2023年5月11日木曜日

さびしさ、が、同じ


■ 2023-05-10
■ 歌は論理的である、ということの続きとして、・・・

さびしさに
やどをたちいでて
ながむれば
いづくもおなじ
あきのゆうぐれ

動機      行動          結果
さびしさ に   やどを たちいでて    いづく も おなじ 
   ながむれ ば       あきの ゆふぐれ
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時刻   ( 朝 )   ・・・ ・・・         夕方
              8時    10時間   6時 / 18時
              9時     8時間   5時 / 17時

■ 例として取り上げた良暹の歌は素朴で、技巧的なことはなく、奇をてらうこともない。
■ 自分の思いを分かりやすく表現しようとしている。
■ すなわち、論理的であろうとしている。
■ ふつう、人は、朝起きて、夜寝る。
■ いくつかの質問をしてみよう

何時に起きたのか
いつ、さびしさを感じたのか
歌を詠んだのはいつなのか
やどを立ち出でて 何をしたのか、
あるいは、どこに行ったのか
うちに戻ったのはいつなのか
うちを出て、戻るまで何時間あったのか・・・8~10時間
その間どのように過ごしたのか
いづくも、とは、2ヶ所以上だから、どことどこ、で、何を見たのか
ながむれば、とあるが、それは風景なのか
おなじ、とあるが何が同じなのか
さびしさは解消したのか
寂しさがを紛らわせることができたのか

■ 歌を詠んだのは夕方、つまり、宿をたちいでて、戻ったのは夕方。
■ あきのゆふぐれ、はさびしい。
■ 「おなじ」だから「さびしさ」が解消されたわけではない。
■ 孤独感が解消されたわけではない。
■ さびしさ、が、同じ
・・・
■ 追記、
■ 「やどをたちいでて ながむれば」この、いかにも説明的な部分は必要なのか。
■ 素朴ではあるが、うまくない。
■ へたくそだ。


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