2025年9月3日水曜日

唐 履物、阿倍仲麻呂と小野篁


■ 2025-09-03




■ 古今和歌集・巻第九

羇旅歌
唐土に月を見てよみける
あまの原ふりさけみれば、春日なるみかさの山にいでし月かも  阿倍仲麿

この歌は、「昔なかまろを唐土にものならはしにつかわしたりけるに、あまたの年をへて、え帰りまうでこざりけるを、この国より又つかひまかりまうでけざりけるにたぐいて、まうできなむとていでたちにけるに、明州といふところの海辺にて、かの国の人むまのはなむけしけり。よるになりて月のいとおもしろくさしいでたりけるを見て、詠める」となむつたふる。
 
隠岐の国にながされける時、舟にのりていでたつとて京なる人のもとにつかはしける。
わたの原八十島かけてこぎいでぬと、人にはつげよあまの釣舟  小野たかむら朝臣

■ どちらも遣唐使関係だ。
■ 阿倍仲麻呂の歌は百人一首では、7番目にある。
■ 小野篁の歌は、11番だ。
■ なぜ離れているのか。
■ というのも、万葉秀歌では、6番と7番に続けてある。
■ この方が分かりやすい。


60+ Minute TIMELAPSE of Building My Dream LOG CABIN from Start to Finish


組紐




2025年8月29日金曜日

謎、mystery



■ 2025-08-29
■ 現実に色々な事柄があるのに、謎解きのために、殺人など犯罪を持ち出すことが必要なのだろうか。
■ 例えば、
  1. 百人一首
  2. 百人秀歌
■ この二つは、ほとんど同じ内容で、現在のところ、1が後に作られた、とされているようだが、果たしてそうだろうか。
■ 論理的に説明されているようには思えない。
■ 論理的に説明するためにはどうすればよいか。

2025年8月28日木曜日

おや、おかしいな、ということ、小説ではない推理のコト。事実とは何か。

舜が即位して天子となると、娥皇は后となり、女英は妃となった。聡明貞仁で天下に知られた。舜が蒼梧で死去すると、娥皇と女英は江湘の間で自殺し、俗に湘君(湘江の川の)となったと伝える。
狂雲集 - 维基文库,自由的图书馆 ここにはない。

■ 2025-08-28
■ 今朝は、少し涼しい風が吹いている。
■ 何かを書いてみようという気になる。
  • おや、おかしいな
  • よく知らないが、ほんとうかな
  • それ、何
■ などと、事実を確かめたくなることがある。
■ 推理小説では、殺人など犯罪、異常なコトに関するものも多い気がする。
  • 謎 mystery
■ 謎解き、ということなのだろうが、謎ではなく、目の前にあるモノに関して推理することも面白い。
■ 推理小説は、ひところよく読んだが、小説は飽きて来る。結局は作りモノだからだ。
■ 考える対象としては事実に興味がある。


■ 推理ではないが、「それ、何」

  一休
平生長詠短歌中
嗜酒淫詩永日空
身後精魂何処去
黄陵夜雨馬嵬風

■ 一休の辞世としてこんな詩があった。
  1. 黄陵夜雨
  2. 馬嵬風
■ 馬嵬(バカイ)は、一応、楊貴妃が縊死された場所だけれど、黄陵、って何
■ 馬嵬について見ていたら、↓、こんなのもあった。なんかまじめな顔してしゃべっている。



2025年8月23日土曜日

ふたつの記事


ラクダ・アート武市萌美さん、2019年1月10日撮影

■ 2025-08-23、-24
■ 今朝の日本経済新聞の記事でちょっと気になったのが2つあった。
■ 私の履歴書の森村泰昌・レーニンが面白くなかったので、読んだのだ。
■ 吉田恵里佳・攻める相手を見誤らぬ世に、
私は好んでぴったりしたスタイルに身を包んでいた。
「そりゃ痴漢がなくならない訳ね」
最初は自分に向けられた言葉とは分からなかった。
「服装と、襲われることって何か関係がある?」 
・・・
どんな行動をしても被害者に非はないし、どんな境遇や理由があっても性加害した人を許してはならない。
■ なるほど、どんな行動をとっても、責任は自分にあるのだと分かっていれば、いいだろうけれど、社会現象としては服装は一番関係があると考えられているように思う。また、イスラム教徒の女性やアーミッシュの女性が頭に被り物をするのはまさにそれだろう。
■ 階段を上っていて、ふと見上げると、割れ目の形がくっきり分かるようなことは何度かあった、見たくないから横にそれるが、「ぴったりしたスタイル」と「痴漢を呼ぶ」ことに因果関係は、ないとは言えず、むしろ、あると断定できる。
■ 里見八犬伝のパロディー本で「女性の美しさは罪である」としていた。
■ 「魅力」とは何なのかね。
■ 何のために化粧するのか、何のために、あるいは誰のために、装うのか、
■ 映画「哀愁」で主人公のビビアン・リーが口紅をぬぐう場面がある。
■ なぜぬぐったのか、・・・
■ もうひとつ、
■ 名作コンシェルジェに、山中智恵子歌集が取り上げられていた。
■ 4つの短歌があったがどれも知らなかった。
■ 高野公彦・現代短歌をみるとどれも含まれてなかった。
■ 前衛歌人ということのようだが、前衛って何、どうでもいいけど。

山中智恵子 - Wikipedia 前衛歌人





中国の「三十年河東、三十年河西」(栄枯盛衰)は、現代でも企業家に影響。破産や逃亡、飛び降り自殺が急増。1950年代の公私合営・三反五反でも同様の悲劇が。70年経ち、再び同じ運命が。#精鋭論壇 - YouTube




2025年8月22日金曜日

その時がいつか来るとは知りながら 昨日今日とは思わざりけり   橋本遊水

 ■ 2025-08-21,-22
■ 先日、紀伊国屋に行って、目当ての本がなかったので、気まぐれに買った中西進・「辞世のことば」・中央公論をいちおう読んだ。60人の言葉だった。何かを選ぶことで、何かを表現したいということなのだろうが、今の世では辞世に人の関心は薄いのかもしれない。
■ 在原業平の歌は以前、自分なりに作っていた。


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■ 兄が逝ったとき、思い出した。

2025年8月18日月曜日

万里の長城、と、始皇帝

■ 2025-08-18,-22
  1. 万里の長城は国境を定めたものだった。万里の長城 - Wikipedia
  2. 始皇帝はその名から見れば最初の皇帝だった。始皇帝 - Wikipedia
  3. 三国志。三国志 - Wikipedia三国志演義の成立史 - Wikipedia
  4. 中華人民共和国は1949年10月1日成立した。中華人民共和国 - Wikipedia








これは似てない





楊貴妃と姉 2025-07-28 訂正、追記 2025-08-03、-23



  一休
平生長詠短歌中
嗜酒淫詩永日空
身後精魂何処去
黄陵夜雨馬嵬風


西施 象潟や雨に西施が合歓の花 芭蕉
貂蝉 小説『三国志演義』に登場する架空の女性
楊貴妃




遊水・楊貴妃と3人の姉
QRコードだけをみると何か分からない。google で読み取ると間違っていた。2025-07-28 訂正した。

追記  2025-08-03、-18、-23
資治通鑑 - Wikipedia


前書き
世に推理小説というものがある。電子書籍もあるが、基本的に紙媒体だ。絵を対象とする場合にはその扱いが難しい。何とかならんかということで、紙媒体の文章を読みながら図を参照できるようにQRコードを採り入れた。うちの者に説明しながら書いた。
Wikipedia の「虢国夫人」には、游春図がある。
実は、いろいろ検索したあとに、これに気づいた。
最初からこれを見ればよかったが、次のふたつの絵だ。
RQコードは、推理の対象としている、公開されている画像だ。



遼寧省博物館蔵「天水摹張萱虢国夫人游春図」


台北国立故宮博物院所蔵「麗人行」 
図-2


絵には何が描かれているのか、それが推理の対象だった。
「楊貴妃と3人の姉」は推理の過程を書いているのだが、
先ず、游春図を拡大してみることから始めて、読む人とともに考えてみよう。
推理小説にはよく殺人が出て来る。特殊な情況を設定するからだろうが、推理、推論することは普通のことに関してもあり、けっこう楽しめる。人を殺すことなどない。

図-1は唐の時代に描かれ、
図-2は宋の時代に描かれている。
描かれている人たちの姿はよく似ているが、配置が変わっている。
解釈したのだろう。
宋李公麟畫麗人行 卷 - 故宮
これも参考するとよい。
「麗人行」を見ることで、より深く「游春図」を読み取ることが出来たように思う。
比較効果だ。

日本経済新聞・朝刊小説、
2021年7月23日~・安倍龍太郎・「ふりさけ見れば」(442)に年齢に関する記述があった。
玉鈴が17歳の時の年齢を整理すると、
韓国夫人 美帆 23 才
虢国夫人 美雨 20
秦国夫人 玉鈴 17
楊貴妃  玉環 13
こうなる。
年齢の差が分かればいいだろうけれど、と思っていたので、丁度いいのだが、
遼寧省博物館蔵「天水摹張萱虢国夫人游春図」 に描かれている姿と比べるとちょっと違和感がある。
しかし、今のところ深く追求しない。
さて、・・・


楊貴妃と3人の姉


いつものように書斎で、パソコン遊びをしながら、音楽を聞いていると
推理小説好きのうちの奥さんが顔をだす。
ゆうすい・くん。
んっ、
ゆうすい・くん。
なんだよ。
コーヒー飲むでしょ
んっ、
ここに置くよ
ありがとう。
なにしてるの。
あおりんご あなたはいつも といかける
なに、それ、俳句?
かもね。
で、何してるの。
モノ書きだ。
書いていると言ってもキーボードを叩いているのだから、作成とでも言うべきか。
ぶつぶつ言ってないで、
ナニ書いてるの。

楊貴妃と3人の姉

へええ、小説かあ。
小説ではない。
ノンフィクションかな、
でもない。
だったらナニ。
実録だ。
実録故に、雑音も入り、俳句もできるというものだ。
へええ、でも、楊貴妃は昔の人だし、知らないでしょ。
そうだが、一応、実在の人物だ。
と、相手になってやる。
楊貴妃には3人の姉がいた。
インターネットで検索すれば出てくる。
2人の姉は普通の人だったかもしれないが、
1人は、かなり個性的な人だったようだ。
なんて人?
名前は、不明だ。
しかし、虢国夫人(かくこくふじん)として出てくる。
三体詩には次のようにある。

   集靈臺  張祜
虢国夫人承主恩
平明騎馬入金門
卻嫌脂粉汚顔色
淡掃蛾眉朝至尊

たまたま、この詩を知っていたので興味をもった。
ふうん。
私は本を読んだが、意味はインターネット検索でわかる。
先ず、この詩の現代語訳から入ると、印象が頭に入りいいのかもしれない。
「卻」は、かえって、という意味のようだ。
この字の他は、あまり難しい字はない。
この詩を、睨んで、ざっとした感じが掴めるといいのだ。
化粧を嫌うということは、逆に言えば、
素顔の君が美しい、ということを自覚しているとも言える。
さて、
検索すると二つの絵が出てくる。
私は画像検索することが多い。
多少横道にそれるが、
と、ごちゃごちゃ話したが、
そんなコトがどう関係するの。
と言われたので削除した。
要するに、言葉は難しい。
文字より、画像が分かりやすい。
つまり、一見百聞に如かずだな。
そういう話はいいから、本題に戻ろうよ。
ふうむ、
ただ、結論を急げはいいというものではない。
ついでの話とか、横道が人生には必要なんだよ。
寄り道すると、本筋が見えてくることもある。
ごちゃごちゃ言ってないで、先に進んでください。
どこまでいったかな
検索すると二つの絵が出てくる、でしょ。
遼寧省博物館蔵「天水摹張萱虢国夫人游春図」
台北国立故宮博物院所蔵「麗人行」
現物を直に見られればいいのだが、無理だ。
仮に展覧会があったとしても、行くのも億劫だ。
中華人民共和国になんか、とても、行けないしね。
下手すると帰ってこれないかもしれない。
台湾ならいけるかもしれないけれど。
こんな時、インターネットだ。
どうしてもインターネットが関係するみたいですね。
まあ、そうだ。
この文章はスマホ片手に、
というか、パソコンを立ち上げて読むのがいいだろう。
Wikipedia の「虢国夫人」には、游春図がある。
実は、いろいろ検索したあとに、これに気づいた。
最初からこれを見ればよかった。
その説明に、
「張萱の『虢国夫人遊春図』は彼女を題材にしたもので、
男装をして馬に乗り、列の先頭を行く彼女の姿が描かれている」としている。
当然のように「先頭を行く彼女の姿」と書いているが、
やはり、自分で調べ、納得するべきだろう。
Wikipedia にはいい加減な記述もけっこうあるのだ。
Wikipedia に限らず辞書・辞典の類も人が作るものだから、完璧ではない。
虢国夫人の名前は不明だと書いたが、
日本経済新聞の小説、2022-07-11、安倍龍太郎の「ふりさけ見れば」(343)には、
韓国夫人 美帆 長女 2022-10-21 訂正
虢国夫人 美雨 次女 2022-10-21 訂正
秦国夫人 玉鈴
楊貴妃  玉環
とある。参考文献は何か、ちょっと気になる。
とにかく、コンピュータで画像検索するといい。
タブレットでもいいが、スマホでは表示画面が小さすぎる。
横から見てるだけでなく、君も、自分のタブレットもってきたら、
はい。
彼女のタブレットは WiFi 接続だから移動可能だ。
おい、どうだ、この図だぞ、見てるかな。
見てるかな、ったって、見えてるはずないでしょ、今持ってきたところだから。
そうだな。
先ず、楊貴妃で検索する。
楊貴妃の姉の名前も出てくる。
難しい漢字だが、この Wikipedia もあるようだ。
Wikipedia の虢国夫人には、右に絵があるからそれをクリックする。
どうだ、この図だぞ、見てるかな。
はい。
図の上にタッチペンを置くと○+、になる。+の場合は拡張できる。
〇-の時タッチすると縮小だ。
パソコンではマウスでクリックするとかだ。
君はこの図を拡大して、私の話しを聞けば分かりやすいだろう。
そして、
うん。
楊貴妃は唐の人だから、中文も見る。
同じ Wikipedia の中文版にも、同じ絵があり、説明書きは
「畫中右一身著男裝,座騎三鬃馬鴛鴦鞍者為虢国夫人」
こんな記述だ。
君はひとつ元に戻り、絵の右上にある「3の言語版」をクリックする。
すると、出てくる。
以前の Wikipedia では、言語名が左脇の所に縦にズラリとならんでいた。
そのうち、また、別の位置になるかもしれないし、
「3の言語版」から英語版など増えてゆくかもしれない。
とにかく、絵の下に説明書きがある。
男裝
座騎三鬃馬
鴛鴦鞍
つまり、男装で、
たてがみを3つに分けてくくっている馬に乗っていて、
その鞍にはオシドリの絵が描かれている、
ということだな。うん。
だからといって、これだけでは十分ではない。
断定できないと思う。
このあたりの詳細については、色々検索してみるとよい。
先にも言ったが、寄り道とか横道なのだ。
色々見てゆくうちに、自分が何を求めているか、がはっきりしてくる。
どのような見方をすればいいかが分かってくる。
遊びだとしても目標がいるのだ。
簡体文字で検索した方がたくさん出てくる。
つまり、その国での検索エンジンを使うということかもしれないが、深入りはしない。
簡体文字は分かりにくいけれど、
幾つか、解説文など見ると、ただ鞍でなく「鞍鞯」との記述も見られる。
簡体文字を、繁体文字にしてみたらいい。
鞍鞯、鞍韉、Ānjiān
どうやってするの
google 翻訳では、簡体文字、繁体文字の指定ができる。
発音記号もあるので読み方もわかる。
例えば、虢國夫人 Guó guó fūrén だ。
しかし、読み方にはかまわず、色々検索する。
検索結果が中文の場合「このページを訳す」をクリックして、日本語にして見ればいいかもしれない。
まあ、ひどい翻訳文がでてくるけれど、ないよりマシだ。
拡大して
鞍の部分を見ると、
虎が描かれている。
どこに。
脚が邪魔でよく見えないかもしれないけど、あるだろう。
うん、これかな。
白川静の「字統」を見ると、虢は「とらのかわをなめす」寽(らつ)と虎に従う、とある。虎の絵は、虢國の印なのかもしれない。
そして、確かに、2羽の鳥も描かれているが、薄れていて、オシドリだとは思わなかった。オシドリは、冬には近くで見られるので、よく写真を撮りに行った。
鳥は、厳密にいえば鞍ではなく、鞍が直接馬に当たらないようにしている敷物に描かれている。

西部劇の映画でよく見られるが、
saddle blanket というのかな。
このあたりに興味がなければ、次の区切りまで飛ばしても問題ない。
鞍韉という記述も見られたが、鞍はsaddle で、韉がsaddle blanket だ。
こんな文字は知らなかった。
これで文化の比較もできる。
文字は対象を表す。
革編の文字だから革製なのか。
ひとつの文字で対象を表しているということは、それなりの文化があったということだ。
文字を作りあげるには知性が必要であり、読む側にも知識が必要だ。
その意味で比較すれば、英語を使うアメリカの方が漢字文化より文化程度が低いということになる。
歴史が浅く、人口が多く言語の普及が速かったのでそうなったということかもしれない。ついでに、
量と質について言えばドル紙幣、これは多く発行されたから新しい紙幣に置き換えるのは容易でなく、ニセ札の横行となり、信用に裏打ちされたものでなくなり、結局、利便性を追及することでディジタルに置き換わり様々な問題も引き起こすことになった。

中文として、繁体文字の使用を止め、簡体文字にするということは低水準に合わせるということだから、
文化は劣化する。
現在、中国大陸は中国共産党が支配している中華人民共和国だ。
支配する相手、即ち、人民を、言葉を介して劣化させれば、
結果としては、自らの地位を貶めることにほかならない。
そして、一度レベルを下げるとなかなか質は向上しない。
言葉により、人間性が劣化する。
ハングル版もあったが、漢字という文字自体に意味があるのに、ヨミだけの文字にしてしまい、漢字を捨ててしまったので文字と同時に文字文化を捨ててしまったということだ。
文化を捨てると人間は劣化する。
その点、まだベトナム版の方がよい。
横道じゃなくて、脱線してるようですよ。
うん。
脱線しすぎです。
うん、わかっている。
でも、中国と言わないんですか、
中国大陸はあっても、中国という国はない。
今話題にしている絵も唐の国のものだ。
中国大陸の今の国は短い歴史しかない。
人はいつかは死ぬのだから、それに伴い別の国になる可能性もある。
ここは文化文明比較の話ではないけれど、
実録だから、こうなるんだよ。
また別の機会に触れることもあるだろう。
しかし、ついでに、saddle blanket もインターネットで画像検索すればいいのだ。
時間をおいて検索しなおすと、別の結果が出てくる。
google 検索は多くの人が使うので、検索結果は固定的でなく変化してゆく。
私が西部劇の場面を思い出しながら検索しても、
商品が多く出てくるようになる。
また私が検索する場合と、他の人が検索する場合では違うかもしれない。
それは、個々人が検索する傾向を見て、検索結果を変えうることも考えられるからだ。
この場合の、根本的原因は、「韉」ではないからだ。
この漢字で検索するとどうなるかもやってみればいい。
しかし、まあ、いいか。
亜米利加ばかりでなく、他の国にもある。
日本の場合はどうなんですか、
うん、「馬具」で画像検索すればいいだろう。
現在、日本では馬の文化は廃れたようだけれど、検索すれば結構面白いものだ。
ついでだけれど、
また、ついでですか。
馬具を英語に翻訳すると harness と出てくる。
そして、harness と画像検索すると、何が出てくるかは、やってみればいい。
馬具という日本語が優れていることがわかる。
熟語という日本語の言葉遣いだ。
つまり
はい、はい、分かりました、それで、
などと、急かされるものだから、だいぶん削除したが、
紙の場合は飛ばし読みすればいい。
さて、

さあて、である、でしょ
たてがみについては、同様の馬がもう1頭いる。
これは重要だ。
元に戻ると、
また、戻るんですか
Wikipedia には、中文の他に、ベトナム語とハングル語のものがある。
ベトナム語では、さきにあげた詩もあるが、この図はない。
とにかく、
虢国夫人がどの人か、については色々説があるようだが、
結論的には、先頭の人だ。
ふうん、でも、なんで 。
なぜ、先頭の人が彼女なのか。
なぜ、その人が虢国夫人なのかは 、私も考えた。
事実を見ればすぐわかる。
事実って、
どのように描かれているかだ。
白い服の人が2人
髪を両脇で束ねている人が2人
ショールをしていて、同じ髷の人が2人
これら6人は彼女ではない。
なんで。
彼女は1人だ。
うん 。まあ、そうだけど。
同じ服を着て描かれているはずはない。
なるほど、そういうことよね 、論理的ですね。
本質的になってきましたね。
図を見れば誰でも分かる。
事実とは、見たままで、説明を聞けば、単純なことだ。
ひとつづつ見てゆけばいい。
それを総合して導き出されるものが答えだ。
そういうことか。
そういうこと。
8頭の馬で、人は9人だ。
9人のうち6人が対象外だから残りは3人だ。
1人は子供で、皺のある人に抱かれている。
虢国夫人は、夫人だから既婚者で、子供ではない。
だから、子供は除外すると 、
年増の女と、先頭の人の2人が残る。
なるほど。
楊貴妃が玄宗皇帝の寵姫となったのは21歳の時だ。
つまり、姉の彼女は30歳以下と考えられる。
おそらく20代とみてよいだろうけれど、
年増の女ではない。
従って、虢国夫人は先頭の人だと言える。
活発な感じで、詩にある様をよく表している。
詩には、
化粧などかえって顔が汚れると、眉をさっと引いただけだ。
と、ボーイッシュだ。
男装がよく似合う。
明快な推理ですね
事実をみれば、それ以外ではないことが分かる。
推理とはそうしたものだ。
でも、こうしてみると面白いね。
作者が何を描きたいかが分かれば面白いのだ。
あのう。
んっ。
あのね、ちょっと質問だけど、いいかなあ。
なんだ。
小説ではない、ノンフィクションでもない。
実録だ、と言ったでしょ。
実録って、どういうこと。

内容ではなく、表現方法なんだ。ドキュメンタリー映画というものあるが、やはり作りモノだ。だから、ちょっと違う。
適当な言葉が今のところない。
しかし、世の中、YouTube なんてのがあるだろう。
あれに似たようなものなのだ。
YouTube を知ったとき、最初は、歌のモノを見ていた。
カメラ関係もよく見た。
そうしているうちに、Youtuber の存在が増えてきたような感じだった。
要するに、閲覧者を増やして広告料の一部を稼ぐ人たちだ。
言論活動をするモノも多い。
まあ、そういう社会現象が定着している。
インターネットでの表現方法のひとつは映像表現だ。
私も以前はよく動画を YouTube に投稿していた。
それは LUMIX カメラには動画撮影機能があったからだ。
写真にはない面白さがあった。
主に、野鳥の動画だ。
ちょっと待って、実録と野鳥の話はどうつながるのかなあ。
まあ、関係ないと思えば、読まなくていい。飛ばせばいいのだ。
しかし、例えば、コミミズク
拡大鏡のマークがある検索欄に「コミミズク」と入れるのだ。
こんな操作をして積極的に情報を得ているかどうか、
情報検索に、馴れることが必要だ。


コミミズク 2015 01 05 ネズミを食った
コミミズク 2017 01 21 コミミズク 飛び立つ前の 眼の動き
この2つを比較すると閲覧数の違いがある。
これは、検索欄が小さいので、案外活用してない人が多いことの証拠だろう。
だだ、題名で見ているように思われる。
深読みしていない、ということかな。
インターネット上には情報があふれているので、どのようにすればいいか分からず、最新の情報とか、人が見ている情報とかを選択されやすいかもしれない。
自分自身、どこかに書いたはずだ、と思っても時間がかかることもある。
やはり、検索馴れすることか。
ネズミを喰う場面など、自分としてはあまり感心せず、
2」の方がいいと思う。
まあ、動画は今でも撮っているが、動画で稼ぐつもりはない。
一般ウケしようとは思わない。
世に YouTuber なるものがあふれてきたようなので、投稿はやめた。
しかし、関心はある。
紙という媒体ではなく、画像とか、映像といった複合媒体なのだ。
紙の場合でも挿絵とか図とか写真とか用いるけれど、
映像は紙の媒体ではできない。
間接的になる。
そのへんのところ分かるかな。
うん、まあ、
YouTuber たちがしていることは、映像を作ることだ。
私が野鳥の動画を撮っているときは、映像を作ることではなかった。
そもそも鳥は動く。
だから動画を作るのではなく撮っていただけなのだ。
つまり客観性だ。
小説だと、作り物だと意識してみることもできる。
小説とかノンフィクション・ノベルという言葉は、内容での分類用語だ。
紙の場合、読み返すといった全体的把握がやりやすい特徴もある。
動画の場合、飛ばす操作は面倒だ。
だらだら見てしまう。
紙の場合は、区切って、やればいい。
実録、というのは、
紙の文字媒体で映像媒体に近いことをやってみようということなんだ。
できるだけ作らず、流れに任せようとしている。
どうだろう、
ふうん、わかったような、わからないような、
分からないのは説明不足ということか。
まあ、いいわ、私は、この際、虢国夫人についてだから

ところで、もうひとの絵があったじゃない、
この絵については、どうなの。
もう一度インターネットでよく見てみよう。
そうね、よく観察するべし、なのよね。
美術館とか博物館に行かなくて、インターネット情報を参考にしながら、話を進めている。
今書いている、この文章を読む人も
自分が実際やっていることとして捉えることもできる。
つまり、実録なのだ。
このは Wikipedia はないんですか。
日本のモノとしてはないようだ。
そのうちできるかもしれない。
もう一度検索すると
宋李公麟畫麗人行卷
台北国立故宮博物院所蔵「麗人行」
と、同じものだが
これがインターネットで見られる。この方が全体を見られる。
この絵について、先に進む前に私の感想を書いておく方がいいかもしれない。
結論的には、比較すると「麗人行」は、
質的にかなり劣る。
ちょっと暗い絵だ。
好感がもてない。
しかし、問題にしているのは、先ず、虢国夫人はどの人か、だった。
ざっと見てみよう。
この絵に描かれているのも同じ状況だと思われる。
ただ、2番目と3番目がそのまま移動して、後尾に描かれている。
そして、どちらの絵にも赤い飾りを付けた馬がいる。
そうね
4頭だ。
そのうち、ショールをした女が3人の姉のうちの2人だ。
これら以外の、赤い飾りのない馬に乗っているのは、侍女とか従者だとみてよい。
ふうん。
なぜ配置を変えたのかしらね。
それははっきりしている。
なんでだろう。
この人も知っていた。
何を。
主人公は誰かということだ。
「麗人行」は宋の時代に描かれた。
唐とは時代が離れているから、
知っていたというか、解釈したのだ。
いくつかの解釈については、私は疑問に思っている。
それは後で書くことになろうが、配置を変える必要はなかった。
むしろ変えない方がよかったが、
主人公を中央に置いたのだ。
なるほど、そうかな。
何人かの視線がそっちに集中している。
それは誰。
子供、女の子だ。
へええ。
これについては誰も指摘してないかもしれない。
と、まあ、
そんなことを、ブログの「橋本遊水・あれこれ」にも書いた。
インターネットで見なさいということかしら、
で、その子は誰なの。
その女の子が楊貴妃だ。
なんと、そうなの。
そうだろう。
驚きだなあ。
姉が若かった時、楊貴妃はもっと若く、
むしろ、幼かったというべきだ。
ふうん
自分一人で馬に乗れなかった。
だから、抱かれていた。
年齢の差が分かればいいだろうけれど、
そこまで厳密でなくてもいい。
楊貴妃は称号であり、
髷に櫛を挿した女の子は、楊貴妃と呼ばれる前の玉環だ。
楊貴妃を描いた絵なの。
へええ、そうなん、ホント?
本当かどうか、事実、即ち、絵に描かれた姿をみれば、それ以外ない。
事実と言っても歴史上、つまり、楊貴妃がいた時代での現実ではない。
日本で言えば、丁度、古事記が書かれた頃だな。
あら、そうなの。
そうだ。
玄宗皇帝が即位した年が、日本では古事記が作られた年にあたる。
何年なの
それはインターネットを調べればすぐ分かる。
日本書紀はその少し後だ。
そういう昔のことだ。
しかし、歴史上のコトを事実かどうか議論しているのではない。
あくまで、描かれた絵の事実を対象にしている。
現物を見る代わりにインターネット上で絵を見ている。
「虢国夫人游春図」では
2人が乗っている馬のたてがみも、3つに分けられている。
即ち、2頭の馬が、乗り手の身分を示している。
男裝
座騎三鬃馬
鴛鴦鞍
こういうことだった。
ところが、「麗人行」の絵はこの特徴がない。
「麗人行」を描くに当たって、「虢国夫人游春図」をよく見なかったということになる。
だから質が落ちるのだ。
いずれにしても、
わざわざ絵に描くくらいだから、描かれる人物もそれなりの人だろう。
おそらく、「虢国夫人游春図」は楊貴妃が有名になってから描かれたのだと思う。
虢国夫人よりも、楊貴妃の方が人の関心は上だろう。
だから、どちらも楊貴妃を題材にしたはずだ。
身分について繰り返すと、馬につけられた赤い飾りと、このたてがみだ。
これら両方の特徴があるのは2頭だ。
条件を満たす、2頭のうち1頭が先頭の人の馬だ。
繰り返すが「麗人行」の絵はこの条件を満たせない。
游春図では白い服が2人いたが、「麗人行」では上着が黒っぽくなっている。
作者の解釈だったのだろうが、黒にしない方がよかった。
黒にしたので、
先頭の黒っぽいというか、青い服も、やはり男だろうと言う人が出てくる。
しかし、まあ、違うだろう。
どうして?
先頭の人の足元を見るがいい。
赤い靴だ。
やはり女だろう。
なるほどねえ。
そのように描かれている。
この点は褒めてよい。

明快な推理だよね。
まあ、推理ではあるが、それが事実だといっていいだろう。
事実かどうか、インターネットで確かめることができる。
また、インターネットなのね。
だから小説ではなく、実録なのだ。
小説のように人が書いたもの、ネットでいえば、人が検索した世界だけでなく、自分も参加することができるのだ。
自分で考えることができる。
そういうつもりで、横道にそれながら書いている。
「麗人行」については、杜甫の詩があり、虢國夫人も出てくるが
絵と関連づけるにはどうかなと思う。
ここで取り上げるのは不適当だろう。
杜甫の詩は、これまたインターネットで検索すれば日本語訳もでてくる。
関心をもつ人もいることだろう。
「宋李公麟畫麗人行卷」は
「天水摹張萱虢国夫人游春図」とは別に 鑑賞した方がよいように思う。
杜甫の詩はベトナム語版にも記載されている。
翻訳しても意味が分かりにくい。
だから、別に検索して、日本語訳を見た方がいい。

先に
ちょっと暗い絵だ。
好感がもてない。
と言った。
それは、白い服の人2人が黒っぽい服になったからでもある。
色は、判断材料として、実は非常に重要な要素なのだ。
その時代の染色技術に関係する。
今では化学染料がある。
どのようにも染色できる。
ところが、染色技術により、色付けが難しかったり、高価になることも多い。
つまり、希少価値となる。
だから、身分にも反映されるのだ。
染料を使わない白など、身分は低いとみてよい。
「麗人行」だけを見ていては分からない。
だから、この宋時代の「麗人行」を評価できないのだ。
時代の隔たりが理解をもできなくしたのだろう。
はい、はい、「だから」次はどうするの
身分は髪型にも現れる。
かぶりものにも現れる。
それらひとつひとつを調べてゆけば、面白いものになるだろう。
忘れていたが、重要なことがある。
だから、でしょ。
「虢国夫人游春図」をもう一度見てみよう。
中文のwikipedia で見た方が鮮明だ。
うん。
飽きてきたようだな
そんなことないけど、
先に、
白い服の人が2人
髪を両脇で束ねている人が2人
ショールをしていて、同じ髷の人が2人
こんなことを書いた。
そうね。
ここで、なぜ2人ずつだったかを考えた方がいい。
前から2番目の人に注目するべきだった。
「麗人行」では、この馬と、3番目の馬を後尾に移動した。
これは実に問題だ。
白い服と、髪を横で束ねた人が、
2人づついるというのには意味があったのだ。
逆に言えば、「麗人行」を描いた人は気が付かなかった。
つまり、2つの群れに分けられるということだった。
ひとつの群れは3人、もう1つの群れは6人
馬としては、3頭と5頭だ。5頭のうち姉が2人だった。
この構成をよく見てみよう。
馬の赤い飾りと従者2人、と見れば2つの群れに分けられる。
こう考えると、2頭を後ろ回すのはいかにもよくなかった。
ここで、前から2番目の人に注目することになる。
この人の馬の鞍の敷物には2羽の鳥が描かれている。
先頭の人の馬にも2羽の鳥が描かれていた。
オシドリだ。
つまり、2番目の侍女は虢国夫人の侍女だと見るべきだろう。
全体的に描かれているのは楊一族だけれど、
虢国夫人は既に結婚して別の家庭を持っていた、ということか。
だから、右半分の3人がこの順に描かれてなければならないと思う。
出た、「だから」「だから」
ん、
だから、が悪いか。
悪くはないけど、使いすぎ。
因果関係だ。
このように考えたとき、ますます、麗人行の絵は評価できないばかりか、
後の世の人を迷わすことになったのだと思う。
ついでだが。
まだあるの。
ある。
なに、問題は解決したんじゃないの。
それはだな、
と、色々話したが、これも余計なことかもしれないので削除した。
とにかく、虢国夫人游春図には、あるいは、別の題名があったのではないか。
そうかもしれないね。
でも、それを検討する材料がない。
今後の課題にしたら。
そういうことだな。
脱線もしたけど、面白かったね
そうだろう、自分でも納得すれば何でも面白くなるのだ。

以上だけれど、脱線ついでに、
もう一度、中文の Wikipedia の虢国夫人に戻ってみよう。
左下に、作者の名前がある。
それをクリックして、張萱 (唐朝畫家)を見ると、彼女の別の作品が見られる。
「搗練図」はスクロールして見られる。
巻物の全体像がわかる。
ハンコも、べたべた捺してある。
スクロールだけでなく絵をクリックすると拡大する。何度か拡大できる。
この絵についても調べれば面白いことが分かるかもしれない。
そうよね、次は何の話なの?
分からん。
この搗練図ですか、
いや違う。
そうね、これでは推理モノにならないかもしれないし。
何かを読んだりして、
え、それって、違うんじゃないか、ということがあれば、それについて書くかもしれない。
ただ、用いている紙の長さを比較してみるのもいいかもしれない。
虢国夫人の方が何か寸詰まり的にも見える。
そうか。
うん。
コーヒーもう一杯もってこようか。
チョコレートも欲しいな。
はい、はい。
雨は止んだようだ。
コーヒーの後、そこいら散歩でもしようかな。
散歩に行くの。
うん。

■ 男装

でも思い出したけど、「男装」についてはどうなの。
なんだ、そんなことか。
その人の趣味でもあるが、馬に乗るという実用性からでもある。
だいたい日本の今の人は女でもズボンが多いだろう。
スラックスだとか、パンタロンだとか、パンツだとか、ファッションとして捉えられていた時期もあった。
馬に関連すると、ガウチョ、というのも流行ったような気もする。
結局のところ実用的・利便性に落ち着いた。
問題として取り上げるべきなら、
男装とか女装とか、その話は別に書いてもいい。
誰かが論文にして、
唐時代に男装が流行った、ということを問題にしていたようだが、
日本ではこの楊貴妃の時より前のこととして、
婦人乗馬 如男夫 其起干是日也
と、日本書紀にあるから、
その人たちは日本の古典を勉強しなさい、ということだろう。
もうひとついいかな。
なんだ。
予備知識の年齢について追加すると言ってたじゃない、そこで「ちょっと違和感がある」って、それ、どんな違和感なの。
まあ、史実に反するような気がしたんだ。
うん。
玄宗皇帝は、息子の妃をとったのだが、いったん道士、つまり、日本的には出家させて、そのあと自分のモノにしたのだけれど、それは玄宗が56歳、楊貴妃は22歳だった。
玉環が楊貴妃になったことで楊一族が権力を持つようになった。
ここで取り上げて推理した絵は、そのあとの有様のような気がする。とすると楊貴妃は幼すぎる感じだ。
ふうん、そうなの
しかし、まあ、絵に関する推理だから、史実を推理の対象にしてないので、こだわることもないかな、ということだ。

2023-03-04、日本経済新聞・「ふりさけ見れば」連載を終えて、に安倍龍太郎は「楊貴妃本人ではなくとも、関係者がこの地に来ていたはずだ。私は切り立った断崖に囲まれた唐渡口を眺めながら、楊貴妃の姉楊玉鈴が渡来したシーンを書く決意をしたのだった」とあった。

歴史書、田中 謙二訳・司馬光・資治通鑑 巻第二百一十八には、馬嵬(バカイ)で楊貴妃と姉3人も殺されたとの記述がある。時代考証的には無理があるのではないか。
「今昔物語」の
  • 唐の玄宗の后楊貴妃、皇の寵に寄りて殺されたる語第七、
は長恨歌と併読すれば面白いが、まあ、お話ものだ。
「ふりさけ見れば」は唐名を「晁衡」即ち、阿倍仲麻呂のことを描いた小説で、百人一首の、「あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも」から題をとっているが、史実から離れると、ただの、お話しになってしまうよう。
小説だからよい、とすれば、中共の南京事件などのでっち上げや、韓国ドラマなど時代考証を無視したあり方などと、目くそ鼻くそ、になる。

楊貴妃は38歳で縊死された。白居易は35歳で長恨歌を書いたが、その時の心境はどんなものだったのか。長恨歌は全て漢字だからいかにも意味ある詩だとするかもしれないが、日本的に言えば歌謡曲のようなものだから当時よく流行ったようだ。

現代人在華清池旁建造的雕像:楊貴妃入浴像


あとがき

例えば、国会図書館の書籍など資料とか、大きな美術館や博物館にある資料は、ある程度存在していると思うが、戦争や災害で無くなることもあるだろう。
インタネットで得られる情報はいつまで存在しているものだろうか。
かつて、パソコンが壊れるなどの経験もあり、何かの原因で全てが消失していまうかもしれないという思いが頭のどこかにある。
Wikipedia に掲載されていた絵を取り上げて、分析推理をしてみたが、
Wikipedia 自体が存在し無くなれば、どうしようもない。
どうなんだろう。
歌を聞きながらこんなことを書いている。
曲名を書いておけば、すぐ検索して読みながら聞くこともできる。
ディジタル故に、いつか一瞬で無くなってしまうことがあるかもしれないけれど、平和な世界が続けば、もっと色々楽しめるかもしれない。

なくとなく そんなもんだよ はるのかぜ  ブログ

それ、俳句?
などと言う声を聞きながら、そんな風が吹いているかどうか、キーボードにこの言葉を入力しながら応えた。
俳句と言えば、俳句だけど、
これだけでは簡単にすぐは見られないな、と思い、
ブログだよ。
と応えて、俳句の後ろにブログと付け加えた。




2025年8月14日木曜日

エリザベス・テーラーの映画など見た。

■ 面白かった。

■ まあまあ面白かった。
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幾つか見ていた。




■  2025-08-14





2025年8月13日水曜日

中華ソバ



2025/08/17 李真実

■ 2025-08-13
■ 今朝の日本経済新聞に「米中、関税上げ90日延期」という記事が出ていた。
■ なるほど、シージンピンが完全失脚か、表面的には残るのかを見極めたいようだ。
■ 誰になっても、かの国は救われそうもない状態のように見える。












2025年8月10日日曜日

「ひとつだけ」だと言われても、を書きかけていたけれど別の話になったコト

■ 垂直階段は前にも見たような、・・・



白氏文集卷十七 
廬山草堂 夜雨独宿、牛二・李七・庾三十二 員外寄す 白居易

丹霄攜手三君子
白髮垂頭一病翁
蘭省花時錦帳下
廬山雨夜草庵中
終身膠漆心應在
半路雲泥迹不同
唯有無生三昧觀
榮枯一照兩成空

和漢朗詠集巻下「山家」
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中

藤原公任 草の庵を 誰か訪ねむ
蔵人挙直 九重の 花の都を おきながら 




■ 2025-08-10
■ 「ひとつだけ」だと言われても、こまる。
■ 「ひとつだけ」選ぶのはなかなか難しいけれど、気楽にやればいいのだう。
■ 百人一首もそんな感じで見ればいいのだろう。
■ そんなことを思いながら、・・・
■ 先日、ついでに買った、大庭みなこ・現代語訳・枕草子を見ていたら、

第八十二段、頭の中将、藤原斉信さま
第八十四段、橘則光とのこと

■ こんなのがあり、面白く読んだ。
■ 橘則光は清少納言の夫だった男だが、
則光はつねづね「いっておくけど、おれにはぜったい、歌など詠んでよこさないでくれ。歌はかたきみたいなもんだ。もうこれをかぎりに別れよう思うときに歌をよこしたらいい。」といっていたので、返事に、
くずれよる妹背の山のなかなれば
さらによしのの河とだに見じ
と書いてやったが、ほんとうに見もしなかったのであろうか、返事もなかった。

■ 歌心のない男と別れた時の話だ。
■ 彼ばかりでなく、頭の中将や、とりまき連中も、清少納言からの返事に四苦八苦のようだ。
「こにくらしい女だ。しかし、これだから、あの女は無視するわけにもゆかない。」とこの手紙のまわりにあつまってさわいだ。「これに上の句をつけてやらねば男がすたる。源中将つけてくれ」と夜がふけるまでみんなで頭をひねった。いい知恵もうかばなかったが、こういう受け答えは後の世にもかたりつがなければといった、たいそうなもてはやし方だった。・・・

■ 歌心のない男たちの話だ。
■ というか、上の句は、蔵人挙直、がつけているので、それ以上の句を考えられなかった。
■ 頭の中将から手紙がきて、
蘭省花時錦帳下
この「末はいかに、末はいかに」ということだった。
白居易の詩の一部だが、これは和漢朗詠集にある「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」の
廬山雨夜草庵中
を求めたものと思われるが、それは知っているが、そのまま書けば、いかにも知っているぞ、となるので、草の庵を 誰か訪ねむ、と書いてやった。
■ それが良く、以前の夫の橘則光も鼻高々で、翌朝「おまえのことでゆうべからたいへんなうわさだ。早く耳にいれようと思って、ゆうべはろくにねむれなかった。あんなに面目をほどこしたことはないね」などということで、結果的に、頭の中将の方が機嫌を直した、という話。
■ 舌足らずで、面白さの説明になってないけれど、
■ ちょうど、久方の、の歌について書いていたので、関連して
■ 歌心がないと、歌を詠むのは難しいが、読んで分からないというのも、つまらないものだ、と思った。分かれば、まあ、うまく収まるということか。



2025年8月9日土曜日

若いころの田辺聖子の疑問に間違いはない。

■ 2025-08-09
■ 田辺聖子は、こんなことを書いている。
「久方の」は、光や日、空、天、などにかかる枕ことばである。それはいい。学校の国語の時間でみな習うことである。
しかし、「しづこころなく 花の散るらむ」の「らむ」は若いときにはわからない。「らむ」は本来推量の助動詞だから、「静心」なく花が散るだろう、とくると、ぜひともこれはその上に「など」(なぜ)という言葉が入らないと理屈に合わない。
私が学生の頃にはこの「なぜ」抜きの友則の歌が、奥歯にものが挟まったように気にさわるのであった。「久方の 光のどけき 春の日に などしづこころなく 花の散るらむ」としたら意味はチャンとするのだが、と考えていた。
■ 田辺聖子の言うように、「国語の時間でみな習う」ことだった。
■ 昔、兄が言っていた。「学校で習うことなんて、噓ばっかしだ」と、まあそういうことだ。
■ 問題は「枕ことば」にある。
■ だいたい、枕ことば、ってなに、と田辺聖子は思わなかった。
■ だって、先生が教えてくれたことだから。
■ しかし、若いころの田辺聖子の疑問に間違いはない。
■ 和歌は「論理的」なのだ。
■ というか、昔の人は自分が思っていることが相手に伝わるように表現した。
■ ところが、分類上とか、いい加減な統計上という感じで「枕ことば」という概念を作り上げたのだ。
■ 誰が最初に「久方の」と使ったのか。
■ 最初に使った人は、枕詞として使ったとは考えられない、と思わなかったのか。
■ などと、人と議論はしてもしょうがないかもしれない。
■ だって、学校の国語の時間に習ったんだもの、ということだ。
  • など しづこころなく 花の散るらむ
■ としなくても、いい。「など」がつくと57577に収まらない。
■ 枕言葉の部分に注目すればよかったのに、と思う。
■ たとえば、

ひさしぶり 
ひかりのどかな 
はるなのに 
しずごころなく 
はなはちるのか

■ この歌については何度か書いた。


1966年 逃亡地帯
1967年 裸足で散歩
1981年 黄昏
1984年  The Dollmaker 
【御年83歳】大女優、ジェーン・フォンダの人生をよりよくするためのアドバイス|ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)公式

8月9日


■ 2025-08-08



2025年8月7日木曜日

漢詩関連の頁を拾ってみた。

【アラビアン富豪】の挙がらない肩を治せ❗️整体で世界を驚かせろ!

■ 2025-08-07
■ 漢詩関連の頁を拾ってみた。
■ 後で整理しよう。

漢詩遊び、王維

■ ・・・
  •   送別  王維
  • 下馬飲君酒
  • 問君何所之
  • 君言不得意
  • 帰臥南山陲
  • 但去莫復問
  • 白雲無尽時
■ ・・・
  • わかれのさけだ さあのもう
  • これからきみは どうするね
  • おもうようには いかなんだ
  • やまのふもとで くらすんだ
  • そうかいそれも いいだろう
  • なんせしぜんが いっぱいだ
■ 白雲無尽時  つきないしろい くもがある
■ 直訳的には、こんな感じかもしれない。

久し振り 漢詩に遊ぶ 秋の夜

■ ・・・
  •   秋思 張籍

  • 洛陽城裏見秋風
  • 欲作家書意万重
  • 復恐匆匆説不尽
  • 臨行人発又開封

  • ふるさとはなれ あきとなる
  • てがみをひとに たくそうと
  • あれやこれやと かいたけど
  • てわたすまえに よみかえす


  • ふるさとはなれ あきとなる
  • いまはメールで すましても
  • むかしはてがみ かいたもの
  • ふうをするまえ よみかえす

■ 秋でもないし、スマホも持たずメールもしないけれど、・・・
■ 学生時代、親と離れて生活した。
■ 仕送りがあり、返事は書いた。

■ ・・・
  • 鳥見に行かず うちにいて
  • 暑い盛りに 詩を読んだ
  • それからちょっと 考えて
  • これでどうかと 書きつけた
■ ・・・
  • 江南    陸亀蒙

  • 村辺紫豆花垂次
  • 岸上紅梨葉戦初
  • 莫怪煙中重回首
  • 酒旗青紵一行書
■ ・・・
  • むらさきいろの まめのはな
  • きしべにかぜの そよぐころ
  • こころがゆらぐ おれなのさ
  • のみやのもじが きにかかる
■ 2017-08-24
  • むらさきいろの まめのはな
  • きしべにかぜの そよぐころ
  • こころがさわぐ おれなのさ
  • のみやのもじが きにかかる
■ ↑、この方がいいようだ。


■ 2016-09-15
■ 文庫本を一冊鞄に入れた。
■ 机の上にあった、三体詩、だ。
■ パラパラ頁をめくっていると、こんな詩があった。
  •   旅懐   杜荀鶴
  • 月華星彩坐来収
  • 嶽色江聲暗結愁
  • 半夜灯前十年事
  • 一時和雨到心頭
■ さて、難しい文字はない。
■ 意味的にも、だいたい分かる。
■ 詩を理解するとは、解説することでなく、・・・
■ 自分の言葉に置き換えた詩にすることだ。
■ ただ、これを四行翻訳詩にするには、・・・
■ どうだろう。・・・
■ まず、適当に、作って、また、そのうち見直すことにしよう。
  • つきのあかりは いつしかきえて
  • やまかげくらく かわおとかなし
  • よふけのあかり こしかたのこと
  • いちどにどっと あめふるおとに
■ 内容的には、よくあるコトだろう、・・・
■ 誰しも、独り、こんなコトをふと思うこともあるだろう。
■ 題の、・・・
  • 旅懐
■ まあ、万国共通の思い、ということだろう。
■ ↑、上に歌をリンクした。
■ 列車のなかで、・・・
■ 紙片に書き付けると、眠たくなった。


26文字の歌

都々逸
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■ はるだから、・・・
  • とっくに あさに なっていた
  • そとでは とりが ないている
  • よるに はげしく ふったから
  • さくらの はなも ちっただろう
  • ならば もすこし
  • ねてようか
■ こんな歌だか、詩だか、・・・
■ ある。
■ ある、といっても、・・・
■ 今、私が作ったばかりだ。
■ かのモウコウネンは・・・
  • 春眠不覺曉
    處處聞啼鳥
    夜來風雨聲
    花落知多少
■ こんな詩を書いている。
■ 漢字で書けば、何か、立派な感じではある。
■ まあ、彼は平仮名など知らないから、使えないのだ。
■ 今なら、日本ではカナも使うが、漢字も使い、Englishだって使うのだから、・・・
■ 何も、日本以外で、カナ文字を使っちゃいけない、ということではない。
■ 使えるものなら、ご自由に、ということだろう。
■ そんな話はおいといて、・・・
■ ・・・
  • みそひともじは
  • たんかのならい
  • どどいつならば
  • にじゅうろく
■ ・・・
  • はなはさくけど
  • ちるのもはやい
  • にじゅうすぎれば
  • まがりかど
■ ・・・
  • あしをいためて
  • どくしょもあきて
  • てんきはよいが
  • わしゃひるね
■ ・・・
  • ひるねから
  • さめてきばらし
  • はるのうた


  • きばらしに
  • それでなるのか
  • なりません
  • がめんをもじで
  • ただよごすだけ

漢詩遊び、孟浩然

■ 
  •   洛中訪袁拾遺不遇  孟浩然
  • 洛陽訪才人
  • 江嶺作流人
  • 聞説梅花早
  • 如何此地春
■ ・・・
  • みやこにともを たずねれば
  • ちほうにきみは とばされた
  • はやくさくのは うめのはな
  • どうだいそっちは もうはるか
■ ・・・


■ ・・・
  •   春望  薛濤(セツトウ)
  • 花開不相賞
  • 花落不同悲
  • 欲問相思處
  • 花開花落時
■ さあて、と、・・・
  • はながさいても ひとりだし
  • はながちっても ひとりだけ
  • ふたりでみたい このきもち
  • はながちるとき ひらくとき
■ ・・・

漢詩遊び

■ こんな詩がある。
  •  送春辞  王維
  • 日々人空老
  • 年年春更帰
  • 相歓在尊酒
  • 不用惜花飛
■ ふうむ、・・・
  • まいにちひとは おいてゆく
  • けれどもはるは やってくる
  • さけがあるから いじゃないか
  • はなはちっても いじゃないか
■ こんな感じで、いじゃないか。


■ 日経新聞・朝刊・私の履歴書に、・・・
■ 詩歌は英語でPoetry、ギリシャ語の「組み立てる」が語源だ。」、とあった。
■ 漢詩もそんな感じだ。
■ 漢詩だからチャイナーということではなくて、・・・
■ 夏目漱石の漢詩も定評があるようだ。
■ 沢山作っている。
■ 最後の方に、こんなのがある。
  • 大愚難到志難成 五十春秋瞬息程
  • 観道無言只人静 拈詩有句独求清
  • 迢々天外去雲影 籟々風中落葉声
  • 忽見閑窓虚白上 東山月出半江明
■ 漢詩は韻をふむので、声に出して読むのがいいのだろう、けれど、・・・
  • 拈 / ひねる
  • 籟々 / かすかに物音がひびくさま
  • 迢々 / 遠くへだたるさま
■ 意味としてはたいしたことはない。
■ しかし、まあ、組み立てる、という感じだ。
■ 漢詩は無理だが、7・5調でやってみよう。
  • 時は流れて 天命を 
  • 知るべき歳は 早や来る
  • 省みしても なにもない
  • 我ただひとり 詩を作る
  • 遠く流れる 白い雲
  • かすかな風に 枯葉落ち
  • 窓辺に寄れば ただ白く
  • 東の山に 月の影
■ まあ、「それで、どうした」、ということだろうけれど。
■ 調子、というのかな、詩は。


■ 2013-10-02、-03

■ カワセミの待ち時間にと、漢詩をひとつ拾った。

    袁枚

莫説光陰去不還

少年情景在詩篇

燈痕酒影春宵夢

一度謳吟一宛然

■ 紙に書き、短い鉛筆も、ポケットに入れた。

■ ふうむ、なるほど、・・・

■ 字面は硬いが内容的には、・・・

ときはながれて ゆくけれど

むかしつくった うたがある

そうだあのとき こんなこと

よめばまぶたに よみがえる   遊水

■ まあ、こんな感じか、・・・

■ 古今東西、通じる人の心がある。

■ 翻訳するとはその心を自らの言葉にすることだ。

■ YouTube で世の歌をよく聞いている。

■ 日本の歌をもとに、例えば、英語の歌詞にする、それができれば楽しいのだろうけれど、・・・

■ ・・・、そんなふうに思いながら。

 



■ この漢詩、ラジオで解説していた、と、・・・
■ ふうん、・・・
■ 解説は必要だけど、できれば、日本語の詩にした方がいいように思う。

  •   初夏   司馬光
  • 四月清和雨乍晴
  • 南山當戶轉分明
  • 更無柳絮因風起
  • 惟有葵花向日傾

  • あめはあがって そらはすみ
  • やまはくっきり まどのそと
  • やなぎのわたげ もうとばず
  • ひまわりだけが さいている
  • あおいのはなが さいている  2016-10-14

■ こんな感じか、・・・




■ ラジオでは、どこぞの大学の学長が言ってたようなので、・・・
■ 真にうけたけれど、・・・
■ 一夜明けて、・・・
■ ホンマカイな、と思う。
■ チャイナーではヒマワリを向日葵と書くようだが、・・・
■ 牧野博士が指摘しているように、・・・
■ ヒマワリ(日車)は太陽に向かって花が動くわけではない。

  • ■ 司馬光とはいつの時代の人か、・・・
  • ■ そして、北アメリカ原産のヒマワリがいつ中国で見られるようになったのか、・・・

■ このあたりが決め手のひとつであろう。
■ しかし、まあ、いい。
■ 見直すべきだ。

  • 初夏の詩
  • あめはあがって そらはすみ
  • やまはくっきり まどのそと
  • やなぎのわたげ もうとばず
  • ひまわりだけが さいている

■ こんな訳詩にしたが、ヒマワリではなく、「葵」の花ではないかと思う。

  • あめはあがって そらはすみ
  • やまはくっきり まどのそと
  • やなぎのわたげ もうとばず
  • あおいのはなが さいている

■ 白川静著「字通」を開いてみた。
■ この詩があった。



■ ちょっと、google翻訳してみよう。

  • 別れの酒だ さあ飲もう
    俺の杯 うけてくれ
    花に嵐は 付きものだ
    さよならだって 人世さ
  • We drink Let's drink of farewell
    Me receive my cup
    The storm's inherent in flower
    Goodbye because this world is
  • google翻訳

■ ひらかなだけでは難しそうだから、漢字交じりにした。
■ この英訳でいいかどうか、よくは、分からないけれど、・・・
■ まあ、詩人が訳したら、もっと違ったモノになるのだろうけれど、・・・



■ 昨日ラジオで、高麗ウグイスの話をしていたのを小耳にはさんだ。
■ またその漢詩に諸葛孔明も出てきたようだ。
■ というのも、三顧の礼、のコトも言ってたようだからだ。

  • 題名か作者は?
  • え、分かりません

■ しかし、まあ、それはすぐ分かる。
■ まず、・・・

■ これを見た。
■ で、・・・
■ 次に「蜀相 杜甫」
      蜀相  杜甫
    丞相祠堂何處尋
    錦官城外柏森森
    映階碧草自春色
    隔葉黄鸝空好音
    三顧頻煩天下計
    兩朝開濟老臣心
    出師未捷身先死
    長使英雄涙満襟
■ この詩のことだろうう。
■ インターネットというのは便利だ。
■ まあ、このように、・・・

■ ・・・、の時代からコウライウグイスは知られていた、ということになる。




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  • 趙師秀 有约

  • 黃梅時節家家雨    うめはいろづき あめふるきせつ
  • 青草池塘處處蛙    くさはみどりに かえるがさわぐ
  • 有約不來過夜半    やはんすぎても こないじゃないか
  • 閑敲棋子落燈花    ごいしをうてば 燈花がおちた
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2017-09-25 以下、追加
  • 梅雨の池に 蛙が騒ぐ
  • ローソク点し 碁敵待つが
  • ともしび揺らぎ 夜半も過ぎて
  • 碁石打つ時 燈花が落ちた

  • あめふるいけに カエルがさわぐ
  • ローソクともし あいてをまつが
  • ともしびゆらぎ やはんもすぎた
  • ごいしうつおと むなしくひびく
  • あめがふるから こないのか
  • よふけてゆらぐ ろうそくが
  • したたりおちて はなとなり
  • ごいしうつおと ひびくかな

■ 読む人に「燈花」が分からなければ、・・・
■ その言葉を用いてもしょうがないかもしれない。



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■ 漢詩の場合、韻を踏む、とか約束事があるけれど、・・・
■ 日本の詩の場合は、必ずしも、そんなものを考えることはない。
■ もう少し自由に作ってみよう。
■ まず、・・・
  • 趙師秀 有约
  • 黃梅時節家家雨
  • 青草池塘處處蛙
  • 有約不來過夜半
  • 閑敲棋子落燈花
■ この詩が作られた時代、照明のひとつがロウソクだったとして、・・・
■ 日常的に使っていたとしたら、・・・
■ ロウソクに関することは、当たり前の感覚としてとらえられたのだろうと思う。
■ 線香の燃え尽きる時間を時計代わりにする、ということは日本であった。
■ ロウソクがどの程度の大きさのものかは知らないが、・・・
■ 長時間では燃え尽きてしまう。
■ ・・・
■ 隙間風などで蝋燭の火が揺れて滴り落ちる。
■ その蝋の滴りが固まり、縁に塊ができて、次第に大きくなる。
■ 時とともにローソクは短くなってゆく。
■ そんな時間の経過の結果として、燈花があるのだろう。
■ 当時の人は、燈花という言葉でそれらが理解できたと思われる。
  • 梅雨の池に 蛙が騒ぐ
  • ローソク点し 碁敵待つが
  • ともしび揺らぎ 夜半も過ぎて
  • 碁石打つ時 燈花が落ちた
■ 感じとしては、こんなモノか、・・・
■ 今度は、やっつけてやるから待っておれ、といっても、雨だ。
■ 来ないかもしれないが、まあ、いい。
■ どうせ、結果は知れたこと、・・・
■ 来るまで、棋譜を並べて過ごした。



■ 先日、夜鳴くホトトギスについて書いた。
■ たまたま、三体詩、を読んでいたら、こんな詩があった。
  •    山中    顧況 
  • 野人自愛山中宿
  • 況是葛洪丹井西
  • 庭前有箇長松樹
  • 夜半子規来上啼
■ 特に説明はいらないだろう。
■ ただ、葛洪は人の名。
■ 唐の時代の漢詩だ。
■ 昔から知られている。
■ 子規、即ち、ホトトギスは夜も啼く、と、・・・

■ 枕草子という題はこの漢詩からきているとか、・・・
  • 白氏文集 秘省後廳
  • 槐花雨潤新秋地
  • 桐葉風翻欲夜天
  • 盡日後廳無一事
  • 白頭老監枕書眠


  • あめにうるおう はなしろく
  • きりのはゆれて ひはくれる
  • いちにちとくに なにもなく
  • ほんをまくらに ねてしもた



■ 昨日は、・・・
  • ちょっと、部屋を片付けてください
■ ・・・などと言われ、本の整理?などしていたら、「唐詩選の旅」があった。
■ それで、ちょっと見ると、・・・
  • 自遣 羅隠

  • 得即高歌失即休
    多愁多恨亦悠悠
    今朝有酒今朝醉
    明日愁來明日愁
■ こんな詩があった。
■ 特に難しい字はない。
■ 酒飲みでもないので、どうでもいいと言えばどうでもいい。
■ 昨日のワインもまだ残っている。
■ 「酒」に関して、この男に共感するわけではない。
■ しかし、今日は天気が悪そうだ。
■ とりあげてみた。
  • うたいたいときゃ こえはりあげる
  • うれいもあるし  なやみもあるが
  • さけがあるときゃ のんだらいいし
  • あしたのことは  あしたにするさ
■ まあ、こんなところか、・・・
■ こんなことは、どこの世にでもある、コトじゃなかろうか、・・・
■ 2018-01-08
  1. うたいたいときゃ こえはりあげる
  2. うたいたいときゃ こえたからかに
■ 2」の方がいいかも、・・・

  • 静夜沈沈著枕遅  静夜 沈沈として 枕に著くこと遅し
    挑燈閑読列媛詞  灯をかかげて 閑かに読む 列媛の詞
    才人薄命何如此  才人の薄命 何ぞ かくの如き
    多半空閨恨外詩  多半は空閨 外を恨むの詩
■ 今朝の日本経済新聞・林真理子・愉楽にて、に、こんな詩があった。
■ 翻訳しただけではつまらない。
  • ひとりのよるは ねむれない
  • むかしのひとは どうかしら
  • ししゅうなどを よんでみる
  • ちてきなひとは けいえんか
  • おばかさんなら いいのかも 2018-01-20
■ もう少し何とかならんか、と思うが、・・・
■ 即席だ。
■ それに、・・・
  • すきならすきと いえばいい
  • おんなごころは うたえない


君莫笑樓高,樓高固亦好
君來十里外,我已見了了
君來莫乘車,車聲驚我鳥
君來莫騎馬,馬口食我草
君來毋清晨,山人怕起早
君來毋日暮,日暮百花老

Jūn mò xiào lóu gāo, lóu gāo gù yì hǎo.
Jūn lái shílǐ wài, wǒ yǐ jiànliǎoliǎo.
Jūn lái mò chéng chē, chē shēng jīng wǒ niǎo;
jūn lái mò qímǎ, mǎ kǒu shí wǒ cǎo;
jūn lái wú qīngchén, shān rén pà qǐ zǎo;
jūn lái wú rìmù, rìmù bǎihuā lǎo

■ 今日も寒い。
■ 鳥見にも行かず、昼寝だ。
■ 目が覚めて、パソコンの前に座った。
■ 先日は、すぐ外出し、時間がなかったので、その続きだ。

きみがくるのを しってたぞ
とうのうえから みてたのさ
ばしゃでくれば とりさわぎ
うまできたなら くさをくう
・・・
あさはやければ ねているし
ひぐれにくれば はなはない
・・・
ちょうどいいよ いまごろが
いいときにきた さあのもう
はなはみごろで いいひより
ぐっといっぱい やんなはれ
・・・
■ と、まあ、自分でも書きたくなるのだ。



■ 新幹線の中では退屈する。
■ 三体詩で何かないかな、という感じ、・・・
■ 杜牧の王建の詩にこんなのがあった。2018-02-07 訂正
  • 銀燭秋光冷畫屏
  • 輕羅小扇撲流螢
  • 天階夜色涼如水
  • 臥看牽牛織女星
■ 先に、「流螢」について書いた。
■ この頁だった。
■ さて、次のように俳句にしてみた。
  • 輕羅小扇撲流螢
  • 流れ飛ぶ 蛍ほたりと 打つ団扇   遊水
  • ながれとぶ ほたるほたりと うつおとめ   遊水
■ もう少し何とかならんかと思うけれど、・・・
■ まあ、この程度だ。


■ 詩を理解するとは、解説することでなく、・・・
■ 自分の言葉に置き換えた詩にすることだ。
■ まず、適当に、作って、また、そのうち見直すことにしよう。
■ ・・・こんなことを書いていた。
■ 見直すことになるかどうか、・・・
  •  旅懐   杜荀鶴

  • 月華星彩坐来収
    嶽色江聲暗結愁
    半夜灯前十年事
    一時和雨到心頭 

  • つきのあかりは いつしかきえて
    やまかげくらく かわおとかなし
    よふけのあかり こしかたのこと
  • いちどにどっと あめふるおとに
■ さて、・・・
  • じゅうねんか りょかんでひとり のむさけに いつしかつよく あめのおとする



■ 昔は、こんな遊びをしていた。
  • とぶとりもたえ ひともなく
  • みのかさつけた じいさんの
  • こぶねがひとつ あるだけで
  • ゆきふるかわに さかなつる

  •     千山鳥飛絶 萬徑人蹤滅
  •     孤舟蓑笠翁 獨釣寒江雪  江雪  柳宗元
  • つりぶねや みのかさゆきに うごかざる
■ たまたま、昨日、矢口孝雄の釣りキチ三平の話になって、・・・
■ 昔の本も読んでみた。
■ 記憶になかったけれど、・・・
■ こんな絵があった。
■ で、とりあげてみた。


■ ・・・
  • 雁がねも しずかに聞けば からびずや  酒しひならふ この比の月
■ 越人・芭蕉の、発句・脇句だが、・・・
■ ただ、これを読んでも、何が何だか分からないし、面白くもない。
  • からぶ
  • 枯ぶ
  • 乾ぶ
  • 枯淡
  • 枯寂
■ 「和歌三体」
  • 春・夏、ふとくおほきによむべし
  • 秋・冬、からびほそくよむべし
  • 恋・旅、ことに艶によむべし
■ 安東が、李白や杜甫のことを書いているので、・・
■ 「からびずや」の「から」は唐天竺の「唐」ではないのかな、と思った。
■ 最後まで読まず寝たが、・・・
■ 安東次男・完本・風狂始末・芭蕉連句評句の、この項の最後に、・・・
■ 樋口功・三省堂芭蕉編講座・連句編、昭和26年、から引用して、・・・
■ 「からびは唐びの心もちもあるか」と書いている。
■ あれ、れ、・・・
■ 私が「から」は唐天竺の「唐」ではないのかな、と思ったのは、・・・
■ 記憶のどこにあったからなのか、・・・
  •   魯郡東石門送杜二甫 李白
  • 酔別復幾日
  • 登臨偏池台
  • 何言石門路
  • 重有金樽開
  • 秋波落泗水
  • 海色明徂徠
  • 飛蓬各自遠
  • 且尽林中盃
  • ■ この別れのあと、李白と杜甫で会うことがなかったそうな。
■ 李白・杜甫
  • 李白 - Wikipedia
  •   酒豪。杜甫は李白のことを「李白一斗詩百篇」と、・・・
  •   飲中八仙 - Wikipedia
  • 杜甫 - Wikipedia
  •   国破山河在 城春草木深
  •   感時花濺涙 恨別鳥驚心
  •   烽火連三月 家書抵萬金
  •   白頭掻更短 渾欲不勝簪
■ 芭蕉・越人
■ 越人は酒好きだが、師との連句に際し、酒も飲まず「しらふ」で坐した。
■ 「しずかに」は「しらふで」を意味し、・・・
■ 一方、芭蕉も酒を飲まないではないが、・・・
■ 「酒しひならふ」の「しひ」は、・・・
■ 酒好きの越人に代わって「強いて」飲めばということだ、と。
■ なるほど、・・・
■ 前の句からどのように連想、発想を展開するかが連句の面白さなのだろうが、・・・
■ 当時の彼らの頭の中になにがあるのか、時代背景や、・・・
■ 過去の詩歌に関する素養がなければ読み取れない。



■ ところで、・・・
■ 深川の夜の連句の座で、越人が思い浮かべたのは杜甫の詩に違いないが、・・・
  •   歸雁 杜甫
  • 東來萬里客
  • 亂定幾年歸
  • 腸斷江城雁
  • 高高向北飛
■ この詩かどうかは分からない。
■ しかし、まあ、どんな詩か、一応、考えてみよう。
■ 今回、初めて知ったが、・・・
■ 「東來」は「春」のことのようだ。
  • ここにきたのは はるのこと
  • とらわれのみで かえれない
  • きせつはめぐり わたりどり
  • こきょうのそらへ たかくとぶ
■ 意味的にはこんな感じか、・・・
■ 杜甫の故郷は北の方だった。
■ 世の中が安定し、いつになったら帰れるのだろうか。
■ 「東來」が春だということで、はや一年が過ぎてしまったことがわかる。
■ 

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越人  連句

  • 雁がねも しずかに聞けば からびずや  酒しひならふ この比の月
  1. 枯らびていますね
  2. 枯らびてはないですね
■ 先に、・・・
■ 「1」のように、書いたが、「2」に訂正した。しかし、感じとしてはおかしい。
  • からび・ず・や
■ 「ず」は否定することばだ。
■ すなわち、からびてない。
■ 「や」は疑問の問いかけだ。
■ からびてないことはない、というコトか。
■ よく分からないが、越人はどのように書いているのだろうか、・・・
■ 直筆がみたい。
■ あるいは「ず」でなく「す」と書いているのではないだろうか、とも思う。
■ 発句の、意味からみれば、・・・
■ 「静かにきけば、からびていますね」ということになるはずなのだ。
■ ・・・
  • 枯れる
  • 涸れる
■ 越人の発想は、・・・
  • 深川の夜
  • 雁の声
  • 雁を詠んだ漢詩
  • 「唐」
  • からび
■ これは、安東次男が書いているように、越人は、和歌としては、・・・
  • 秋・冬、からびほそくよむべし
■ ということだったが、「からび・ず」ですよね、と芭蕉に問いかけたということか。
■ 「からび」という言葉は、このままでは使われないようだけれども、・・・
■ 現代でも、おそらく、みんな知っていているかどうかは知らないが、使っている。
■ それは、・・・
  • ひ・からび・る
  • 干乾びる
■ まあ、そういうことで、生きているといえば、生きている言葉だ。
■ ただ、・・・
  • 秋や冬の歌は「からび ほそく 詠むべし」
■ という意味からいえば、多少違うような感じではある。
■ ことばは、時代とともに変化するのだ。


  • ■ こんなのがあるのに気付いた。
  • ■ 下記のこの頁とは無関係だけれど、・・・
  • ■ 昔、・・・
  •   しろきすな ひとつぶおとす ありじこく
  • ■ こんな句など、幾つか投稿したことがある。
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■ 連句は、そのやり取りなどに興味をもって読むなら、面白いのかもしれないが、・・・
■ 短歌として読むなら面白くはない。
■ 仮に越人や芭蕉が俳句でなく短歌形式で詠むとすれば、どうなるのか、
■ と思うけれど、・・・
■ 思ってみてもしょうがない。
  • 芭蕉庵 夜なく雁の 声聞けば 杜甫の帰雁に ふるさと想う

  •  歸雁 杜甫
  • 東來萬里客
    亂定幾年歸
    腸斷江城雁
    高高向北飛

  • 旅先で 逝きたる杜甫を しのびつつ 深川の夜の かりがねの声
■ こんな歌を読んでみるのも、悪くはないように思う。
■ 俳句は、一句ひねる、などというが、・・・
■ ひねらなくても、万葉の昔を思いつつ詠めばいいのではないか。
■ 俳諧でなくとも、・・・
■ また、俳句でなくとも、・・・
■ 短歌であったとしても、いいのではないか。
■ もちろん、俳句であってもいい。
■ 発句が主流となるのは、・・・
■ そうした歴史と見ることもできる。
■ 発句が独立してゆくのは、・・・
■ 芭蕉のように、人の心理や知り、うまく捌く人とか、・・・
■ 過去の詩歌に関する素養とかがある人が少なくなり、・・・
■ 複数の人が集まり語り合うという遊びが出来なくなったからだろう。
■ 芭蕉は、商売としては、俳諧師でなければならなかったが、・・・
■ 俳諧をどこかで見切っていたといえる。
■ 芭蕉と越人が36歌仙を巻いたのはこの時だけだった。
  • 嫌われたんだ
■ と、うちのものがいう。
■ そうともいえるし、逆も言えないことはない。
■ しかし、まあ、嫌われたというより、底が知れたということだろう。




  •   送別  王維
  • 下馬飲君酒
  • 問君何所之
  • 君言不得意
  • 歸臥南山陲
  • 但去莫復問
  • 白雲無盡時

  • わかれのさけを のむときに
  • どこへゆくかと たずねたら
  • どこへゆくとは きめてない
  • いなかぐらしを しようかと
  • なるほどそれも いいだろう
  • ならばくうきも うまいだろ

■ こんなことを書きながら、以前も同じことをしたような気がした。
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■ この最後だった。
■ ちょっと違うけれど、・・・
■ もとの詩が同じだから、たいして違いはない。
■ だが、ときどき、やってみるのもいいかもしれん。


■ 先日、新幹線に乗った時、三体詩をポケットに入れて行った。
■ そして、それをもとに4行詩を書いた。
  • ゆきがふりやみ いなかみち
  • あちらこちらに うめもさき
  • のみやもあるが すどおりだ
  • きみがいるなら いいのだが


  •   寄友   李群玉
  • 野水晴山雪後時
  • 獨行村路更相思
  • 無因一向渓橋酔
  • 処処寒梅映酒旗


■ 日本経済新聞・朝刊・ミチクサ先生、に
  • だから感想を七言絶句にて綴ったのである。
■ と、・・・
■ 子規・七草集を見れば分かるのだろうが、・・・
■ 夏目漱石全集にもある。
■ 漢字ばかりで読みたくないが、・・・
■ 詩を部分的に取り上げてみると、難しいものではない。
■ 例えば、5番目の詩、・・・
  • 長堤尽処又長堤
  • 桜柳枝連桜柳枝
  • 此裡風光君独有
  • 六旬閑適百篇詩
■ 難しい文字はない。
■ こういう簡単なものから見てゆくとよい。
■ 起承転結、前半分の稚拙な感じ、何なのこれ、と言いたい。
■ 例えば、与謝野蕪村・春風馬堤曲、と比較してみればいい。
■ 子規と漱石の学生時代、二十歳やそこらの年齢の漢詩や漢文など、・・・
■ どちらがどうと、比較してみたところでしょうがない気もする。
■ 後半も、なんとかならぬものかと思う。
■ 言葉として「六旬」はあまり使わない言葉だろう。
■ 知らなかった。
■ 宿題としておこう。
■ 一応、春の長閑な二月ばかり、30×2=60 の日々ということかも、・・・
■ ならば、・・・
ふたつきの のどかなはるの しいかかな


■ 夏を詠んだ漢詩があったので、あるいは、「夏の部」にあるかな、・・・
■ と本を開いてみたら、その詩はなくて、・・・
■ こんな詩があった。
  •   夏日   戴復古
  • 乳鴨池塘水浅深
  • 熟梅天気半晴陰
  • 東園載酒西園酔
  • 摘尽枇杷一樹金
■ 季節としては、今頃の感じだが、・・・
■ 「乳鴨」とは何か奇異に感じる。
  • 乳児
■ ・・・、と同様の形だが、・・・
■ 哺乳動物じゃあるまいし、と思う。
■ 白川静著「字通」をみると、象形文字の元々のカタチを見誤ったようだ。
■ まあ、いい。
  • 「天気半晴陰」、これは、日本で言えば、「五月晴れ」に当たる。
■ 意味的には、↓、こんな感じか。
  • いけをせましと かものひな
  • うめはじゅくして さつきばれ
  • のんでのんで またのんで
  • びわのみみんな たべつくす
■ 一例だ。


■ 以前、古本屋で、100円だったので、拾った本の中に司馬遼太郎モノがある。
■ そして、以前、文芸春秋「司馬遼太郎の世界」、↑、も幾つか再読した。
■ 「馬上少年過ぐ、伊達政宗」に次の、・・・
  • 馬上少年過
  • 世平白髪多
  • 残躯天所赦
  • 不楽是如何
■ ・・・
  • 四十年前少壮時
  • 功名聊復自私期
  • 老来不識干戈事
  • 只春風抱桃李巵
■ ・・・
  • 咲きしより 今日散る花の 名残りまで 千ゝに心の くだけぬるかな
■ ・・・、こんな詩歌が引用されている。
■ そして、批判的に解説している。
  • 曹操も正宗も、詩の材料にはこまらなかった。
  • なぜならば材料はつねに自分であった。
  • しかも、その自分が、尋常人ではない。
  • さらにこのふたりのこすからい詩人、・・・
■ 司馬遼太郎は、なぜ、こんなことを書くのだろう。
■ この短編ばかりでなく、私が読んだ、幾つかの小説でも、・・・
■ 同様の「おとしめ」が書かれている。
■ 全体的には「読ませる」文章ではある。
■ しかし、・・・
  • いかにも、下品だ。 
■ 伊達政宗が自らをどのように詩歌にしようと、正宗の勝手である。
■ 詩歌とは、元々、自らの「心」、思いを詠むものである。
■ 後の世の人が、・・・
■ いかにも、自分はアイツの人間性を知っている。
■ と、見透かした、かのごとくに、こすからい、などと書くのは感心しない。
■ その時代時代の生き様があるのだ。
■ 伊達政宗に限らず、その人の人生は、その人のモノなのだ。
■ 
■ まあ、こんなことを書いてもしょうがないのだが、・・・
■ 書かずにはいられなかった。


この漢詩 みためはナニカ かたいけど かるいきもちで よんだらいいさ
 
■ 次の詩については、自分が訳したのだから、責任は自分にある。
■ 元の漢詩から離れ、これだけを自分の詩として考えるなら、・・・
■ もう少し表現を変えた方がいいかもしれない、と思う。
■ しかし、まあ、これは、これでいいとしよう。
  • 別れの酒だ、 さあ飲もう。
  • これから君は どこへ行く。
  • 俺の思いは 遂げられず、
  • 山の麓で 暮すんだ。
  • なるほど それも いいだろう。
  • 尽きない 白い雲がある。
■ さて、これを元にgoogle翻訳したのが、次だ。
  • It is a wine of farewellCome and drink it.
  • now where to go to you.
  • My thoughts can not be made,
  • I do live at the foot of the mountain.
  • I see it also would be nice.
  • there is a white cloud that does not run out.
■ これはgoogle翻訳であり、これでいいかどうか、私の責任ではない。
■ だいたい、私は英語が不得意だ。
■ 日常使うこともない。
■ 西部劇を見るときには必要だけれど、・・・
■ 英語の詩も、漢詩と同様に「韻を踏む」のがいいのかもしれない。
■ しかし、そんなこと、私にとってはどうでもいい、といえば、どうでもいい。
■ 英語の詩として完成させようとも思わない。
■ ただ、・・・
  • It is a wine of farewell,
■ この表現は、どこかで見たような気がする。
■ ・・・
■ それは、次の頁だった。