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2023年8月14日月曜日

むべ山風を 嵐といふらむ

■ 2023-08-13
■ 小倉・百人一首・022番は、文屋康秀の歌で、・・・

吹くからに 秋の草木の しほるれば 
むべ山風を 嵐といふらむ  

■ 馬場あき子著「馬場あき子の百人一首」NHK出版、には

字解き遊びのようで、
今日からみれば何ということもないものだが、
こうしたことを歌に詠んで面白がっていたことがむしろ面白い。

■ こんなことを書いている。
■ 文屋康秀の頃は漢詩など漢文に関する素養があった。
■ 馬場あきこ、は漢詩など漢文に関する素養がないようだ。

万葉集 ・・・漢字ばかりで書かれている
古今和歌集  真名序は漢字で書かれている
文屋康秀   小野小町と同時代
藤原定家   鎌倉時代
尾崎雅嘉   江戸時代
島津忠夫   現代
馬場あきこ  現代
橋本遊水   今日

■ 先に、 百人一首に遊ぶ 001~050 、で、・・・
■ ・・・
■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀のこの歌が、案外、新しい意味合いでの文字の使い方を普及させたのかもしれない。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。

■ 文屋康秀の時代と現代を比較すると、現代の情報量の方が圧倒的に多い。
■ しかし、情報量が多いので、かえって、よく考えず、・・・
■ 先人の意見や判断をそのまま鵜呑みにしてしまうのだろう。
■ 私の、「今日」からみれば、「むべ山風を 嵐といふらむ」といった遊び心が日本語を豊かにしてきたように思う。
■ 人はどう評価するか知らない。
■ それぞれだろうけれど、1000年以上前の人の知恵とか意識は、あるいは「現代」の人より優れている面があるように思う。


2025年3月15日土曜日

百人秀歌における古今和歌集編者の配置、菅家の後に和歌の春が来る 2025-03-21

■ 2025-03-15
■ 古今和歌集の編者は百人秀歌ではほぼまとめられている。
 
 菅家
壬生忠岑
凡河内躬恒
紀友則
・・・
紀貫之

■ 菅家、菅原道真の後にある。

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに   菅家
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし   壬生忠岑

心あてに 折らばや折らん 初霜の 置きまどわせる 白菊の花   凡河内躬恒
久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく花の散るらん      紀友則

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を嵐といふらん   文屋康秀  
人はいさ 心は知らず 故郷は 花ぞ昔の 香ににほひける     紀貫之

■ 菅家、菅原道真は漢詩人で彼が遣唐使の廃止を進言した。その後、勅撰和歌集が作られてゆく。万葉集のあとは、漢詩が作られた。万葉集は、漢字による当て字の表記の日本の歌だったが、古今和歌集は、やまとことば、表記としての最初の記念すべき勅撰和歌集だった。
■ 壬生忠岑の歌は、無関係ながら、大宰府に左遷された菅原道真との別れを思い起される。
■ 文屋康秀の歌の嵐について、

  江亭晩望 宋之間 
浩渺浸雲根 煙嵐出遠村 
鳥帰紗有跡 船過浪無痕 
・・・

■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀が、新しい日本的な意味合いでの文字の使い方にした。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。
■ 日本の歌の故郷は万葉集だとも言える。
■ 紀貫之の歌は、そんな感じを受けるようにも捉えられる。


2024年8月13日火曜日

固定観念、とは何か、三角形のコト


■ 2024-08-13
■ 三角形の面積、は英語で何と表現するのか、google で見ると
  • The area of a triangle is calculated by base times height divided by two.
■ この表現は日本語と同じだ。
■ 底辺×高さ、と言う言い方は、
■ 三角形というとき、普通、多くの人は、逆三角形を思い浮かべない、ことを意味する。
▽
■ 逆三角形▽は、「逆」という言葉自体が、いわゆる、普通の△、ではないことを意味する。
△
■ これは安定的な形を普通と感じているのだろう。
■ ひとつの固定観念、といえよう。
■ だから、道路標識の逆三角も、注意喚起の形だろう。
■ ついでながら、・・・
■ 体形の画像が出て来る。
■ 単なる図形としてとらえていない、これも固定観念だともいえる。
■ 普通、言葉は人間の間で交わされるものだから、体形、や、顔かたちに用いられるということか。
■ 逆の見方をすれば、違った世界が見えてくるコトもある。

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■ 以前こんな頁を書いた。
■ ひとつの見方ではなく、幾つかの見方をするのがいい。
■ そして、そのときにあった見方で考えるのがいいように思う。
■ 何でも同じことだ。
■ 例えば、
■ この頁に書いたが、・・・

江亭晩望 宋之間 
浩渺浸雲根 煙嵐出遠村 
鳥帰紗有跡 船過浪無痕 

■ たまたま、引用した宋之間 の詩に「煙嵐」という言葉があった。
■ この漢詩の「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 日本では「山おろし」という山から吹くような強い風をさしているが、それは「山と風」からなる漢字の形から来ている。
■ 「山おろし」を最初に嵐と呼んだのは、誰だったのか。
■ 文屋康秀のこの歌が、案外、新しい意味合いでの文字の使い方を普及させたのかもしれない。
■ 「山風」を「嵐」といっているだけのつまらん歌だ、とする人も多いかもしれないが、浅薄な見方であろう。
■ 同じ文字を使うからといって、同じ意味だとは限らない。
■ ・・・
■ 何かすっきりしないことが時々ある。
■ 「ホンマカイナ」と思うことは大切なことだ。
■ 納得がいくまで、頭のすみに置いておくと、いつか、すっきりするときがくる。
■ 今回、4色問題について、すっきりした。


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2024年9月25日水曜日

天高く 空は澄めども 木々の色 秋の心は 愁いなりけり  遊水

ダイ・ハード (google.co.jp) ■ 何作か見た。


■ 2024-09-24
■ 百人一首に、「嵐」の歌がある。
■ これについては、先に書いた。
■ 嵐という漢字の意味についてだった。

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■ 「愁」という文字がある。
■ 文字の造りからの、言葉遊びとして、歌にしてみた。

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天高く 空は澄めども 木々の色 秋の心は 愁いなりけり  遊水


■ 単純な言葉遣いで、特に技法などと言うモノはない。
■ しかし、こうした、言葉遊びは昔からあるように思う。
■ 意味的には、例えば、・・・
  • 割れても末に会わんとぞ思う
■ こんな落語にもなった歌も、同様の遊び心といえるかもしれない。
■ 全然関係ないけれど、
■ アクション映画俳優が「ことば」を失うこともあるけれど、・・・
■ 言葉から何かが現れる、というか、言葉の中に潜んでいる心を見出すこともある。
■ もともと、漢字は、意味を持つ文字だから、だ。
■ ひらかなで表すことばでも、掛詞など、同様の遊びともいえる。
■ ・・・

2024年2月27日火曜日

いちばん馬鹿にされている一首


■ 視点を変えれば違ったモノが見えてくることはある。
■ 例えば、百人一首で、・・・
  1. 好きな歌
  2. 親しみのある歌
  3. 誰にも取られたくない一首「私の歌」
  4. ・・・
■ 人によってそれぞれだ。
  1. つまらん歌
  2. わからん歌
  3. 嫌いな歌
  4. 誤解されている歌
  5. 馬鹿にされている歌
  6. ・・・
■ 百人一首で、一番馬鹿にされている歌、は何かというと、・・・
  • むべ山風を 嵐といふらむ
■ この歌だろう。
■ 「山」と「風」の組み合わせのつまらん歌だ、と。
■ だいたい、元々、「嵐」という文字は「あらし」ではない、と先に書いた。
■ 今、また、インターネットでgoogle してみた。
■ ふうむ、・・・

2024年10月12日土曜日

時実新子、と、百人一首、と、塚本邦雄選の百首を見る。


■ 2024-10-12
■ ・・・
時実新子「恋歌ノート」・角川文庫
そんなわけで、百人一首は私の愛唱歌だが、中でも"愛のうた恋のうた”に愛着がある。これは私が川柳を作る者として生きてきたことと深く関わりあっているように思う。なぜなら川柳は人間の思いを吐く文藝だからである。

■ 時実新子「恋歌ノート」外題、を塚本邦雄が書いている。
■ そして、そこに、彼が選んだ後半の歌が、記載されている。
■ 新撰小倉百人一首(塚本邦雄)と定家の小倉・百人一首を比較しやすく並べ置いてみよう。
■ 何を秀歌であるかは人により違う。
■ しかし、その感性を知ることはよいことだとは思う。
■ 定家は、必ずしも作者にとっての秀歌を選んだとは思えない。
■ 定家の歌を最高位としておくための一首ととらえた方がいいように思う。

藤原忠通 - Wikipedia 法性寺入道前関白太政大臣
徳大寺実定 - Wikipedia 藤原実定
藤原良経 - Wikipedia 九条良経 - Wikipedia 藤原良経 百人一首の和歌と代表作 (tankanokoto.com) 後京極摂政前太政大臣(91番)

■ とりあえず

01 朝倉や木の丸殿にわがをればなのりをしつつ行くはたが子ぞ      天智天皇
02 北山にたなびく雲の青雲の星離りゆき月を離りて           持統天皇
03 もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波の行く方へ知らずも     柿本人麿
04 春の野に菫採つみにと來しわれぞ野をなつかしみ一夜ねにける     山邊赤人
05 あひ見ねば戀こそまされ水無瀬川何に深めて思ひそめけむ       猿丸大夫
06 うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しも獨し念へば      中納言家持
07 あまのはらふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも      安倍仲麿
08 樹の間より見ゆるは谷の螢かもいさりにあまの海へゆくかも      喜撰法師
09 はかなしやわが身のはてよ淺綠野邊にたなびく霞と思へば       小野小町
10 世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ     蝉丸

11 數ならばかからましやは世の中にいと悲しきはしづのをだまき     參議篁
12 末の露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなるらむ     僧正遍昭
13 筑波嶺のみねより落つるみなの川戀ぞつもりて淵となりける      陽成院
14 今日櫻しづくにわが身いざ濡れむ香ごめに誘ふ風の來ぬ間に      河原左大臣
15 君がせぬわが手枕は草なれや涙の露の夜な夜なぞおく         光孝天皇
16 わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻鹽たれつつわぶと答へよ     中納言行平
17 狩りくらし七夕つ女に宿借らむ天の河原にわれは來にけり       在原業平朝臣
18 わが戀の數をかぞへば天の原曇りふたがりふる雨のごと        藤原敏行朝臣
19 沖つ藻を取らでややまむほのぼのと舟出しことも何によりてぞ    伊勢
20 天雲のはるばる見ゆる嶺よりも高くぞ君をおもひそめてし      元良 親王

21 もみぢ葉の流れてとまる湊にはくれなゐ深き波や立つらむ      素性法師
22 草深き霞の谷にかげかくし照る日のくれし今日にやはあらぬ     文屋康秀
23 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき      大江千里
24 草葉には玉と見えつつ侘人の袖のなみだの秋のしらつゆ       菅家
25 かぎりなき名におふ藤の花なればそこひも知らぬ色の深さ      三條右大臣
26 春の夜の夢のうちにも思ひきや君なき宿をゆきて見むとは      貞信公
27 來ぬ人を待つ秋風の寢覺にはわれさへあやな旅ごこちする      中納言兼輔
28 あづまぢのさやの中山なかなかにあひ見てのちぞわびしかりける   源宗于朝臣
29 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる      凡河内躬恆
30 春はなほわれにて知りぬ花盛りこころのどけき人はあらじな     壬生忠岑

31 水底に沈める花の影見れば春は深くもなりにけるかな        坂上是則
32 昨日といひ今日と暮して飛鳥川は流れて早き月日なりけり      春道列樹
33 君ならでたれにか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る      紀友則
34 夏の月光をしまず照るときは流るる水にかげろふぞたつ       藤原興風
35 花鳥もみなゆきかひてぬばたまの夜の間に今日の夏は來にけり    紀貫之
36 滿つ潮のながれひる間を逢ひがたみみるめの浦に夜をこそ待て    清原深養父
37 波わけて見るよしもがなわたつみの底のみるめももみぢ散るやと   文屋朝康
38 おほかたの秋の空だに侘しきにものおもひそふる君にもあるかな   右近
39 かげろふに見しばかりにやはまちどり行方も知らぬ戀にまどはむ    參議等
40 天の河かはべの霧の中分けてほのかに見えし月の戀しさ       平兼盛

41 渡れどもぬるとはなしにわが見つる夢前川を誰にかたらむ       壬生忠見
42 春は惜しほととぎすまた聞かまほし思ひわづらふしづこころかな   清原元輔
43 いつとなくしづ心なきわが戀のさみだれにしも亂れそむらむ     權中納言敦忠
44 人づてに知らせてしがなかくれ沼の水籠にのみ戀ひや渡らむ     中納言朝忠
45 風早き響きの灘の船よりも生きがたかりしほどは聞ききや      謙徳公
46 妹とわれねやの風戸に晝寢して日高き夏のかげを過ぐさむ      曾根好忠
47 百千鳥聲のかぎりは鳴きふりぬまだおとづれぬものは君のみ     惠慶法師
48 夏刈の玉江の蘆を踏みしだき群れゐる鳥のたつそらぞなき      源重之
49 花散らば起きつつも見むつねよりもさやけく照らせ春の夜の月    大中臣能宣朝臣
50 露くだる星合ひの空をながめつついかで今年の秋を暮さむ      藤原義孝

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51 桂川かざしの花の影見えし昨日のふちぞ今日は戀しき        藤原實方朝臣
52 近江にかありといふなる三稜草生ふる人くるしめの筑摩江の沼    藤原道信朝臣
53 春の野につくるおもひのあまたあればいづれを君が燃ゆるとか見む  右大將道綱母
54 ひとりぬる人や知るらむ秋の夜をながしと誰か君に告げつる     儀同三司母
55 秋深き汀の菊のうつろへば波の花さへ色まさりけり         大納言公任
56 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ    和泉式部
57 おぼつかなそれかあらぬか明暗のそらおぼれする朝顔の花      紫式部

58 はるかなるもろこしまでも行くものは秋の寢覺の心なりけり     大貳三位
59 有明の月は袂に流れつつかなしき頃の蟲の聲かな          赤染衞門
60 春の來ぬところはなきを白川のわたりにのみや花は咲くらむ     小式部内侍

61 おきあかし見つつながむる萩の上の露吹き亂る秋の夜の風      伊勢大輔
62 花もみな繁き梢になりにけりなどかわが身のなる方もなき      清少納言
63 榊葉の木綿しでかげのそのかみにおしかへしてもわたる頃かな    左京大夫道雅
64 梢には殘りもあらじ神無月なべて降りつる夜半のくれなゐ      權中納言定頼
65 わが袖を秋の草葉にくらべばやいづれか露のおきはまさると     相模
66 木この間ま洩るかたわれ月のほのかにも誰かわが身を思ひいづべき  前大僧正行尊
67 朝な朝な折れば露にぞそぼちぬる戀の袖とや磐余野の萩       周防内侍
68 あしひきの山のあなたに住む人は待たでや秋の月を見るらむ     三條院
69 山里の春の夕暮來てみれば入相の鐘に花ぞ散りける         能因法師
70 五月闇はなたちばなに吹く風は誰が里までか匂ひゆくらむ      良暹法師

71 雲拂ふ比良の嵐に月冱えて冰かさぬる眞野の浦波          大納言經信
72 袖の上の露けかりつる今宵かなこれや秋立つはじめなるらむ     祐子内親王家紀伊
73 こほりゐし志賀の唐崎うちとけてさざなみよする春風ぞ吹く     中納言匡房
74 何となくものぞかなしき菅原や伏見の里の秋の夕暮         源俊賴朝臣
75 高圓の野路の篠原すゑさわぎそそやこがらし今日吹きぬなり     藤原基俊
76 思ひかねそなたの空をながむればただ山の端はにかかる白雲     法性寺入道前關白太政大臣
77 花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき      崇徳院
78 夕霧に梢も見えず初瀬山入相の鐘の音ばかりして          源兼昌
79 聲高しすこしたちのけきりぎりすさこそは草の枕なりとも      左京大夫顕輔
80 たなばたの逢瀬絶えせぬ天の川いかなる秋か渡りそめけむ      待賢門院堀河

81 なごの海の霞のまよりながむれば入日をあらふ沖つ白波       後徳大寺左大臣
82 くれなゐに涙の色のなりゆくをいくしほまでと君に問はばや     道因法師
83 またや見む交野の御野の櫻狩花の雪散る春のあけぼの        皇太后宮大夫俊成
84 夢のうちに五十の春は過ぎにけり今ゆくすゑは宵のいなづま     藤原清輔朝臣
85 わが戀は今をかぎりと夕まぐれ荻吹く風のおとづれてゆく      俊惠法師
86 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山       西行法師
87 思ひ立つ鳥は古巣もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮       寂蓮法師
88 くれなゐにかたしく袖はなりにけり涙や夜はの時雨なるらむ     皇嘉門院別當
89 かへりこぬ昔を今とおもひ寢の夢の枕に匂ふたちばな        式子内親王
90 花もまた別れむ春は思ひ出でよ咲き散るたびの心盡しを       殷富門院大輔

91 幾夜われ波にしをれて貴船川袖に玉散るもの思ふらむ        後京極攝政前太政大臣
92 夢にだに人を見よとやうたた寢の袖吹きかへす秋の夕風       二條院讃岐
93 來む年もたのめぬ上の空にだに秋風吹けば雁は來にけり       鎌倉右大臣
94 草枕むすびさだめむ方知らずならはぬ野邊の夢のかよひ路      參議雅經
95 戀ひそめし心はいつぞいそのかみ都のおくの夕暮の空        前大僧正慈圓
96 つくづくと思ひ明石の浦千鳥波の枕になくなくぞ聞く        入道前太政大臣
97 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮         權中納言定家
98 明けばまた越ゆべき山の峰なれや空行く月の末の白雲        従二位家隆
99 み吉野の高嶺の櫻散りにけり嵐も白き春の曙            後鳥羽院
100 おきまよふ暁の露の袖の上を濡れながら吹く秋の山風        順徳院


2024年9月12日木曜日

オオルリ、イソヒヨドリ、コサメビタキ、キビタキ、葛の花


■ 2024-09-12
■ 日陰に入れば多少マシだが、相変わらずの暑さだ。
■ 他に、ヤマガラ、メジロ、シジュウカラを撮った。
■ 今日も、レモンちゃんは水場に来た。


2024-09-12  吹田市・千里南公園


2024-09-12  吹田市・千里南公園


2024-09-12  吹田市・千里南公園


2024-09-12  吹田市・千里南公園


2024-09-12  吹田市・千里南公園


2024-09-12  吹田市・千里南公園


高市早苗の推薦人
  1. 【衆院】小林茂樹、杉田水脈、鈴木淳司、関芳弘、高鳥修一、谷川とむ、土井亨、中村裕之、古屋圭司、三ツ林裕巳、若林健太
  2. 【参院】中曽根弘文、赤池誠章、有村治子、衛藤晟一、古庄玄知、佐藤啓、西田昌司、堀井巌、山田宏

2024年3月23日土曜日

暇つぶし

 


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■ 2024-03-23
■ 起きて、ブラインドの隙間から外を見ると雨が降ったようだ。
■ さて、どうするか、・・・
■ 上にリンクしたの動画、妹の方は日本育ちだと思うが、彼女たちは
  • トンカツを食べたことがないのかな
■ と、思った、
■ 誰かがコメントに入れるだろうから、まあ、いいのだけれど。
  1. 豚 ブタ
  2. 猪 イノシシ
■ チュウコク語と日本語で使う漢字の意味が違うものは色々ある。
■ どこかに書いたような気がするが、水滸伝の字幕動画を見ていると、・・・
  • 娘は、母
■ どのあたりの話かというと

2024年10月5日土曜日

「秀歌」を選ぼうという意識ならば自分の歌が最高で最後であるはずだ。

■ 2024-10-05
■ 昨日、一昨日と天気が良くなかった。
■ 雨の後だからだろう。
■ 朝の風が秋風だ。
■ で、コンピュータを立ち上げてすぐ、気象庁のサイトで雨雲の動きを見た。
■ ・・・
■ 百人一首で気になっていたのは、なぜ定家は99番の歌を入れたのか。
■ 100番の歌は「ももしきや」だから、100番にしても悪くはない。
■ しかし、99番の歌は不要のはずだった。
■ なぜなら、百人一首は定家の歌が最高であることを示す歌集のはずだからだ。
■ 研究者にとっては、後鳥羽院の歌があることで、興味がひかれるかもしれないが、
■ 私だったら、無視してよいかと思う。
  1. 百人一首
  2. 百人秀歌
■ 「百人秀歌」という題名が最初からついていたかどうか知らないが、
■ 「秀歌」を選ぼうという意識であれば、自分の歌が最高で、最後でなければならない。
■ 百人秀歌では、最後の歌が、
花誘う嵐の庭の雪ならで 
ふりゆくものは我が身なりけり
■ これは、3番目の
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長々しき夜をひとりかもねん
■ これと呼応して、定家の恋の歌に、若き日の回想である、との深みを与える感じがする。
■ 研究対象としては百人一首がいいのかもしれないが、
■ 俳句や歌に親しむ私としては、藤原定家の立場から見ると百人秀歌の方がよいと思われる。
■ とにかく当時、歌人としての最高の地位を世の人は認めていたのだから、本人も意識していたと思う。
■ 流人の後鳥羽院など、どうでもいいのだ。
■ 仮に入れるとしたら、全体的に配列を再考するのもありかと思う。
■ 更に、例えば、5首から10首ほど他の歌に入れ替えて、定家に対抗してみるのもいいのではないか。
■ というか、定家がもう少し生きていたら、こんな選び方もあるかもしれないと、
  • 改定・小倉・百人一首
■ 研究者は当時の和歌集について詳してことだろうから、やってみたらどうか。

2024年8月26日月曜日

アラン・ドロン、と、グレアム・グリーン

2024年8月18日(88歳没)
17歳で入隊し、第一次インドシナ戦争へ従軍、20歳で無事に除隊




■ 2024-08-26

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  1. 88-17=71
  2. 2024-71=1953
■ アラン・ドロンは、1853年ころべトナムにいたようだ。
■ グレアム・グリーン・インドシナ日記抄は1953-12-31~だ。
■ おとなしいアメリカ人は、その経験後に書いた。
■ たまたま、机の近くにあったので、拾い読みした。










2023年6月3日土曜日

わがよふけゆく 風の音

玉葉和歌集 冬 1036

■ 2023-06-03
■ 玉葉和歌集を見たことはなかった、ような気がする。
■ たまたま、時実新子・恋歌ノート、に次の紫式部の歌があったので見てみた。
■ この歌は他と比較するとよく分かる。
■ 例えば、・・・
  1. 年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな  紫式部
  2. 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに  小野小町
  3. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり  入道前太政大臣
■ 3」の歌が、一番内容的に平凡だ。駄作だと言ってもよい。
■ 2」の歌は、ある意味で、自分の美貌を意識し過ぎている。
■ 1」の歌は、男女問わず、だれにも共通する感慨であろう。
■ 特に、後期高齢者など、納得する人も多いのではないか。分かりやすい。
■ 紫式部は、あるいは、美人ではなかったかもしれない。いわは普通の人だった。
■ だから、ごく自然に人生観を詠むことができたように思う。
■ 藤原定家は、百人一首に、各作者の一番の秀歌を選んだわけではない。
■ 当然のことだ。
■ これについては、以前、何度も書いた。
■ 例えば、・・・
■ 定家が、それぞれの歌を選んだ理由をやはり考えた方がいい。
■ 自分の歌が最高峰にあることを強調したいのだろう。
 

2023-06-03  吹田市・高町池

2024年6月8日土曜日

短歌的に表現すると、2024/06/07 リンク追加

106,445 回視聴 2024/06/02
■ この動画で「A級戦犯」という言葉が使われているが、それも問題。
上川外務大臣 靖国神社の落書き事件で中国政府に懸念表明 2024年6月4日(火)

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■ 2024-06-03
■ ・・・

小便を 神社の柱に ひっかける 馬鹿丸出しの ヤツの生国
片翼で どこまで飛べる 隣国の 簡略体の 席札の文字

■ ニュースがあったので、それを短歌的に表現すると、こんな感じか。
■ ついでに、・・・



2025年6月14日土曜日

百人秀歌から百人一首を眺める その1 いにしえの 京のみやこの ことのはな けふわが筆に 咲きにけるかな


■ 2025-06-14
■ 量が多くなったので、とりあえず、2つに分割した。
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■ ある時、こんな句を作った。

そっとてをひらいてみせるほたるかな  遊水
やさしいね

■ と、私の顔を見て、句会で言った人がいたけれど、・・・
■ 女の子が何も言わず、小さな両手を開いて

ほらね

■ という顔をして、あそこにいたよ、と、言った。
■ こんな句がいくつかできたらいいな、と思うが、必ずしも読む人に伝わらない。
  • 私が手を開いた、と読む人が多い。
■ 句歌は万人を対象に作るわけではない。
■ それでも、歌を詠む人と、読む人の間に、距離がある場合も多い。
■ それはしょうがない、と思う。
■ まして、千年も昔の和歌ならなおさらかもしれない。
■ 分かりにくい歌もある。
■ しかし、時空を超えての同じ思い、が感じられる歌もたくさんある。
■ それがことばであり、そんな歌を知りたいと思うし、自分でも作ってゆけたらいいなと思う。
■ 自分とは違う言葉の世界を発見するのも、歌に接する楽しみのひとつだ。
■ と、ここまで書いて、何度か繰り返して読むうちに、具体的に何かとりあげた方がいいように思った。
■ ひとつとりあげよう。
■ その前に一首。
■ 平仮名なのでうっかりすることもあるが、言の葉、ではなく、言の花だ。

いにしえの 京のみやこの ことのはな けふわが筆に 咲きにけるかな

■ 伊勢大輔は「京のみやこ」でなく「奈良の都」の歌を詠んでいる。
■ 言葉が明確で機知に富んでいて、知性が感じられる。
■ 八重桜は咲く時期が少し遅い。
■ なので、いつも、花見が終わった頃に、毎年、奈良・興福寺から贈られてきたようだ。
■ 同席していた紫式部は、中宮・彰子に代わり、それに応える歌も作っていた。

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな     伊勢大輔
九重に 匂ふを見れば 桜狩 重ねて来る 春の盛りか     紫式部
九重に 春の盛りの 桜花 重ねて来たる 喜びありて     遊水

■ 伊勢大輔と紫式部は、次の歌の詞書に見られるように、仲はよかった。

清水に籠りたりけるに、伊勢大輔参りあひて、もろともに御燈火奉りて、しきみの葉にかきてつかはしける
心ざし 君にかかぐる ともし火の おなじ光に あふがうれしき  紫式部
いにしえの 契もうれし 君がだめ 同じ光に 影を並べて     伊勢大輔

■ こんな逸話や歌がある。定家は適切に選んだようだ。
■ 伊勢大輔は、百人一首の他にどんな歌を作っているかを見ていたら気付いた。私が、「時空を超えての同じ思いが感じられる歌」として、本歌どりしたのは次の歌だ。
■ 並べおく。

わかれにしその日ばかりはめぐりきていきもかへらぬ人ぞ恋しき      伊勢大輔
原爆忌 そのひばかりは めぐりきて いきてかえらぬ ひとぞかなしき  遊水
忘れろと 言えないけれど 世の中の 忘れることの 優しさ思う     遊水

■ 歌は自分のことを詠むばかりでなく、他の人の心を詠むこともある。
■ 伊勢大輔が、今の時代に生きていたら、詠んだかもしれない共通の思いではないか。
■ 「原爆忌」という言葉は、説明しなければ、分からない国の人もいる。
■ 原子爆弾による無抵抗の人を無差別に大量に殺すという残虐さ、を意味する。
■ 原子爆弾を2個も落とすという残虐な行為をしたのはUSAだった。
■ いかなる手段であろうと、一個の人間が理由もなく殺されることに、人の思いがある。
■ 人には、一人ひとりの思いがある。ひとりひとりの思いとしてとらえなければならない。
■ 私が歌にする前に、そんな思いがあっただろうし、これからもあるだろう。
■ 「その日ばかりはめぐりきて」は何か考えさせるものがあった。
■ 以前、「観覧車回り続ける思い出は・・・」という歌をいくつか作ったことがある。
■ そんなもんではない。
■ 私の思いとは関係なく、その日ばかりはめぐりくる。
■ 「原爆忌」はこれからもずっと「めぐりきて」「無抵抗の人を無差別に大量に殺すという残虐さ」を思い起こさせるだろうか、原子爆弾は存在し続けている。
■ 伊勢大輔の歌は、ひとりの人の心をよく捉えて表現していた。
■ このように百人一首の歌ばかりでなく、いい歌がいくつもあることに気付くだろう。
  •  「この日ばかりは、めぐりくる」モノは他に幾つもある。
■ 「生と死」が主題だとすれば、逆に、

誕生日 この日ばかりは めぐりくる 母と私の 絆なるべく

■ 誕生日は自分自身が記憶してないからなのか、あまり、短歌として見ないような気がするが、ごく最近読んだ歌集に、誕生月の季節を詠んだ歌があった。
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生まれ親しむ 季節となりて

石蕗
我が生れし季節に入れば石蕗の花咲きてうれしその道をゆく     美智子
つわぶきの 花咲く道の うれしさよ 生まれ親しむ 季節となりて  遊水

■ 私が生まれたのは5月だけれど、端午の節句、鯉幟、粽、五月晴れ、などと詠んでも私の歌になるべくもない。
■ 困ったな、と思う。
  • 生まれ親しむ 季節となりて
■ この7・7の下の句に、上の句をどうつけるか、宿題だ。
■ いつできるか、分からない。
■ 困ったな。
■ 五月の私はつけられずいるけれど、他の人はつけることができるかもしれない。
■ 誕生石、や、星占いに使われる・星座、もある。
■ 世界中の誰にとっても、これは必ずある「題」なので、やってください。
■ こうした題詠の題を幾つか取り上げると、短歌の世界にまとまりがでてくるかもしれない。
■ 花言葉は、毎日だ。
■ 百人が詠めば、千人が詠めば、と考えると、この題だけで、大きな世界になる。
■ 新しく生まれて来る人もいるのだから、年々、大きな広がりとなる。日本人に限ることはなく、この題詠で、人々の交流も生まれるだろうし、互いの理解も深まると思われる。
■ こんなことを書いて、読み返していて、今日、ふっと思いついた。

月と日と ★と鳴く鳥 渡りくる 
生まれ親しむ 季節となりて

■ 星とされずに★と仮名漢字変換されたが、まあ、いいだろう。遊びなのだ。
■ 普通の人には分かりにくいかもしれない。
■ インターネットで「三光鳥」と検索、さえずりの動画があれば聞くとよい。
■ 野鳥撮影を始めたくなるかもしれない。
■ 野鳥撮影している人はすぐ分かるだろう。
■ 大阪城公園などで野鳥撮影している人には、待ち焦がれる鳥の一つで、続けてホイホイホイと鳴く。
■ ニセアカシアの花の咲く頃やってくる。
■ アカシアの蜂蜜というように、蜜を吸う虫が集まるからで、その虫を鳥が食う。
■ 大阪近辺では、アオスジアゲハもよく咥えているのが見られる。
■ 蝶の食草と関係するのだろう。
■ やってくるのは子育てのためだから、里帰りだ。
■ 美智子歌集「ゆふすげ」の歌をもうひとつ取り上げておこう。

  花吹雪
「雪」といふまごの声に見し窓にまこと雪かと花舞ひしきる     美智子
ゆきと言う 幼な児の声 窓の外に まこと雪かと 花舞いしきる  遊水・改作  

■ 最初読んだときに、5・7・5・7・7ではないので読みにくく感じた。
■ 字余りも、字足らずもありだけれど、読みやすさからは、・・・

「雪」といふまごの声に見し窓に
「雪」といふまごの声して見し窓に

■ こうすると、「に」が続くのも避けられる。
■ 私には子もいないし孫もいないので、幼な児、になる。
■ 幼児が言った言葉としては、漢字であらわされる「雪」でなく、言葉の「ゆき」という声だろうだから、「雪」というカッコつきの文字に引っかかったけれど、
■ 花吹雪という題で「まこと雪かと花舞ひしきる」という感性は素晴らしい。
■ これに替わる何か、と考えたが思いつかない。
■ 百人一首の「ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづごころなく はなのちるらむ」これは好きな歌で、「しずごころなく」がいいけれど、また、いくつか桜の歌を思い出せるけれど、「まこと雪かと花舞ひしきる」にまさる表現はないかと思う。
■ 自分では、桜の歌は作ってないような気がする。ただ、桜散る昭和は遠くなりにけり、と「明治は遠くなりにけり」を変えたような句とか
  • 淋しくて桜吹雪の中にたつ  遊水
■ こん句は作ったことがある。
■ 桜を題にした短歌を何か作れたらいいなと思う。

「花吹雪」異国の人に説明す「まこと雪かと花舞いしきる」さま    遊水

■ 詞書に「花吹雪」とあったので、とりあえず、こんなふうにしてみた。
■ ちなみに、同じ題の歌集がある。出版を強く勧めた永田和宏は気が付かなかったのか、ことばは個人のモノではないにしても、残念に思う。
2024年、美智子歌集「ゆふすげ」
1987年、道浦母都子歌集「ゆうすげ」
■ 「誕生月」は季節感がある。
■ 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、・・・1月、2月、3月、・・・と個別にはあるが、
■ 「誕生日」という言葉自体を季語に入れてもいい。
■ 俳句には「季語」があり、歳時記がある。
■ 古今和歌集と比較すると、「雑」がない。
■ このため川柳という分野ができてしまった。
■ 江戸時代は、「俳句」とか「川柳」という分野というようなものはなく自由だったろう。
■ いったん有季定型という概念が定まると、ねばならない、という制約となり、広がりがなくなる。
■ 逆に、俳句の場合、季語があれば、それで俳句になると俗に流れやすくもある。
■ 歳時記があるだけに、そこある言葉をまず拾い出して句を作る人もいるようだが、その手軽さが、短いだけに、問題だ。
■ 私の場合「俳句」という言葉は使うけれど、「俳味」など意識しない。
■ 俳句は、元々、和歌から生まれた。
■ 俳味という潜在意識があったからだろう。
■ ある期間が過ぎると、俳句では表せない心があるのに気付くだろう。
■ 和歌、短歌は、俳句と違い、ほどよい長さなのようだ。
■ 私は俳句から定型詩に入ったが、短歌の方が自分には合っている気がする。
■ 俳句より和歌の方が選集としてたくさんあるし、言葉が洗練された歴史が深い。
■ しかし、まあ、俳句でよければ俳句も作る。
■ 川柳がよければ川柳になる。
■ 都都逸がよければ、7・7・7・5、の都都逸になるだろう。
・・・ 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
■ いずれにしても定型だ。
■ 多少話が横道にそれた。
■ 内容的に、俳句には歳時記がある。古今和歌集では次の分類だ。
  1. 春、夏、秋、冬
  2. 賀、離別、羇旅、物名、恋、哀傷、雑、
  3. 大歌所御歌・神遊びのうた・東歌
  4. 墨滅歌
■ 「戦争と平和」や「愛と誠」などは普遍的だが、意識が現代社会と違うので、こんな部立てになっている。

世中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし  在原業平
よのなかに たえて戦の なかりせば ひとのこころは のどけからまし  遊水

■ さて、・・・
■ 平安時代の和歌の特色を一言で言えば「袖と涙」になるだろうか。
■ では「百人一首」の場合は何か、・・・
■ 百首中、恋の歌は43首、女性は21人。
■ ヘミングウェイの「The Old Man and the Sea」的に書くと「老人と愛」かと思う。
■ そして定家の場合は、その「愛」を肯定的に得たとしている。
■ 「老人と愛」という見方が当たっているかどうか、百人一首に戻ろう。
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■ 丸谷才一は「新々百人一首」の、はしがき、に「萩原朔太郎・旅よりある女に贈る」と大弐三位「有馬やま」を挙げて、朔太郎はその影響下に作詩したのでは、などと書いていて、彼自身も朔太郎のこの詩が気に入っていた、と。
■ 私の場合は、中学時代など凡々たるものだったが、母の「うかはげ」という言葉はよく記憶している。くしくも、源俊頼の「うかりける」の歌がこの文章を書くきっかけのひとつだった。
■ 以前は、よく分からない歌だと思っていたが、自分で短歌を作るようになってからは、自分なりの観点で百人一首や他の和歌も読み、私だったらとこう作ると、歌を詠むようになった。
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あい

■ 「うか・はげ」については後で書くとして、朔太郎と大弐三位について書いてみよう。

ありまやま いなのささはら かぜふけば 
いでそよひとを わすれやはする

■ 掛詞として「有」「否」を織り込んだ歌だが、このように2行に書きつけると、また、違ったことに気付く。
■ 即ち「あい」である。
■ ideal ではない。アクセントが違う。
■ 愛である。
■ 愛についての和歌であり、詩だ。
■ たまたま「あい」となっただけで、別に意識したわけではなく、単なる言葉遊びには過ぎないけれど、ひとつのきっかけとして書いてみよう。
■ 昔は、恋はあったが、愛・あい、という言葉はなかった。
■ いとし・こいし、の、いとし、だ。
■ 漢字で書くと、なぜ愛になるのか、愛しい、とコンピュータで仮名漢字変換される。
■ 何の疑問も持たず、この変換を受け入れるのは、変だが、意味的に、いとしい、が愛に通じる。
■ 本当は、いとしい、ではなく、いと・おしい、だ。
■ 愛おしい、と変換される。
■ 日課で野鳥を撮っていると、オシドリにその言葉が残っていると気づく。
■ いとおしい、から、いとしい、になり、「お」がなくなった。
■ 言葉は使われてゆくうちに変化し、もともとの意味が分からなくなるのは、よくあることだ。
■ 「お」がなくなり「おし」とは何、となって、わからん、なに、こじつけちゃうのん、となる。
■ 「おし」という言葉が使われた順番から言えば、をし、おし、・・・
OSI
ITO - OSI, ITOOSI
ITOSI
■ ホンマかいな。
■ ホンマかどうか、その辺のところが、言葉というのは、面白い・オモロイ、のだ。
■ ここで多少寄り道だが、

国土 こくど  koku  do
土地 とち   to  chi    to   ti
地面 じめん  ji  men   zi   men

■ 仮名文字の使い方の制限の悪影響だ。
■ このような言葉の使われ方をすることを十分頭に入れておいた方がいい。
■ このような言葉を使い慣れていると、古い言葉遣いの判断に誤ることがある。
■ おし・をし、は後鳥羽院の歌がある。
■ 「ひともをし」の歌は私が引っかかった歌のひとつだが、後で書こう。
■ 昔、愛はなかった、というけど、だったら、
  • あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり
■ こんな歌、百人一首にあるやろ、この「あい」って、なんなの、というかもしれない。
■ ないことない、あるやないの、というご意見、ごもっともである。
■ あいみての、って、具体的に、現実的に考えて、何することなのでしょうか。
■ 解説書などみると、きぬぎぬのうた、即ち漢字で書くと、
  • 後朝の歌、と婉曲に表現している。
■ 後朝、って何、・・・衣々。
■ じつは、こじつけ、ちゃうよ、この、あいみての、ということは、夜があって朝、朝になって、よかった、と思うかどうか、ということなんだから、
■ 意識して、そういう言葉を使ってなかったかもしれないが、ちゃんと、「あい」という言葉はあったのだ。
■ 愛という文字でおかしくなった。
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■ ところで、朔太郎の詩だけれど、これについては三好達治に関連して書いた記憶がある。

山に登る
旅よりある女に贈る

山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

■ この詩は、現実と過去が交差した記述になっている。
■ 「俺」が今、「私達」が回想だから、言葉は変えず、時間軸に合わせて再構成した。

 萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
 
山に登る
空には風がながれてゐる、

おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
 
旅よりある女に贈る

眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

ありまやま いなのささはら かぜふけば 
いでそよひとを わすれやはする

■ 和歌は手紙を介しての間接的な対話だが、現実のやり取りだ。
■ それが恋と愛の違いかもれない。
■ 萩原朔太郎は大弐三位のこの歌をどのように参考にしたのかな、と思う。
■ それには歌の意味を知らなければならない。
■ 丸谷才一はどのように捉えて朔太郎と関連があるとしたのか。
■ 詞書には
  • 「かれがれなる男の覚束なうなどいひたりけるに詠める」
■ とある。
■ 二人の仲が疎遠になっているのはあなたの心が覚束ない、つまり、はっきりしないので、などと言ってきたので詠んだ、という状況だ。
■ よく見る解説では、尾崎雅嘉「百人一首一夕話」とほとんど同じで、上の句は「いでそよ」というための序詞に過ぎない、としているが、単なる序詞ではない。
■ 「有」と「否」でのやりとりだ。
■ 「かぜふけば」ということは、相手が言ってきたから、それに対しての返事だ。
■ 「いでそよ」を単に「そうですよ」としていいのかなと思う。
■ 和歌を解説してもその歌を理解したことにはならない。
■ 心を言葉にしたものが歌だから、自分だったら31文字にどう表現するかだ。
■ 歌にしないと、元の歌の良さをとらえたことにはならない。
■ 自分が作ってうまくいかなければ、元の歌が優れていることになる。
■ 相手が稲野に住んでいる人かどうか、その辺のところは、本人同士のやり取りだから歌には表れない。推測するしかない。
■ 有馬山から吹く風が強いから、俺の住んでる稲野では笹原がそよぐのだ。
■ そうですか、あなたの方で、どんな風がふいているか知りませんけど、私の方の気持ちは「有」ますよ。「「否」ではありません。

ありまやま いなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする  大弐三位
有ますよ 否の風だと いいますが よそかぜほども 忘れてません      遊水

■ 大弐三位の歌には、有馬山、と、猪名川、と、ふたつの地名が詠み込まれている。
■ やはり、有馬山と猪名川に住む二人の間のやり取りが想定される。
■ ささはら、とあるが、篠笛、篠籠、などに使われる篠竹、矢竹の多い場所であろう。
■ いでそよ、の、そよ、は、前に、かぜふけば、とあるので、そよかぜ、となる。
■ 31文字で詠み込むのは難しいけれど、それを補う詞書がある。
■ 相手の男は、自分のことは棚に上げ、かれる、とか、おぼつかない、などの言葉のある歌をよこしたようだ。並べ置いてみよう。

かれにしは おぼつかなくも ゆれうごく 有馬やま吹く かぜもつめたく  よみ人知らず
ありまやま いなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする

■ 一応、よみ人知らず、としておいたが、私の知るところではある。
■ 当時の相関図など作ってみると面白いかもしれない。
■ いつだったか、google で愛と恋を翻訳したらどちらも love だった。
■ 英語は、よお知らんけど、へええっ英語圏には恋愛ってないのかな、と思う。
■ 日本の場合、漢字はもともと当て字だった。
■ もちろん、あい、という概念はあった。
■ 同音意義語を見ると、それが、あい、だと分かる。
■ 古事記など見ればよく分かる。
■ 「かみ」も同様だ。
■ 同じように同音異義語を漢字で書いて、その幾つかに共通する何か「上」など、昔の人が何に着目していてるかを考えるとよい。
■ 英語の God と違うのは、「同様」という言葉を理解できない人たちの認識だ。
■ 愛という漢字は、いつ頃から使われるようになったのか。
■ これについては、またいつか、だが、
■ 簡体中文では
爱
■ と書き、こんな文字を平気で使う国、もはや、心なき人々だろう。
■ この文字を元にもどさなければ、その国は、まあ、ダメだなという気がする。文字と言葉の不整合が人の意識に影響する。
■ 日本語の場合、表意文字と表音文字の組み合わせで、仮名文字の存在の意味は大きい。
■ さて、「うかはげ」のことだけれど、
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うかはげ


■ 「うかはげ」って何ですか、という問いに、直ちに答えられる人はたくさんいると思われる。
■ たくさんと言っても、めちゃ、多いわけではないだろうけれど。
■ すぐ、反射的に応えられる人は確実にいる。
■ ほんと?と疑う人もいるかもしれないが、私が立証するまでもない事実だ。
■ この言葉を知ったのは、母からだったが、いつ頃だったかは記憶にない。
■ おそらく、中学の時だった。
  • うか・はげ
■ この言葉から、その世界に入るのも一つの道かもしれない。
■ その世界では常識なのだから、・・・
■ その世界とは、カルタとり/百人一首だ。
■ 島津忠夫訳注・新版百人一首の新版に当たって、
角川文庫「百人一首」は昭和四十四年七月に初版が出て、平成十一年六月に新版を書き、十一月に初版が発行されたことが分かる。
■ 新版には索引の後に、「きまり字を太字で示した」平仮名の百首一覧がある。
■ この表を見ると、別の視点も得られる。
■ うか・はげ、は「あいうえお」の「う」だからすぐ出てくる。

字余り

■ 和歌・短歌は、普通5・7・5・7・7、だれど
■ 全て仮名文字故、字余りの歌も幾つあるかもすぐ分かる。
■ こうした歌に注目するのもいい。
■ 例えば、はなのいろは、も6文字で始まる。
■ 小野小町については後で書くことになるが、実は、この歌、私は、自分に絡めて次のように書いた。

花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に   小町
世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に 
世の中は 移りにけれな いたずらに 我関せずと 眺めせしまに   遊水

■ この歌から書き始めてもいいかと思っていた。
■ 一般に古典に接するのは、普遍的なモノを見出すからで、人が増えただけ社会が複雑になっているが、ごく個人的な人は基本的には変わらない。時代はうつり「どう思うか」はそれぞれで、今の自分の歌としてどう詠むかだ。

このひばかりは、めぐりきて
うつりにけりな いたづらに

■ このような言葉に共通性が感じられる。
■ 百人一首は過去の人の心の記録で、その資料を、ことばとして、心としてどう読むのかだろう。
■ ここで、あえて「資料」という言葉を使った。研究者とか評論家にはその資料・ネタであろうが、私の場合は、ただ、自分の歌を詠むためにだけに読んでいるわけではない。

吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風をあらしといふらむ  文屋康秀

■ 嵐という文字は、もともとは、日本語的な荒々しい風ではなく、靄のような状態で、
■ 漢詩では、翠嵐などと使い、緑の山の空気の・雰囲気をいう。
■ 「やまおろし」という言葉があるが、それに似ている。山と風の組み合わせだと、馬鹿にする解説はよくある。
■ 単純すぎる。
■ そんな解説でいいのかね。
■ そんなことに気付く面白さもあり、他に発見することもあるかもしれないのが言葉だ。
■ 「百人秀歌から百人一首を眺める」ということで書き始めた。
■ 百人一首は百人秀歌の並びで見た方が定家の意図が分かりやすいと思ったからだれど、
■ 個々の歌についてとらえようとすると、仮名書き・五十音順で分類された100首はごく基本的には一番いいかもしれない。
■ 作者も省けば、余計なことは考えず「ことば」のみに集中できる。

ひらがな

■ 日本語を学ぶ人は、仮名文字を最初に習うだろう。
■ 仮名文字だけで書かれた和歌は「ことば」を知る基本になる。
■ 文字が読めれば、何度も声に出して、文として読むことができる。
■ 言葉は耳で聞くものだった。目で読むより耳で聞く方が印象に残る。
■ それは、名前でもいえるかもしれない。
■ 池波正太郎の「剣客商売」に出て来る「みふゆ」と比較して、ようこ、ゆうこ、・・・どんな響きが、女剣士の名前として感じられるか、と似ている。
み  mi  きりっととした感じ
ふゆ fuyu ふわっとした感じ
■ 耳で聞くと、意味より先に何かが感じられるかもしれない。
■ ということで、日本語を知らなかった人に、古典を理解する優位性があるかもしれない。
■ 日本語を日常的に使っている日本人の全てが百人一首を知っているわけではなく、日本語を知っていると思っていることが本当に理解しようとするコトの妨げになることもあるだろう。
■ 言葉を純粋に積極的に知ろうとする人が、本当によく知ることになる。
■ 分かち書きにすればより良いかもしれないが、基本、5・7・5・7・7にした。
■ 島津忠夫訳注・新版百人一首では、5・12・14、の一覧表になっている。
■ 「きまり字」の覚えとしてはその方ががいい。
■ 下の句の最初、4句目で、あいうえお順に並べてみると、・・・
■ 上の句と下の句のつながりに何かがあることを発見できるかもしれない。
■ 1句目で並べることのほか、2句目、3句目、4句目、5句目で、5種類の一覧表を作ると、各句索引より便利かもしれない。
■ Excel を使えば容易にできる。
■ 百人一首のように限定的な世界では、使われている言葉はそれ以外にないので、幾つか一覧表的に作ると言葉に対する感覚が違って見えるかもしれない。
■ 頻繁に使われる言葉と「無い」ことばは、分類によって分かりやすくなる。
■ こうして100首並べると、多いようにも感じられる。
■ 百人一首・百人秀歌を、例えば、10首ごとに区切りをつけ、適当に選ぶのがいいかもしれない。
好きな歌
気になる歌
■ など、自分の選択基準のもとに、20 首程度を対象にして鑑賞するのもいいかと思う。
■ 20という量は扱いやすい。
■ 100首全体については、そのあと、じっくり扱えばよい。
■ とにかく、自分にとって「百人一首・百人秀歌」とは何か、だ。

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仮名書き・五十音順


■ 後でもう少し見直すとして、とりあえず、・・・
■ あいうえお ・・・ 「あ」で始まる言葉が多い。
 
001   79   あきかぜに  たなびくくもの  たえまより   もれいづるつきの かげのさやけさ
002     1   あきのたの  かりほのいほの  とまをあらみ  わがころもでは  つゆにぬれつつ
003   52   あけぬれば  くるるものとは  しりながら   なほうらめしき  あさぼらけかな
004   39   あさぢふの  をののしのはら  しのぶれど   あまりてなどか  ひとのこひしき
005   31   あさぼらけ  ありあけのつきと みるまでに   よしののさとに  ふれるしらゆき
006   64   あさぼらけ  うぢのかはぎり  たえだえに   あらはれわたる  せぜのあじろぎ
007     3   あしびきの  やまどりのをの  しだりをの   ながながしよを  ひとりかもねむ
008   78   あはぢしま  かよふちどりの  なくこゑに   いくよねざめぬ  すまのせきもり
009   45   あはれとも  いふべきひとは  おもほえで   みのいたづらに  なりぬべきかな
010   43   あひみての  のちのこころに  くらぶれば   むかしはものを  おもはざりけり
011   44   あふことの  たえてしなくは  なかなかに   ひとをもみをも  うらみざらまし
012   12   あまつかぜ  くものかよひぢ  ふきとぢよ   をとめのすがた  しばしとどめむ
013     7   あまのはら  ふりさけみれば  かすがなる   みかさのやまに  いでしつきかも
014   56   あらざらむ  このよのほかの  おもひでに   いまひとたびの  あふこともがな
015   69   あらしふく  みむろのやまの  もみぢばは   たつたのかはの  にしきなりけり
016   30   ありあけの  つれなくみえし  わかれより   あかつきばかり  うきものはなし
017   58   ありまやま  ゐなのささはら  かぜふけば   いでそよひとを  わすれやはする

018   61   いにしへの  ならのみやこの  やへざくら   けふここのへに  にほひぬるかな
019   21   いまこむと  いひしばかりに  ながつきの   ありあけのつきを まちいでつるかな
020   63   いまはただ  おもひたえなむ  とばかりを   ひとづてならで  いふよしもがな

021   74   うかりける  ひとをはつせの  やまおろしよ  はげしかれとは  いのらぬものを
022   65   うらみわび  ほさぬそでだに  あるものを   こひにくちなむ  なこそをしけれ

023     5   おくやまに  もみぢふみわけ  なくしかの   こゑきくときぞ  あきはかなしき
024   72   おとにきく  たかしのはまの  あだなみは   かけじやそでの  ぬれもこそすれ
025   60   おほえやま  いくののみちの  とほければ   まだふみもみず  あまのはしだて
026   95   おほけなく  うきよのたみに  おほふかな   わがたつそまに  すみぞめのそで
027   82   おもひわび  さてもいのちは  あるものを   うきにたへぬは  なみだなりけり

■ かきこけこ 

028   51   かくとだに  えやはいぶきの  さしもぐさ   さしもしらじな  もゆるおもひを
029     6   かささぎの  わたせるはしに  おくしもの   しろきをみれば  よぞふけにける
030   98   かぜそよぐ  ならのをがはの  ゆふぐれは   みそぎぞなつの  しるしなりける
031   48   かぜをいたみ いはうつなみの  おのれのみ   くだけてものを  おもふころかな

032   15   きみがため  はるののいにでて わかなつむ   わがころもでに  ゆきはふりつつ
033   50   きみがため  をしからざりし  いのちさへ   ながくもがなと  おもひけるかな
034   91   きりぎりす  なくやしもよの  さむしろに   ころもかたしき  ひとりかもねむ

035   29   こころあてに をらばやをらむ  はつしもの   おきまどはせる  しらぎくのはな
036   68   こころにも  あらでうきよに  ながらへば   こひしかるべき  よはのつきかな
037   97   こぬひとを  まつほのうらの  ゆふなぎに   やくやもしほの  みもこがれつつ
038   24   このたびは  ぬさもとりあへず たむけやま   もみぢのにしき  かみのまにまに
039   41   こひすてふ  わがなはまだき  たちにけり   ひとしれずこそ  おもひそめしか
040   10   これやこの  ゆくもかへるも  わかれては   しるもしらぬも  あふさかのせき

■ さしすせそ 

041   70   さびしさに  やどをたちいでて ながむれば   いづこもおなじ  あきのゆふぐれ

042   40   しのぶれど  いろにいでにけり わがこひは   ものやおもふと  ひとのとふまで
043   37   しらつゆに  かぜのふきしく  あきののは   つらぬきとめぬ  たまぞちりける

044   18   すみのえの  きしによるなみ  よるさへや   ゆめのかよひぢ  ひとめよくらむ

045   77   せをはやみ  いはにせかるる  たきがはの   われてもすゑに  あはむとぞおもふ

■ たちつてと 

046   73   たかさごの  をのへのさくら  さきにけり   とやまのかすみ  たたずもあらなむ
047   55   たきのおとは たえてひさしく  なりぬれど   なこそながれて  なほきこえけれ任
048     4       たごのうらに うちいでてみれば しろたへの   ふじのたかねに  ゆきはふりつつ
049   16   たちわかれ  いなばのやまの  みねにおふる  まつとしきかば  いまかへりこむ
050   89   たまのをよ  たえなばたえね  ながらへば   しのぶることの  よわりもぞする
051   34   たれをかも  しるひとにせむ  たかさごの   まつもむかしの  ともならなくに

052   75   ちぎりおきし させもがつゆを  いのちにて   あはれことしの  あきもいぬめり
053   42   ちぎりきな  かたみにそでを  しぼりつつ   すゑのまつやま  なみこさじとは
054   17   ちはやふる  かみよもきかず  たつたがは   からくれなゐに  みづくくるとは

055   23   つきみれば  ちぢにものこそ  かなしけれ   わがみひとつの  あきにはあらねど
056   13   つくばねの  みねよりおつる  みなのがは   こひぞつもりて  ふちとなりぬる

■ なにぬねの 

057   80   ながからむ  ここをもしらず  くろかみの   みだれてけさは  ものをこそおもへ
058   84   ながらへば  またこのごろや  しのばれむ   うしとみしよぞ  いまはこひしき
059   53   なげきつつ  ひとりぬるよの  あくるまは   いかにひさしき  ものとかはしる
060   86   なげけとて  つきやはものを  おもはする   かこちがほなる  わがなみだかな
061   36   なつのよは  まだよひながら  あけぬるを   くものいづこに  つきやどるらむ
062   25   なにしおはば あふさかやまの  さねかづら   ひとにしられで  くるよしもがな
063   88   なにはえの  あしのかりねの  ひとよゆゑ   みをつくしてや  こひわたるべき
064   19   なにはがた  みじかきあしの  ふしのまも   あはでこのよを  すぐしてよとや

■ はひふへほ

065   96   はなさそふ  あらしのにはの  ゆきならで   ふりゆくものは  わがみなりけり
066     9   はなのいろは うつりにけりな  いたづらに   わがみよにふる  ながめせしまに
067     2   はるすぎて  なつきにけらし  しろたへの   ころもほすてふ  あまのかぐやま
068   67   はるのよの  ゆめばかりなる  たまくらに   かひなくたたむ  なこそをしけれ

069   33   ひさかたの  ひかりのどけき  はるのひに   しづごころなく  はなのちるらむ
070   35   ひとはいさ  こころもしらず  ふるさとは   はなぞむかしの  かににほひける
071   99   ひともをし  ひともうらめし  あぢきなく   よをおもふゆゑに ものおもふみは

072   22   ふくからに  あきのくさきの  しをるれば   むべやまかぜを  あらしといふらむ

073   81   ほととぎす  なきつるかたを  ながむれば   ただありあけの  つきぞのこれる

■ まみむめも 

074   49   みかきもり  ゑじのたくひの  よるはもえ   ひるはきえつつ  ものをこそおもへ
075   27   みかのはら  わきてながるる  いづみがは   いつみきとてか  こひしかるらむ
076   90   みせばやな  をじまのあまの  そでだにも   ぬれにぞぬれし  いろはかはらず
077   14   みちのくの  しのぶもぢずり  たれゆゑに   みだれそめにし  われならなくに
078   94   みよしのの  やまのあきかぜ  さよふけて   ふるさとさむく  ころもうつなり

079   87   むらさめの  つゆもまだひぬ  まきのはに   きりたちのぼる  あきのゆふぐれ

080   57   めぐりあひて みしやそれとも  わかぬまに   くもがくれにし  よはのつきかな

081  100     ももしきや  ふるきのきばの  しのぶにも   なほあまりある  むかしなりけり
082   66      もろともに  あはれとおもへ  やまざくら   はなよりほかに  しるひともなし

■ やいゆえよ 

083   59   やすらはで  ねなましものを  さよふけて   かたぶくまでの  つきをみしかな
084   47   やへむぐら  しげれるやどの  さびしきに   ひとこそみえね  あきはきにけり
085   32   やまがはに  かぜのかけたる  しがらみは   ながれもあへぬ  もみぢなりけり
086   28   やまざとは  ふゆぞさびしさ  まさりける   ひとめもくさも  かれぬとおもへば

087   71   ゆふされば  かどたのいなば  おとづれて   あしのまろやに  あきかぜぞふく
088   46   ゆらのとを  わたるふなびと  かぢをたえ   ゆくへもしらぬ  こひのみちかな

089   93   よのなかは  つねにもがもな  なぎさこぐ   あまのをぶねの  つなでかなしも
090   83   よのなかよ  みちこそなけれ  おもひいる   やまのおくにも  しかぞなくなる
091   85   よもすがら  ものおもふころは あけやらで   ねやのひまさへ  つれなかりけり
092   62   よをこめて  とりのそらねは  はかるとも   よにあふさかの  せきはゆるさじ

■ らりるれろ ・・・ なし
■ わいうえを

093     8      わがいほは  みやこのたつみ  しかぞすむ   よをうぢやまと  ひとはいふなり
094   92   わがそでは  しほひにみえぬ  おきのいしの  ひとこそしらね  かわくまもなし
095   38   わすらるる  みをばおもはず  ちかひてし   ひとのいのちの  をしくもあるかな
096   54   わすれじの  ゆくすゑまでは  かたければ   けふをかぎりの  いのちともがな
097   76   わたのはら  こぎいでてみれば ひさかたの   くもゐにまがふ  おきつしらなみ
098   11   わたのはら  やそしまかけて  こぎいでぬと  ひとにはつげよ  あまのつりぶね
099   20   わびぬれば  いまはたおなじ  なにはなる   みをつくしても  あはむとぞおもふ

100   26   をぐらやま  みねのもみぢば  こころあらば  いまひとたびの  みゆきまたなむ

■ 100首並べると、多いようにも感じられる、と先に書いた。
■ どれから始めるか、迷う人もいるかもしれない。
■ 五十音で並べると、一つしかない歌もある。
「さ」 さびしさに
「す」 すみのえの
「せ」 せをはやみ
「ふ」 ふくからに
「ほ」 ほととぎす
「む」 むらさめの
「め」 めぐりあひて
「を」 をぐらやま
■ また、「らりるれろ」の歌はない。
■ 百人一首は定家の選で私が選んだ訳ではない。自分の好みとか自分が取り上げた歌について述べればいいようにも思う。
■ 百人一首については多くの本があり、ただの解説なら、それらを見ればいい。
■ 私がそのまま繰り返しても何の意味もない。
■ 「さ」で始まる歌は、さびしさに、しかない。とりあげてみよう。

さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ  あきのゆふぐれ

■ この歌は表面的には分かりやすい歌だと思う。
■ ただ、解説書を見れば、誰も分かってないのかな、と思う。
■ 内を出て、ぐるっと見回しただけなら、いづこもおなじ、とは言わない。

いづこもおなじ
いつもとおなじ

■ なので、外に出てぐるっと周囲を見回しただけではない。
■ あちこち行って、見て、どこもおなじだ、と感じたに違いない。
■ だから、やどをたちいでて、から、ながむれば、いづこもおなじ、と感じる間には長い時間があったはずだ。
■ この歌を詠んだのは、ゆふぐれ、だ。
■ では、たちいでた、のはいつだったのか、ふつうに考えれば朝だ。
■ 朝に起きて、あちこちに行って、夕方に帰ってきた。
■ と、こんなふうには、解説していない。
■ ということで、この歌は、ほとんど誰も理解してないように思った。
■ 「さびしさに」というコトは、寂しかったので、寂しくないトコロに行ってみようかな、と思いたった。
■ 寂しい所はどこで、寂しくない所はどこなのか。
■ 31文字の短歌は論理的なのだ。
■ 朝起きて帰宅するまで何時間あったのか。
■ 9時に出て、17時に帰って来た、とすると8時間ある。
■ 往復、それぞれ4時間、行った先で何かをしたとすると、約3時間の道のりだと考えられる。
■ この歌の作者は、良暹法師は大原に住んでいた。都の3里北だ。
■ 彼は寂しかったので、(賑やかな)京都の街に出た。

さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ  あきのゆふぐれ
みやこへは さんりのみちの ゆきかえり いずこもおなじ あきのゆうぐれ  遊水

■ 並べ置くと、さびしさに、と言わなくてもよかった。
■ このように、ひとつしかない歌から始めるのもいい。
■ 「わたのはら」で始まる歌は2首ある。「あさぼらけ」や「きみがため」も2首ある。「君がため」は意味的に問題はない。
  • わたのはら、とは何か
■ これについては以前書いたが、この言葉自体が意味深い。
  • わたつみ わだつみ
わたつうみの波の花をばとりつとも人の心をいかが頼まむ  紀貫之
わたつ海の波の花をは染かねて八十島遠く雲そしくるる  後鳥羽院

■ 日本語の起源を調べてゆくと、古代韓国語は、日本から渡っていったことが分かる。
■ そして、例えば、「海」は、その名残で、今でも使用している。

水 湖 海
mizu  mizu-umi  umi

海原
una-bara
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
海  바다 
umi  bada
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
南コリアの人間に、una bara を発音させてみると分かるだろう。
bara ではなく、bada に近い発音になる。
そして、逆に、日本語として発音すると、・・・

bada → wada

和田の原
wada-no-hara

または
わたのはら
wata-no-hara
ex. わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりふね

わだつみ
わだつうみ
wada-tu-umi
ex. 聞け、わだつみの声
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
umi
海

海原  草原
原は広い場所をさす

■ わたのはら、とか、わだつみ、ということばを海として使うのは語呂のよさもあるだろうけれど、異国への憧れ的なこころでもあろう。
  • わたつ海のおきにこがるる物見ればあまの釣りしてかへるなりけり 清少納言
  • はるかなる唐土までも行くものは秋の寝覚の心なりけり  大弐三位
  • はるかなるParisまでも行くものは秋の寝覚の心なりけり  遊水
■ この歌の「もろこし」と似た感じだ。
■ 次に、「わたつみ」の例を幾つかとりあげた。

袖ぬれて海人の刈りほすわたつうみのみるをあふにてやまむとする 伊勢物語
草も木も色変はれどもわたつ海の浪の花にぞ秋なかりける 文屋康秀、古今和歌集・秋下

源実朝、番号は、岩波文庫「金槐和歌集」による。
225 和田の原八重の塩路にとぶ雁の翔のなみに秋風ぞふく
263 ながめやる心もたへぬ和田の原八重の塩路の秋のゆうぐれ
482 わたつみに流れ出たるしかま川しかもたえずや戀わたりなむ
641 わたつ海の中に向ひていずる湯のいづのお山とむべもいひけり
690 春秋はかはりゆくともわたつ海のなかなる島の松も久しき

和田津海の沖に火もゆる火の国に われあり誰ぞやおもわれ人は  柳原白蓮

■ この歌の碑は、近くの公園・千里南公園の梅林の南端にあるので取り上げた。
■ ・・・
■ 「百人一首」は「あきのたの」から始まり「ももしきや」で終わるが、この順に読まなければならないわけではない。好きなところを読めばいい。五十音に並んでいるのをみると、「あ」で始まるものが多い。17首もある。どれを取り上げようかと迷うが、ひとつしかなければ、悩むこともない、として、 先に、「さ」の歌を取り上げた。

これやこの 逢坂の関

■ 「さびしさに」の一つ上に「これやこの」がある。
■ この歌に入る前に、楽譜のことが思い浮かんだ。
■ Da capo、とか、Dal segno、などだ。
■ というのも、繰り返し、何度も書いたからだ。
■ そして、まだ、自動翻訳などできないな、と思う。
④ --------------------------------------------------

ゆくも・かえるも
しるも・しらぬも

■ これが特徴で、こんな感じの歌は他にない。

これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき

■ 「逢坂の関」はいつ頃からあるか、また、なぜ「逢坂」と呼ばれているかは知らないが、おそらく、誰かが調べていることだろう。
■ 古くからあった関所で、紫式部も「源氏物語」第十六帖・関屋、にも取り入れられていて、よく知られていたと思われる。

逢坂の関やいかなる関なればしげき嘆きの中を分くらん  空蝉
行くと来とせきとめがたきなみだをや絶えぬ清水と人は見るらむ  空蝉

■ ここでは「行くと来と」としている。
■ 私は「くるもかえるも」とした。

ゆくもかへるも
くるもかえるも

しるもしらぬも
おいもわかきも

わかれては
つどいては

わかれては しるもしらぬも
にほんごを しるもしらぬも

■ この歌は、色々変化をつけられてオモシロイ。
  • これやこの くるもかえるも つどいては しるもしらぬも ハチ公の前  遊水
■ 訪日客を意識して作ったので、来るも帰るも、とした。
■ 忠犬「ハチ公」は、今や、世界的に有名だ。
■ こんなことを考えながら読むと、百人一首のオモシロサが倍増する。
■ しかし、次のような google 翻訳でも分かるように、この短歌では理解できないようだ。


■ 見ず知らぬ人でも出会う、ということで「互いに知っている人」でも「知らない仲」でも人々は出会う場所だ、という意味には受け取れないようだ。
■ 英語はよく知らないが、感じとしては

This is it
 this is the place 
「この」は「ハチ公の前」という場所を示す

coming and going
coming or going 
来る人も、帰る人も

gathering together
gathering there 
この場所に集まる

whether we know it or not
everybody 
誰もがみんな

■ ついでに、源氏物語に挑戦してみようという人もいるかもしれない。
■ 長い物語だが、一から全部読まなければならないではない。
■ 適当に面白そうなところを読めばいいのだ。
fine
① --------------------------------------------------
■ 以前も google 翻訳したような気がしてふりかえってみた。以下だ。
■ 本歌取りとして、どの言葉を取り上げるか
これやこの
しるもしらぬも
■ この二つ、これは、いろいろ詠みこむことができるのではないか。
■ 先にも上げたが、もう少し自由に書いてみよう。
  • これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも 居酒屋の席  遊水
■ 同音異義語として、・・・
関
席
■ としたが、もちろん、これにこだわることはない。
■ そうすることにより、広がりも出るだろう。
■ 例えば、
  • これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも 東京の街  遊水
■ こうすることにより、蝉丸の世界から別の世界に移ることもできるだろう。
■ 日本に観光で来る人も増えたようだ。
■ そんな光景を動画で見ると、こんな歌もできた、ということだ。
■ ここで google 翻訳してみた。


■ 自動翻訳はまだまだ、だ。
■ 英語をよく知る人は、詩として洗練されたものにもできるだろう。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 蝉丸の「これやこの」は「逢坂の関」を指していて、同様に、ここでは「東京の街」を指している
■ また、「知るも知らぬも」は、お互いに知らない、初めての人であったとしても、という意味だ。
■ こんなことを書いていた。
② --------------------------------------------------
■ そして、また、次のように書いた。
■ 最後の「東京の街」の部分だが、最初、新宿より渋谷がいいかな、と思っていたが、うまくまとまらなかったのを思い出した。
■ そこで、もうひとつ

これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも 東京の街
これやこの 来るも帰るも 集いては 知るも知らぬも ハチ公の前  遊水

■ これだと、訪日客にも伝わるような気がした。

意識して 春夏秋冬 四句八句 できも不出来も 書き留めてゆく  遊水
これやこの カルタ遊びの 百人首 知るも知らぬも 競い合う席

■ 百人一首を素に本歌取り的に短歌を作るのも勉強になる。
■ 百人一首がわかるようにするためには、初句をそのまま使うのがいいかも。
■ これだと、訪日客にも伝わるような気がした。と書いたが
■ 言葉の壁は厚い。互いに理解できる、と思わない方がいいのかもしれない。
③ --------------------------------------------------
■ 2024-08-26
■ 昔から、関所は幾つもあり、国の安定・安全のため、国境の出入り口で、武器や情報の出入りを監視していた。
■ 入り鉄砲、出女だ。
■ 今でも基本的考え方は、原則変わらないはずだけれど、現実はどうか。
■ それはさておき、
■ 逢坂の関という名前の由来を知るべきなんだろうが、・・・
■ 蝉丸の歌に限ってみれば、出会いの門とするのがいいのかもしれない。
  1. この場所が
  2. 出てゆく人も
  3. 帰ってくる人も
  4. たとえ別れても
  5. 知っている人もいるし
  6. 知らない人もいるけれど
  7. 再び出会う
  8. 関所なんだ
■ ちょっと google 翻訳してみよう。


■ 最後の「関所なんだ」の所を welcome port とか、単に airport としてもいいのかも。
■ 「逢う」はロマンチックな意味合いで使われることが多い。
■ と、記す辞書もある。
■ 特別な場所なんだ、とか、・・・
  • 愛の関所、love checkpoint とか、・・・
■ まあ、そんなことを考えながら。
Da capo --------------------------------------------------
■ 旅に出る人を「見送る」別れのとき、旅から帰ってくる人を「出迎える」再会のとき、
■ もちろん、普通に、出て行く人、帰って来る人、行き交い、顔を合わせる。
■ 多様な出会いがあり、それが、人生での出逢いになるかもしれない。

これが 逢坂の関

■ そんな感じで読んでいるけれど、google 翻訳では、うまく翻訳されない。
■ 仮名書きによる和歌、どれだけ理解されるだろうか、と危惧しないわけではない。
■ また、そのうちだ。
■ 追記、今昔物語を見ていると巻第二十四・第二十三・源博雅朝臣会坂の盲の許に行きたるの語、に次の二つの歌があった。1. は和漢朗詠集・下・述懐や新古今和歌集十八・雑下などにもあるようだ。2. は続古今集・十八・雑中。
  1. 世の中はとてもかくてもすごしてむ みやもわらやもはてしなければ  蝉丸
  2. あふさかのせきのあらしのはげしきに しゐてぞゐたるよをすごすとて
■ ついでながら、琵琶に流泉・啄木と云う曲有。ということで一応聞いてみた。
■ 源博雅はこれを聞きたくて三年通ったなどと書かれている。
■ さて、 

百人一首、の他に、
百人秀歌、がある。

■ ほぼ同じだが、全く同じではないので、ふたつとも存在している。
■ 細かい違いはいくつかあるが、まず大きなところから始める。
■ 百人一首には、百人秀歌にはない、後鳥羽院・親子の歌がある。
■ 百人秀歌では、源俊頼の歌が百人一首と異なる。

百人秀歌  山桜咲きそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸  源俊頼
百人一首  憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを  源俊頼

■ 後鳥羽院は、俊頼の歌の姿を
  1. うるわしくやさしき様、の歌
  2. もみもみと、人は詠みおほせぬやうな姿、の歌があるとしている。
■ 定家も、「近代秀歌」にあるように、同調している。
  • これは心ふかくことば心まかせて、まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり
■ 千載和歌集 巻第十二、恋歌二、を見ると、
■ 詞書があり
祈れどもあはざる恋といえる心をよめる
■ としている。
■ 恋の歌が色々ある中で、この歌は他と違う表現であることが分かる。
■ 後鳥羽院や定家はその違いを見てとって評価した。その時点での評価を、正しく把握しているだろうか。現在の見方で評価し直すことも必要かもしれない。
■ 小説家の田辺聖子が
分かりにくい歌である。
現代からみると、こういう歌の、どこに値打ちがあるのか、よく分からない。
■ としている。
■ 面白い小説を書く彼女の評価は直感的な正しさを含んでいるようにもみえる。
■ だいたい、
  • 誰でも、「はげしかれとは祈らぬ」ものなので、そう祈るはずはない。
■ なので、
■ 私が詠むとすれば、次の歌だ。並べ置いてみよう。

うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを 俊頼
いのれども かぜのはげしき はつせやま かんのんさまの こころとどかず  遊水

■ こんな感じでもいいだろう。
■ 間接的だが、素直に心を伝えることができるだろう。
■ 頭で、もみもみ、こねこね、ねりねり、しないで、だだ、心のままに書けばよい。
■ ただ、なぜ後鳥羽院は「もみもみ」とした歌だと考えたのか。
■ 一般に、百人秀歌のあとに百人一首が作られたとされている。
■ 仮に、百人秀歌の方が先に作られていたとしたら、なぜ、最初から「憂かりける」を取り上げなかったのか。
■ 「まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり」ではなかったのか。
■ 後鳥羽院口伝に「うるわしくやさしき様」の歌としては「やまざくら」ではなく「うづらなく」だった。
■ 百人秀歌から百人一首に替えたとしたとき、「山桜」から「憂かりける」にする理由があるだろうか、ないようだ。

俊頼堪能のもの也。歌すがた二樣によめり。うるはしくやさしき樣もことにおほくみゆ。又もみもみと人はえよみおほせぬ樣なる姿もあり。此一樣則定家卿か庶幾するすがた也。うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとはいのらぬものを此すがたなり。又うづらなくまのゝ入江のはま風におばななみよる秋のゆふぐれ、うるはしき姿也。

■ 後鳥羽院・親子の歌を外した時、「憂かりける」の歌も、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に外し、「山桜」の歌にしたといえそうだ、というか、「定家卿か庶幾するすがた」とされるのが気に入らなかったのだろう。
■ 定家は後鳥羽院の「もみもみ」という評価に最初同調したが、考え直したと考えられないか。
■ 定家の心理だ。これなら論理的だ。
■ しかし、逆にも考えられる。これは後で記すが、・・・
■ 要するに、百人一首が先で百人秀歌が後に作られた。
■ こう考えたとき、他の、理由が存在することに気付く。
■ 百人一首と百人秀歌の違いを細かく見てゆくと分かってくるだろう。
■ ほとんど同じ歌なので、歌の並びなどで、より定家の考え方が分かるだろうし、
■ 当然のことながら、違っているところに注目するべきだろう。
■ 100首の歌集であるためには、2首外したら、2首追加しなければならない。
■ 2首追加するために2首外した、とするならば、どれを外すか考えなければならない。
■ 100首に限定すると、百人秀歌の100首内に無い歌として、百人一首の96番の「花さそふ」の歌があり、101番に、いわば番外として、置かれている。
■ 番外にすることで、百人秀歌では3首追加できた。
■ 百首という形としては、百人一首、と、百人秀歌、で、次の3首が異なっている。

異なる3首

(099) 人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は  後鳥羽院  
(100) 百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり      順徳院
(096) 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり      西園寺公経

053  夜もすから契りしことを忘れすは 恋ひん涙の色そゆかしき     藤原定子
073  春日野の下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪      権中納言国信
090  紀の国の由良の岬に拾うてふ たまさかにだに遭ひみてしがな    権中納言長方

■ 新古今集をまとめた後、定家自身
  • 「ふりゆくものはわが身なりけり」
■ という思いで、「嵐の庭の雪」という何か変な言葉遣いにもかかわらず、上の句にこだわることもなかったのだろう。
■ 3つの歌を、百人一首から外した時、百人秀歌が定家自身の歌集となったといえる。
■ 逆に、通説のように、百人秀歌が先にあり、3首外し、しかも、「花さそふ」を100首内に組み込んだとするのは、いかにも不自然だ。
■ 百人一首の、96、99、100、を外して、百人秀歌の、53、73、90、を追加した、とする方が分かりやすい。
■ 追加もばらばらの位置になっている。
■ 逆に、53と73と90、を外す理由は何か、他の歌を外してもよかったのではないか。
■ 他の歌より、これらが劣っていたのか。
■ そこで、53と73と90の、関連性は何かを問題にすることになるかもしれない。
■ とにかく、番外とした西園寺公経の「花さそふ」を100首に組み込む意味があるのか分からない。
■ ついでながら、「花さそふ」の歌としては、西園寺公経の歌より、宮内卿の歌の方が格段に優れている。

花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで  宮内卿
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり   西園寺公経
吹く風に庭の桜の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり   遊水 

■ 嵐でなく、あっさり、「吹く風に」でもよかったように思う。
■ 「花さそふ」という言葉を使いたかったのかもしれないが、「花吹雪」つまり「桜の雪」だろうけれど、「嵐の庭の雪ならで」は言葉遣いとしては不自然で駄作といわざるえない。
■ ところで、宮内卿の歌はうまいけれど、素人的には次の歌でもいいかもしれない。

花誘う比叡おろしに桜花 漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで   遊水
その上を歩いて見たくなるほどに水面にうかぶ桜なるかな  遊水

■ さて、
■ もう一度、「うかりける」に戻ろう。
  • 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
■ 最初、この歌を詠んだとき、「初瀬」「長谷」「大泊瀬幼武 おおはつせわかたけ」のことが頭に浮かんだ。
■ 万葉集の最初の歌の男だ。
■ 名前を知らなければ、今でも知り合ったことにはならないが、
■ お前の名前は何だ、俺は大和の国を平らげた者で俺から名乗ってやる、などと相手の女を強引に得ようとする歌だ。
■ 以前、次のようなことを書いた。
■ 一文字変えてみた。

うかりける ひとをはつせの やまおろしよ
うかりける ひとははつせの やまおろしよ

■ このようにすると、次のようにも考えられる。
「憂かりける人」は「初瀬の山おろし」のような人で
激しい気性の人だ。
■ 国を治める立場の人は立派で穏やかな人であってほしいと民は願う。
  • 激しかれとは祈らない
■ しかし、長い歴史上には、必ずしも、望ましい人ばかりではなかった。
■ そうした古い歴史を思い浮かべながら、
■ 身近な実らぬ恋と、重ね合わせることもできるような歌だともいえる。
  • ワカタケル かれははつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを
■ のちに雄略天皇と呼ばれるワカタケル、ワカは未熟を意味する、猛々しい者だった。
■ 日本書紀に、こんな記述がある。
「日頃から乱暴で恐い。にわかに機嫌が悪くなると、朝にお目にかかった者でも夕方にはもう殺され、夕にお目にかかったものでも翌朝には殺されます」
■ あるいは、性的不能を隠すためだったかもしれないが、恐れられていた。
■ 初瀬観音というのがあるそうな、・・・
■ 長谷寺には行ったことがあるが、その時は何も考えてなかった。
■ 観音像が設置されるのは、人が「優しさ」や「慈しみ」を願い求めるからだ。
■ 幸せならば、神や仏に願いすがることなどない。
■ 逆に言えば、厳しい現実の世の中だったことを意味する。
■ 菅原道真を祭るのも祟りを恐れてのことという側面がある。
■ 同様だ。
■ 長谷寺は、源氏物語でも、九州から都に戻った夕顔の娘・玉鬘が行った寺だった。
■ 要するに、昔から、有名な寺だった。
■ なぜ有名だったのか、そして、長谷寺はなぜあの場所に建てられたのだろうか。
■ そんなことをぼんやり考えていたら、ワカタケルに思い至った。
■ 思い過ぎかもしれないが、普通なら、はげしかれとは祈らぬものだから、俊頼の歌心に疑問が生じたのだ。
  1. 西園寺公経の歌を番外にした。
  2. 俊頼の歌を入れ替えた。
■ この二つが、百人秀歌が後に作られたとする証拠だ、といえるだろう。
■ 後で書くが、他にもある。並びを見ていると気づく。
■ 個々の歌を読む場合どちらでもいい。むしろ作者名はかえって鑑賞の邪魔になるともいえるが、
■ 百人秀歌が後にできたとすると、後鳥羽院がないので、淋しい。
■ やはり彼の歌にも触れるべきものだろう。
■ というのも、最初は、百人一首は最後から読んだ方がいいような気がしていた。
■ 一番いいのは、だいたい、最後に置くと思ったからだ、
■ しかし、最後は「ももしきや」で、「百」があり、それゆえに、百人一首としては、これを最後にするのがよい。それにしても、後鳥羽院は定家にしてみれば、恩義があることだし、無視するわけにはゆかず、99番に配置したのかもしれない、などと思い、では、後鳥羽院のこの歌が最後で本当にいいのかと考えた。
■ そんな経過で「ひともをし」が気になっていた。
■ そして、ある時、自分自身のことも絡めて、次の歌にした。
  • 人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は   後鳥羽院
  • あの頃の 愛と妬みと 裏切りの 世を思う故 もの思う身は  遊水
■ 1234年5月13日、73歳の日記「明月記」に後鳥羽・順徳院の環京運動が記載されているようだが、環京運動は九条道家や摂政教実らによって行われたようで、定家が直接行動を起こしたわけではないようだ。そして鎌倉に拒否されている。
■ 後鳥羽院には他にもいい歌がありそうだが、定家はどのような意識でこの歌を選んだのか、それぞれの年齢を考え、当時の歌の世界では頂点に立つ定家と、罪人として島流しにある者、であることを考えれば、定家が関係を断ち切ったとして不思議ではない。
■ 家隆は、隠岐にも行ったようだが、定家は、冷静だったようだ。当然だろう。
  • 鎌倉と 戦し破れ 流刑地の 隠岐の島なる 天の高さよ  遊水
■ 心をを寄せるべくもないのだ。
■ 後鳥羽院の歌は後の時代の人が付け加えたという説もあるようだが、
■ 定家自身が外したとするのが論理的だ。
■ 前書きの前が長すぎた。