2025年8月7日木曜日

昭和・平成・令和、2025-08-08 追記

よのなかは  うつりにけりな いたずらに われかんせずと ながめせしまに 遊水
はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに 小野小町

   世の中いたくさわがしきころ、
世の中は いかになりゆく ものとてか こころのどかに おとづれもせぬ  和泉式部

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新東京行進曲 後で見てみよう。

■ 2025-08-07


松岡 正剛 1944年〈昭和19年〉1月25日 - 2024年〈令和6年〉8月12日
田中 優子 1952年(昭和27年)1月30日

■ こんな本があるのに最近気づいて、同じ時代に生きてきたから、一応見てみた。
■ 映画についての話があれば面白かったかな、という感じはする。
■ 本は乱読だが、今になってみれば、多くを読むこともないかと思う。
■ ちょっと、ちがうだろう、という点を自分なりに書いてみるのがいいようだ。
■ ついでに、・・・
  • スマホ見る 向こう三人 両隣

■ 2025-08-25
■ NHKラジオ、今日の絶望名言は水木しげる、だった。
■ 水木しげるは「ガロ」でようやく世に出たようだが、頭木博は「ガロ」の世代より後の人だった。
■ ガロは面白かった。
■ 私の漫画初めは「少年ケニア」だった。
■ 


■ 蛍 和歌 

きだみのる。気違い部落 映画 - Google 検索 これは見てない。

2025年8月5日火曜日

YouTube 動画投稿を止めた日のコト



■ 2025-08-05
■ 例えば、2019-08-05 のツバメの雛の動画など、今見ても生き生きとしている。この場所では、何年か前から、ツバメは営巣しなくなったことも併せて考えると、YouTube 動画は活きた記録だ。


■ この動画の「momiji okuyama 」はどこかにも書いたけれど、百人一首・5番目の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき・猿丸太夫」から採った。
■ 最後はグラフ理論の問題だが、今日の時点での視聴回数は109回。ほとんど誰も見てない感じだ。
■ 難しい問題ではないが、コメントもない。見てないから、解答もないのだろうけれど、誰か考える人はいないのかな、と思う。
■ 人気の順にみると、・・・

■ 何かを喰っている動画に、人の関心があるのか。
■ まあ、いい。
■ 動画で稼ごうという風潮が見られたのでやめたが、今見ると広告が入ったりしている。
■ 誰の収入になっているのか知らんが、何なのかねえと思う。
■ フェイク動画など、広告収入も原因だろう。止めたらいいのにと思う。
■ 下品な金銭感覚の価値観が蔓延している。

02-13.pdf 百人一首関係、ちはや

■ 2025-08-04





2025年8月2日土曜日

句会をしていたころの句ふりかえる

■ 見てない。小説と同じかどうか。
■ おもろくなかった。
■ 探した。詩集はあったが、小説の方はどこかに紛れ込んでいる。

松山律子(リッシ)さんたちと句会をしていた頃の句がある。
同人誌に載せるということで、作っていた。
何の縛りもなければ作らなかっただろう。

■ 駆けて行く

ありがとう いってうれしい ひなまつり
ああそうか それでいいのさ はるのあさ

えびフライ おやタラのめも ありますね
うかれでて さびしくかえる さくらかな

おちてくる ヒバリをまって かわらかな 
すえっこは おくれてしまう カイツブリ

きのうえで あんただれやと アオバズク
めにいたく ざくろのはなの さきにけり

りょくいんや みきのむこうに だれかいる
かけてゆく きみのむこうに なつのうみ

たいようと しろいテーブル しろいいす
あきくさの ゆれてセッカも ゆれにけり

ごみばこを ひっくりかえした おちばかな
きたかぜや よくこのみせと なみきみち

もうゆくの まどにちらつく こゆきかな
うでをくみ あるきましょうよ クリスマス

ハイタカが とんでしずまる ふゆのたに
ジョウビタキ ふつうのひとが すきになる

あいしてる それがいえずに しわすかな

    こんなもんでどうだろう。2007-06-30

その他

山茶花や いつか来た道 回り道
隣から 寝息聞こえて 寒の入り

髪の毛が 肩にひとすじ 春隣
あれは何 誰か教えて 春近し

手探りで 部屋の灯りや 冴え返る
花盛り 一人ぽっちは 嫌ですよ

桜散る 昭和は過去と なりにけり
行く春や みんなどうして いるだろう

はすの花 浮き巣のそばに 映るかな
カルガモの 雛前になり 後になり

乙女像 乳首つんつん ツバメかな
お祭りの 準備見下ろす アオバズク

オオルリの さえずりたかき こずえかな
キビタキや ひごとにみどり ふかくなる

若き鷹 痩せて その眼の 光るかな
アオジ来て ズボンの裾に 草の種

恋心 雪のしんしん 積もる道
冬の夜 ふっと心に 恋の歌

水鳥の 数を数えて 冬の池
冬木立 見上げた空に 鷹の影

地吹雪や いつか素直に なっている
大根に 味よくしみて 年忘れ

スルメイカ 焼いて師走や 缶ビール
もう暮れか ときめくことも なくなりて

落ち着いた 時を刻んで 去年今年
雑煮食う 俺の人生 何だろう


■ 第六号、「キスナ」、って何

以前、俳句誌の、私の頁を開いて、人に、見せたことがある。
「シロ キスナ」って何ですか

と言われた。
「えっ、・・・」
頭脳に、一瞬の、空白ができた。
「キスナ」、って何だろう。
「シロキ スナ」、と書いても、同じかもしれない。
 
白き砂一粒落とす蟻地獄

このように書くと、問題は起こらないのかもしれない。
 
しろきすなひとつぶおとすありじごく   遊水

このように表記していたのだ。
自分には、思いもかけない質問だったが、重要な意味が隠れていた。
漢字混じりで書くと、イメージとして捉えやすいので、直ちに分かる。
反面、失われるものもある。
電報文の読み違え、
同音異義の、落語によく出てくる誤解、などの他、
掛詞的な、ことばあそび、
ことばの本質と相互理解など、
分かり易く、(誤解のないよう正確に)表現し、分かったと思うので、失われたことに気付かないだけだ。
声に出して読むと、それが復活してくるかもしれない。
眼で読むと、分かったような気になり、考えなくなる。
分かる、ということと、本当に理解するということは、違うことだが、混同してしまう。
話は変わるが、
「ミズ」に「ヨシ」と書いて、どう読むんでしょう。
「さてさて、目開きは不自由なものよ」、と。
塙保己一、の話だったかもしれない。
ミズにヨシと書いて、油(アブラ)と読む。
話は戻るが、
昔、例えば、松尾芭蕉の頃は、句読点は用いなかった。
濁点も、普通用いない。
それでは読みにくいと、句読点を付け、送りがなを追加し、読み仮名を付け、
更に、章立てなどした、解説本が出版されたりする。
章毎に、詳しい解説がある、解説主体の本になっている。
こうなると、例えば、「奥の細道」、を
原本の一行目から、最後まで通して、物語的に読むことができない。
そればかりか、重要なことを読み違えることにもなる。
現代人にとっては、当たり前に見えるだけに、その誤りに気付かない。
そういうことがある。
ひとつ指摘した。
俳句に関心があり、インターネットを利用できる方は、次のサイトで読むことができる。
 
「野鳥とホームページ」

このサイトの、「ことのは」の「心の旅・奥の細道」、に述べた。
その一部の、「かけおき」と読む、の項を以下に再録する。
一度、学者によって、「ヨミ」がつけられると、普通の人は、そのまま読んでしまう。
「置」、と言う文字は、例えば、 
 
物置、書置、据置

これらの場合は、「オキ」、と読む。

では、懸置

この場合は、どう読むか、 
これを、「かけおき」、と読まず、「かけおく」、と読んだことで、問題が発生した。
 
面八句を庵の柱に懸置弥生も末の七日、

「かけおき」、と読むと、文章として続くが、
「かけおく」、と読むと、文章は続きもするし、そこで切れることも考えられる。
 
面八句を庵の柱に懸置。
弥生も末の七日、

切れると考えると、「。」を付けてしまう。

一見、無理のないことのようではあるが、それでよいのか、
 
草の戸も住替わる代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置弥生も末の七日、

このように、「おくのほそ道」のこの文章の前に、句があったものだから、混乱したようだ。
そして、「表八句」、をとは何かを知るべく、調査したのだ。
しかし、いくら探しても、見つからない。
従って、「この一節は芭蕉の創作と見るべきであろう。」、などと結論付けるに至った。
おそらく、学者が探して見つからなかったので、現存はしないだろう。
しかし、「表八句」、をなかった、とするのは、いかにも、学者らしいやり方だ。
つまり、俺がこれだけ時間をかけ丹念に探したことを、無駄だった、と認めたくなかったものとみえる。
そこで、「創作と見るべきであろう」、という研究成果にしたのだ。ところが、
 
面八句を庵の柱に懸け置き弥生も末の七日、

このように、「かけおき」、と読めば、この部分の章立てもすっきりする。
 
むつましきかぎりは宵よりつどいて船に乗りて送る

このような時間を無視したような書き方とよく似ている。


■ 雪と愛

その日は、珍しく、雪だった。
昨夜から、降り続いている。
もう大分積ったことだろう。
正岡子規は、脊椎カリエスで、寝たきりの状態だ。
寝床から、降る雪を眺めていた。庭はよく見えない。
もうかなり積ったに違いない。
どうなんだろう、・・・。
 
いくたびも雪の深さを尋ねけり   子規

転げ周り、走る子犬のように、雪を感じたかった。
でも、できない、・・・。
そんな子規は、こんな俳句を作った。
さて、時は移り、昭和のあるとき、国語の時間に、問題が出されたそうな。
「雪」の部分が空白で、・・・、ここにどんな言葉が入るでしょうか、考えてください、と。
 
いくたびも□□の深さを尋ねけり

生徒達は、みんな、考えた。
色々答えが出た。
そして、ある少女は、「あい」という言葉を当てはめた。
・・・、素晴らしい。
病床にあって、子規が、知りたくて、知りたくて、しょうがなかっなかったものは、「雪の深さ」だった。
でも、まだ、少女はそれには気付いていない。
何なんだろう、と自分のこととして考えた。
いま、自分が、知りたくて、知りたくて、確かめたくて、確かめたくて、しょうがないこと、・・・。
それは、「愛の深さ」だった。
愛の深さは、雪の深さのように物指しを差し込んで測ればいい、というようなものではない。
むずかしい。
なまじ、俳句などやっているものは、「あい」のはずなどないだろう。
それじゃあ、季語がないじゃないか。
この二文字は季語のはずだ、・・・などと言うかもしれない。
季語、・・・??、そんなもん、どうだっていいのだ。
俳句、・・・??、そんなもん、どうだっていいのだ。
肝心なことは、「ことば」に、どんな思いを、どんな「こころ」を込めようとしたのか、ということだ。
思い付いたのは、雪ではなく、愛だったけれど、少女は、知りたくて、知りたくて、という子規の心を感じ取った。
子規が、言葉に込めた「こころ」を感じ取った。
そして、愛だと確信したとき、少女は、自分のこころを俳句にしていた人がいたんだ、と思ったに違いない。
 
いくたびも愛の深さを尋ねけり

悩んでいたのは、私だけじゃなかった、・・・、と。
だが、答えを知らされて、自分とは、別の思いをもつ人がいることに気付かされただろう。
健康な自分は、すぐ知ることのできることでも、病床にある人にとっては、そうではないことも、・・・。
このあと、少女は、このことをきっかけに、人への思いやりにも気付いただろうし、・・・。
色々なことを知りたい、・・・ということになっただろう。
あるいは、今頃、俳句や短歌を作っているかもしれない。
俳句は、言葉に「こころ」をこめる箱のようなものだ。
ふたを開けると、それが見える。
たとえ自分で作ったものでなくても、そんな、こころの小箱を幾つももっている人は幸せだ。
そして、小さな箱だから、誰にでも作ることができる。
最初はうまく作れなくても、幾つか作っているうちに、きっと、素晴らしい小箱ができるだろう。
あなた自身が作ったステキな小箱が、・・・。

2007-05-30 追記

古い切り抜きが出てきた。
日経新聞の「プロムナード」の欄、秦恒平「愛の魅惑」のなかに、滋賀県の高校の国語の時間のことが書かれている。
「愛」と答えたのは、どうも、男子生徒だったようだ。

■ むくどりが 背中まるめて 寒いのお

鶯を 撮って年の 初めかな
鶯や 行くて左は 大文字
 
レンゲ草 雉は埋もれて しまいけり
落ちてくる 雲雀を待って 川原かな
 
オオルリや 緑だんだん 濃ゆくなる
背の丈を 超えた葦原 行々子
 
カルガモの 雛前になり 後になり
親の背に 親より先を 急ぐ雛
 
末っ子は 遅れてしまう カイツブリ
どの鳥も 巣材集めや 鷺の島

お祭りの 準備見下ろす アオバズク
木の上で あんた誰やと アオバズク
 
若き鷹 痩せて その眼の 光るかな
庭先の 石榴は割れて ヒヨの声
 
穏やかな 秋の一日 イカル啼く
秋晴れと 午後の紅茶と 小鳥たち
 
秋草の 揺れてセッカも 揺れにけり
秋霖や ツツドリ待ちて 丘の上
 
ツツドリや 桜紅葉の 始まりて
渡り鳥 今日は何処か 旅の空

水鳥の 浮かぶ季節と なりにけり
水鳥の 数を数えて 冬の池
 
翡翠の 嘴の先 冬の池


■ 井上靖「猟銃」を読んで
  かきつばた 着物の柄に ピンときて
  気になる記述、井上靖・猟銃、追記 
  二人行く 姿焼付き 曼珠沙華
       嫉妬に燃える 心にも似て

■ Tennessee Waltz を聴きながら
  恋人を 友に盗られて 花吹雪
  失恋を あっけらかんと 歌いけり


さよならの 後もコゲラは 木をつつく
透明の 時の向こうに 夏の海 

ペリカンに 水ぶっかけられて 日焼けかな
アオバズク 今日また君に 見つめられ
 
ヒナ三羽 祇園祭の 頃にでる
老骨に またまた 夏の来たりける

見上げれば 昨日と同じ アオバズク
霧晴れて 遥かに海を 望むかな

我が胸を 枕代わりに 夏の旅
夏の夜 ボタンが取れて しまいけり

しゅうかくの うれしさわけて もらいけり
啄木鳥の 音は近くに 冬木立

干からびて 風に吹かれて 柘榴の実 
雪積もり やさしく夜は 更けてゆく
 
沈丁花 今日この街を 跡にする
ふるさとの 田んぼの道や まんじゅしゃげ

とりあえず なんでんかんでん 575

いい句を作ろうとするから、なかなかできない。
適当に、575とやってみればいいのだ。

公園の ベンチにいつも ルリビタキ
自転車の 前のベンチに ルリビタキ
撮り飽きて 今日は撮らずに ルリビタキ
帰り道 氷は解けて コガモかな
カワセミは 少し遠くに 冬の池
冬の日の 翡翠の羽に 光るかな

■ いろは遊び

春なのか 雑踏の中 あいうえお
春が来た ひとつ俳句を かきくけこ
まだ雪が 山にあるぞと さしすせそ
冬鳥も それぞれ北へ たちつてと
春うらら 予定も何も なにぬねの
熱々の おでんを口に はひふへほ
赤ちゃんの 毛糸の帽子 まみむめも
汗かいて 背中が痒い やいゆえよ
年忘れ 大酒飲んで らりるれる

春一番 朝刊すこし 濡れている 
春の日は のんべんだらりと 過ぎゆくか
 
公園の 巣材運びの 小鳥たち
今年また 帰ってきたか アオバズク

さえずりや ナルキッサスという名前
オオルリと サンコウチョウも いましたか

ここちよい 風の季節と なりにけり
砂時計 音なき夏の 昼下がり
 
砂時計 音なき夏の 名残りかな
□□□□□ 歌は心を つなぐから

夏、と書き 消してコーヒー 秋の風

■ そらをみていた、「うろこ」第十一号、

さえずりの まだぎこちない やぶのなか
さんぱつや あたまがはるに なってでる

ちかてつを おりてしんめの なみきみち
わがむねを まくらがわりに なつのたび

よみかけの ほんかたづけて なつぼうし
しゅうかくの うれしさわけて もらいけり
 
あめのあと きんもくせいの よくかおる
あきにれを とびだすとりの おおさかな

ドングリや きょうはこうちゃに しましょうか
あかちゃんに えがおでこたえ ひなたぼこ

リンゴリンゴ リンゴのすきな きみがいる
たいおんの ちがいかんじる ふゆのよる

おそれずに いまならこいが できるかも
よくあさは かおをあわせず わかれけり

きずついて おちるゆうひが はやすぎる
じてんしゃを とめてゆうひの しずむまで

だいりせき みぎてをつよく おしあてる
トビがとんでいる そらをみていた

■ 今年のまとめ。
■ 2009-02 俳句誌「うろこ」用。
■ 編集長、よろしく。


■ おいおきろ、「うろこ」第十五号、16句

おいおきろ れっしゃのまどに ゆきげしき
ひんやりと ひたいにははの あたたかさ

てのひらに みつぶ ひとりの かぜぐすり
ゆきのよも うたはこころを つなぐから

ああそうだ いつかまよって じんちょうげ
はるのひは のんべんだらりと すぎゆくか

しんりょくや こんなちかくに あおいとり
こうえんの すざいはこびの ことりたち

ここちよい かぜのきせつと なりにけり
ケリとんで さなえにかぜの わたりゆく

たにこえて こっちにきたか ホトトギス
あれよあれ あれじゃわからん なつのかぜ

ひさしぶり であったひとと アオバズク
あのひとの おもいでとおき アオバズク

こうすいの ほのかにきせつ うつるかな
風鈴は外せ 風は涼しく 吹いている

 ■ おい起きろ

あかちゃんに えがおでこたえ ひなたぼこ
よみかけの ほんかたづけて なつぼうし  

みつめられ みつめかして アオバズク
さえずりの まだぎこちない やぶのなか

ドングリや きょうはこうちゃに しましょうか 
おいおきろ れっしゃのまどに なつのうみ 
 

2025年7月28日月曜日

アーカイブ



■ 2025-07-28
■ 春の風

20142744
20152558
2016724
2017642
2018653
2019512
2020860
202148

■ 夏の光

20152554
20163989
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20182423

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20169
20172
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2020811
2021108
20222
202368


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2025年7月26日土曜日

アップルパイ,と,アオバズク,と,「の」の字の話,と,すいたし・ミャクミャク・まんほーる



■ 2025-07-26
■ 箕面・五字神社の横にスーパー・マーケットがある。
■ 前回は、北千里駅のバス停留所のところでクリームパンとアンパンを買ったが、閉まっていたので、今回はここで買った。
■ 初めての店では、ごく普通のものを買う。
■ ちょうど出来立てのアップルパイがあったので、それを買った。同時に買ったクリームパンより重い。店の名は maruyasu マルヤス箕面店だ。
■ 刻んだリンゴでなく大切りにしたリンゴだ。
■ 食いでがあり、うまかった。
■ 他の支店もあるかと思いgoogle 検索してみた。
■ 形は違うがリンゴが大きい。
■ 五字神社のアオバズクは4番子が2度落ちて、今どこにいるか分からんなどと現場で聞いた。
■ もう一度行ってみてもいいかなと思う。
■ 行ったら、もう一度アップルバイが食えるかな、と思った。
■ まあ、行かないかもしれない。

2025-07-24 に死んだそうな。

■ 今朝の日本経済新聞・阿辻哲次・漢字そぞろ歩き・中国語に混じる平仮名の「の」という話だった。
■ 実際チャイナーでは「の」はよく知られている文字だそうな。
■ 例えば、鬼滅の刃、のように。
■ これについては、以前、動画を見た。だいぶ以前だった。↑
■ 似たような内容だった。
■ それと、無関係だが、千里南公園に寄った時、吹田のみゃくみゃくマンホールの写真を見せてもらった。
■ どこにあるか、と言えば、例えば、千里グリーンヒルズ竹見台101号棟、阪急電鉄「南千里」駅下車。改札を出て、西へ徒歩4分、2024年設置


2025-07-28

2025年7月25日金曜日

燈花、和蝋燭に燈花はできるのか


■ 2025-07-25

文字として読めるのだが、何か分からないモノがある。
また、文として読めるのだが、意味が通じないモノがある。
それが気になる。
要するに事実とは何か。
水滸伝は何度も映画化されているが、「清明上河図」から入るのがあり、これは面白く見た。
これより後で作られた大掛かりな映画は、映画製作者の意図が入り込んでいるようで、どうかな、という感じもした。
YouTube で見ると、リンクはほとんど切れていてどの映画だったか分かりにくくなった。
まあ、いい。

30th May 2016

水滸伝

■ YouTubeで映画を見たときもどこかに、カササギが出てきた。
■ 魯智深が出てくるところだったが、どこだったか、・・・
■ 施耐庵・作、駒田信二・訳・水滸伝・平凡社、第二十二回に、こんな記述があった。
  • 柴進は宋江を助け起こして
  • 「昨夜は燈芯がはぜ、今朝はカササギがさわぎましたゆえ、なにかの吉兆とは思いましたが、大兄がお見えになろうとは」と、満面に笑みをたたえた。
■ 水滸伝は、
  • 水滸傳は、明代の中国で書かれた。
■ この頃の、カササギの捉え方を表している。
■ あるいは、・・・
  • 爆ぜる
  • 騒ぐ
■ このコトに意味があるのかもしれないけれど、・・・

 

■ 水滸伝に出てくる、カササギの話を書いた。
  • カササギ - Wikipedia  中文
  • 喜鹊:Pica pica英语:Eurasian magpie),又名鹊、烏鵲、客鹊、飞驳鸟、干鹊、神女。
■ 中国語のWikipedia を見れば、・・・
■ ななるほど、喜鹊、か、・・・
■ 最初の部分で、「吉兆」、だな、という感じだ。
  • 喜鹊是非常受欢迎的一种鸟类,是好运与福气的象征
  • 喜鹊 google翻訳
  • Magpie google翻訳
■ カササギ自体が「吉兆」であるとされているようだ。
■ カササギは、佐賀県が有名だが、そんなに遠くまで行かなくてもいい。
■ 加古川市・浜の宮で撮ったことがある。


 

■ 原文では、どのように書かれているのか、・・・
■ ちょっと、見てみた。↑
  • 柴進扶起宋江來,口裏說道:
  • 「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」
  • 滿臉堆下笑來。
■ ここには、「吉兆」の文字はない。
■ もう一度、見てみよう。
■ 駒田信二 中國古典文学大系 平凡社 水滸伝。これは文庫本にもなっているようだ。
  • 「なにかの吉兆とは思いましたが、」
■ この分部は、・・・
■ 訳者の駒田信二が、説明のため付け加えたことが分かる。
■ と、いうか、・・・
■ カササギをさす、・・・
  • 喜鵲
■ この文字を「喜」と「鵲」に分けて訳した、と考えてもいいかもしれない。
■ ただ、上にあげた「水滸全傳」の他に、異本があるかどうかは知らない。
■ しかし、まあ、翻訳というのは、面白いものだ。
  • 昨夜燈花報
■ この分部にしても、・・・
■ 自分自身が翻訳して、どの程度のモノになるか、と、考えると、・・・
■ 上手いものだと思う。
  • ・・・ 2016-06-23 追記、「燈花」と「爆ぜる」こととは無関係。
■ 昨今、新聞記事などを見ても、
■ 日本語の程度が、低下しているのか、・・・
■ 考える力がなくなっているのか、・・・
■ あるいは、読書などしてないのかもしれないのか、と、何か、・・・
■ まあ、いいか、・・・
  • そんなもんだよ 
■ ということか。





■ 白川静著、字通を開いてみた。
鵲噪、かささぎが鳴きさわぐ。吉事の兆。[宋史、方枝下孫守栄伝]一日、庭鵲噪ぐ。之れを占はしむ。曰く来日哺時(夕)當に寶物到あるべしと。期の明日に至るに及んで、李全、果たして玉桂斧を以て貢とな為せり。
■ 水滸伝の原文は、対になっている。
昨夜燈花報,今早喜鵲噪
■ 従って、次のように分ける、ということかもしれない。
  • 昨夜 燈花 報
  • 今早 喜鵲 噪
■ 或は、・・・
  • 今早 喜 鵲噪
■ このように解してもいいのかもしれない。
■ カササギは、「鵲」で、・・・
■ 喜鵲の「喜」は形容詞と見てもよいかもしれない。
■ 追記、白川静著、字通では
灯花、燭のもえかすが花の形に固まったもの。財を得る吉兆という。

3rd June 2016

■ 魏志倭人伝に「鵲」が記述されているのは、よく知られている。
  • 其他牛馬虎豹羊
■ 即ち、邪馬台国には、「カササギはいない」、と。
■ 先に、Wikipedia を見たとき、・・・
  • 喜鵲
■ とあったけれど、・・・
■ 「喜」は、やはり、修飾語だった、ということか、・・・
■ 白川静のあげた用例では、「宋」代の話で、「魏」よりずっと後のことだ。
■ 邪馬台国には、カササギはいなかった、からといって、・・・
■ 日本列島にカササギがいなかった、とは言い切れないかも、・・・
■ というのは、・・・
  • ■ 魏志倭人伝に出てくる「魏」の国の人、あるいは、魏の国の関係者は、・・・
  • ■ 卑弥呼が使者を送ったことから、・・・
  • ■ 帰国する使者と、魏からの贈り物を載せて、・・・
  • ■ 卑弥呼の使者の案内で邪馬台国に来ただけで、・・・
  • ■ 他の地域に行ったということではなかった。
■ 確か、北海道でも見られているが、あれはなんだったか、・・・
  • 活動の目的と概要 | 北海道カササギプロジェクト
  • カササギ - Wikipedia
  • Eurasian magpie distribution map

23rd June 2016

水滸伝、Pearl S. Back
■ 2016-06-23
■ 昨日、注文した本「ALL MEN ARE BROTHERS」 の入荷の知らせを受けた。
■ で、梅田まで出た。
■ 帰りに千里南公園に寄って、カワセミがすぐ来たので、撮って帰宅した。
■ ・・・
■ 2016-06-08
■ 取りあえず、・・・


ALL MEN ARE BROTHERS


23rd June 2016

■ ・・・
  • なら燈花会 - Wikipedia - 奈良市
  • 燈花とは、灯心の先に形成される花の形をしたろうの塊のことで、
  • 仏教において、これを縁起の良いものとすることに由来して「燈花会」と命名されている。

  • 灯明 - Wikipedia
  • 神仏に供える灯火を灯明という。
  • 仏教では、サンスクリット語の「ディーパ」の訳で、闇(無明)を照らす智恵の光のこと。
■ 蝋の塊
■ んっ、ホンマかいな。
■ ホンマのようだ。
■ ・・・
■ さて、振り返ってみよう。
■ 水滸伝では、・・・
  • 昨夜 燈花 報
  • 今早 喜鵲 噪
■ ・・・
  • Last night on the candle.I saw flower form  from the tallow
  • and this morning a magpie called,

  • but I did not know that the happiness
  • they portended was the coming of this hornered brother.
■ パール・バックは、・・・
  • 生後3ケ月で中国に渡っていて、・・・
  • 中国名:賽珍珠(サィ・チンシュ)。英語と中国語の両言語を話すバイリンガルとして育った。
■ ということで、この記述はそのまま受け取っていいだろう。

 
25th June 2016

水滸伝、挿し絵

■ all men are brothers ハードカバーの方には、色付きの挿絵があるようだ。
■ 漢字が下手くそだな、という感じだった。
■ メキシコ人だ。
  • ミゲル・コバルビアス - Wikipedia

10th July 2016

■ 古いローソクがあった。
■ 傾けて、そのローを何かに使用した感じだ。
■ これが周りにうまくできれば、キレイかもしれない。
■ しかし、現在、ローソクを使う機会はほとんどない。

10th July 2016

■ 先に、パール・バックの水滸伝で「燈花」について読んだ。
  • 別冊墨 1988年 第9号 漢詩と書 名詩鑑賞と書作ガイド 歴代名詩百選
■ この本の、石川忠久「漢詩歳時記」に、詩・有約があげられていた。
■ この詩にも「燈花」が出てくる。
■ 解説を読むと、・・・
  • 燈火(ともしび)の芯がポトリと落ちる。
■ などと、書いてある。
■ どんなことか、想像できない。
■ ともしびがローソクだとすると、芯は糸とか紐とか燃えやすいもので出来ている。
■ それが燃えると焦げて黒くなる。
■ 段々その芯もなくなってゆく。
■ それは、ローソクを使ったことがあれば、すぐ分かる。
■ 芯はポトリと落ちたりはしないだろう。
■ 燃え尽きるだけだ。
■ ましてや、・・・
■ 碁盤に碁石を置いたときに落ちるはずもない。
■ 言葉というものは、案外具体的なことからきているものだ。
■ ・・・、とあれば、「花」から想像できるものだろう。
■ 一般的に花、といったら、どんなモノか、考えてみればいい。
■ 例えば、小学生高学年程度の子供に、何か「花」を描いてみて、・・・
■ ・・・、そういうことでしょ。
■ ところで、この漢詩、最後が、一番いいたいところだろう。
■ ということは、全然分かってないな、ということになる。
  • 約束したのに、真夜中になっても来ない。
  • 碁石をパチリと碁盤に叩き付けるように置いたとき、・・・
  • ローソクの滴の塊がポトリと落ちた。

10th July 2016

来ると言ったが、来ないじゃないか


  • 黃梅時節家家雨    うめはいろづき あめふるきせつ
  • 青草池塘處處蛙    くさはみどりに かえるがさわぐ
  • 有約不來過夜半    やはんすぎても こないじゃないか
  • 閑敲棋子落燈花    ごいしをうてば 燈花がおちた
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2017-09-25 以下、追加
  • 梅雨の池に 蛙が騒ぐ
  • ローソク点し 碁敵待つが
  • ともしび揺らぎ 夜半も過ぎて
  • 碁石打つ時 燈花が落ちた

  • あめふるいけに カエルがさわぐ
  • ローソクともし あいてをまつが
  • ともしびゆらぎ やはんもすぎた
  • ごいしうつおと むなしくひびく
  • あめがふるから こないのか
  • よふけてゆらぐ ろうそくが
  • したたりおちて はなとなり
  • ごいしうつおと ひびくかな

■ 読む人に「燈花」が分からなければ、・・・
■ その言葉を用いてもしょうがないかもしれない。

11th July 2016

■ 漢詩の場合、韻を踏む、とか約束事があるけれど、・・・
■ 日本の詩の場合は、必ずしも、そんなものを考えることはない。
■ もう少し自由に作ってみよう。
■ まず、・・・
  • 趙師秀 有约
  • 黃梅時節家家雨
  • 青草池塘處處蛙
  • 有約不來過夜半
  • 閑敲棋子落燈花
■ この詩が作られた時代、照明のひとつがロウソクだったとして、・・・
■ 日常的に使っていたとしたら、・・・
■ ロウソクに関することは、当たり前の感覚としてとらえられたのだろうと思う。
■ 線香の燃え尽きる時間を時計代わりにする、ということは日本であった。
■ ロウソクがどの程度の大きさのものかは知らないが、・・・
■ 長時間では燃え尽きてしまう。
■ ・・・
■ 隙間風などで蝋燭の火が揺れて滴り落ちる。
■ その蝋の滴りが固まり、縁に塊ができて、次第に大きくなる。
■ 時とともにローソクは短くなってゆく。
■ そんな時間の経過の結果として、燈花があるのだろう。
■ 当時の人は、燈花という言葉でそれらが理解できたと思われる。
  • 梅雨の池に 蛙が騒ぐ
  • ローソク点し 碁敵待つが
  • ともしび揺らぎ 夜半も過ぎて
  • 碁石打つ時 燈花が落ちた
■ 感じとしては、こんなモノか、・・・
■ 今度は、やっつけてやるから待っておれ、といっても、雨だ。
■ 来ないかもしれないが、まあ、いい。
■ どうせ、結果は知れたこと、・・・
■ 来るまで、棋譜を並べて過ごした。


27th September 2017

  • 趙師秀 有约

  • 黃梅時節家家雨    うめはいろづき あめふるきせつ
  • 青草池塘處處蛙    くさはみどりに かえるがさわぐ
  • 有約不來過夜半    やはんすぎても こないじゃないか
  • 閑敲棋子落燈花    ごいしをうてば 燈花がおちた
■ もう一度、とりあげておこう。
■ 「有約」という題だから、・・・
  • 来ると言ったが、来ないじゃないか
■ ということばが浮かんだのだけれど、・・・
■ 約束したのに、来ないから、・・・
■ 囲碁友達を、軽くなじっているのだけれど、・・・
■ 怒っているわけではないだろう。
■ それに、夜半過ぎまで待っていたのだろうけれど、・・・
■ ただ、ひとり碁を打っていたわけでもなく、・・・
■ この詩を思い浮かべていたのかもしれない。
■ 筆を持ち紙に書き留めていたのかもしれない。
  • 燈花
■ という言葉がどの程度一般的だったのか、知らないけれど、・・・
  • 閑敲棋子落燈花
■ やはり、この部分が、この詩の見せどころだろう。
■ しかし、・・・
■ 現代、私の日常生活に、ローソクはない。
■ 燃え尽きるまでの時間感覚もないし、・・・
■ 炎が揺らぐ隙間風もない。
■ 従って、「燈花」もない。
■ また、偶然そんなコトになったのかもしれないけれど、・・・
■ 現実的には、碁石の打つときの振動で「燈花」が落ちることもないだろう。
■ だから、作り過ぎという感じではある。
■ 「燈花」に拘らなくてもいいように思う。
  • あめがふるから こないのか
  • よふけてゆらぐ ろうそくが
  • したたりおちて はなとなり
  • ごいしうつおと ひびくかな
■ 漢詩では「韻」が大切なんだろうけれど、・・・
■ 日本語の詩としては、書き留める、というのではなく、・・・
■ 7・5調とか、全体的に流れがある言葉がいいのだろう。

10th November 2017

水滸伝、と、燈花のこと


  • ■ 帰りに、紀伊国屋に寄ったら、水滸伝の文庫本が目に付いた。
  • ■ 1冊目だったかの最後に、「燈花」の部分の注があった。
■ 先日こんなことを書いた。
■ 今日は、午後から、大阪・紀伊国屋まで行った。
■ 井波律子訳・水滸伝・1、2を買った。
■ 3はまだ、発行されてないようだ。
■ さて、・・・
柴柴進扶起宋江來,口裏說道:
「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」
滿臉堆下笑來。 

進は宋江を助け起こし、口の中で、「昨夜は灯花の知らせがあり、今朝は鵲が鳴き騒ぎましたが(吉兆)貴兄がおいでくださるとは思いもよりませんでした」と言い、顔中に笑みをたたえた。
■ 注に
  • 灯心の先の燃えカスが花の形になること、および鵲が鳴くのは吉兆だとされる。
■ 些細な、ことだけれど、・・・
■ この日本語の文章は、おかしい。
  • 灯心
  • 燃えカス
  • 花の形
■ 普通、灯心は紐など繊維であって、燃えカスは煤にならず残っている黒い炭素だ。
■ 燃え尽きてないのだから、一応、形はあるけれど、・・・
■ 燃えカスになると、まともな形などない。
■ 従って、花の形になるはずはない。
■ まして、それがなぜ「吉兆」になるのか、・・・
■ まったく想像できない。
■ 「カス」が吉兆であるはずがない。
■ 「黒」が吉兆であるはずがない。
■ 白、とか、赤ならまだしも、・・・
  • ■ 蝋燭のロウが、風に揺らいだ炎で溶けて、縁に固まり、花のようになる。
■ と、まあ、そういうことでしょ。
■ パール・バックの訳本なども参照した方がいい。

2025-07-25

■ 井波律子の師は吉川幸太郎だ。
吉川幸次郎・清水茂訳、完訳・水滸伝、岩波文庫
■ この本には
「ゆうべは燈芯のはしゃぎ、今朝はまた嬉しいかぎりのカササギの鳴き声、さては見えるのでありましたか。」
■ こんなことだったので、注を付けたのだろうが、余計なことをした、ということのようだ。

28th October 2017

■ 「燈火」の関係で、・・・
  • 来ると言ったが、来ないじゃないか 2
■ こんなことを書いた。
■ この時、季節は梅雨時だった。
■ 今は、もう秋、・・・
■ すぐそこに台風が近づいている。
■ 秋の長雨の季節だ。
■ 夜長の季節でもある。
■ バスの窓から、雨を眺めていると、こんな句が浮かんだ。
  • 碁敵が 今日も来たらず 夜長かな
■ 「ゴガタキ」という響きがよくない。
■ 囲碁を知らない人には通じないかもしれない。
■ しかし、まあ、いいか、・・・


水滸伝

■ 昨日、ついでに、紀伊国屋に寄ったら、出版されていたので「五」を買った。
■ 以前、駒田信二訳のモノは古本屋には、上、中はあったが、「下」がなく、・・・
■ 今回初めて揃ったことになる。
■ 水滸伝は、幾つか種類があるようで、・・・
■ 例えば、パール・バックが翻訳したものは、今回のモノと長さが違う。

14th November 2019

  • 武松醉打蔣門神
  • ■ 水滸伝の映画は幾つも作られているようだが、・・・
  • ■ これは見たことがなかったかも、どうかな、・・・
  • 武松醉打蔣門神 (新版水滸-熱血!!)
  • ■ こっちの方が面白い。 
薦めたくなる本 2019-11-09 日本経済新聞

■ こんな記事があった。
■ 「本屋大賞」なのか、・・・
■ 10冊のうち4冊読んでいた。
■ 意識して選んだわけではない。
■ 古本屋にあったのを拾っただけだ。
■ それほどお薦めでもないかもしれない。
■ ところで、自分なら薦めたくなる本があるだろうか、・・・
■ 最近?読んだのもでは、水滸伝かな、・・・
■ これは、以前、YouTube で動画を見たし、・・・
■ 別の訳者の本も買っていて、それは3冊のうち2冊を読んでいた。
■ 今回のもの、一冊めを買ったとき、5冊までは出てなかった。
■ 最後まで読んで、映画と同じだ、と分かった。
■ 以前も書いたが、パール・バックの訳では途中まででしかない。
■ 話としては面白くなくなってゆくが、最後の滅びに、やはり意味があるように思う。
■ 支配者と、その取り巻きの、おべっか使いが相変わらず、のさばり続け、・・・
■ 世の中、何も良くならないということだ。
■ 今回、水滸伝に関する頁を振り返ってみて、・・・
■ 「燈花」とすべきところを「燈火」としていたのに気付き訂正した。

8th February 2020

  • 北方謙三 - Wikipedia
  • 井波律子 - Wikipedia
  • 井波律子 画像
■ 井波律子のことを知ったのは水滸伝だった。
■ 今朝の日本経済新聞・半歩遅れの読書術にこの人の名があった。
■ 中学時代の同級生が、たまに電話をかけてきて、
■ 北方謙三の本が面白い、と、なんども薦めるのだけれど、・・・
■ まあ、それもいいか知らんが、とにかくこっちを読んでみろ、と言ってやる。
■ 井波律子の水滸伝は面白い。
■ 水滸伝については、何度か書いた。
■ もう一度書いておこう。

18th May 2020

井波律子の死亡記事があった

水滸伝』 講談社学術文庫(全5巻)2017年9月-2018年1月。元版は百回本。

■ 帰りに、紀伊国屋に寄ったら、水滸伝の文庫本が目に付いた。
■ 1冊目だったかの最後に、「燈花」の部分の注があった。

  灯心の先の燃えカスが花の形になること、

■ この日本語の文章は、おかしい。
■ 井波律子との出会いは、この注からだったけれど、・・・
■ 今日、この人の死亡記事があった。

2024-07-19

■ 山本淳子・紫式部ひとり語り・角川ソフィア文庫を読み終えた。

公任様はご自分の著書「和漢朗詠集」に「遊仙窟」の一節を採っておられ、あの伝奇には詳しい。だから・・・

■ などとあるので、一応、「和漢朗詠集」と「遊仙窟」を見てた。
■ 「遊仙窟」はいつ買って読んだったのか全く記憶にない。
■ 中国では早くに散佚し、日本だけ伝えられていて、「長恨歌伝」とともによく知られていたようだ。
■ 中国では、魯迅が見出し序文をつけたとか。
■ 上品ではなく、あまり面白い読み物とは言えない。
■ もう少しこなれた訳であればよいけれど、・・・

五嫂が、振り向いて笑いながら十娘に行った。「今朝、かささぎがさえずりあっていましたが、ほんとうにいいお客さまがお出でになったわね」

■ こんなところがある。
■ カササギという鳥の話は、この部分以外にもあるが、取り上げておこう。
■ 原文は
  • 五嫂廻頭、笑向十娘曰、今朝聞鳥鵲語、真成好客来
■ カササギが鳴くと何か良いことが起こるという話は水滸伝にもあった。


‎‎‎2011‎年‎1‎月‎25‎日、‏‎11:09:16  加古川市・浜の宮

■ 水滸伝では、「燈花」と「鵲」は吉兆として並べ記述されていて、
■ 何度か書いた。