2024年5月19日日曜日

アイデンティティー、とは


A beleza dos Faisões e suas vocalizações na natureza (youtube.com) ポルトガル語、キジの美しさと自然の中での鳴き声


人は詩人や小説家になることができる。だが、いったい、批評家になるということはなにを意味するであろうか。(本文)
中原中也、富永太郎らとの交友関係、未発表の書簡や広汎にわたる資料を駆使して、小林秀雄の批評の成立、構成、その精神に迫る。『夏目漱石』『作家は行動する』などで出発した批評家江藤淳の自身への問いは、確固たる地位を築く記念碑的評伝となった。
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小林秀雄 考えるヒント - Google 検索  解説・江藤淳

■ 2024-05-19
■ 今日は気象庁の「今後の雨」を見ると、そこいら散歩には向かない天気のようだ。
■ 先日、
■ この頁で、カフカ「城」が取り上げられていた。
■ 読んだことはない。
■ なので、気に留めていなかったが、昨日、
  • 江藤淳・アメリカと私・城 --- 死と蘇生、および自動車のこと --- 全く大学は「城」であった。つまり、それは、カフカの小説に出て来るの不思議な「城」に似ていた。・・・
■ この章を読んでいると、

なしくずしの自己喪失をまぬがれようとするなら、私は自分の批評家という同一性を固執しなければならない。しかし、私の場合、この同一性は、ひとつには言葉の障壁のために、それ以上に二つの文化の異質性のために、米国の社会で何の機能も果たさないのであるから、固執しようとするかぎり私はこの社会では死んでいるのである。

■ こんなことを書いている。
■ 江藤淳「小林秀雄」が新潮社文学賞受賞を受賞したのは昭和37年・1962年、29歳の頃の話だ。
■ ここで、彼は、同一性、にアイデンティティと振り仮名している。

作・家
小説・家  筆名、ペンネーム
批評・家
評論・家
書・家 
写真・家
画・家
音楽・家
作曲・家 or 作曲・者

詩・人 
俳・人  俳号
歌・人  
茶・人
 
作詞・者
記・者
演奏・者

歌・手  芸名
運転・手

舞・子
踊り・子
・・・
・・・

■ 号、雅号、
■ 道人
■ 日本には、雅号というモノがある。
■ 私は「遊水」という号を用いている。
■ 油絵を描いているときは、別のサインをしていた。
■ 俳句を作るとき、短歌を詠むとき、文章を書く時、だいたい、「遊水」だ。
■ 例えば、小説、文芸作品、論文、政治、社会、思想、に関してその内容ではない。
■ 言葉に関心があるので、その「ことば」に関して、真実性とでもいうか、意味について書くことは多い。
■ 時事評論など、不得意だ。
■ 私は、表現者であって、いわゆる評論家ではない。
■ なので、例えば、小林秀雄、についてならば、・・・
■ 高校卒業後、人に勧められた本がある。
  • 小林秀雄・考えるヒント 
■ 単行本だった。
■ いつかなくなっていたので、というか、引っ越しの際捨てたような気もする。
■ 後日、文庫本で買った。
■ 小林秀雄の本は他に何かあったかどうか、・・・
■ まあ、いい。
■ 自分は何者か、江藤淳は批評家である、と。
■ リービ英雄の場合は、文学者、ということか、ちょっと分かりにくいのは、アイデンティティーズ、と複数形になっていることだ。
■ 例えば、會津八一は秋草道人と称していた。
■ 「道人」という言葉を使う人は他にもたくさんいた。
■ 同一性、帰属性、などとは無関係に、・・・
■ 私の場合は、遊水、だ。

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