■ これらを書き直す。
■ 2025-04-09
■ 丸谷才一は「新々百人一首」のはしがき、に「萩原朔太郎・旅よりある女に贈る」と大弐三位「有馬やま」を挙げて、朔太郎はその影響下に作詩したのでは、などと書いていて、彼自身も朔太郎のこの詩が気に入っていた、と。
■ 私の場合は、中学時代など凡々たるものだったが、母の「うかはげ」という言葉はよく記憶している。くしくも、源俊頼の「うかりける」の歌がこの文章を書くきっかけのひとつだったと言える。
■ 以前は、よく分からない歌だと思っていたが、自分で短歌を作るようになってからは、自分なりの観点で百人一首や他の和歌も読むようになった。
■ 2025-04-10
■ 「うか・はげ」については後で書くとして、朔太郎と大弐三位について書いてみよう。
ありまやま いなのささはら かぜふけばいでそよひとを わすれやはする
■ 言葉遊び、掛詞として「有」「否」を織り込んだ歌だけれど、このように2行に書きつけると、また、違ったことに気付く。
■ コジツケだけど。
■ 即ち「あい」である。
■ ideal ではない。アクセントが違う。
■ 愛である。
■ 愛についての和歌であり、詩だ。
■ 昔は、恋はあったが、愛・あい、という言葉はなかった。
■ いとし・こいし、の、いとし、だ。
■ 漢字で書くと、なぜ愛になるのか、愛しい、と仮名漢字変換される。
■ 何の疑問も持たず、この変換を受け入れるのは、変だけれど、意味的に、いとしい、が愛に通じる。
■ 本当は、いとしい、ではなく、いと・おしい、だ。
■ 愛おしい、と変換される。
■ 野鳥写真を撮っていると、オシドリ、にその言葉が残っていると分かる。
■ いとおしい、から、いとしい、になり、「お」がなくなり、もともとの意味が分からなくなるのは、スマートフォンがスマホになった時と同じだ。
■ 「お」がなくなり「おし」とは何、となって、わからん、なに、こじつけちゃうのん、となる。
■ おし・をし、については後鳥羽院の歌にも使われている。
■ 昔、愛はなかった、というけど、だったら、
- あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり
■ こんな歌、百人一首にあるやろ、この「あい」って、なんなの、というかもしれない。
■ ないことない、あるやないの、というご意見、ごもっともである。
■ あいみての、って、具体的に、現実的に考えて、何することなのでしょうか。
■ 解説書などみると、きぬぎぬのうた、即ち漢字で書くと、
- 後朝の歌、と婉曲に表現している。
■ 後朝、って何、・・・衣々。
■ じつは、こじつけ、ちゃうよ、この、あいみての、ということは、朝の前は夜、夜があって朝、朝になって、よかった、と思うかどうか、ということなんだから、
■ 意識して、そういう言葉を使ってなかったかもしれないが、ちゃんと、「あい」という言葉はあったのだ。
■ 愛という文字でおかしくなった。
■ 「おし」という言葉が使われた順番から言えば、をし、おし、・・・
OSIITO - OSI, ITOOSIITOSI
■ ホンマかいな。
■ ホンマかどうか、その辺のところが、言葉というのは面白い・オモロイのだ。
■ ところで、朔太郎の詩だけれど、これについては三好達治に関連して書いた記憶がある。
山に登る旅よりある女に贈る
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。
■ この詩は、現実と過去が交差した記述になっている。
■ 俺が今、私達が回想だから、時間軸に合わせて再構成した。
■ 言葉は替えず、入れ替えるだけにした。
■ すぐ、反射的に応えられる人は確実にいる。
■ この言葉を知ったのは、母からだったが、いつ頃だったかは記憶にない。
■ おそらく、中学の時だった。
■ 後鳥羽院は俊頼の歌の姿を■ 詞書があり
053 夜もすから契りしことを忘れすは 恋ひん涙の色そゆかしき 藤原定子
073 春日野の下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪 権中納言国信090 紀の国の由良の岬に拾うてふ たまさかにだに遭ひみてしがな 権中納言長方
萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
山に登る
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
旅よりある女に贈る
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。
ありまやま いなのささはら かぜふけばいでそよひとを わすれやはする
■ 和歌の方は対話だという違いがある。
■ つまり現実のやり取りだ。
■ それが恋と愛の違いかもれない。
■ いつだったか、google で愛と恋を翻訳したらどちらも love だった。
■ 英語は、よお知らんけど、へええっ英語圏には恋愛ってないのかな、と思う。
■ 日本の場合、漢字はもともと当て字だった。
■ もちろん、あい、という概念はあった。
■ 同音意義語を見ると、それが、あい、だと分かる。
■ 古事記など見ればよく分かる。
■ 「かみ」も同様だ。
■ 英語の God と違うのは、「同様」という言葉を理解できない人たちの認識だ。
■ 愛という漢字は、いつ頃から使われるようになったのか。
■ これについてはまたいつか、だけれど、
■ 簡体中文では
爱
■ と書き、この文字を平気で使う国、もはや、心なき人々であることが分かる。
■ この文字を元にもどさなければ、その国は、まあ、ダメだな。
■ 2025-04-13
■ さて、「うかはげ」のことだけれど、
---------------------------------------------------------------
うかはげ
■ 2025-04-13
■ 整理してみた。
■ 「うかはげ」って何ですか、という問いに、直ちに答えられる人はたくさんいると思われる。
■ たくさんと言っても、めちゃ、多いわけではないだろうけれど。■ すぐ、反射的に応えられる人は確実にいる。
■ この言葉を知ったのは、母からだったが、いつ頃だったかは記憶にない。
■ おそらく、中学の時だった。
- うか・はげ
■ この言葉から、その世界に入るのも一つの道かもしれない。
■ その世界では常識なのだから、・・・
■ その世界とは、百人一首だ。
■ その世界では常識なのだから、・・・
■ その世界とは、百人一首だ。
■ 百人一首の他に百人秀歌が知られている。
■ 百人一首には後鳥羽院・親子の歌がある。
■ 百人秀歌では源俊頼の歌が異なる。
■ 百人秀歌では源俊頼の歌が異なる。
百人秀歌 山桜咲きそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸 源俊頼百人一首 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 源俊頼
■ 後鳥羽院は俊頼の歌の姿を
- うるわしくやさしき様、の歌
- もみもみと、人は詠みおほせぬやうな姿、の歌があるとしている。
■ 定家も、同調している。
- これは心ふかくことば心まかせて、まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり
祈れどもあはざる恋といえる心をよめる
■ としている。
■ 恋の歌が色々ある中で、この歌は他と違う表現であることが分かる。
■ 後鳥羽院や定家の評は、その時点での評価であり、現在の見方で評価し直すことになる。
■ 小説家の田辺聖子が
分かりにくい歌である。現代からみると、こういう歌の、どこに値打ちがあるのか、よく分からない。
■ としている。
■ 面白い小説を書く彼女の直感的な評価は正しさを含んでいる。
■ 面白い小説を書く彼女の直感的な評価は正しさを含んでいる。
■ だいたい、
- 誰でも、「はげしかれとは祈らぬ」ものなので、そう祈るはずはない。
■ なので、私だったら、と書いてみた。
■ 仮に、私が詠むとすれば、次の歌だ。並べ置いてみよう。
■ 仮に、私が詠むとすれば、次の歌だ。並べ置いてみよう。
うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを 俊頼いのれども かぜのはげしき はつせやま かんのんさまの こころとどかず 遊水
■ こんな感じでもいいだろう。
■ 間接的だが、素直に心を伝えることができるだろう。
■ 頭で、もみもみしないで、こねくりまわさず、だだ、心のままに書けばいいのだ。
■ 一般に、百人秀歌のあとに百人一首が作られたとされている。
■ 間接的だが、素直に心を伝えることができるだろう。
■ 頭で、もみもみしないで、こねくりまわさず、だだ、心のままに書けばいいのだ。
■ 一般に、百人秀歌のあとに百人一首が作られたとされている。
■ 仮に、百人秀歌の方が先に作られていたとしたら、なぜ、最初から「憂かりける」を取り上げなかったのか、という疑問がわく。
■ 定家君「まねぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじきすがたなり」ではなかったのかね。
■ 百人秀歌から百人一首に替えたとしたとき、「山桜」から「憂かりける」にする理由がない。
■ ところが、後鳥羽院・親子の歌を外した時、「憂かりける」の歌も「山桜」の歌にした。
■ 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的だ。
■ 定家は後鳥羽院の「もみもみ」という評価に最初同調したが、考え直したといえる。
■ 定家の心理だ。これなら論理的だ。
■ 要するに、百人一首が先で百人秀歌が後に作られた。
■ こう考えたとき、他の、理由が存在することに気付く。
■ 百人一首と百人秀歌の違いを細かく見てゆくとよい。
■ こう考えたとき、他の、理由が存在することに気付く。
■ 百人一首と百人秀歌の違いを細かく見てゆくとよい。
■ ほとんど同じ歌なので、歌の並びなど見ると、より定家の考え方が分かるだろう。
■ ほとんど同じだが、違っているところをもう少し見てゆくべきだろう。
■ 100首の歌集であるためには、2首外したら、2首追加しなければならない。
■ 2首追加するために2首外した、とするならば、どれを外すか考えなければならない。
(099) 人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は 後鳥羽院
(100) 百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり 順徳院
073 春日野の下萌えわたる草の上に つれなく見ゆる春の淡雪 権中納言国信
■ 百人一首の、99、100、を外して、百人秀歌の、53、73、90、を追加するのは分かる。
■ ばらばらの位置に追加している。
■ 逆に、53と73と90、を外す理由は何か、他の歌を外してもよかったのではないか。
■ 他の歌より、これらが劣っていたのか。
■ そこで、53と73と90の、関連性は何かを問題にすることになるかもしれない。
■ 百人秀歌では、101番に、いわば番外として、百人一首の96番の歌を置いている。
■ 「花さそふ」が不自然で、100首からは外してもよく、番外にすることで3首追加できた。
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり 西園寺公経
嵐ふく庭の桜の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり 遊水
吹く風に庭の桜の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり 遊水
■ 「嵐の庭の雪」ではなく「桜の雪」即ち、花吹雪だろう。
■ 3首外し、しかも、「花さそふ」を100首内に組み込んだとするのは、いかにも変だ。
■ 「ふりゆくものはわが身なりけり」という思いは定家自身のことでもあるので、番外にすることに問題はない。
■ さて、もう一度、「うかりける」に戻ろう。
- 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
■ 最初、この歌を詠んだとき、「初瀬」「長谷」「大泊瀬幼武 おおはつせわかたけ」のことが頭に浮かんだ。
■ 万葉集の最初の歌の男だ。
■ 以前、次のようなことを書いた。
■ 一文字変えてみた。うかりける ひと
ははつせの やまおろし
■ このようにすると、わかりやすい。
「憂かりける人」は「初瀬の山おろし」のような人で激しい気性の人だ。
■ 国を治める立場の人は立派で穏やかな人であってほしいと民は願う。
- 激しかれとは祈らない
■ しかし、長い歴史上には、必ずしも、望ましい人ばかりではなかった。
■ そうした古い歴史を思い浮かべながら、
■ 身近な実らぬ恋と重ね合わせることもできるのがこの歌だともいえる。
■ そうした古い歴史を思い浮かべながら、
■ 身近な実らぬ恋と重ね合わせることもできるのがこの歌だともいえる。
- ワカタケル ひとははつせの やまおろし はげしかれとは いのらぬものを
■ 日本書紀に、「日頃から乱暴で恐い。にわかに機嫌が悪くなると、朝にお目にかかった者でも夕方にはもう殺され、夕にお目にかかったものでも翌朝には殺されます」というような記述があり、あるいは性的不能を隠すためだったかもしれないが、恐れられていた。
■ 初瀬観音というのがあるそうな、・・・
■ 観音像が設置されるのは、人が「優しさ」や「慈しみ」を願い求めるからだ。
■ 幸せならば、神や仏に願いすがることなどないのだ。
■ 逆に言えば、厳しい現実の世の中だったことを意味する。
■ 菅原道真を祭るのも祟りを恐れてのことという側面がある。
■ 同様だ。
■ 初瀬観音というのがあるそうな、・・・
■ 観音像が設置されるのは、人が「優しさ」や「慈しみ」を願い求めるからだ。
■ 幸せならば、神や仏に願いすがることなどないのだ。
■ 逆に言えば、厳しい現実の世の中だったことを意味する。
■ 菅原道真を祭るのも祟りを恐れてのことという側面がある。
■ 同様だ。
■ 長谷寺は、源氏物語でも、九州から都に戻った夕顔の娘・玉鬘が行った寺だった。
■ 要するに、有名な寺だつた。
■ なぜ有名だったのか、そして、長谷寺はなぜあの場所に建てられたのだろうか。
★
■ 2025-03-28
■ 前書き
■ 「定家好み」という言葉を何度か見たことがある。
■ だれが、どこに、どの歌について書かれていたのか記憶にないが、それを拾い出し考えてみるのもいいかもしれない。
■ 「定家好み」という感想が定家を、あるいは、百人一首・百人秀歌を本質的に捉えていると思う。
- こじつけ
■ こんなことばも思い浮かぶ。
■ 人それぞれが歌を詠んでいる。
■ それぞれの思いで詠んでいる。
■ 定家の思いとは必ずしも一致するわけではない。
■ しかし、それを取り上げることで、何か定家自身の事のようにも捉えることもできる。
■ 例えば、次のように作者の名を変えても通じる心ではなかろうか。
逢てみてののちの心にくらぶれば昔はものを思うはざりけり 権中納言淳忠
逢てみてののちの心にくらぶれば昔はものを思うはざりけり さだいえ?
■ 若い時は、誰にもある異性と接した時の初めての経験なのだ。
■ 作者名をつけることで、ああ、あれは彼の体験だよ、ということができる。
■ こうした時、その相手は誰なんだろう、と問いかけることにもなる。
■ 百人一首を読むとは、そうした「こじつけ」を見つけ出すことにひとつの楽しみがある。
■ 例えば、紀貫之の歌をどう解釈、というか、コジツケてとらえることができるか、だ。
■ 解釈ということばは使わない。
■ 解釈というなら、何らかの根拠、客観的論拠が必要だ。
■ ここでは、定家が思ったかもしれないことを、勝手に考えているだけだ。
■ 他人と論争するつもりはない。「百人一首に遊ぶ」なのだ。
■ 紀貫之の歌のところに書くけれど、定家の一つの大きな「こじつけ」的な例と見ることができる。
■ 紀貫之の歌のところに書くけれど、定家の一つの大きな「こじつけ」的な例と見ることができる。
■ だから、?、定家は貫之を高く評価していたのではないだろうか。
■ 一般に、引用するとは、自分に引き寄せることで、言葉は適切ではないかもしれないが、こじつけ的、なのだ。
■ 一見無関係に見えることを関係があるのではないかとみるのも本質に近づく方法だ。
---------------------------------------------------------------
★
■ 新古今和歌集と百人一首の編集方針は、
- 万葉集以外は過去の勅撰和歌集にある歌は原則採らない。
- 百人一首は勅撰和歌集から採る。
---------------------------------------------------------------
■ 伊勢物語
陸奥の しのふもちすり 誰ゆへに 乱れそめにし 我ならなくにちはやふる 神よも聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
■ この二つの歌が百人一首に取り入れられている。
■ また、伊勢物語の歌を念頭に似た歌を選択したと思われるのもある。例えば
月やあらぬ春はむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして 伊勢物語・在原業平月見れば千ぢにものこそ悲しけれ 我が身一つの秋にあらねど 百人一首
■ 自ら作るならば容易かもしれないが、人の歌を選び出すのは知らないとできない。
■ 新古今和歌集では過去の勅撰和歌集からは採らないということは、過去の和歌集をよく知っていた、と言える。
---------------------------------------------------------------
(001) 天智天皇御製 後撰集
001 あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わかころもてはつゆにぬれつゝ
(002) 持統天皇御製 新古今集
002 はるすきてなつきにけらし白妙の ころもほすてふあまのかく山
- 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山 万葉集
■ 瑞穂の国の日本の天皇として「米」を詠った歌を最初にしたのは適切であったと思う。
■ 稲作に必要なのは水だ。
■ 天智天皇の娘である持統天皇、若いころは雨乞いの役を担っていたと考えられる。
■ 雨乞は、あめのかぐやま、で行った。
■ 香具山は、奈良盆地の南東端にあり、万葉集の二つ目の歌にも見られる。
■ 天智天皇の父・三十四代・舒明天皇が国見をした丘で、
国原は煙たち立つ海原は鴎たち立つ
■ としているように、その頃、奈良湖があり、その後、水抜きし、水田が広がった。
■ google map で見ると縦横きれいな区画となっている。
■ 阿蘇山の北側も同様だ。ここも水抜きをしていた。
■ おそらく九州にいた人が奈良に移り住み、その経験が活きたのだろう。
■ 水抜きがいつのことか、藤原京の頃、或いは後の平城京との間の時期だと推定される。
■ 舒明天皇の後、皇極天皇(女性)、孝徳天皇、斉明天皇(皇極天皇と同じ人)を経て、天智天皇。弘文天皇、天武天皇の後、天武の妻・持統天皇
舒明天皇、岡本宮から田中宮(橿原市)
天智天皇、近江大津宮天武天皇、藤原宮持統天皇、藤原宮文武天皇、飛鳥岡本宮
■ 「ころもほすてふ」とあるように「衣を干したと言われる」香具山。
■ 都が平城京から平安京に移ってからの時代の、京都に住み、奈良に行ったことのなく、香具山も見たことのない人が「天」を「アマ」と読んだことで混乱した。
■ その混乱は今も続いている。
■ 香久山は、海抜 152 m だが、近くの道路を基準にすれば、65 m の高さで利用しやすい。
■ 「山」には違いないが、もともとは「阿米能」「雨の」としている丘だ。
- 阿米能迦具夜麻 古事記・ヤマトタケルノミコト
- 天之香來山 万葉集
- 雨の香来山 遊水
■ 香具山に多く生えていた榊の匂いと相まって雨の香が来る山と考えらていた。
■ 夏の天気が気になる。
■ 庶民が白い衣を洗濯し干しているのを見て、今年の夏が気になった。
■ 庶民は高価な色物を着られず染色してない白い衣だった。
■ 乾くまでの間、替わりに用いる衣服が少なかった庶民は寒い時期は洗濯できなかった。
■ 持統天皇は女性ゆえ、洗濯という庶民の行為を通して季節感を感じた。
■ 夏が来た、と。
はるすきて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかくやま
たみびとが ころもあらいて ほしたるか このまにしろく なつはきにけり
ほらごらん なつになったと いうことよ せんたくものが みえるじゃないの
メモ、・・・
---------------------------------------------------------------
■ 百人一首、と、百人秀歌、について、
■ だいたい、最初から 100首だったとは考えられない。
■ 多くの歌から、候補をより多く選び出し、取捨選択の過程が、当然あったはずだ。
■ その結果、この二つが残ったということに過ぎない。
■ 百人秀歌が先で、百人一首が後に作られた、という説が一般的だそうな。
■ 後先を考える前に定家が何を考えたかを意識する必要があろう。
■ まず、天智天皇、持統天皇を置いたのは、万葉集にならい、権威付けをした。
■ 「天」のつく天皇は二人で「天智」と「天武」どちらかを選ぶとすれば「武」でなく「智」の方になる。
■ 「智」は「知」でなく、天智天皇の「智」は智謀という意味合いもある。
■ 天智天皇・皇子時代の中大兄皇子は中臣 鎌足・藤原 鎌足と蘇我入鹿を暗殺し、武力で敵を排除した。
■ 藤原の時代の始まりの象徴でもある。
■ まあ、その辺のところを藤原定家が強く意識したかどうかは知らない。
■ まあ、その辺のところを藤原定家が強く意識したかどうかは知らない。
■ 季節的に、春夏秋冬と考えれば、秋、夏、を逆に置き、ひとつ前に春の歌を置きたい。
春 みよしのの よしののやまの やまざくら さくらふぶきと なりにけるかも 遊水
夏 はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかぐやま 持統
秋 あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ 天智
■ さて、定家は、基本的に、古今和歌集の序分にある人は取り入れようとしている。
■ 外されているのは、「そのさまいやし」と評されている大友黒主だ。
---------------------------------------------------------------
(003) 柿本人麿 拾遺集 古今和歌集・仮名序
003 あしひきの山とりのをのしたりをの なかゝゝしよをひとりかもねん
■ 定家にとって、誰と離れて「長々しき夜を独り」で寝るのか。
■ この歌を取り上げたときの心境が最後の「来ぬ人を」につながる。
■ 次の歌もいい。天離夷之長道従戀来者自明門倭嶋所見天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努尒古所念近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ
(004) 山邊赤人 新古今集 古今和歌集・仮名序
004 たこのうらにうちいてゝみれは白妙の ふしのたかねにゆきはふりつゝ
■ 次の歌もいい。
三吉野乃象山際乃木末尒波幾許毛散和口鳥之聲可聞み吉野の象山のまの木末にはここだも騒く鳥の声かも
若浦尒塩満来者滷乎無美葦邊乎指天多頭鳴渡若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
---------------------------------------------------------------
(006) 中納言家持 大伴家持 新古今集
005 かさゝきのわたせるはしにおくしもの しろきをみれはよそふけにける
■ 定家としては、独りで寝る・夜ぞ深けにける、と続けたのかもしれない。■ 家持の歌としては別の歌を取り上げたい。例えば、・・・
■ 次の歌もいい。
宇良宇良尒照流春日尒比婆理安我里情悲毛比登里志於母倍婆うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独りし思へば
うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば 遊水
(007) 安倍仲丸 古今集
006 あまのはらふりさけみれはかすかなる みかさの山にいてし月かも
---------------------------------------------------------------
(011) 参議篁 古今集
007 わたのはらやそしまかけてこきいてぬと 人にはつけよあまのつりふね
■
(005) 猿丸大夫 古今集
008 おく山にもみちふみわけなくしかの こゑきくときそ秋はかなしき
---------------------------------------------------------------
(016) 中納言行平 古今集
009 たちわかれいなはの山のみねにおふる まつとしきかはいまかへりこん
(017) 在原業平朝臣 古今集 古今和歌集・仮名序 伊勢物語
010 ちはやふる神よもきかすたつた河 からくれなゐにみつくゝるとは
■ 伊勢物語にもあるこの歌は、落語ができるほど、人を混乱させた歌だった。■ 寄り道になるが、その落語のあらましは、回り道になるが本質的なのでとりあげよう。
■ 以前、「からくれない」って何ですか、とまじめな顔で訊かれたことがある。
たつたがわ、を漢字で書くと川という文字があるだろう。だからと言って、river のことではない。関取が昔いたんだ。
- gawa
- kawa
分かるかなこの辺が日本語的なのだ
・・・その関取がなちはや、という花魁を見初めたんだが、関取なんて嫌だと拒否された
拒否されたのはなぜか、に言及するのは、下世話なコトにもなるのでやめておく
ならば、妹の、かみよ、でもいい、と交渉したんだがなおねさまがいやなものは、わちきもいやでありんす、とちはや、にふられかみよ、もいうことをきかないかみよも、きかず、だそれで、すっかり、世の中が嫌になってな、女断ちをして精進しても、こんなことなら相撲取りなんかもうやめだと故郷に帰ったんだ
父親の豆腐屋を引き継ぎ、くらしていたところ店先に女乞食が来て、なにも食べてないので、せめて、おからでもください、という。どこかで見た顔だが、じっとみると、ちはや、だお、お前は千早だな俺を振った、千早じゃないかお前なんかにおからだって、くれてやるものか・・・からくれないにというわけだ、分かるかなえ、なに、そういうことですかいと、話はつづき、拒否された、ちはや、は、とうとう店先の井戸に身を投げてしまうどぼーん、となへええ、そういうことだったんですか、そういうことだ、わかるかな井戸の水に身を投げた、つまりみずくぐるとは、だな漢字で書くと、水潜る、だ。
- kukuru
- kuguru
と、ここまで話が進み、いい加減だなあ、と思うのは早計、「括り染め」ではないぞ、と、落語家は考えたというところまで読み取らないといけないだいたい、わかったんですがね、最後の、とは、とはなんですかいなに、それぐらいまけとけいやいや、そうはいきません、みそひともじの、ふたもじですから、まけられませんなに、なら、おしえてやろうとは、とはだなあ、・・・なんですか、とは、とはそれぐらい知らなくてどうするとは、とは、千早の本名だ。
---------------------------------------------------------------
(018) 藤原敏行朝臣 古今集
011 すみのえのきしによるなみよるさへや ゆめのかよひち人めよくらん
■ 「すみのえ」を取り上げたかった。■ これは、古今集の最後の、つらゆき、の歌を連想しながら読むといい。■ そして、次の歌、「こひぞつもりて」とは、つらゆき、の恋につながる。■ その恋は積もるのだが、成就しない。
(013) 陽成院御製 後撰集
012 つくはねのみねよりおつるみなのかは こひそつもりてふちとなりける
---------------------------------------------------------------
(009) 小野小町 古今集 古今和歌集・仮名序
013 はなのいろはうつりにけりないたつらに わか身よにふるなかめせしまに
000 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける
■ 同じ作者の歌を並べてみると、花とか、色という言葉が、必ずしも、植物の花とか、色彩の色、ではないことに気付く。
はなのいろはうつりにけりな
■ 「うつりにけりな」に目を移し、わが身に引いてみると、「移った」と感じられるのは「世の中」だった。
世の中はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに
世の中は 移ろいにけり いたずらに 我関せずと 眺めせしまに 遊水
(008) 喜撰法師 古今集 古今和歌集・仮名序
014 わかいほはみやこのたつみしかそすむ よをうち山と人はいふなり
---------------------------------------------------------------
(012) 僧正遍昭 古今集 古今和歌集・仮名序
015 あまつかせ雲のかよひちふきとちよ をとめのすかたしはしとゝめん
(010) 蝉丸 後撰集
016 これやこのゆくもかへるもわかれつゝ しるもしらぬもあふさかのせき
---------------------------------------------------------------
(014) 河原左大臣 古今集 伊勢物語
017 みちのくのしのふもちすりたれゆへに みたれむとおもふ我ならなくに
■ 陸奥、あるいは奥州藤原氏と関係があるのか
■ 河原左大臣・源融は光源氏のモデルだと言われている。物語だから誰かがモデルであろうとかまわないのだが、モデルになる人物がいた方が作りやすい。■ この歌を取り上げたのは、歌も悪くはないが、「ヒカル」をとりあげたかったのではないだろうか。■ 源融も源光も、天皇の子だが、「みなもと」という姓を与えられ臣下となった。■ 紫式部のすごいと思われるのは、「ヒカル」と名付けたのは物語を書いている自分ではなく、唐の人相見だった、としているところだだ。そして、ほめそやしているが、本当のところ、主人公の性質とか品格を肯定しているわけではない。ヒカルの求める人はどこかに行ったり、死に別れたりで結局のところ主人公は幸せにならず死んでしまう。■ 若い時は、ちやほやされたりするだろうけれど、死を迎えるというか、出家するときだろうけれど、「幻」の章での最後の歌として紫式部は書いている。
- もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる 光源氏
■ この男の品位のなさは、同じ「幻」の歌
- 大方は思い捨ててし世なれどもあふひはなほやつみおかすべき 光源氏
■ この相手は「紫の上」に長く使えてきた女房で、要するに、光源氏はその地位の女性と同等だと、紫式部は語っていることになる。
■ 「ひかる」の心情の下品さを「蛍」の章で「玉鬘」にはっきり言わせている。■ もちろん紫式部本人の感想だ。
■ 「ひかる」自身はそれに気づいてない。分かってない。
■ 人間、若い時もあれば老人にもなる。登場人物の年齢を頭に入れて読まないと間違う。■ ここは、源氏物語について多くを語る場ではないが、紫式部は、架空の人物で虚構の小説ではなく、実のところ、現実であることを「物語」として語っている。■ 定家は、「物語」を作り上げようとしている。
■ 連鎖、連想なのだ。 ちょうどネックレスのように鎖は隣とつながっている。
■ 個々の輪が全体として形をなす。
■ 伊勢物語の最後に業平の歌がある。
- つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふ今日とは 思はざりけり 業平
- その時が いつか来るとは 知りながら 昨日今日だと 思わざりけり 遊水
■ 定家は、源氏物語の主人公にも、伊勢物語の主人公にもなれないのだが、■ 百人一首・百人秀歌をまとめ上げて満足して死んだのではないかと思う。
(015) 光孝天皇御製 古今集
018 君かためはるのゝにいてゝわかなつむ わかころもてにゆきはふりつゝ
■ この「君」はもちろん定家にとっての君を想像しなければならない。
★ --------------------------------------------------------------- ★
こじつけ
■ こんなことばも思い浮かぶ。■ 人それぞれが歌を詠んでいる。■ それぞれの思いで詠んでいる。■ 定家の思いとは必ずしも一致するわけではない。■ しかし、それを取り上げることで、何か定家自身の事のようにも捉えることもできる。
・・・
■ 先にこんなことを書いたが、こじつけだ、と思わず、そんな視点もあるかもしれないという意識で読むとよい。
■ 何かを選択する時、選択する理由があるはずだ。ただ好きだから、とか、いいと思うから、とか、漠然としたコトもあるかもしれない。もう少し、色々な理由があるだろう。逆に嫌いだから、ということもあるだろうし、貶めることもあるかもしれない。とにかく一人につき一首しか取り上げないのだから、その理由を考えたくなる。■ 「貶めることもある」のか、そんなことない、と思うかもしれない。「ある」と思う。ではどの歌なのか。
■ 大納言公任の歌は、百人一首と百人秀歌では違う。なぜ違うのか。それはその項に書こうと思うが、理由があるはずだ。
■ 藤原定家は、いわゆる「いい人」だとも言えないと思う。かなり自意識の強い、いわば変人ではないか、それは当時として、彼がどのような待遇であったかによると思う。今の世では歌人の評価は低いわけでもないだろうが、平安末期から鎌倉時代、歌人は何の役にたったのか、と思わざるを得ない。
■ 鎖は、前と後、とのつながりでできている。■ 連鎖・連想は前後だけで、必ずしも百首すべてが同じ選択基準で選ばれなくてもいいが、少なくとも、前後の歌は、何らかの関係性を持っている、と考えていい。
連鎖・連想 、連想・連鎖
★ --------------------------------------------------------------- ★
(019) 伊勢 新古今集
019 なにはかたみしかきあしのふしのまも あはてこのよをすくしてよとや
■ しりとり遊びのような感じでとらえるといい。
(020) 元良親王 後撰集
020 わひぬれはいまはたおなしなにはなる みをつくしてもあはんとそ思
---------------------------------------------------------------
(028) 源宗于朝臣 古今集
021 やまさとはふゆそさひしさまさりける 人めも草もかれぬとおもへは
(021) 素性法師 古今集
022 いまこんといひしはかりになか月の ありあけの月をまちいてつる哉
---------------------------------------------------------------
(024) 菅家・菅原道真 古今集
023 このたひはぬさもとりあへすたむけ山 もみちのにしき神のまにゝゝ
■ 漢詩から和歌の時代への象徴は古今集だった。■ 古今集の編者の前に菅原道真を配置するのは適切だったと思う。
(030) 壬生忠岑 古今集 古今和歌集・編者
024 ありあけのつれなくみえしわかれより あかつきはかりうきものはなし
---------------------------------------------------------------
(029) 凡河内躬恒 古今集 古今和歌集・編者
025 こゝろあてにおらはやおらんはつしもの おきまとはせる白きくのはな
(033) 紀友則 古今集 古今和歌集・編者
026 ひさかたのひかりのとけきはるの日に しつこゝろなく花のちるらん
■ 伊勢物語にふたつの桜の歌がある。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき
■ これらの理屈っぽい歌より、こっちの方がいい、と定家は思って取り上げたのだろう。
■ 業平の歌ばかり取り上げるのも、ナンだし。
久方の久方ぶりの久しぶりの
■ 桜が咲くころは、雨が降ったり風が吹いたりして、必ずしも、いつもいい日ばかりではない。今日は、久しぶりの、のどかな春だから、散ったりせずに楽しませてほしいなぁ
■ メモひなざかるあまざかる
離る(かる)空間的に遠くなる。時間的に遠くなる。
ふりさけ振り向く振り返る「さけ」は動詞「さく(放く・離く)」の連用形。
---------------------------------------------------------------
(022) 文屋康秀 古今集
027 ふくからに秋の草木のしほるれは むへ山風をあらしといふらん
(035) 紀貫之 古今集 古今和歌集・編者
028 人はいさこゝろもしらすふるさとは 花そむかしのかにゝほひける
■ 定家は、紀貫之に対して1目置いていたように思う。
■ 新古今和歌集での定家の歌の在り方と、古今和歌集の紀貫之の歌の在り方を比較するとわかる。
■ 古今集を手本としてとらえていたようだ。
■ 貫之は自分の歌集として古今和歌集を編集した。
■ 最後に自分の歌を置いている。
- 道しらば 摘みにもゆかん 住之江の きしに生ふてふ 恋忘れ草 つらゆき
■ 定家も、自分ものとしての歌集を作ろうと思ったのではないか。
■ 自分の歌で最後を飾るために自分好みの過去の和歌を用いたのはいい考えだった。■ 百人一首での他の人も1首なのだから、結局のところ、1首でいいのだ。
■ 定家は、万葉集の歌を下敷きに「こぬひとを」と歌にしている。
■ 定家自身の歌は、まさに、花ぞ昔の香に匂ひける、で、人のことは知らないが、私の歌は「ふるさと」であるやまと言葉の万葉集に戻ったのだと。
人はいさ心も知らず故郷は花そ昔の香に匂いける
■ このように、自らの歌を評価するかのようにもとれる貫之の歌を選んでいる。
■ 他の歌についても定家の選択は定家のこととしてもとらえられるような歌が多い。■ 例えば、紫式部の「雲隠れにし夜半の月」は定家のことと考えれば「月」は誰なのか。
■ 短い期間の付き合いは誰だったのか、と。
---------------------------------------------------------------
(031) 坂上是則 古今集
029 あさほらけありあけの月とみるまてに よしのゝさとにふれるしらゆき
(023) 大江千里 古今集
030 月みれはちゝにものこそかなしけれ わか身ひとつの秋にはあらねと
■ この歌については、先に書いたが伊勢物語の歌と比較しながら読むとよい。
---------------------------------------------------------------
(034) 藤原興風 古今集
031 たれをかもしる人にせんたかさこの まつもむかしのともならなくに
(032) 春道列樹 古今集
032 山かはにかせのかけたるしからみは なかれもあへぬもみちなりけり
---------------------------------------------------------------
(036) 清原深養父 古今集
033 なつのよはまたよひなからあけぬるを くものいつく[こ]に月やとるらん
(026) 貞信公 拾遺集
034 おくら山みねのもみちはこゝろあらは いまひとたひのみゆきまたなん
---------------------------------------------------------------
(025) 三条右大臣・藤原定方 後撰集
035 なにしおはゝあふさか山のさねかつら 人にしられてくるよしも哉
(027) 中納言兼輔 新古今集
036 みかのはらわきてなかるゝいつみ河 いつみきとてかこひしかるらん
---------------------------------------------------------------
(039) 参議等 後撰集
037 あさちふのおのゝしのはらしのふれと あまりてなとか人のこひしき
(037) 文屋朝康 後撰集
038 白つゆにかせのふきしく秋のゝは つらぬきとめぬたまそちりける
---------------------------------------------------------------
(038) 右近 拾遺集
039 わすらるゝ身をはおもはすちかひてし 人のいのちのをしくもある哉
(043) 中納言敦忠 拾遺
040 あひみてのゝちの心にくらふれは むかしはものを[も]おもはさりけり
---------------------------------------------------------------
(040) 平兼盛 拾遺集
041 しのふれといろにいてにけりわかこひは ものやおもふと人のとふまて
■ この歌は、平家物語・巻第六・葵前、にも出て来る。
■ その歌をもらった、葵前は、
それに何よりも又哀れなりし事には、・・・・里へ帰り、打ち臥す事五六日して、終にはかなくなりにけり、と・・・とある
(041)壬生忠見 拾遺集
042 こひすてふ我なはまたきたちにけり ひとしれすこそ思ひそめしか
■ 百人一首の並びは、奇数・偶数、奇数・偶数、ではない。
■ 村上天皇は「しのぶれど」を選んだようだが、定家は、「こひすてふ」の方がいいと思ったのではないか。
---------------------------------------------------------------
(045) 謙徳公 拾遺集
043 あはれともいふへき人はおもほえて 身のいたつらになりぬへきかな
(044) 中納言朝忠 拾遺
044 あふことのたえてしなくはなかゝゝに 人をも身をもうらみさらまし
---------------------------------------------------------------
(042) 清原元輔 後拾遺集
045 ちきりきなかたみに袖をしほりつゝ すゑのまつ山なみこさしとは
(048) 源重之 詞花集
046 かせをいたみいはうつなみのをのれのみ くたけてものを思ころかな
---------------------------------------------------------------
(046) 曽祢好忠 新古今集
047 ゆらのとをわたるふな人かちをたえ ゆくへもしらぬこひのみちかな
(049) 大中臣能宣朝臣 詞花集
048 みかきもり衛士のたくひのよるはもえ ひるはきえつゝものをこそ思へ
---------------------------------------------------------------
(050) 藤原義孝 後拾遺集
049 君かためをしからさりしいのちさへ なかくもかなと思ぬるかな
(051) 藤原實方朝臣 後拾遺集
050 かくとたにえやはいふきのさしもくさ さしもしらしなもゆる思を
---------------------------------------------------------------
(052) 藤原道信朝臣 後拾遺集
051 あけぬれはくるゝものとはしりなから なをうらめしきあさほらけ哉
(047) 恵慶法師 拾遺集
052 やへむくらしけれるやとのさひしきに 人こそみえね秋はきにけり
---------------------------------------------------------------
一条院皇后宮 藤原定子 ■ 後拾遺集
053 よもすからちきりしことをわすれすは こひんなみたのいろそゆかしき
(068) 三条院御製 後拾遺
054 こゝろにもあらてうきよになからへは こひしかるへきよはの月かな
---------------------------------------------------------------
(054) 儀同三司母 新古今集
055 わすれしのゆくすゑまてはかたけれは けふをかきりのいのちともかな
(053) 右大将道綱母 拾遺集
056 なけきつゝひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる
---------------------------------------------------------------
(069) 能因法師 後拾遺集
057 あらしふくみむろの山のもみちはゝ たつたのかはのにしきなりけり
(070) 良暹法師 後拾遺集
058 さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ
メモ
---------------------------------------------------------------
(055) 大納言公任 拾遺集
059 たきのおとはたえてひさしくなりぬれと なこそなかれてなをとまりけれ
千載和歌集 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそながれてなほ聞こえけれ島津忠夫 滝の糸は絶えて久しくなりぬれど名こそながれてなをきこえけれ百人一首 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほきこえけれ百人秀歌 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほとまりけれ
橋本遊水 滝の音は絶えて久しくなりぬれど歌ぞ残りて名ものこりけり
- きこえけれ
- とまりけれ
■ 聞こえけれが先にあったのだろうけれど、とまりけれ、に直す必要があったのか。■ 何か意図的に感じる■ 要するに、百人一首が先にあり、定家は書き換え、百人秀歌にした。
■ 公任の当時の評判は良くない。
■ 紫式部も無視している。
- たわむれに 若紫はと たずねども ただ冷ややかに 紫の人 遊水
(062) 清少納言 後拾遺集
060 よをこめてとりのそらねにはかるとも よにあふさかのせきはゆるさし
---------------------------------------------------------------
(056) 和泉式部 後拾遺集
061 あらさらんこのよのほかの思いてに いまひとたひのあふことも哉
(058) 大貳三位 後拾遺
062 ありま山ゐなのさゝはらかせふけは いてそよ人をわすれやはする
---------------------------------------------------------------
(059) 赤染右衛門 後拾遺集
063 やすらはてねなましものをさよふけて かたふくまての月をみしかな
(057) 紫式部 新古今集
064 めくりあひてみしやそれともわかぬまに くもかくれにしよはの月かな
---------------------------------------------------------------
(061) 伊勢大輔 詞花集
065 いにしへのならのみやこのやへさくら けふこゝのへにゝほひぬるかな
(060) 小式部内侍 金葉集
066 おほえ山いくのゝみちのとをけれは またふみもみすあまのはしたて
---------------------------------------------------------------
(064) 権中納言定頼 千載集
067 あさほらけうちの河きりたえゝゝに あらはれわたるせゝのあしろき
(063) 左京大夫道雅 後拾遺集
068 いまはたゝ思たえなんとはかりを 人つてならていふよしもかな
---------------------------------------------------------------
(067) 周防内侍 千載集
069 はるのよのゆめはかりなるたまくらに かひなくたゝむなこそをしけれ
(071) 大納言経信 金葉集
070 ゆふされはかとたのいなはおとつれて あしのまろやに秋かせそふく
---------------------------------------------------------------
(066) 前大僧正行尊 金葉集
071 もろともにあはれとおもへ山さくら 花よりほかにしる人もなし
(073) 前中納言匡房 後拾遺
072 たかさこのおのへのさくらさきにけり とやまのかすみたゝすもあらなん
---------------------------------------------------------------
権中納言国信 ■ 新古今集
073 かすかのゝしたもえわたるくさのうへに つれなくみゆるはるのあはゆき
(072) 祐子内親王家紀伊 金葉集
074 おとにきくたかしのはまのあたなみは かけしや袖のぬれもこそすれ
---------------------------------------------------------------
(065) 相模 後拾遺集
075 うらみわひぬほさぬそてたにある物を こひにくちなんなこそおしけれ
源俊頼朝臣 ★
076 山さくらさきそめしよりひさかたの くもゐにみゆるたきの白いと
(074) 源俊頼朝臣 金葉集
うかりける人を初瀬の山おろし はけしかれとはいのらぬものを
■ 「うかりける」の歌と、後鳥羽院・親子の歌が百人一首と百人秀歌の大きな違いだ。
---------------------------------------------------------------
(077) 崇徳院御製 詞花集
077 せをはやみいはにせかるゝたきかはの われてすゑにもあはんとそ思
(080) 待賢門院堀川 千載集
078 なかゝらんこゝろもしらすくろかみの みたれてけさはものをこそ思へ
---------------------------------------------------------------
(076) 法性寺入道前関白太政大臣 詞花集
079 わたのはらこきいてゝみれはひさかたの くもゐにまかふおきつしらなみ
(079) 左京大夫顕輔 新古今集
080 秋かせにたなひく雲のたえまより もりいつる月のかけのさやけさ
---------------------------------------------------------------
(078) 源兼昌 金葉集
081 あはちしまかよふちとりのなくこゑに いくよめさめぬすまのせきもり
(075) 藤原基俊 千載集
082 ちきりをきしさせもかつゆをいのちにて あはれことしの秋もいぬめり
---------------------------------------------------------------
(082) 道因法師 千載集
083 おもひわひさてもいのちはある物を うきにたえぬはなみたなりけり
(084) 藤原清輔朝臣 新古今集
084 なからへはまたこのころやしのはれん うしとみしよそいまはこひしき
---------------------------------------------------------------
(085) 俊恵法師 千載集
085 よもすからもの思ころはあけやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
(081) 後徳大寺左大臣 千載集
086 ほとゝきすなきつるかたをなかむれは たゝありあけの月そのこれる
---------------------------------------------------------------
(083) 皇太后宮大夫俊成 千載集
087 よの中よみちこそなけれおもひいる 山のおくにもしかそなくなる
(086) 西行法師 千載集
088 なけゝとて月やはものをおもはする かこちかほなる我なみたかな
---------------------------------------------------------------
(088) 皇嘉門院別当 千載集
089 なにはえのあしのかりねのひとよゆへ 身をつくしてやこひわたるへき
権中納言長方 ■ 新古今集
090 きのくにのゆらのみさきにひろふてふ たまさかにたにあひみてしがな
---------------------------------------------------------------
(090) 殷富門院大輔 千載集
091 みせはやなをしまのあまのそてたにも ぬれにそぬれしいろはかはらす
(089) 式子内親王 新古今集
092 たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
---------------------------------------------------------------
(087) 寂蓮法師 新古今集
093 むらさめのつゆもまたひぬまきのはに きりたちのほる秋のゆふくれ
(092) 二条院讃岐 千載集
094 わか袖はしほひにみえぬおきのいしの 人こそしらねかはくまもなし
---------------------------------------------------------------
(091) 後京極摂政前太政大臣 九条良経 新古今集
095 きりゝゝすなくやしもよのさむしろに ころもかたしきひとりかもねん
■ 九条良経は新古今和歌集の際、後鳥羽院とともにあれこれ口出しした。■ 38歳で死亡。百人一首夕話に、天井から槍で突き殺されたとある。
■「衣片敷」は独り寝るのことだから馬から落ちて落馬するようなものだ。
■ 柿本人麻呂の「独りかも寝ん」は定家自身の感慨であったろうが、この人の「独りかも寝ん」は恨みをかい暗殺されるような彼自身の実際の孤独さを暗示しているのか。
■ 歌人としては、いい歌を作っている。例えば、新古今和歌集の最初の歌。
- み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
■ いい歌を作り書が上手かったようだが、だからといって評価するかどうかは別だ。■ 定家は、彼に好意を持っていたとは言えない感じだ。
(095) 前大僧正慈圓 千載集
096 おほけなくうきよのたみにおほふかな 我たつそまにすみそめのそて
■ いかにも坊主の歌だ。■ しかし、暗殺されるような人間とは違い、お口直し的に置いた感じもする。
---------------------------------------------------------------
(094) 参議雅経 新古今集
097 みよしのゝ山の秋かせさよふけて ふるさとさむくころもうつなり
(093) 鎌倉右大臣 源実朝 新古今集
098 よのなかはつねにもかもななきさこく あまのをふねのつなてかなしも
■ 仮に師弟関係、ととらえるなら、師は俊頼であり、弟子は実朝だと思われる。■ そのような意味で、百人一首と比較すると間近に配置している。
■ 定家は、実朝に新古今和歌集を贈るなどしている。
■ 実朝は頼朝の歌を見たくて求めた。次の二首だ。
陸奥の 言はで忍ぶは えぞ知らぬ 書き尽くしてよ 壺の碑 新古今・雑・1786
道すがら 富士の煙もわかざりき 晴るるまもなき 空のけしきに 新古今・旅・975
つぼのいしぶみ - Wikipedia
---------------------------------------------------------------
(098) 正三位家隆 新古今集
099 かせそよくならのをかはのゆふくれは みそきそなつのしるしなりける
■ 禊は何に関するみそぎなのか。■ あるいは後鳥羽院が関係するのかもしれない。
(097) 権中納言定家 新古今集
100 こぬ人をまつほのうらのゆふなきに やくやもしほの身もこかれつゝ
■ この歌は、才走るとでも言うか、書で言う若書きの歌だ。■ 最後を飾るのだから、もう少し落ち着いた歌でもよかったように思う。
- 藻塩焼き 心こがして 来ぬ人を まつほの浦の 夕凪ろかも 遊水
■ この歌を最後に置くことで彼自身の歌集とすることができた。■ しかも、手本にした古今和歌集の紀貫之を越えることができた。
■ つらゆき、の歌をもう一度上げてみよう。
- 道しらば摘みにもゆかぬ 住江のきしに生ふてふ恋忘れぐさ つらゆき
■ 定家の歌と並べ置いてみれば、貫之は恋に負け、定家は恋に勝っている。
---------------------------------------------------------------
(096) 入道前太政大臣 新古今集
101 はなさそふあらしのにはのゆきならて ふりゆくものは我身なりけり
■ 定家は、自分も年を取ったものだ、との感慨にふけりつつ、まとめ上げた満足感に満たされて、これをとりあげているかのようだ。
■ この人は「花誘う」という言葉を使いたかったのだろうが、「嵐の庭の雪」とするのは何か非論理的表現だ。■ 「桜吹雪」と「年齢」であるはず。■ それを考え、次のように改作した。
嵐吹く 庭の桜の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり 遊水
■ ・・・■ 「はなさそふ」は次の歌がいい。
- 花さそふ 比良の山風 吹きにけり こぎゆく舟の 跡みゆるまで 宮内卿
---------------------------------------------------------------
後鳥羽院
(099) 人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は
順徳院
(100) 百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり
---------------------------------------------------------------