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(031) 坂上是則 古今集
029 あさほらけありあけの月とみるまてに よしのゝさとにふれるしらゆき
■ 李白の詩を上げる人も多いようだ。私もその一人だった。
めざめてにわの つきあかり
しもがおりたと まちがえて
やはりつきかと あおぎみた
ふっとこころに ふるさとよ 遊水
靜夜思 李白
牀前看月光 疑是地上霜
擧頭望山月 低頭思故鄕
(023) 大江千里 古今集
030 月みれはちゝにものこそかなしけれ わか身ひとつの秋にはあらねと
■ この歌については、先に書いたが伊勢物語の歌と比較しながら読むとよい。
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(034) 藤原興風 古今集
031 たれをかもしる人にせんたかさこの まつもむかしのともならなくに
(032) 春道列樹 古今集
032 山かはにかせのかけたるしからみは なかれもあへぬもみちなりけり
■ 塚本邦雄・新選・小倉百人一首に次の歌があった。
■ どうも気に入らない。
■ 川は長いが、どのあたりのことを詠んだのか。
■ 流れは速いのかどうか、速い流れではなさそうだ。
■ 私だったら、こう作る。
■ 川は長いが、どのあたりのことを詠んだのか。
■ 流れは速いのかどうか、速い流れではなさそうだ。
■ 私だったら、こう作る。
昨日といひ今日と暮らして飛鳥川流れて早き月日なりけり 春道列樹
昨日今日 眺めて暮らす あすか川 流れてはやき 月日なりけり 遊水
昨日今日 眺めて暮らす あすか川 流れてはやき 月日なりけり 遊水
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(036) 清原深養父 古今集
033 なつのよはまたよひなからあけぬるを くものいつく[こ]に月やとるらん
(026) 貞信公 拾遺集
034 おくら山みねのもみちはこゝろあらは いまひとたひのみゆきまたなん
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(025) 三条右大臣・藤原定方 後撰集
035 なにしおはゝあふさか山のさねかつら 人にしられてくるよしも哉
(027) 中納言兼輔 新古今集
036 みかのはらわきてなかるゝいつみ河 いつみきとてかこひしかるらん
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(039) 参議等 後撰集
037 あさちふのおのゝしのはらしのふれと あまりてなとか人のこひしき
(037) 文屋朝康 後撰集
038 白つゆにかせのふきしく秋のゝは つらぬきとめぬたまそちりける
あきかぜや つらぬきとめぬ しらつゆの たまとちりける あさのひかりに 遊水
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(038) 右近 拾遺集
039 わすらるゝ身をはおもはすちかひてし 人のいのちのをしくもある哉
(043) 中納言敦忠 拾遺
040 あひみてのゝちの心にくらふれは むかしはものを[も]おもはさりけり
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(040) 平兼盛 拾遺集
041 しのふれといろにいてにけりわかこひは ものやおもふと人のとふまて
■ この歌は、平家物語・巻第六・葵前、にも出て来る。
■ その歌をもらった、葵前は、
それに何よりも又哀れなりし事には、・・・・里へ帰り、打ち臥す事五六日して、終にはかなくなりにけり、と・・・とある
■ 藤原定家の選択理由を明らかにするため、百人秀歌を二つづつ対にし間隔を開けて並べる。
■ こうしてゆくと、歌合わせの状況がはっきりしてゆくが、・・・
001
002
003
004
■ 誰でも分かる「忍恋」の百人一首の並びが、040、041、となっているのはやはり、ちょっとおかしいのではないかな、と思うかもしれない。
■ 奇数、偶数の順の対であるはずだ。
041 しのぶれど
042 恋すてふ
■ 百人秀歌はこのように並んでいる。
■ いやいや、百人一首では、
039 浅茅生の・・・しのぶれど・・・
040 しのぶれど
041 恋すてふ
■ とあるからこれでいいのだ、という意見もでるだろう。
■ まあ、それはそうだとしても、・・・
■ 藤原定家は、しのぶれど、と、恋すてふ、の二つをなぜ並べたのか。
■ 多くの解説書にあるように、当時の歌合わせでは、しのぶれど、の勝ち、となっている。
■ わざわざ負けの方も取り上げる必要があるのか。
■ まあ、公の判定がそうであっても、それでいい、とは思ってなかった。
■ 平兼盛・しのぶれど、は「そんな口先だけの歌を作ること自体、忍んでないじゃない」ということだ。
■ 要するに、壬生忠見・恋すてふ、の方がよいと思っていたのではないだろうか。
■ こっちがいい、と角を立てるのも大人げない、ということで、こうしたのだろう。
■ 壬生忠見の歌を、砕いて書けば、こんな感じか、・・・004
■ 誰でも分かる「忍恋」の百人一首の並びが、040、041、となっているのはやはり、ちょっとおかしいのではないかな、と思うかもしれない。
■ 奇数、偶数の順の対であるはずだ。
042 恋すてふ
■ 百人秀歌はこのように並んでいる。
■ いやいや、百人一首では、
039 浅茅生の・・・しのぶれど・・・
040 しのぶれど
041 恋すてふ
■ まあ、それはそうだとしても、・・・
■ 藤原定家は、しのぶれど、と、恋すてふ、の二つをなぜ並べたのか。
■ 多くの解説書にあるように、当時の歌合わせでは、しのぶれど、の勝ち、となっている。
■ わざわざ負けの方も取り上げる必要があるのか。
■ まあ、公の判定がそうであっても、それでいい、とは思ってなかった。
■ 平兼盛・しのぶれど、は「そんな口先だけの歌を作ること自体、忍んでないじゃない」ということだ。
■ 要するに、壬生忠見・恋すてふ、の方がよいと思っていたのではないだろうか。
■ こっちがいい、と角を立てるのも大人げない、ということで、こうしたのだろう。
人の言う お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのに 遊水
■ 百人一首の鑑賞などと言う前に、題詠として自分でも作ってみればいいのだ。
■ 歌の心は人の心なのだ。
■ この時の歌会で、勝ったのは平兼盛の方で、
■ 壬生忠見の方は、負けて悔しく寝込んで、ついには死んでしまった、という話もある。
■ 昇進にも関係するほどの存在が歌だった。
■ 何かひとつできれば、それを元に考えればよい、
■ 例えば、・・・
- なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 顔に書いてる
- なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから 遊水
■ ここで、先に書いた歌と並べてみる。
■ それが歌合わせ、ということだ。
■ ここで、以前も書いたが「うわさ」というのも取り上げてみよう
■ それが歌合わせ、ということだ。
■ ここで、以前も書いたが「うわさ」というのも取り上げてみよう
人の言う お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのに噂聞く お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのになぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから
■ どうというコトのない歌だけれど、・・・
■ よくある話で、百人一首の昔から、「忍恋」として取り上げられていて、
■ 昔も今も変わらない、ということなのだ。
■ 私だったら、こう作る、という人もいることだろう。
■ やってみようや、歌合わせ。
■ これに関しては、繰り返しになるけれど、もう少し書いてもいいかな、と思う。
■ 島津忠夫・新版・百人一首、白洲正子・私の百人一首、など、
■ よくある話で、百人一首の昔から、「忍恋」として取り上げられていて、
■ 昔も今も変わらない、ということなのだ。
■ 私だったら、こう作る、という人もいることだろう。
■ やってみようや、歌合わせ。
■ これに関しては、繰り返しになるけれど、もう少し書いてもいいかな、と思う。
■ 島津忠夫・新版・百人一首、白洲正子・私の百人一首、など、
歌話的興味にひかれたと思うのである。有名な逸話があるところから二人を並べてだしたのだろう。
■ としているが、先に書いたように、天皇の判定ではなく、自分だったらこっちだ、と。
■ 当時、歌の最高権威であると自認していた定家の性格を表しているように思う。
■ それはさておき、
こいすてふわがなはまだきたちにけりひとしれずこそ思ひ初めしか
■ ・・・
恋をした早くも 私の名前が噂になっている人に知られないように思い始めた ばかりなのに
■ 575 で書くと短歌になる。
■ 似たような情況はあるだろう。
■ なので、躊躇せず、自分の言葉で書くのがいい。
■ 似たような情況はあるだろう。
■ なので、躊躇せず、自分の言葉で書くのがいい。
- 噂聞く お前あの娘が 好きなのか なんで分かるん 言うてへんのに
- なぜ分かる 俺が彼女を 好きなのか そりゃあ分かるさ 友達だから
- 恋をした いつか噂に なっていた 人にも言えず 黙っていたのに
■ 「1」の場合、噂で聞いて初めて、お前もか、という感じも出ているだろうか。
■ 三角関係の様相だ。
■ 「2」の場合、二人の友情だ。
■ 「3」の場合は、独り言。
■ 平兼盛、の場合は、自慢話だ。
■ これらの歌の質は置いといて、どれがいいか、・・・
■ また、私だったら、こう作る、と、女の立場ではどうだろう。
■ 色々できるだろう。
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■ 義孝は21歳、天然痘で死んだ。兄もその日の朝に死んだ。
■ 法華経、即ち、妙法蓮華経を読みたいから火葬にしないでといったという。
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さびしさに
やどをたちいでて
ながむれば
いづくもおなじ
あきのゆうぐれ
千載和歌集 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそながれてなほ聞こえけれ
島津忠夫 滝の糸は絶えて久しくなりぬれど名こそながれてなをきこえけれ
百人一首 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほきこえけれ
■ 聞こえけれが先にあったのだろうけれど、とまりけれ、に直す必要があったのか。
■ 何か意図的に感じる
■ 三角関係の様相だ。
■ 「2」の場合、二人の友情だ。
■ 「3」の場合は、独り言。
■ 平兼盛、の場合は、自慢話だ。
■ これらの歌の質は置いといて、どれがいいか、・・・
■ また、私だったら、こう作る、と、女の立場ではどうだろう。
■ 色々できるだろう。
(041)壬生忠見 拾遺集
042 こひすてふ我なはまたきたちにけり ひとしれすこそ思ひそめしか
■ 百人一首の並びは、奇数・偶数、奇数・偶数、ではない。
■ 村上天皇は「しのぶれど」を選んだようだが、定家は、「こひすてふ」の方がいいと思ったのではないか。
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(045) 謙徳公 拾遺集
043 あはれともいふへき人はおもほえて 身のいたつらになりぬへきかな
(044) 中納言朝忠 拾遺
044 あふことのたえてしなくはなかゝゝに 人をも身をもうらみさらまし
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(042) 清原元輔 後拾遺集
045 ちきりきなかたみに袖をしほりつゝ すゑのまつ山なみこさしとは
(048) 源重之 詞花集
046 かせをいたみいはうつなみのをのれのみ くたけてものを思ころかな
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(046) 曽祢好忠 新古今集
047 ゆらのとをわたるふな人かちをたえ ゆくへもしらぬこひのみちかな
(049) 大中臣能宣朝臣 詞花集
048 みかきもり衛士のたくひのよるはもえ ひるはきえつゝものをこそ思へ
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(050) 藤原義孝 後拾遺集
049 君かためをしからさりしいのちさへ なかくもかなと思ぬるかな
■ 法華経、即ち、妙法蓮華経を読みたいから火葬にしないでといったという。
(051) 藤原實方朝臣 後拾遺集
050 かくとたにえやはいふきのさしもくさ さしもしらしなもゆる思を
■ 百人一首の51番に定家は藤原実方の歌を上げている。
■ 実方はある時、藤原行成のかぶり物を打ち落とした。その様子を見ていた一条天皇より「歌枕見て参れ」と陸奥の国に左遷された、とのこと。このあたりの逸話は色々解説本にも書かれていることだろう。
■ 当時、陸奥の国の守りが軍事的にも重要だったということもわかる。
■ 後日、西行が奥州に行った際、実方の墓を訪ね
朽ちもせぬその名ばかりを留め置きて 彼の野すすき形見ぞとみる 西行
■ と、歌枕になったということだ。
■ さらに、この歌枕ゆえに松尾芭蕉は、・・・
檜皮の宿を離れて、あさか山有。道よりちかし。此のあたり沼多し。かつみ刈る比もややちかふなれば、「いづれの草を花かつみとは云ぞ」と人々に尋侍れども、更に知る人なし。沼を尋ね、人にとひ、「かつみかつみ」と、尋ねありきて、日は山の端にかかりぬ。
■ と、奥の細道に書いている。
■ こんなことを思い出しながら読むのもよい。
■ ついでながら、西行はこの後
とりわきて心も凍みて冴えぞ渡る 衣河見に来る今日しも 西行
■ と歴史に思いをはせている。
■ まあ、そんな実方の歌は、
かくとだにえやは いぶきのさし も草
さしも しらじなもゆる思ひを
■ 技巧的な歌だ。この歌がいいかどうかは別にして、「いぶき」とか「さしも草」について調べたり、
■ 実方に、かぶり物を打ち落とされた方の藤原行成がどんな人で、能書家・三跡とはどんな文字を書いたのかなど、道草するのも遊びなのだ。
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(052) 藤原道信朝臣 後拾遺集
051 あけぬれはくるゝものとはしりなから なをうらめしきあさほらけ哉
(047) 恵慶法師 拾遺集
052 やへむくらしけれるやとのさひしきに 人こそみえね秋はきにけり
■ 都会でも、人が多いけれども孤独感はあるのではないだろうか
- 東京の 独り住いの 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり 遊水
■ ・・・
■ 人より自然、天候
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一条院皇后宮 藤原定子 ■ 後拾遺集
053 よもすからちきりしことをわすれすは こひんなみたのいろそゆかしき
(068) 三条院御製 後拾遺
054 こゝろにもあらてうきよになからへは こひしかるへきよはの月かな
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(054) 儀同三司母 新古今集
055 わすれしのゆくすゑまてはかたけれは けふをかきりのいのちともかな
(053) 右大将道綱母 拾遺集
056 なけきつゝひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる
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(069) 能因法師 後拾遺集
057 あらしふくみむろの山のもみちはゝ たつたのかはのにしきなりけり
(070) 良暹法師 後拾遺集
058 さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ
■ 百人一首の和歌で、よく知られている歌でも、よく理解されているとは限らない。
■ その一つは
■ この歌だ。
■ 自分だったら「淋しくなったら」どうするか、ということだ。
■ 梓みちよは「二人でお酒を飲みましょうね」と歌う。
作曲は平尾昌晃、作詞は山上路夫だから歌詞の全てが梓みちよの本当の心かどうかは別にしても、彼女のために作られたうたのようだ。
■ ただ、そんな相手もいなければ、さて、どうするのか、・・・
■ そういうことで自作してみればいい。
■ 基本的には日本人なら誰でも作ることができる。
■ 和歌は31文字で構成されている。
■ この制約内でどう表現するかだ。
■ これが一番で、
■ さらに31文字の構成を知ることが重要だ。
■ 31文字は
- 5・7・5・7・7
- 5・7・5
- 7・7
■ 昔の和歌は、案外、論理的だ。
日本語 | 構成の部分の説明 |
|
|
■ 淋しさを感じたので
■ 家を出て
■ 歩きながら、あちこち見たけれど
■ どこも同じで
■ 変わらない、秋の景色で、
■ 帰ってきたのは夕方だった。
■ (秋の夕暮れは淋しい)ということだ。
■ だから、どうだ、とまででは言ってない。
■ 最後に「秋の夕暮れ」というならば、「ながめれば」は必要ない。
■ ということで、・・・
- みやこへは さんりのみちの ゆきかえり いずこもおなじ あきのゆうぐれ 遊水
■ 彼の歌にはないが、彼は京都の北3里のあたりに住んでいた。
京都・大原・三千院
■ なので、淋しく感じたということだった。
■ 歌は論理的である、ということの続きとして、・・・
やどをたちいでて
ながむれば
いづくもおなじ
あきのゆうぐれ
動機 行動 結果
さびしさ に やどを たちいでて いづく も おなじ
ながむれ ば あきの ゆふぐれ
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時刻 ( 朝 ) ・・・ ・・・ 夕方
8時 10時間 6時 / 18時
9時 8時間 5時 / 17時
■ 例として取り上げた良暹の歌は素朴で、技巧的なことはなく、奇をてらうこともない。
■ 自分の思いを分かりやすく表現しようとしている。■ すなわち、論理的であろうとしている。
■ ふつう、人は、朝起きて、夜寝る。
■ いくつかの質問をしてみよう
何時に起きたのかいつ、さびしさを感じたのか歌を詠んだのはいつなのかやどを立ち出でて 何をしたのか、
あるいは、どこに行ったのかうちに戻ったのはいつなのか
うちを出て、戻るまで何時間あったのか・・・8~10時間
その間どのように過ごしたのか
いづくも、とは、2ヶ所以上だから、どことどこ、で、何を見たのか
ながむれば、とあるが、それは風景なのか
おなじ、とあるが何が同じなのか
さびしさは解消したのか
寂しさがを紛らわせることができたのか
■ 歌を詠んだのは夕方、つまり、宿をたちいでて、戻ったのは夕方。
■ あきのゆふぐれ、はさびしい。
■ 「おなじ」だから「さびしさ」が解消されたわけではない。
■ 孤独感が解消されたわけではない。
■ さびしさ、が、同じ
・・・
■ 追記、
■ 「やどをたちいでて ながむれば」この、いかにも説明的な部分は必要なのか。
■ 素朴ではあるが、うまくない。
■ へたくそだ。
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(055) 大納言公任 拾遺集
059 たきのおとはたえてひさしくなりぬれと なこそなかれてなをとまりけれ
島津忠夫 滝の糸は絶えて久しくなりぬれど名こそながれてなをきこえけれ
百人一首 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほきこえけれ
百人秀歌 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほとまりけれ
橋本遊水 滝の音は絶えて久しくなりぬれど歌ぞ残りて名ものこりけり - きこえけれ
- とまりけれ
■ 何か意図的に感じる
■ 要するに、百人一首が先にあり、定家は書き換え、百人秀歌にした。
■ 公任の当時の評判は良くない。
- たわむれに 若紫はと たずねども ただ冷ややかに 紫の人 遊水
(062) 清少納言 後拾遺集
060 よをこめてとりのそらねにはかるとも よにあふさかのせきはゆるさし
■ 孟嘗君が秦から逃げ出す途中、夜は閉じ一番鶏で開くという規則の函谷関で、鶏の鳴き真似のうまい者がいたので、本物の鶏も鳴きだし、開かせたという話が日本にも伝わっていた、という歴史を証明する歌なので、他にもいい歌があるかもしれないが、やはりこれか。
■ 鶏鳴狗盗
・・・
夜半至函谷関。
関法、鶏鳴方出客。恐秦王後悔追之。
客有能為鶏鳴者。
鶏尽鳴。
遂発伝。
■ ついでながら、
■ 水滸伝では、時遷という男が、石秀・拚命三郎と楊雄・病関索らとの逃避行の途中、時を告げる鳥を盗んで食ったため、争いの原因になった。時遷は水滸伝の108人中107番目に位置付けられているが、盗みなどの特技が何度か役にも立っている。
■ ともかく、時計のない時代、鶏も役に立っていたということだ。
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(056) 和泉式部 後拾遺集
061 あらさらんこのよのほかの思いてに いまひとたひのあふことも哉
■ 塚本邦雄は藤原定家の小倉百人一首を凡作だと貶すがどうだろう。
■ 私も選んでみた。
秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部 塚本邦雄選
黒髪のみだれもしらずうち臥ふせばまづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部 橋本遊水選
■ 定家がこの歌を上げたのは分かるような気がする。
■ 定家自身の相手の人に未練があったということだろう。
■ 塚本があげた歌は一般的にも通じる心がある。
秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 藤原定家
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く 橋本遊水
母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く 遊水
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く 橋本遊水
母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く 遊水
■ 色は「ような」という意味。「いろ」は色彩の色でなく、辞書には/顔色、ようす/種類、しな/情趣、味わい/やさしさ、情け/……などとある。
■ 和泉式部の歌は、紫式部にも影響を与え、更には後々にも通じるものがある。
■ 「あくがれいづる魂」という感覚が素晴らしい。
声はせで身をのみ焦がす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ 紫式部・源氏物語・玉鬘
恋し恋しと鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす 都都逸
■ 都都逸もいいな。
■ しかし、何か、意味付けしなくててもいいようにも思う。
そっとてを ひらいてみせる ほたるかな 橋本遊水
- 黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部
■ 娘の方は、からかわれて、むきになって対応している歌だが、母のこの歌は、成熟した女性の、というか、相手にたいする思いを率直に、ひたむきに、感情豊かに愛されている喜びを詠んでいる。
■ 定家の選んだ歌は、「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびのあふこともがな」だ。どちらも、自分の思いをよく表現しているが、それがかえって、鬱陶しいと相手に疎まれる要因になったのかもしれない。
■ この人の人生が分かるような気がする。
■ 白洲正子・私の百人一首では「和泉式部は色好みで、奔放な女性として知られているが、このようにしっとりした歌をみると、一概にそういって片づけられないものがある」とある。
■ 通い婚という言葉がある。多情奔放と言われたとしても、彼女から積極的に迫ったとは考えにくい。「和泉式部日記」は読んだことはないが、どうなのか、・・・
■ 奈良、平安時代は法華経が広まっていて、和泉式部は道長から誠心院を賜り、尼となってこの寺に住んだ、と。
法華経・巻第三・化城喩品第七衆生常苦悩、盲冥無導師不識苦尽道、不知求解脱長夜益悪趣、減損諸天衆従冥入於冥、永不聞仏名
暗きより暗き道へと入りぬべき
はるかに照らせ山のはの月 和泉式部
(058) 大貳三位 後拾遺
062 ありま山ゐなのさゝはらかせふけは いてそよ人をわすれやはする
■ これについては、先に、ごちゃ、ごちゃ、書いた。
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(059) 赤染右衛門 後拾遺集
063 やすらはてねなましものをさよふけて かたふくまての月をみしかな
(057) 紫式部 新古今集
064 めくりあひてみしやそれともわかぬまに くもかくれにしよはの月かな
■ 定家自身の体験として取り上げた感がある。
■ もっと親しく逢い続けたい、と。
■ この歌とは関係ないが、紫式部はうまいな、と思う。
■ 源氏物語・第二十四帖・胡蝶
春の日の うららにさして ゆく舟は 棹の雫も 花ぞ散りける
春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも 花と散る
ながめを何に たとうべき
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも 花と散る
ながめを何に たとうべき
■ 瀧廉太郎がうまいというべきかもしれないが、やはり、影響を与えた紫式部の感覚だ。
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(061) 伊勢大輔 詞花集
065 いにしへのならのみやこのやへさくら けふこゝのへにゝほひぬるかな
■ 伊勢大輔の歌については先に書いた。
■ 伊勢大輔とは関係ないが、並べ置くのもいいかと思う。次の歌だ。
あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり 小野老
■ この歌について、リービ英雄さんが素晴らしい英訳をしている。
The capital at Nara,
beautiful in blue earth
flourishes now
like the luster
of the flowers in bloom.
■ in blue earth という表現にあたかも宇宙から見た地球のような印象を受けた。
■ 小野老は「青丹」と色彩的に奈良の都を表現している。
■ この色は建物の色だが、それは仏教・寺の色ではないだろう。
■ どちらかと言えば鳥居など神社の色だと思われる。
■ 現在、寺と神社、この二つと人はどう付き合っているのか、・・・
葬式・寺
結婚・神社
■ 心とか意識の底流にある宗教観は一応頭に入れておいた方がいいだろう。
■ この色は建物の色だが、それは仏教・寺の色ではないだろう。
■ どちらかと言えば鳥居など神社の色だと思われる。
■ 現在、寺と神社、この二つと人はどう付き合っているのか、・・・
葬式・寺
結婚・神社
■ 心とか意識の底流にある宗教観は一応頭に入れておいた方がいいだろう。
(060) 小式部内侍 金葉集
066 おほえ山いくのゝみちのとをけれは またふみもみすあまのはしたて
■ 紫式部と和泉式部の娘だが、どちらにも地名が詠まれている。
■ 地名を詠みこむことは、記録として、なるほど、と思う。
■ 小式部内侍が和泉式部の娘ならば、和泉式部は天橋立の方にいた、という歴史的事実が読み取れる。
■ 当時、軍事的に、北の陸奥・南の太宰府・そして敦賀湾、等、重要視されていた、ということだろう。
■ 大伴家持などそのいずれにも行っている。
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(064) 権中納言定頼 千載集
067 あさほらけうちの河きりたえゝゝに あらはれわたるせゝのあしろき
■ 白洲正子・私の百人一首・新潮選書、にこんなことが書かれている。
64 権中納言定頼定頼は和歌だけでなく、書もよくしたと聞く。が、子式部内侍をからかったのでもわかるとおり、父親の公任に似て、いくらか軽率なところがあったらしい。
■ なるほど、なるほど、だ。
■ そこで、小倉・百人一首の歌の並びを見ると、・・・
60 子式部内侍
61
62
63
64 権中納言定頼
■ ところが、百人秀歌を見ると、・・・
66 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天橋立 子式部内侍
67 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼
■ このように関連する者を並べ置いている。
■ 子式部内侍と定頼の物語を知っている人は、なあるほど、と思うだろう。
■ しかも、公任とこの定頼の間に七人の女性の歌がある。
67 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼
■ このように関連する者を並べ置いている。
■ 子式部内侍と定頼の物語を知っている人は、なあるほど、と思うだろう。
■ しかも、公任とこの定頼の間に七人の女性の歌がある。
■ うまく配列していると感心するのだ。
■ このことも合わせ考えると、やはり、百人一首より百人秀歌の方が定家の意図に沿っていると考えられる。
■ 親子関係をを見れば、・・・
■ このことも合わせ考えると、やはり、百人一首より百人秀歌の方が定家の意図に沿っていると考えられる。
■ 親子関係をを見れば、・・・
小式部内侍の母は、和泉式部権中納言定頼の父は、大納言公任
■ この二組の歌が百人秀歌では、入れ子になっている。
■ 百人一首では、なっていない。
■ これを見ると、やはり、百人秀歌の方が百人一首より後に編集されたように思える。
■ 定家は並びを色々変えて、歌自体ばかりでなく、作者間の関係性を物語構成にしている。
公任
清少納言
和泉式部
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
小式部内侍
定頼
■ 百人一首では、なっていない。
■ これを見ると、やはり、百人秀歌の方が百人一首より後に編集されたように思える。
■ 定家は並びを色々変えて、歌自体ばかりでなく、作者間の関係性を物語構成にしている。
公任
清少納言
和泉式部
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
小式部内侍
定頼
(063) 左京大夫道雅 後拾遺集
068 いまはたゝ思たえなんとはかりを 人つてならていふよしもかな
---------------------------------------------------------------
(067) 周防内侍 千載集
069 はるのよのゆめはかりなるたまくらに かひなくたゝむなこそをしけれ
■ 「名こそ惜しけれ」二首、
恋にくちなむ名こそ惜しけれかひなく立たむ名こそ惜しけれ
■ どちらも、いい。
■ たしか、山口百恵が歌う歌、・・・プレイバックpart2。作詞:阿木燿子
気分次第で抱くだけ抱いて女はいつも待ってるなんて
・・・
馬鹿にしないでよ・・・
■ 阿木燿子は「微笑み返し」の男あしらいなど、面白い。
(071) 大納言経信 金葉集
070 ゆふされはかとたのいなはおとつれて あしのまろやに秋かせそふく
---------------------------------------------------------------
(066) 前大僧正行尊 金葉集
071 もろともにあはれとおもへ山さくら 花よりほかにしる人もなし
(073) 前中納言匡房 後拾遺
072 たかさこのおのへのさくらさきにけり とやまのかすみたゝすもあらなん
---------------------------------------------------------------
権中納言国信 ■ 新古今集
073 かすかのゝしたもえわたるくさのうへに つれなくみゆるはるのあはゆき
(072) 祐子内親王家紀伊 金葉集
074 おとにきくたかしのはまのあたなみは かけしや袖のぬれもこそすれ
---------------------------------------------------------------
(065) 相模 後拾遺集
075 うらみわひぬほさぬそてたにある物を こひにくちなんなこそおしけれ
源俊頼朝臣 ★
076 山さくらさきそめしよりひさかたの くもゐにみゆるたきの白いと
(074) 源俊頼朝臣 金葉集
うかりける人を初瀬の山おろし はけしかれとはいのらぬものを
■ 「うかりける」の歌は先に書いた。
---------------------------------------------------------------
(077) 崇徳院御製 詞花集
077 せをはやみいはにせかるゝたきかはの われてすゑにもあはんとそ思
■ 何度か、落語も聞いた。
(080) 待賢門院堀川 千載集
078 なかゝらんこゝろもしらすくろかみの みたれてけさはものをこそ思へ
■ 黒髪の短歌
黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部
そのこはたち くしにながるる くろかみの おごりのはるの うつくしきかな 与謝野晶子
そのこはたち かぜにながるる くろかみの なつをすてきに さわやかにゆく 遊水
■ たまたま、本歌取りした歌に「春のビーナス」などと言う言葉があったので、春のビーナス、は裸体を想像させるだろうから、そりゃないだろう、として作った。「おごりのはるの」には及びもつかないが、何か機会があるごとに、何かを作るのがいいように思う。
---------------------------------------------------------------
(076) 法性寺入道前関白太政大臣 詞花集
079 わたのはらこきいてゝみれはひさかたの くもゐにまかふおきつしらなみ
(079) 左京大夫顕輔 新古今集
080 秋かせにたなひく雲のたえまより もりいつる月のかけのさやけさ
---------------------------------------------------------------
(078) 源兼昌 金葉集
081 あはちしまかよふちとりのなくこゑに いくよめさめぬすまのせきもり
(075) 藤原基俊 千載集
082 ちきりをきしさせもかつゆをいのちにて あはれことしの秋もいぬめり
---------------------------------------------------------------
(082) 道因法師 千載集
083 おもひわひさてもいのちはある物を うきにたえぬはなみたなりけり
(084) 藤原清輔朝臣 新古今集
084 なからへはまたこのころやしのはれん うしとみしよそいまはこひしき
---------------------------------------------------------------
(085) 俊恵法師 千載集
085 よもすからもの思ころはあけやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
(081) 後徳大寺左大臣 千載集
086 ほとゝきすなきつるかたをなかむれは たゝありあけの月そのこれる
---------------------------------------------------------------
(083) 皇太后宮大夫俊成 千載集
087 よの中よみちこそなけれおもひいる 山のおくにもしかそなくなる
藤原俊成 夕されば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里
藤原定家 こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ
■ どちらも昔の歌をふまえて詠まれている。
■ だから彼らは、自らの「表歌」としたのだろう。
■ 定家は、万葉集・笠朝臣金村の歌をもとにした。
■ 俊成は、伊勢物語・百二十三段・在原業平の歌をもとにした。
■ この歌だけを見たとき、これをなぜ彼が表歌としたのかわからなかった。
■ 野鳥撮影をしている関係上、「鶉」と「深草」、この二つに興味があった。
■ それで短歌をつくってみた。
■ この歌だけを見たとき、これをなぜ彼が表歌としたのかわからなかった。
■ 野鳥撮影をしている関係上、「鶉」と「深草」、この二つに興味があった。
■ それで短歌をつくってみた。
■ また、「夕されば」を「夏されば」におきかえて、「あき」を「秋」と「飽き」の掛詞にし、「浜」に寄せる波と「さびしさ寄せる」を関連づけるような歌ができた。
鶉鳴く 伏見の里の なごり今 地名に残る 深草の秋 遊水
夏されば 外の遊びも あきの風 さびしさ寄せる 人もなき浜 遊水
■ 現在、伊勢物語に出てくる歌をどれだけの人が覚えているかどうかは知らない。
■ 当時としては、知っていることが、歌人としての条件だったのかもしれない。
■ それを自らの歌に詠みこむということが、これで、「どうだ」ということだったのだろう。
■ 当時としては、知っていることが、歌人としての条件だったのかもしれない。
■ それを自らの歌に詠みこむということが、これで、「どうだ」ということだったのだろう。
■ 平忠度の次の歌は、俊成が「そののち世静まって」「今更思ひ出でて哀れなりけり」と千載集に入れた、平家物語の一節を再読するにつけても、天智天皇の志賀の都、大津京の滅びと併せて記憶に残る。
■ 藤原俊成はこの歌を千載集に「読人しらず」として入れた。
■ これに関して丸谷才一は、歌道に不熱心だった後白河院がなぜ俊成を早朝に呼びつけ千載集を編纂させたのか、それは祟りを鎮めるためだったろうと推測している。
昔ながら
長等山
■ と、さりげない掛詞が好感を呼ぶ。
昔ながら
長等山
■ と、さりげない掛詞が好感を呼ぶ。
(086) 西行法師 千載集
088 なけゝとて月やはものをおもはする かこちかほなる我なみたかな
■ 塚本邦雄・新小倉百人一首の西行の歌として、次を上げていた。
■ そこで、ちょっと気になったのだが、・・・
- 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山 西行
■ そこで、ちょっと気になったのだが、・・・
- 西行は何故出家したのか、・・・、僕には興味のないことだ。
- 凡そ詩人を解するには、その務めて現さうとしたところを極めるのがよろしく、努めて忘れようとし隠さうとしたところを詮索したとて、何が得られるものではない。
■ こんなことを小林秀雄は書いている。
■ 1」についてはまあそれでいいが、2」について西行は隠そうとしたのだろうか、あるいは忘れようとしたのだろうか。
■ 一般的に、2」はその通りだが、西行に関しては当てはまらない。
■ 定家は西行の歌として、・・・
■ また、定家がなぜこの歌を選んだのかも分からないだろう。
■ 忘れようとしたはずはない。
■ 1」についてはまあそれでいいが、2」について西行は隠そうとしたのだろうか、あるいは忘れようとしたのだろうか。
■ 一般的に、2」はその通りだが、西行に関しては当てはまらない。
■ 定家は西行の歌として、・・・
- なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな 西行
■ また、定家がなぜこの歌を選んだのかも分からないだろう。
■ 忘れようとしたはずはない。
■ 西行にも若いころはあった。
■ 23歳の時に出家したようだが、院の御所・北面の武士だった。
■ 女好きの体格であったのだろう。
あなたには 妻も子供も ありますね これがかぎりと 分かるはずでしょ
■ こんなことを言われて、うちに帰り、腹立ちまぎれん娘を蹴落とした。
■ まあ、そんな理由でもなければ、蹴落とすことにはならなかったのではないか。
■ 出家したのも、短気だったことを表しているようだ。
■ 人には知られなかったようだが、相手は自由奔放な身分違いの女だった。
■ そのうち噂にでもならないかと都でうろうろしていて、
世の中を捨てて捨てえぬ心地して都はなれぬわが身なりけり
まどい来て悟り得べくもなかりつる心を知るは心なりけり
あこがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき
春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり
■ 最強は年をとっても若き日の思い出は残っていたようで、
- 面影のわすらるまじき別れかななごりを人の月にとどめて 西行
■「月」は何を象徴しているのか。
■ 当時の人は、その間の状況を知っていたとしても、大っぴらに口にできなかった。■ 定家の「ほのめかし」と同類なのだ。
■ だから定家はこれを選んだ。
■ 噂もでてこない。
どうしても 自分の口で 言えないが 気付いてほしい 秘密がひとつ 遊水
■ 以前、「西行・これが表歌か」という題で、以下を書いた。
■ 俳句では句会がよくある。
■ 和歌の世界では「歌合」があった。
■ 比較することで分かることがある。
■ 百人一首の「月」を詠んだ歌をとりあげてみよう。
■ 彼らが競った歌ではなく勝ち負けはないのだけれど
■「百人一首」の歌としては好き嫌いはあるだろう。
■ 和歌の世界では「歌合」があった。
■ 比較することで分かることがある。
■ 百人一首の「月」を詠んだ歌をとりあげてみよう。
■ 彼らが競った歌ではなく勝ち負けはないのだけれど
■「百人一首」の歌としては好き嫌いはあるだろう。
月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 西行
■ 「月見れば」の歌は読みやすいし分かりやすい。
■ 「嘆けとて」の歌は理屈っぽいし、分かりにくい。
■ 「嘆けとて」の歌は次の組み合わせだった。
■ 「自歌合」の場合は、どちらかを選ぶということではなく、むしろ、相互に補い説明しているようだ。
■ 「嘆けとて」の歌は理屈っぽいし、分かりにくい。
■ 「嘆けとて」の歌は次の組み合わせだった。
■ 「自歌合」の場合は、どちらかを選ぶということではなく、むしろ、相互に補い説明しているようだ。
知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは 西行嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
■ 藤原俊成は西行から判定を依頼されてこれらについて述べた。
■ 藤原定家は、父・俊成の評を追認する形で、「嘆けとて」の歌を百人一首にとった。
■ 西行最晩年のことだったので、「嘆けとて」が彼の代表作だといえるかもしれない。
■ 他にいい歌もあるのにと言う人も多いだろうし私自身もそう思う。
■ しかし、彼の側に立てばやはりこれが彼が一番残したかった歌だろう。
■ なぜか、そして、定家はなぜこの歌を取り上げたのかだ。
■ 定家は、おそらく、西行の心がよく分かっていたと思う。
■ どちらも恋の歌だ。
■ 定家の歌と並べ置いてみれば分かるかもしれない。
■ 藤原定家は、父・俊成の評を追認する形で、「嘆けとて」の歌を百人一首にとった。
■ 西行最晩年のことだったので、「嘆けとて」が彼の代表作だといえるかもしれない。
■ 他にいい歌もあるのにと言う人も多いだろうし私自身もそう思う。
■ しかし、彼の側に立てばやはりこれが彼が一番残したかった歌だろう。
■ なぜか、そして、定家はなぜこの歌を取り上げたのかだ。
■ 定家は、おそらく、西行の心がよく分かっていたと思う。
■ どちらも恋の歌だ。
■ 定家の歌と並べ置いてみれば分かるかもしれない。
■ 西行は「わが涙かな」と自分の身を嘆いている。
■ 定家は「身もこがれつつ」と相手が自分を待っていることを歌っている。
■ かなり対照的だが、・・・
■ それぞれ相手は誰だったのかだ。
■ かなり対照的だが、・・・
■ それぞれ相手は誰だったのかだ。
のりきよ と 待賢門院璋子・たまこさだいえ と 式子内親王・のりこ
■ 相手はどちらも身分違いの人だった。
■ 同じ体験をしていたので分かり、しかも、自分の方が、いわば「勝ち組」だったからだ。
■ このように考えながら読むと「百人一首」物語は面白さ倍増なのだ。
■ 31文字で表されることは限定されるかもしれないが。
■ 幾つも詠むことはできるし、他の人の歌と比較しながら併せ読むこともできる
■ これが和歌・短歌の魅力だ。
■ もちろん31文字で詠みきることができればそれに越したことはない。
■ 同じ体験をしていたので分かり、しかも、自分の方が、いわば「勝ち組」だったからだ。
■ このように考えながら読むと「百人一首」物語は面白さ倍増なのだ。
■ 31文字で表されることは限定されるかもしれないが。
■ 幾つも詠むことはできるし、他の人の歌と比較しながら併せ読むこともできる
■ これが和歌・短歌の魅力だ。
■ もちろん31文字で詠みきることができればそれに越したことはない。
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(088) 皇嘉門院別当 千載集
089 なにはえのあしのかりねのひとよゆへ 身をつくしてやこひわたるへき
権中納言長方 ■ 新古今集
090 きのくにのゆらのみさきにひろふてふ たまさかにたにあひみてしがな
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(090) 殷富門院大輔 千載集
091 みせはやなをしまのあまのそてたにも ぬれにそぬれしいろはかはらす
(089) 式子内親王 新古今集
092 たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
■ 百人一首・89、と、百人秀歌・92、の配置からみると、百人秀歌の方が定家に近い。
■ これは定家が重要視したからだと思われる。
■ しかし、源実朝・98ほどは近くない。
■ このあたりが微妙な定家の心理だと思われる。
■ 百人一首に採られた式子内親王の歌に応え、定家も歌を詠んでいる。
玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ることの弱りもぞする 式子内親王君が代にあはずは何を玉の緒の長くとまでは惜しまれじ身を 定家朝臣
思ふことむなしき夢の中空に絶ゆとも絶ゆなつらき玉の緒 藤原定家
■ プラトニック・ラブかどうかは知らない。関係はあったと思う。
■ そして、・・・
橘のにほふあたりのうたたねは夢もむかしのそでの香ぞする 皇太后宮大夫俊成女かへり来ぬ昔を今とおもひ寝の夢の枕に匂うふたちばな 式子内親王
■ どちらもうまいが、式子内親王の方が具体的のように思われる。
■ さらに、玉の緒、の歌に続いて、・・・
忘れてはうち嘆かるるゆうべかなわれのみ知りて過ぐる月日を 式子内親王わが恋は知る人もなしせく床のなみだもらすな黄楊の小まくら 式子内親王
■ 式子内親王は、立場上自分の恋をあからさまに語ることはできなかった。
■ 彼女の恋を知っているのは、つげ、でできた枕のみで、人には告げるなと詠っている。
--------------------------------------------------------------------
絶えるとも 心と心 つなぐ糸 恋する心 絶えることなく 遊水
■ 相手は、定家であろうと推測する。
■ 定家は、新古今和歌集の編者の一人だった。
■ 当然、式子内親王の歌も熟知していた。
■ だから、彼女が彼を心待ちにしている心情を次のように詠った。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 権中納言定家
■ 藤原定家が百人一首を作った最大の理由はこの歌を作り披露することだった。
■ 「しのふることのよはりもそする」で思い出した都都逸がある。
- 交わすまなざし他人の証拠 そ知らぬふりするできた奴 春日遅々波
■ 2人の関係を知られないように、噂の種にならないように、ということではないか。
■ この都都逸と同じ意味合いの歌が、万葉集にもある。
青山の横切る雲のいちじろく我と笑まして人に知らゆな 大友坂上郎女
晴れた日に 気分良くても にこやかに 我と話すな 人に知られる 遊水
■ 今も昔も同じことだと面白い。
■ ところが、次のような解説があった。普通ではない。分からん。
玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
私の命よ、絶えるなら絶えてしまえ。長らえると、私の恋をあの人に秘めておく心が弱って、抑えきれず思いが外に現れてしまうかもしれないから。
■ 当時、出家して尼になるコトはあった。
■ 普通、自害することはなかった、と思われる。
■ 恋愛、というのは、自分の心を相手に分かってもらいたいと思うのが普通だ、と思う。
■ こっちを向いてほしい、ということではないのかな。
■ だけど、他人には知られたくない。
私の恋を あの人に秘めておく
■ これって何なの、・・・
■ この人、恋愛をしたことがないのかもしれない気がした。
■ 自分の歌として詠んでみたらいいように思う。
かへり来ぬ昔を今とおもひ寝の夢の枕に匂うふたちばな 式子内親王
■ 橘の香は若い相手を指している。
■ プラトニック・ラブかどうかは知らない。関係はあったと思う。
■ 石原裕次郎、や、ちあきなおみ、は歌っている。
しのびあう恋を つつむ夜霧よ・・・晴れて会えるその日まで
■ つまらん解釈より、歌謡曲の歌詞の方が、よっぽど人の心をつかんでいる。
■ 式子内親王は立場上、晴れてあえる日がないのだから、「絶えね」と詠うしかなかった。
■ 2024-10-04 追記
■ 2024-10-04 追記
■ 白洲正子・私の百人一首・新潮選書には、・・・
- こういう歌を前にして、私は説明の言葉もない。ただくり返しよむことを願うだけである。
■ ・・・と。
■ 白洲正子は、著述に当たって、何冊か関連図書は読んだことだろう。
■ 各説に、必ずしも、納得できなかったようだ。
■ 私としては、人と議論するつもりはないが、・・・
■ だいたい、相手に伝えたいために歌を詠む。
■ 秘密にしておきたいなら、黙っている。歌に詠まない。
■ 歌が作られているということは、誰かに読んでもらいたかったということになる。
■ 「私の恋を あの人に秘めておく」これって何なの、・・・分からん。
■ 玉の緒は、自分と相手の「心と心をつなぐ糸」でよいように思う。
■ 浮き名を流すことを避けるためには、現実的な関係は絶えても構わない。
■ 互いの思いは変わらないのだから。
■ 「夜霧よ今夜も有難う」の作詞・作曲 浜口庫之助、うまいものだ。
■ google 翻訳をあげてみよう。
A secret love
the enveloping night fogdo you knowthe relationship between the twoI'll see you when it's sunnyuntil that dayKeep it hiddennight fog, night fogwe alwayssay it softlyYogiri, thank you for tonight.
■ 逆に、英文から日本文をgoogle 翻訳すると下記になる。
■ 「忍び会う」という言葉がなくなる。
■ 意味的には「A secret love ・秘密の恋」だけれど、「しのびねもらす なつはきぬ」という歌があるように「秘密」では「しのび」という言葉を言い表せない。
秘密の恋包み込む夜霧知ってる?二人の関係を晴れたら会おうねその日まで隠しておいて夜霧、夜霧私たちはいつもそっと伝える
夜霧、今夜はありがとう
■ 「心は真似することができても、言葉は真似することができない」それが翻訳や解説とは違うことろだ。詩はことばそのものだ。
■ しかし、「晴れたら会おうね 」と訳されたのを見て笑ってしまった。
■ google 翻訳も、そのうちよくなるかもしれないとは思うので、またやってみればよいが、その都度変わり一定しないかもしれない。まだまだだ。
■ 日本語の深さに英語は対応できないということだ。
■ 万葉集にはいくつか玉の歌がある。
■ 元々、玉は真珠であり、大伴家持の歌にもあるように腕輪にすることもあった。
■ その真珠に通した紐が切れてしまうように、ばらばらになるコト。
■ 玉は、心、そして、その人をさし、お互いの存在を示している。
■ ということで、いずれ関係を隠しておけなくなるだろうから、
■ 人の噂になるまえに。
■ 逢いたくても、別れてしまいましょう。
■ 唐突だが桐壺更衣の歌を思い出した。
■ その真珠に通した紐が切れてしまうように、ばらばらになるコト。
■ 玉は、心、そして、その人をさし、お互いの存在を示している。
■ ということで、いずれ関係を隠しておけなくなるだろうから、
■ 人の噂になるまえに。
■ 逢いたくても、別れてしまいましょう。
■ 唐突だが桐壺更衣の歌を思い出した。
■ 「玉の緒」がはかないものだとしても、死のうとは思わなかったのではないか。
■ あらまほしきは いのちなりけり、だ。
■ あらまほしきは いのちなりけり、だ。
限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり 桐壺更衣
沙羅双樹 死んでしまえば おしまいよ あらまほしきは いのちなりけり
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(087) 寂蓮法師 新古今集
093 むらさめのつゆもまたひぬまきのはに きりたちのほる秋のゆふくれ
■ 新古今和歌集の、361、362、363、の歌
さびしさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ 寂連
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つさわの秋の夕暮れ 西行
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 定家
■ 百人一首
淋しさに宿を立ちいでてながむればいずくも同じ秋の夕暮れ 良暹法師
■ 塚本邦雄は新撰小倉百人一首で定家の歌としてこの歌を上げている。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 權中納言定家
■ 塚本が百人一首は凡作ばかりだとするのは、まあ、勝手といえば勝手だが、
■ 来ぬ人を、を置き換えてしまうと、なんの百人一首か分からない。
■ それに、定家の、花も紅葉もなかりけり、とする景色が秋の夕暮れなのだろうか、と思う。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
■ 自分が住んでいるわけでもない、漁師の住まいを遠くから見て、歌にしている。
■ 自分の「秋の夕暮」ではなく、寂連の「色としもなかりけり」を言い換えてみただけの歌で、いわば凡作だ。
■ それをなぜ塚本は定家の代表作のように「来ぬ人を」からこの歌に替えたのか。
■ 分からん。
■ ・・・
■ 芭蕉は、秋深き隣は何をする人ぞ、とした。
■ 会津八一は
かすがのに おしててるつきの ほがらかに あきのゆうべと なりにけるかも 八一
■ 今、百人一首から離れて、どんな秋の夕暮れを詠めばいいのだろうか、・・・
--------------------------------------------------------------------
にぎわいの 梅田の街に ふらり出て 疲れて帰る 秋の夕暮 遊水
(092) 二条院讃岐 千載集
094 わか袖はしほひにみえぬおきのいしの 人こそしらねかはくまもなし
■ 塚本邦雄・新選小倉百人一首に、沖の石の讃岐以外は悉皆日代表歌、と絶賛している。
■ そして、「讃岐の作は、これの模倣と見られるがいかがであらう。」として、
わが袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし 和泉式部
■ この歌を上げている。なるほど。
■ 状況は違うが、式子内親王の作も、和泉式部の模倣であろう、と言えるかもしれない。
絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや 和泉式部
■ 本歌取りは普通なので、模倣という言い方は、適当ではないが、式子内親王は和泉式部の歌を知っていたと思われる。
■ 当時、娘の小式部内侍がからかわれるほど、和泉式部の歌はよく知られていた。
■ 和泉式部は歌が上手かったということだろう。
■ 讃岐や、式子内親王も、彼女のように読みたいとして手本にしたかのようだ。
■ 「しのぶれど」などは題詠だったが、同様に考えてもいいのかもしれない。
たえしころ たえねと思ひし たまのをの 君により又 をしまるるかな
たまのをの たえんものかは ちぎりおきし なかにこころは むすびこめてき
■ 和泉式部日記にこのような歌がある。
■ 「玉の緒」という表現はいつ頃から用いられたのか。
■ ところで、塚本邦雄は、次の歌を上げている。
夢にだに人を見よとやうたた寝の袖吹きかへす秋の夕風 讃岐
■ これを見て思い浮かぶ歌は、古今和歌集第十二・恋歌二の最初の歌だ。
うたた寝に恋しき人を見てしより 夢てふもの頼みそめてき 小野小町
思ひつつぬればや人の見えつらん 夢としりせばさめざらましを
■ 讃岐も小町の歌に倣いたいと思ったのかもしれない。
あい見ての 後の心を おもひつつ またあふことの うたた寝の夢 遊水
---------------------------------------------------------------
(091) 後京極摂政前太政大臣 九条良経 新古今集
095 きりゝゝすなくやしもよのさむしろに ころもかたしきひとりかもねん
■ 38歳で死亡。「百人一首一夕話」には、天井から槍で突き殺されたとある。
■「衣片敷」は独り寝るのことだから馬から落ちて落馬するようなものだ。■ 柿本人麻呂の「独りかも寝ん」は定家自身の感慨であったろうが、この人の「独りかも寝ん」は恨みをかい暗殺されるような彼自身の実際の孤独さを暗示しているのか。
■ 歌人としては、いい歌を作っている。例えば、新古今和歌集の最初の歌。
み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
■ 定家は、彼に好意を持っていたとは言えない感じだ。
(095) 前大僧正慈圓 千載集
096 おほけなくうきよのたみにおほふかな 我たつそまにすみそめのそて
■ しかし、暗殺されるような人間とは違い、口直し的に置いた感じもする。
- 旅の世にまた旅寝して草まくら夢のうちにも夢をみるかな 慈円
---------------------------------------------------------------
(094) 参議雅経 新古今集
097 みよしのゝ山の秋かせさよふけて ふるさとさむくころもうつなり
(093) 鎌倉右大臣 源実朝 新古今集
098 よのなかはつねにもかもななきさこく あまのをふねのつなてかなしも
■ しかし、定家は選んだ。
■ 仮に、師弟関係、ととらえるなら、定家の師は俊頼であり、弟子は実朝だと思われる。
■ だから選び、百人秀歌では、百人一首より間近に配置した。
■ 百人一首の並びは、選び出しそのままの、下書き的なものだったようにとれる。
■ 百人秀歌で、実朝をここに配置したのは、よく考えたからだと、思われる。
■ 承元三年(1209)四十代後半だった藤原定家が書いた歌論書に近代秀歌がある。求めに応じ、実朝に贈ったようだ。
■ 承元三年(1209)四十代後半だった藤原定家が書いた歌論書に近代秀歌がある。求めに応じ、実朝に贈ったようだ。
■ 新古今和歌集も贈るなどしている。
■ 頼朝の歌が二首があるので、実朝が見たかったようだ。
陸奥の 言はで忍ぶは えぞ知らぬ 書き尽くしてよ 壺の碑 新古今・雑・1786
道すがら 富士の煙もわかざりき 晴るるまもなき 空のけしきに 新古今・旅・975
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(098) 正三位家隆 新古今集
099 かせそよくならのをかはのゆふくれは みそきそなつのしるしなりける
■ あるいは後鳥羽院が関係するのかもしれない。
■ 蛇足ながら、・・・
■ 似た名前の人もいた。
■ 間違わないように、あげておこう。
■ 天下の「荒くれ者」から国の「救世主」となった藤原隆家 、こんなことも書かれている。
いととかなしき秋のゆふくれ 藤原隆家 874-離別
(097) 権中納言定家 新古今集
100 こぬ人をまつほのうらのゆふなきに やくやもしほの身もこかれつゝ
■ この歌は、書で言う若書きの歌だ。
■ この歌を最後に置くことで彼自身の歌集とすることができた。
■ 最後を飾るのだから、もう少し落ち着いた歌でもよかったように思う。
藻塩焼き 心こがして 来ぬ人を まつほの浦の 夕凪ろかも 遊水
■ しかも、手本にした古今和歌集の紀貫之を越えることができた。
■ つらゆき、の歌をもう一度上げてみよう。■ 古今和歌集・巻第一・春歌上
- 年の内に春はきにけり ひととせをこぞとやいはん ことしとやいはん 在原元方
- 袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん 紀貫之
■ 古今和歌集・巻第十四、最後の歌。
道しらば摘みにもゆかぬ 住江のきしに生ふてふ恋忘れぐさ つらゆき
■ 定家の歌と並べ置いてみれば、貫之は恋に負け、定家は恋に勝っている。
■ 定家は、伊勢物語の主人公にはなれなかったが、実質的に、自分の編纂し歌集を持つ紀貫之と同様に、自分の歌集を作ることができた。しかも、貫之に劣らない歌で最後を飾ることができた。
■ そのような満足感とともに「ふりゆくものはわがみなりけり」と、番外の101に配置した。
■ 藤原定家は新古今集の編集人の一人として参加したが、要するに下働きであった。
■ 後鳥羽上皇が采配し、さらに、京極摂政良経も口出ししたようだ。
■ 年下の男たちに、なんだ、こいつら偉そうに、と心の中で思わなかったとは言えない。
古今集 我が世の春の つらゆきは 自らの歌 初め終わりに 2025-03-20新古今 下働きの さだいえは 院切り捨てて 秀歌となせり
■ こんなところか。
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(096) 入道前太政大臣 新古今集
101 はなさそふあらしのにはのゆきならて ふりゆくものは我身なりけ
■ 定家は、自分も年を取ったものだ、との感慨にふけりつつ、まとめ上げた満足感に満たされた、余裕で、これをとりあげているかのようだ。
■ この人は「花誘う」という言葉を使いたかったのだろうが、ふりゆくものは「桜吹雪」と「年齢」であるので、「嵐の庭の雪」とするのは何か非論理的表現だ。■ それを考え、最初、次のように改作した。
■ また風が吹かなくても桜は散るのだから、と。
嵐吹く 庭の桜の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり
風もなく 庭の桜の 散るほどに ふりゆくものは 我が身なりけり 遊水
■ 「はなさそふ」は先にもあげたが、次の歌がいい。
■ 強い風で散った花が琵琶湖まで飛ばされてゆく感じがよく出ている。
花さそふ 比良の山風 吹きにけり こぎゆく舟の 跡みゆるまで 宮内卿
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■ 百人秀歌には、百人一首の最後の、次の二人の歌はない。
後鳥羽院
(099) 人もおしひともうらめしあちきなく よをおもふゆへに物思ふ身は
順徳院
(100) 百敷やふるき軒端の忍ふにも なを餘りあるむかし成けり
■ 定家は、百人一首の「百」番目の歌として、最初は順徳院の歌がいいと思ったのだろう。
■ また、親の、後鳥羽院を取り上げないのは、形として整わないので、あわせて上げたと単純に考えた方がいいようにも思う。
■ 天智天皇、持統天皇、親子で始め、この親子で終わる配置は、百人一首としては、ありかもしれない。
■ 順徳院の歌自体も悪くはない。しかし、定家の「今」を、自信たっぷりに、詠う歌の後に「あまりある昔なりけり」を置くのは、場にそぐわない。定家としては見直して外したと考えてよい。
■ あるいは、定家の心とは別に、二人の歌を勝手に付け加えたと考えてもおかしくはないかもしれない。とにかく、客観的に見て「場にそぐわない」と感じることは定家自身もよく分かっていたと考えられる。
■ 後鳥羽院については、定家は、勅撰・新古今和歌集での下働きで、4年間も、こき使われているので、恩義を感じるより鬱陶しく感じていたのが本音だろう。
■ 二人を切り捨て、本当に自分が編纂した歌集として、百人秀歌を作って、清々しかったのではないか。
ふきはらふ もみぢのうへの 霧晴れて 峯たしかなる 嵐山哉 定家