■ 2023-05-12
■ 良暹法師の、さびしさ、はどういう、さびしさ、なのか
寂しい淋しい、・・・国字
■ 淋しい、は、悲しいに通じるような感じだ。
■ 寂は静寂などと使われるように静かな感じがある。
■ 白洲正子「私の百人一首」新潮選書・昭和51年12月15日発行に
いかにも俊成・定家が好みそうな幽寂の境地を謳っており、新古今の歌風に近づいたことを思わせる。「秋の田の」にはじまる百人一首の世界も、ついに墨絵のような心境に至ったかと思うと、おのずから感慨が沸く。
■ と書いているが、かなり買被っている。
■ 当時、孤独、という言葉はなかったような気がするが、・・・
■ 良暹は孤独感から解放され、むしろ親しみ愛するようになった、のかどうかは疑問だ。
■ 単に、諦めたという感じだ。
■ ただ、定家は良暹の歌を通して、
■ 白洲正子がいう墨絵のような世界を百人一首に取り入れたかったのかもしれない。
■ そして、・・・
■ 現代社会においては、孤独というか心静かな世界を求める人も多いかと思う。
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