■ 2024-06-30
■ 今日は雨か。
■ YouTube 遊びだ。
■ 見たり、聞いたり、きりがない。
■ この歌は初めて聞いた。↑
■ 24時間テレビ、というものも初めて知った。
■ うちにTVがないので、まあ、そういうことだ。
■ 雑誌サライ、の名前は知っていたが、ほとんど読んだことはない。
■ 日本語で言えばいいのに、なぜか分からん。
■ ペルシャ語は分からない。
■ 一応、発音させてみた。
■ ・・・
■ ついでに、適当にリンクし、・・・
■ 後で見てみよう。
千年ほどまえ、神代とまではゆかないが、早くも、1016年の時を経た、古い時代のものだ。
パチンと蚊を叩いた。夏だ乾したシャツ、シジュウカラが止まった覗けば、外はいい天気、五月晴れむし、ムシ、むし、とうちの奥さん騒がしいちれめんの百の目玉をふりかけて五月病ぽわっと口開けたばこの輪
会が全国から募集した「好きな童謡」では、「赤とんぼ」が圧倒的な1位で、以下「故郷(ふるさと)」「赤い靴」「みかんの花咲く丘」「夕焼け小焼け」「七つの子」と続く。
■ こんなことを書いていると、向こうの部屋から、小林大作 メモリーズ・オブ・ユー、が聞こえてきた。■ 今日、パティー・ペイジが歌う本当は男の歌、テネシーワルツ、他をやっていた。Slim Whitman,Tennessee Waltz - Google 検索 歌詞「I introduced him to my loved one ---
■ 日本経済新聞・朝刊にパティー・ペイジの死亡記事があった。テネシーワルツ (fc2.com)
■ 以前、こんな頁を作っていた >> テネシーワルツ
■ 「Tennessee Waltz」、を何度か聴いていて、何かおかしいなと思った。■ パティ・ペイジの可憐な声に騙されていた。■ だいたい、女が、「Yes, I lost my little daring」、とは言わないだろう。実際は。■ 元々は、男が歌う歌だったのではないか。
■ 「デネシー・ワルツ」が女心を歌ったものでなく、男心のようだから、男性歌手のも聞いてみよう。
・・・■ 何回も聴いてみて、・・・■ この歌は、その歌詞の物語的な意味をリアルにでなく、・・・
the beautiful Tennessee waltz
■ ただ、ただ、この一点を歌っている、それ故、パティー・ペイジの歌がヒットしたのだろう。■ 他の部分の苦い思いや、友の裏切り行為などを思い出したところで、つまらない、ということだ。■ 色々なことがあったにせよ、思い出としては、あくまで、「美しく」ということ。■ そういうことだな、と、また、聴いている。
目に近く 移れば変はる 世の中を 行く末遠く 頼みけるかな 紫の上
秋萩の 下葉につけて 目に近く よそなる人の 心をぞみる
01116
[詞書]ちかとなりなる所に方たかへにわたりて、やとれりとききてあるほとに、事にふれて見きくに、歌よむへき人なりとききて、これかうたよまんさまいかてよく見むとおもへとも、いとも心にしあらねはふかくもおもはす、すすみてもいはぬほとに、かれも又こころ見むと思ひけれは、はきのはのもみちたるにつけて、うたをなむおこせたる
女
秋はきのしたはにつけてめにちかくよそなる人の心をそみる
あきはきの-したはにつけて-めにちかく-よそなるひとの-こころをそみる
01117
[詞書]返し
つらゆき
世の中の人に心をそめしかは草葉にいろも見えしとそ思ふ
よのなかの-ひとにこころを-そめしかは-くさはにいろも-みえしとそおもふ
私は今まで俳句というものを作ったことがない。・・・しかし今、ある月刊誌の連載小説で、俳句を作る一人の老女を脇役に登場させている。ということは、つまり老女の作る俳句は、私が作らねばならなかった。
年も
わが世も今日や尽きぬる
中将はにわかに上へ引き掛けたりしていた。葵 の横に置かれてあったのを院は手にお取りになって、「何という草だったかね。名も忘れてしまったよ」とお言いになると、
さもこそは寄るべの水に水草 ゐめ今日のかざしよ名さへ忘るる
と恥じらいながら中将は言った。そうであったと哀れにお思いになって、
おほかたは思ひ捨ててし世なれどもあふひはなほやつみおかすべき
こんなこともお言いになり、なおこの人にだけは聖 の心持ちにもなれず、行為もお見せになることはおできにならないのであった。五月雨 の薄暗い世界の中では物思いを続けておいでになるばかりの院は、
今年が終わることを心細く思召す院であったから、若宮が、「儺追 いをするのに、何を投げさせたらいちばん高い音がするだろう」などと言って、お走り歩きになるのを御覧になっても、このかわいい人も見られぬ生活にはいるのであるとお思いになるのがお寂しかった。
物思 ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世も今日や尽きぬる ・・・6/20
元日の参賀の客のためにことにはなやかな仕度 を院はさせておいでになった。親王がた、大臣たちへのお贈り物、それ以下の人たちへの纏頭 の品などもきわめてりっぱなものを用意させておいでになった。