2025年7月10日木曜日

推理小説と百人一首

■ 2025-07-10
■ 百人一首に関する本はたくさんあるようだが、
■ 最近買った、田辺聖子の小倉百人一首は読み物として、寝転がって読むのに適している。
■ 天智天皇の項の最後の方に、「新古今集」でみれば、二首目は後鳥羽院のお作で「ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 天の香具山 霞たなびく」何と暗示的! この事実も織田氏のご指摘で、はじめて私は気づいたことであった。ともかくどこにも後鳥羽院の投影がある。--「百人一首」は謎の多い歌集で、これからどんな説がとび出してくるか楽しみである。
■ などと書いている。
■ この文章から察すると田辺聖子は新古今和歌集は読んでないようだ。
■ 百人一首の2首目は持統天皇の歌であるが、新古今集の一首目は持統天皇の作であるかにも聞こえる。
■ しかし、それはない。
■ 織田正吉・絢爛たる暗号、百人一首の謎を解くー・集英社文庫の最初に、田辺聖子は「百人一首の驚き」という文章を書いているが、「この事実」がどこに書かれているか読み直そうとは思わない。
■ 勅撰和歌集がどんな構成になっているかを知っていれば、並べられているとは考えられない。
■ 部立てがある。つまり、春夏秋冬・・・と分類されている。
■ なので持統天皇の歌が一首目にあったとしても、後鳥羽院の歌がその次にあるはずはない。並べてみれはすぐ分かる。

春こそ空に 来にけらし
春すぎて 夏きにけらし

■ どちらにも「春」という言葉はあるが、持統天皇の歌は「夏」の歌に分類されていて、後鳥羽院の歌は「春」に分類されているはずだ。
  • それが、まあ、常識というものだ。
■ 推理小説の探偵は、新古今和歌集を読んだことがなくても、そう答えるだろう。
■ 一応開いて見た。新古今和歌集の「夏」の一首目に持統天皇の歌がある。二首目は後鳥羽院の歌ではない。