2024年4月15日月曜日

作者の気持ちはどこに行った

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2023-04-16  吹田市・千里南公園


■ 2024-04-16
■ 昨日は、鳥見散歩に行かなかった。
■ 行く気にならなかった。

■ ついでながら、

久保万太郎俳句集・岩波文庫に、・・・・ 
たとえば、この頃の人々がよく使う「陽」と云う文字である。
・・・
一度 それが人々の眼にふれると、いかにも新しい発見ででもあるかのように、我も、我もと猫も杓子も「陽」と云う字を使う。
・・・
いうならば、私は、その最初に「陽」の字を使った人の心もちさえ疑われる。

■ こんなことが書いてある。
■ 「日本語日記」では

(陽の光がのどかな春の日に、落ち着いた心もなく花が散るのだろう)

■ ・・・
■ なんなんだか。

■ こんなことを、また、書いてしまった。
■ いったん誰かがこのように解釈してしまうと、自分では考えないようになる。
■ この、いわば現代語訳だとしても、もう少しなんとかならんのかと思う。
  1. 陽の光が
  2. のどかな
  3. 春の日に
■ 短い文のなかに、どうして「陽」と「日」を使わなければならないのか。
■ おかしいと思わないのが、おかしな感覚だ。
  1. 久かたの 
  2. 光のどけき 
  3. 春の日に
■ 元の歌の言葉遣いと比較してみれば分かりそうなものだ。
■ 元の歌の「久かたの」はどこにいったのか、
  1. 陽の
  2. 光がのどかな
  3. 春の日に
■ 元の歌のように書いてみなさい。
■ 紀友則、という人がこんな変な言葉遣いをするはずがない。
■ 馬鹿にするなと、怒るだろう。
■ 枕詞という分類上の用語がある。
■ これが枕詞なら、なぜ、枕詞を使わなければならないのか。
■ 使う意味がない。
■ 次に、
■ 「光がのどかな」と書かなければ現代語にならないのか
  1. ・・・・・
  2. ひかりのどかな
  3. 春の日に
■ 「が」は、なぜ必要なのか。
■ こんなことを書き連ねることのバカバカしさがある。
■ たった、みそひともじ、一文字一文字を大切にしなければ日本語ではなくなる。
■ 解釈しているつもりなんだろうが、
  1. 落ち着いた心もなく
  2. 花が散るのだろう
■ これって何。
■ 「散るのだろう」と疑問文のようだが
■ 元の作者、紀友則は疑問に思っているわけではないでしょう。
■ 作者の気持ちはどこに行った。


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やわらかな 光のどけき 春の日に こころゆくまで 花の散るらん  遊水 



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