語の勝利」といえるのかどうか、という疑問を持った。
■ ・・・
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